<松菱仁兵衛>
白月と共に人のいない道を歩き続け、俺は思っていたよりも長い道のりに白月に声をかける。
「それで奉行所はどの辺にあるんだ?まだつかないのか?」
「桜田門の目の前よ。そんなに遠くないわ」
それ以上何も聞けるようなことがなく、黙ったまま俺はまあまあの距離を歩いて現代日本であれば警視庁がある場所へと連れてこられた。
町奉行所は町の治安維持と行政を担当している組織である。そのため治安維持、警察という観点から見ると警察署に当たる与力所を配下に置いている奉行所が警視庁と同じ場所にあるというのは日本の江戸時代よりもこの世界の江戸時代の方が現代日本に近いという不思議な状況である。
そして俺は白月が言う江戸町奉行所の立派な門の前に来ると、白月は門の警備をしている人間の男に声をかけて何やら金属の板を持ってこさせた。そしてそれを俺の目の前に置くと俺の目を見て言う。
「ほら、踏めるものなら踏んでみなさい」
「なんだこれは」
「キリストよ」
金属の板には十字架に磔にされた人間の絵が描かれている。どうやら踏み絵ということのようで俺はそのまま板を踏みつける。
「・・・」
「・・・」
「足どけなさいよ」
しばらくの沈黙のあと俺は白月に言われて足をどけた。踏めと言われたから踏んだだけで足をどけていいと言われなかったのでどけなかっただけである。
その後、俺は奉行所の中へと通された。八畳ほどの和室にロウソクが一本だけ灯された部屋で俺は座らされて白月は立ったままどこかへ行こうとする。
「ここで待ってなさい。私は耳がいいから部屋から出る音がした瞬間に捕まえに戻って来るわよ」
そう言って白月は俺を和室においてどこかへ行ってしまった。きっと白月の言葉は嘘でもなんでもなく事実なのだろう。もうこうなったら何でもありである。魔法があっても妖怪がいても驚きはしない。そしてしばらくすると足音が近づいてきて部屋のふすまが開かれた。
「ほう、これがさっきの話の大男か」
「はい」
ふすまが開いて姿を現したのは白月とそれなりに年を取っていそうな爺さんであった。そしてゆっくりと俺の前に座る大きく息を吐き、白月もその隣に座って二人して俺のことを見る。
「ワシが江戸町奉行の松菱仁兵衛じゃ。お主、名をなんと申す」
「朝風明です」
「そうか。それにしても朝風とやら、お主はずいぶんと奇怪なものを着ておるのう」
松菱の言葉でようやく気付いた。俺が来ているのは和服ではなく洋服、こんなものを着ていたら怪しまれても仕方ないだろう。いっそのことこの世界では洋服を着ているよりも裸だったほうが何か事情のありそうな可哀そうな奴としてこの時代の人間に見えたかもしれない。
「ワシも色々なものを見て生きてきたつもりじゃが、お主の着ているそれを今まで見たことが無い。お主は一体どこから来たのじゃ?」
最初から説明しにくい質問をしてくるものだ。だが、それらしい嘘なんてすぐに考えつかないし、それを考えるためにいつまでも黙っているわけにはいかない。
「そうですね・・・。自分でもなぜここに来たのかはわからないのですが・・・」
結局のところ俺も嘘がつけない人間である。松菱には真実を話すしかない。幸いこの世界ではありえなさそうな物品ならいくつでも持っている。俺はそれを交えて俺は自分がこの世界の人間ではないことなどを松菱に説明していくのだった。