恋を知らない二人(2)
「それじゃ朝倉君、早乙女君、そういうわけだから二人でよく話し合ってくださいね」
大学一の人気者早乙女兄弟、彼らとはかかわり合いたくない。
そう思った翌日、私は講義後呼び出された教授の部屋で、早乙女君と昨日ぶりの再会を果たしていたのだった。
各自自由に題材を選ぶ課題が出されたのだが、なんと私と彼の選んだ題材が同じだったらしいのだ。
どちらかが他の題材にするか、共同で取り組むかを、二人で相談して決めるようにと、教授に指示されたのである。
「朝倉さんも同じの選んでたんだ?すごい偶然だね」
教授の部屋を後にし二人きりになると、早乙女君は整った顔で微笑んだ。
私達が受けているのは万葉集についての講義で、それぞれ好きな歌を選んでレポート作成する課題が出されたのだ。
私が選んだのは件の恋した故に痩せ細ったという歌だったのだが、同じく、おおよそメジャーでないはずのこの歌を選んだのが、学内で最もメジャーな早乙女君だったわけだ。
私達は何となく一緒に駅に向かいながら、何となく相談は始まる。
「偶然ね。早乙女君があんな恋愛の歌を選ぶとは思わなかったけど」
「そうかな?どうして?俺、恋に憧れがあるんだけど、変かな?」
「憧れ?早乙女君なら実際に経験も豊富なんじゃないの?」
「そんな事ないよ。だって俺、今まで誰かに恋愛感情持った事ないから」
「え?」
思いもよらない告白に、私はつい大声で訊き返してしまった。
「そんなに意外?そういう朝倉さんはどうしてこの歌を選んだの?」
「それは……、恋のせいで痩せ細るなんて本当にあるのか、興味があって……」
「朝倉さんはそんな経験ないの?あ、もしかして朝倉さんも恋愛したことなかったりして?」
「え?ええっと…」
まさか私に関心を持たれるとは思わず、とっさにうまい誤魔化しが出てこない。
だが、返事にまごつく私を早乙女君は純粋に興味深そうな目で見つめていて、そんな眼差しを受けながら平然と嘘をつけるほど、私は器用でも鈍感でもなかった。
「それは、まあ……ないけど」
「なんだ、じゃあ俺と同じじゃないか」
大きく笑われてしまい、私の頬には熱が走った。
やっぱりバレバレの嘘でも「ある」と答えておけばよかった。
だがそんな私の後悔は、早乙女君の天才的な社交性の前では塵のように飛ばされてしまうのだ。
「それならさ、俺達、二人で一緒にレポート仕上げない?」
「は?共同で?」
「うん、どう?一緒にやろうよ」
いや、それは是非ともお断りしたい。
何せ私は、モテる人とは一切かかわり合いたくないのだから。
今みたいに駅までを並んで歩いてるだけでも人目が気になって仕方ないのに。
「……私は他の歌にするからいいよ」
「なんで?朝倉さんもこの歌に思い入れがあるんじゃないの?」
「それはそうだけど、でも大丈夫」
「痩せてしまうほどに恋する気持ち、知りたくないの?」
早乙女君の問いかけは、ぴしゃりと私の胸を突いてくる。
知りたいか知りたくないかで言えば、勿論、知りたいに決まってる。
というよりも、研究してみたい。
恋愛に関する苦い記憶を持っている私は、そのせいでままならない高校生活を送る羽目になった。
それ故、自分が誰かを好きになるなんて、今は想像もできない。
けれど、率直に興味はあったのだ。恋というものに。
間接的にではあるが、私から高校生活を奪った犯人。
人の心に悪意を抱かせたり、体を痩せ細らせたりするほどの強い力を持っている、厄介なもの。
今は想像もできないけど、やがていつかは自分もそんな気持ちを経験することになるのだろうかと、信じられないような、不思議な感覚にさせる感情。
だがだからと言って、共同レポートを書くということは早乙女君と一緒にいる時間が増えるわけで、それは絶対に遠慮したい。
こんな大学で一番モテる人と一緒にいるなんて嫌でも目立ってしまうだろうし、どんな噂がたてられるかわからないからだ。
私はわずかばかり承諾に傾きかけた気持ちを戻して、早乙女君にきっぱりと断りを入れた。
「やっぱり私は他の歌にするよ」
「どうして?俺、同じ歌を選んだのが朝倉さんで嬉しかったんだけど」
「嬉しい?」
信じがたい早乙女君の回答に、ついつい怪訝な声色がこぼれてしまう。
だが早乙女君は更に信じられないセリフを放ってきたのだ。
「だって、俺と朝倉さんって似てるなと思ってたから」
「どこが?全然似てないよ」
私は瞬発的に心の底からの全否定を打ち返していた。
こんな誰もが認める人気者とごくごく一般的な私なんかが似てるはずない。
けれど早乙女君は少しも譲らなかった。
「似てるよ。だって二人とも高校に行ってなかっただろ?」
そうきたか。
痛いところを突いてきたなと、私は優しい人気者早乙女 零二の意外に鋭利な一面を見た気がした。
「でも高校行ってない人なんか、他にもたくさんいると思うよ?」
「そうだけど、似てると思った理由はそれだけじゃないよ。あの日、からかわれてた女の子を庇ってあげたでしょ?もし朝倉さんが何も言わなかったらきっと俺が同じことをしてた。ほら、俺達似てない?」
ね?と笑いかけてくる早乙女君。
その面様は眩しい夏の日射しにも負けないほどにキラキラぴかぴかで、やっぱり私と似てるとは思えない。
……だが、早乙女君は優しいだけの人でもなさそうだし、躍起になって拒否し続けるのも悪手かもしれない。
もし断固拒否しようものなら、明日以降、人目のある所で再び誘われる可能性も……
……ここはひとまず、一応頷いて適当に流しておこうか。
いやでも、そうしたら似た者同士認定されてしまい、今後大学内で話しかけられたりする恐れも出てくるかも。
それは避けたい。
やっぱりモテる人の近くにはいたくない。
またおかしな噂を立てられたりしたら面倒だし、高校の時の二の舞を演じて……
「…ん?朝倉さん?」
「――――え?」
「え、じゃないよ、大丈夫?暑さにやられた?」
私の顔を覗きこみ手で扇いでくる早乙女君と、至近距離で目が合った。
どうやら私は考えこみすぎるあまり、彼が呼びかけているのに気付かなかったようだ。
いつの間にかもう駅もすぐ目の前になっていた。
「あ…ううん、大丈夫」
そう答えるも、早乙女君はさっさと私を駅ビルに誘導し、身振りで手近にあった自動販売機前のベンチに座らせた。
「お茶でいい?水がいいかな?」
「あ、いや、本当に大丈夫だよ」
私の遠慮はきれいに無視して、ささっとお茶を買ってしまう早乙女君。
「熱中症には気を付けなきゃ。はい、飲んで?」
やや強引に渡されたお茶は冷えていて、確かに喉の渇きは感じた。
仕方なく私はひと口ふた口と喉を潤した。
その潤いは、人気者の早乙女君が隣にいる状況への緊張感を少しだけ溶かしてくれたようだった。