エピローグの1 『ボカロPの食卓』
「では、我々『天帝のはしたなきP』のさらなる活躍を願って、かんぱーい!」
収録から一週間、夏休みも終わりが濃く見えてきた日の夜、我々は菰公の家でお疲れ会を開いていた。
この一週間、我々は機構のフロント企業の物を含めた数件の雑誌取材と明後日放送のテレビ取材を受けており、賞レースで優勝した芸人が翌日から一切の休みがなくなる現象を己が物として体感していた。
「想像の数倍のスピードで売れやがったなお前ら」
「全くだね。 今月初めには彼氏のひいき目をもってしてもここまでの想像は出来なかったよ」
そんな中でのお疲れ会である。
菰公は所有するマンションの最上階フロアを丸ごと自分の家にして彼氏と住んでいる。
これだけ聞くとこいつがとんでもない豪傑であるかのように思える(売れっ子イラストレーターである図南父とワールドワイドに評価を得ている画家である図南母ですらマンションを丸ごと買って最上階に住むには10年近くかかっている)が、実際カップルのどちらも結構きつい人生を送って来たことを知ると、せめて今この暮らしが出来ている幸せを純粋に祝福してやりたくなるのである。
この状況を知ったサトの感想もやはりそんな気持ちだったらしい。
「私とあいつは確かにTwitter上で濃い付き合いがあった。 だが、私とあいつ、そしてあいつと今の彼氏が初めて出会ったのも、ある隔離病棟でのことだった」
「えっ……」
菰田邸への行きしな、私はサトにその事だけを教えてやった。
さすがはサトの人柄だと言うべきか、親がいないこと自体は菰公に教えてもらっていたらしく、普通にリラックスした状態で我々は菰田邸に入ることが出来た。
「やあ、久々だね」
「図南さん、この度はお疲れ様」
「同じく。 その子も紹介してもらうわよ」
部屋に入った瞬間三人分の声が我々に飛んでくる。
短い廊下を通り、畳敷きの前室に荷物をぽんと置いてそのまま奥の間に入る。
六人掛けのでかいダイニングテーブルを囲うクッション付きの椅子にに右から車胤君、明璃水止君、臥龍美晴がゆるりと腰かけてスプーン片手に何かを食べている。
「マンゴープリン? それ」
「そうだよ。 朋くんが紹介してくれた料理人の人が携えてきたんだ。 手作りらしいけど、ちょっと美味しすぎるよこれ」
「本当そうね。 どこで見つけてきたのよ、こんな凄腕の人」
知り合いから、とだけ答えて私はテーブルを回り込み、キッチンを覗いてみた。
「あ、お久しぶりです」
現在キッチン中を縦横に飛び回っている白鳥家の料理人は驚くべきことに私と同い年だった。 どうやら彼女――酒匂淋――の一族は昔から長男が白鳥家で料理人をしているらしく、今の代では志願した彼女がその役割を担っている、という事だそうだ。
マホウショウジョ・ターミネーターの事件の祝賀会で出てきたすき焼きやら各種小鉢やらデザートのわらび餅やらが信じられないぐらい美味しかったので、レシピとか教えてもらえたら嬉しいなと白鳥さんにやんわり聞いてみたところ、シェフ自身を快く紹介してくれたのだ。
長く伸ばしたボリュームのある髪の毛など一見料理人っぽくないが、凄腕なのは間違いない。
「何、これ?」
いつもは学生の二人暮らしでは持て余すぐらいデカいキッチン(なんせコンロが5口ある)だが、今日は持ち込まれた食材や調理器具で全て埋まっている。
その中でも目に付くのがコンロでものすごい芳香を放ちながら煮えている大鍋だった。
「これですか? 佛跳牆ですよ。 モンクジャンピングウォール」
「あ、あれね」
絶対間違ってる英語訳を聞いて分かった、『鉄鍋のジャン』でホントにお坊さんが寄ってきた料理だ。
「それって滅茶苦茶大変な奴なんじゃ……」
今日のオーダーは『誰でも知ってる中華料理』だ。
こいつもまあ知名度は実際あるのだが、それは『使う食材の種類が滅茶苦茶に多く、とんでもなく手がかかる料理』としての物だ。
「いいんですよ。 私も久々に作ってみたくなったんですし、あなたとの契約もありますしね」
契約、それは彼女が近々始める予定の料理研究家としての活動を売れっ子になる予定の我々が宣伝するという物だった。
この取引無しでも白鳥さんの命令があればどこででも料理はするらしいのだが、彼女が私達をやや誇張気味に教えた所がっつり食いついてきたらしく、今こうして全力のサービスを提供してもらっているのもそういう訳なのだ。
隠そうとしていない以上そこに脅威などあるはずもないのだが、正直裏が見えすぎるので若干怖い。
「そうだ、プリンって余ってる?」
「ああ、ございますよ」
そういうと彼女は炒め物の手を止め、冷蔵庫から魅惑のオレンジのプルプルを取り出した。
「どうぞ」
私はそれを持って再びダイニングテーブルに戻った。
「これは想像以上に期待が持てそうだ」
空いている美晴の向かいの椅子に座る。
「そうよねぇ。 一流レストランを貸し切ってるみたいな気分だわ。 ね? 聡子ちゃん」
「本当にそうっスよね」
凄い、もう打ち解けている。
「お前自己紹介した?」
「してるわよ。 『私は臥龍美晴、二年生。 漫研の会長で朋の友人。 ホビー好きで変形ロボがいっぱい出てくる漫画を描いてる』 そう言ったら『確かに朋の友達っぽいっスね』って言われたわ」
私もそう思う。
こいつは漫画力やコマ割りのセンスみたいなのはまだ発展途上なのだが、メカニック(日常にあるいろんな機械や物品に金属生命体が侵入して変形するという設定なのだ)が悉く鬼ほどカッコよく、キャラデザやストーリーもだいぶクオリティが高いので下手な連載漫画よりも全然好きだ。
ネットで連載しているのだが、更新する度万近いPVがあるので、もう少しでワンパンマンルートに乗れるかもしれない。
いつかPVを作ってもらう口約束はまだ有効だ。
「そして僕が明璃水止。 昔から由借と付き合っている。 現在は九州大学の近くに部屋を借りて大学に通っているが、今は休みなのでずっとここにいる。 そう言ったら『エロゲみたいっスね』って言われたよ僕は」
これが失礼に当たらない環境で我々生きているのだ。
そんなこんなでマンゴープリンを食べながら駄弁っていると買い出しに行っていた菰公が大量のペットボトルを携えて帰宅、そしてあれよあれよという間に宴が始まった。
「では、我々『天帝のはしたなきP』のさらなる活躍を願って、かんぱーい!」
コップ一杯のコーラを一気下菰公がわざとらしく『にゃあん』声を漏らす。
「お前猫キャラでは売らないっつってただろ」
「出るときは出るんだよ。 自分のモデルを猫耳にしなかっただけで充分だろ」
言ってなかったが、菰公は足の膝から下と猫耳がもろ猫の要素を色濃く持つAFC(Animal Feature Career)である。
「アメリカだと自分がAFCであることを隠すと凄い文句言われるらしいよな」
「ポリコレ的な奴だよな。 自己表現だ何だいったってこっちも好きで猫やってるわけじゃないんだよ。 私だってつるつるの太ももに憧れるんだけどね」
意味のない会話に続くレールの上に我々が乗った瞬間、テーブルに大皿の何かが置かれた。
とてつもない煌めきを放つ麻婆豆腐が我々の手と胃の届く位置で食べられるのを待っている。
その状況は我々の意識を一点に収束させるに十分だった。