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恋を知らない二人(4)









「俺はさ、朝倉さんとちょっと違って、高校に行きたくても行けなかったんだ」



さらりと告げられて、あのカフェでの発言が事実だったとはじめて知る。

正直、驚いた。あれは私を庇う為に調子を合わせて言っただけかと思っていたからだ。

同時に、大学一人気の彼の秘められた過去を私なんかが知ってもいいものだろうかと、急に躊躇いも生じてくる。

しかし、そんな些細な心情の揺れが、早乙女君に伝わることはなかった。



「俺……実は、いわゆる普通の体じゃないんだ。大学はどうにか通えてるけど、高校までは全然通えなかった。でも勉強とかは好きでさ、何人も家庭教師に来てもらったり、その先生方の論文の手伝いとかもしてたんだ。だからまあ、結構優秀だとは思うんだ。学校には通ってなかったけど従兄弟の英一はいつも一緒にいてくれたし、周りには俺を気遣ってくれる人が多かった。だからそのおかげで人とのコミュニケーション不足にはならずに済んだ。でもだからこそ逆に、どう言えば相手を不快にしないか、どういう仕草が不協和を生むのか、そんな風に計算もできるようになってしまってた。それはある意味長所になるのかもしれないけど、今の時代、そんなのちょっとしたAIにだってすぐにできることだろ?俺はそんな機械でもできるような単純なものじゃなくて、そうだな……生きてるって実感したかったんだ。生きてる人間にしかできないことがしたかったんだよ。生身の人間にしかできないこと……それを考えた時、真っ先に浮かんだのが恋愛だった」



早乙女君の打ち明け話は、思っていたよりも重みのあるものだった。

生きてると実感したかった…なんて、ちょっと、いや、かなり切実な願いだろう。

私は、ありもしないことを真実のように噂で流されて、かなりの嫌な思いはしたけれど、だからといって生きるとか、生身の人間とか、そこまでの深刻さはなかったはずだ。

まさか、いつも笑顔の人気者である彼の過去に、こんな秘密があったなんて……


聞かなければよかった。


率直にそう思った。

こんな話聞いても私の手には負えないし、だが聞いてしまった以上、気にしないわけにはいかない。

だいたい、今はこうして元気そうに見えるけど、高校すらまともに通えなかったほどの病気はもう完治してるのだろうか?

悶々と悩んでいる私に、早乙女君は自分の速度を保ったまま話を続けてきた。



「恋をしてみたいと思った俺は、まず映画や本を手当たり次第頭に入れた。でも当然それらはフィクションで現実味がない。それで次に考えたのは、実際に経験した恋愛がテーマになって書かれた詩や歌の類だった。だから俺は大学に通う許可が出た時、文学部を選んだんだ。本当は理系だったんだけどね」

「え、そうなの?」


思いがけず軽くなった話題に、無意識の呟きが転がり落ちていた。


「うん。俺も英一も根っからの理系。でも英一は優しいから、俺を心配して一緒に文学部に入ってくれたんだ。英一は昔からずっと一緒にいてくれて、従兄弟だけど俺にとったら兄弟や友達、先生だったり、時には父親みたいに勉強だけじゃ分からない事も教えてくれたりした。それでも、恋についてだけは教われなかった……」


すごく残念そうに肩を落とす早乙女君。

確かに、あの早乙女 英一が恋愛を指南できるほど人の感情に(さと)いとは思えない。

ただ、早乙女兄弟二人の関係が噂されている以上に濃密というのはよく伝わった。

そして早乙女君の恋に対する憧れがとても大きいということも。


だから私は、それならばやっぱりあの恋の歌を早乙女君に譲ろう……そう思った。

高校時代を普通に送れなかった者同士として、ちょっとした仲間意識みたいなものも芽生えていたせいかもしれない。




「あのさ、やっぱり私は他の歌を探すよ」



ペットボトルのキャップをきつく締めながら告げると、早乙女君は「どうしてそうなるの?」と不思議顔になる。



「だって早乙女君、恋心を知る為にわざわざ文学部に入ったんでしょう?私はそこまでの強い思いはないもの。早乙女君と違ってただの好奇心だから」

「なら、二人で……」

「言っとくけど共同は無理だから。大学内で一緒にいるところなんて見られたらどんな噂を流されるか想像つかないもの。悪いけどそれだけは絶対に無理」



振り出しに戻った会話を私は渾身の力で断固拒否した。

すると早乙女君はわずかばかり黙り込み、何かを思案する素振りをした後に



「じゃあさ、レポートは別々の題材にするとして、”恋人のフリ” は、やってみない?ただし、大学の外で」

「大学の……外?」

「そう。今はまだ夏休み期間だしさ、集中講義が終わってからも時間あるだろ?だからどこかで待ち合わせして、うちの学生には見つからないようなとこで恋人のフリをして過ごすっていうのはどうかな?」


ぐいっと私に体を寄せて提案してくる早乙女君に、私はのけぞりながら「近いよ!」と訴えた。

もうこれは条件反射のようなものだ。


「あ、ごめん」


悪びれずに笑う彼の顔には、やはり汗の一滴さえ乗っていない。

体質なのか特殊なツボ押しでもしてるのか知らないが、後者ならば教えてもらいたいくらいだと、そんなどうでもいいことを考えでもしていないとうっかり赤面してしまいそうだった。

イケメンも恋愛も苦手だが、如何せん男子に免疫がない私には、ちょっと顔が近付くというだけでも刺激的だったのだ。




「でも、恋人のフリに付き合ってくれるなら、大学内では朝倉さんに話しかけたりしないよ。約束する。どう?悪い提案じゃないだろ?」


その誘いは魅力的にも聞こえた。

私にとっては好都合、高校時代の二の舞を避けながらも恋愛というものについて知る機会を得られるのだから。



「そうね……」


迷う素振りを見せつつも、私の中ではこの打ってつけの提案に傾かずにはいられなかった。

だが私の言いよどむ反応を誤解したのか、早乙女君は慌てて


「あ、もちろん、あくまでもフリ(・・)だから、その……肉体的接触(・・・・・)はナシだから!」


両手のひらをこちらに見せながら訴えてきたのだ。

きっと早乙女君は優しさからそう言ってくれたのだろうが、それはまるで必死に降参してるポーズのようにも見え、なんだか面白くて。

真剣な目の早乙女君には悪いけど、私はどうしても笑いを我慢することはできなかった。



「肉体的接触って……」


とうとう声をあげて笑い出してしまう。


「俺、真面目に言ったんだよ?」

「ごめんごめん。早乙女君の焦ってる顔が珍しかったから。それにあまりにも目がまっすぐ過ぎるっていうか………あれ?」


クスクス笑いを隠さずに答えていた私は、すぐそこにある早乙女君の目と不意に目が合った時、ある事に気付いたのだった。



「……早乙女君、瞬きの回数が少ないんだね」

「え、瞬き?……って、これのこと?」


早乙女君がぱちぱちと何度も素早く瞬きしてみせた。


「うん。普通の人よりだいぶ少ないんじゃない?」

「そうかな?あんまり言われたことないけど……普通くらいじゃないの?」

「確か、集中すると瞬きが減るんだよね。…あれ?逆だっけ?」

「……もしかして、話を逸らそうとしてる?そんなに俺と恋人のフリをするの、嫌?」



そう訊いてくる彼は、やはり瞬きをしていなくて。

もしかして彼も少し緊張してるのだろうか。

でも私だって緊張してる。

だって、フリ(・・)とはいえ、私が頷きさえすれば、その瞬間からはじめての恋人ができるのだから……もちろん、偽の、ではあるけど。



私は意を決し、じっと返事を待っている彼に向って「いいよ」と告げた。


「ただし、絶対に知ってる人には見られないようにしてね」


きっちり条件付けた私に、それでも早乙女君はとびきりの笑顔になったのである。





その後、結局、例の歌は私がレポートの題材にし、早乙女君は別の恋の歌を題材に選ぶことで話はまとまった。


こうして大学に入ってはじめての夏休み、私にはじめての恋人(偽)ができたのだった。













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