恋を知らない二人(3)
「大丈夫?」
私の前に立ち心配そうに尋ねてくる早乙女君。
彼が優しい性格なのは疑いようがなかった。
「うん。ありがとう。お金は…」
「それくらいいいよ」
「じゃ、早乙女君のを私が出すよ」
「俺はいい。喉渇いてないから」
言われてみれば早乙女君は汗をかいていない。
「こんなに暑いのに?」
「うん」
人気者は汗臭さなどとは無縁なんだなと、おかしな感心をしてしまう。
「…じゃあ、ご馳走になります」
早乙女君は返事代わりににっこり微笑んだ。
そして私がもう一口、二口ペットボトルに口を付けるのを見て安心したのか、すっと私の背後に視線を逸らした。
気になった私も何となく振り返ると、そこには、ある番組の広告が掛けられていた。
私達世代に人気の恋愛バラエティ番組だ。
初対面同士の芸能人が恋人という設定でデートをしていく番組で、フィクションだと分かっていても、恋愛に興味津々の若い世代は画面の狭間にリアリティを見出していると評判だった。
私も見た事はあるが、恋愛経験もなければ恋愛事には軽い拒否感もあったせいで、彼らのように夢中にはなれなかった。
「朝倉さん、この番組知ってる?」
「まあ、内容は知ってるけど……」
広告を見つめたまま訊いてくる早乙女君に、何やら嫌な予感が疼いてきた。
いや、まさかそれはないか。
いくらなんでもそんな短絡過ぎる事を言い出したりは……
「やってみない?俺達で」
私の淡い期待感を一刀両断、嫌な予感は見事に的中となった。
「…は?」
剣呑な声になってしまったのは仕方ない。
急におかしなこと言い出す彼が悪いのだ。
だが当の本人は至ってにこやかにもう一度言った。
「だから、恋人のフリ、してみない?」
私は頭を抱えてしまいたいのを堪えて
「なんで?」
短くも否定感満載に返した。
多少の苛立ち感も添えて。
「だって俺も朝倉さんも恋愛感情が分からないんだったら、一度二人で恋人っぽいことしてみたら、何か気付くと思わない?」
「思わない」
「即答だね」
クスクス笑われてしまう。
だが笑われようと小馬鹿にされようと、早乙女君の提案に乗るわけにはいかなかった。
すると
「もしかして、俺、朝倉さんに嫌われてる?」
途端に早乙女君はしょんぼりした表情を見せてきたのだ。
よくありがちな ”犬が耳と尾を垂らしてるような” という表現がぴったりだ。
だがそんな態度をしても、彼に特別な感情を抱いていない私にはたいした効果もないのに。
「嫌ってはいないよ。でも……」
一般的な模範解答でやり過ごそうかとも思ったが、意外に粘着性がある彼の性格を目撃済みだった私は、ここはキッパリと答えることにした。
「私、早乙女君みたいにモテる人とはあまり親しくなりたくないの」
まっすぐ告げる。
親しくなりたくないなんて、言われた方はいい気はしないだろう。
だが早乙女君は気分を害した様子もなく
「俺がそんなにモテるとは思わないけど、でもどうして?」
ただただ興味深そうに訊いてきたのだ。
「それは……」
どこまでを説明するか線引きに迷いつつも、彼みたいなタイプに納得してもらう為には事実を話すのが最も有効だろうかと考える。
私は心を決めた。
「それは、私が高校に行かなくなったきっかけのひとつだからよ」
「どういう意味?……何があったのか訊いてもいい?」
さっきまでのやや強引な会話運びが、とたんに遠慮がちな温度に変わった。
「べつに……よくある話よ。高校に入ってすぐ仲良くなった男子が、凄くモテる人だったの。普通に気が合う友達だったんだけど、彼のファン達はそうは思わなかったみたい。男好き、色目使ってる、何股もしてる、二人でホテルに入っていった……身に覚えのない噂をいろいろ流されたの」
「それは酷い…」
呟いた彼は、己の事のように痛々しい声だった。
「でもあまりに噂が大きくなったおかげで、噂をそのまま信じる人は少なかったみたい。学校もきちんと対応してくれて、いじめとかそういう感じにはならなかったの。だけどその一件で私は高校生活を諦めて……ううん、すっかり冷めてしまった。両親は私の気持ちを尊重してくれたし、学校も自宅学習に協力的だったから、無理して通学する必要もなかった。卒業に必要な単位の関係で時々は登校する日もあったけど、私の噂を流してた子達とはほとんど会わなかった。あとで聞いた話では停学処分になったせいで大学の推薦を受けられずに浪人する事になったらしいけど……。で、そんな経験をしたものだから、恋愛感情は楽しいだけでなく、他人を傷付ける刃にもなるんだって、ちょっと敬遠したくもなったわけ。あと、女子にモテる男子には必要以上に近付くべきじゃないって学んだのよ。どう?これで納得してくれた?」
ざっくりではあるが一通りの説明を終えると、早乙女くんは「そんな事があったんだ……」と言いながら、私の隣に座ってきた。
いや、だからあなたとこんな風に一緒にいるところを大学の人に見られたくないんだけど。
心の訴えは彼に伝わらず、むしろ逆にその距離は近くなる。
「それで、今まで恋愛した経験がなかったんだ?」
「まあ、そういうこと」
「でもじゃあ、そんな敬遠してた恋についての歌を選んだのはなんで?」
「言ったでしょ、興味はあるからよ。経験したことない感情だもの、気になって当然でしょ?人を傷付けたり自分を痩せ細らせたり、そんな感情がどうやって生まれるのか……」
「なら、やっぱり俺と恋人のフリしてみようよ」
「なんでそうなるの?」
呆れ口調が最大限になる。
けれど彼はにっこりと確認してくるのだ。まったく悪びれずに。
「だって興味あるんだよね?」
「それは、まあ…」
うまく反論できない私に彼はその綺麗な顔を向かせてきて、そして今度は静かな口調で語りだした。