恋人のフリをする二人(2)
「改めて呼び直されると、ちょっと照れ臭いな」
こめかみを人差し指で掻きながら、目尻には笑い皺を刻んだ零二君。
何やら、少し、車内の空気が変化している感じがした。
映画やドラマなら、甘やかな曲が流れ始めるようなシーンだろうか。
あまりにも慣れない展開に、私は零二君の顔から目を逸らした。
何気なく視線が移ったのは、零二君の胸元で揺れるペンダント。
シルバー系のネックレスにリングを通してある、シンプルで品のいいものだ。
恋人のフリを始める前も、偽の恋人になってからも、零二君はいつも身に着けていた。
大学で一番の人気者なのに、コンパやサークルといった華やかな学生生活を送ってるわけでない零二君には、そのシンプルなアクセサリーはとても似合っていた。
「そのペンダント、お気に入りなの?」
慣れない空気をどうにかしたくてそう訊くと、零二君はこめかみに当てていた指でペンダントトップのリングを摘まんだ。
「これ?気に入ってるというか……実は、アクセサリーってこれしか持ってないんだ。だから必然的に、毎日着ける羽目になってる」
笑い声をあげ、些細な感じに教えてくれた。
へえ…そうなんだ、他にアクセサリー持ってないんだ。
じゃあ、今度私が何かプレゼントして……
そこまで考えた時、ハッと我に返った。
いやいや、待ってよ、私はあくまでも恋人のフリなんだから。
そんな間柄でわざわざアクセサリーなんか贈ったりしないでしょ?
……でも、一応は恋人なんだから、別に贈り物したって変じゃないはず……だけど。
心の天秤が激しく揺れていた。
それが意味する事にすぐ気付けたら良かったのだろうけど、あいにく私は天秤を落ち着かせるのに懸命で。
そしてそうこうしてるうちに、零二君の方が会話を回してくれたのだった。
「栞はあんまりアクセサリーしないよね」
ふわりと、零二君の手が私の髪に触れた。
「…っ!」
零二君は私の耳にピアスがあるかを確かめたかったようだ。
だが私が敏感に反応すると
「あ、ごめん!」
申し訳なさそうにパッと手を離した。
肉体的接触がなくなって何よりだが、何が何でも私には触れないという彼の強い意志が、妙に尖って刺さってしまう。
それはまるで私との間に透明な壁を作っているようで、そこはかとない寂しさが漂ってきたのだ。
「別に……。ちょっとくらい、いいけど」
考えるよりも早く、そう言っていた。
「え?触ってもいいの?」
「そういう言い方をされると、ちょっとあれだけど……」
「じゃあ何て言えば……ええと、触れても、いいですか?」
なぜだか敬語で尋ねてこられて、それがまた鼓動を急かして。
私は運転席を向けないまま了承した。
「……どうぞ」
静かな許可の中にも、熱がこもっていた。
ドキドキ、そんな表現がよく使われるけれど、実際はそんな可愛らしい言葉で補えないほどに、心臓が熱く痛くなっている。
このまま酷くなってしまえば心臓発作で死んでしまうんじゃないかと怖くもなってきて、私は本気でパニックを起こしかけていた。
すると、膝の上に乗せていた私の右手を零二君の左手がそっと覆ってきたのだ。
「あ……」
さっきみたいにビクリとはしなかったが、喉からは吐息交じりの声がもれていた。
零二君は器用に運転する傍らで私の手を握り、親指の腹で小さく撫でた。
伝わってくるのは、あたたかい体温。
肉体的接触はなし、きっちり守ろうとしていた当初の決め事を破ることに躊躇いがちな、彼らしい穏やかな触れ合いだった。
だがその時間はそう長くは続かなかった。
花火会場の駐車場に着いてしまったからだ。
零二君は私の右手をさらりと解放した。
離れていく零二君の手に、けれど今度は、そこはかとない寂しさが流れることはなかった。
零二君は車の運転がとても上手くて、まるで精密機械のようにぴったりとスペースの中央にとめることができる。
そんなハンドル捌きも格好良くて、イケメンは何をしてもイケメンなんだなと毎度感心してしまう。
そして今夜もぴたりとスマートに駐車した零二君は、車を降りるなり助手席側に駆けてきて、「じゃあ、行こっか」と、こちらもスマートに、私の右手を握ってきたのだった。
周りは花火大会の賑わいが溢れかえっていて、見物客の騒めきの中、私達二人になんか誰も目にとめたりしない。
けれど私は、心の底から、日が暮れかかって辺りも暗くなりつつある事に感謝していた。
そうじゃなかったら、きっと、頬を染め上げてる朱色に気付かれてしまっていただろうから……
初めて手をつないで歩いたこの夜の事は、一生、忘れない。
真上に煌めいた大輪の花火が散り落ちるのを眺めながら、そんな事を思っていたのだった。