恋を知った二人は…(4)
「あれは、俺の気持ちに勘付いた英一が何度も訊くから!………もしかしてそれで急に帰ったの?俺の電話にも出なかったのはそのせい?」
はた、と思いついたように、零二君のセリフが急カーブを描いた。
「………だって、零二君は私なんか何とも思ってないって知ったから、ショックで……」
「どうしてショックなの?」
零二君のトーンは、とたんに真剣な色を帯びた。
その移ろいに、私は心臓を掴まれる思いがした。
「それは……」
「それは?」
目を逸らす私を、零二君はわずかばかりも逃すまいと覗き込んでくる。
「だからそれは……零二君のことを……」
「俺のことを?」
耐えられずに俯いた私の肩に、零二君の手が置かれる。
「栞?続きを教えて」
囁く声で促された私は、もう逃げようがなかった。自分の気持ちから。
それに、もう逃げる必要はないのだ。
この恋がはじまる前に終わってしまったという誤解は、ゆるやかに、零二君が溶かそうとしてくれてるのだから。
「……零二君のことを、好き、だから…」
「も一度言って」
「だから……私は、零二君が好きで…」
「もう一度」
何度も催促する零二君に、私は声も高らかに答えた。
「だから、私は零二君が好きなの。――え?」
「栞!」
「え、わっ…」
零二君がいきなりガバッと抱きしめてきて、無防備でいた私は反動で足がふらついてしまう。
だが上半身はしっかり彼の腕で支えられていて、私はその胸を頼ることで倒れずに済んでいた。
「俺も好きだよ。好きだよ、栞。すごい、俺達、二人同時に恋を知ることができたんだ」
力強い腕に閉じ込められながら、私は、感激したように喜ぶ零二君のセリフに酔ってしまいそうだった。
「本当に?本当に零二君も?本当に私を……」
「好きだよ。でも俺は色々事情があって………最初は気持ちを打ち明けるつもりはなかった。だからあのとき、英一に栞のことを訊かれても、付き合えないと答えたんだ。けど急に退学が決まって、もう栞と会えなくなると思ったら、そんなの耐えられないと怖くなった」
「零二君……」
耳元に降ってくる彼の声は、いつもよりピンと張り詰めたものがあった。
でも私はそんなの気にしてられないくらい、鼓動がうるさくて、所狭しと熱が全身を駆け巡っていたのだ。
数週間前には恋がどんなものか想像もできず、むしろ嫌悪感すら持っていたのに。
その私を、零二君はあっという間に変えてしまった。
そして零二君も同じ気持ちだったなんて、こんな幸せなことはない。
私は幸福感に押しやられるようにして顔を上げると、零二君の眼差しも下りてくるのを待った。
「零二君、私、」
だが降りてきたのは眼差しだけではなかった。
気付いた時には、零二君から口付けられていたのだ。
「ん…」
瞬時に周章が駆け抜けた私だったが、はじめてのキスはそう長くはなかった。
零二君は間もなく唇を離し「好きだよ、栞」と蕩けそうに微笑んだ。
そのあまりにも甘い音吐とファーストキスの余韻は凄まじく、私の心も体も沸騰寸前で。
けれどその甘さに溺れかけても、もう一つの告白を後回しにすることはできなかった。
恋に浸ってしまいたいのを堪え、掠れ声で問う。
「でも……でも零二君、ドクターストップって?何か深刻な病気なの?」
高校も通えなかったという零二君。
そんなに体が悪いのだろうか?
盛大な不安顔で問うと「違うよ」と、即答が小さなキスと共に返ってきた。
私はまた鼓動が好き勝手に飛びだしそうになって、慌てて両手でキスの中断を求めた。
「待って、じゃあ、入院とかはしないの?」
零二君は少し眉を動かしてキスを止めた。
「それは……分からない。でも、栞が待っててくれるなら頑張れるよ」
彼の憂いを私が癒せるなんて、信じられないほど嬉しい。
その為なら私は何でもできるだろう。
心に、はっきりとした決意の灯がともる。
「もちろん待ってる。ずっと待ってるよ。だから一緒に頑張ろう?」
「一緒に?」
「あ……ごめん、実際に病気と闘うのは零二君なんだから、”一緒に” は厚かましいよね」
意気込んで口走ったものの、瞬時に気勢をそがれてしまう。
想いが通じたからといって、零二君の抱えてる問題に勝手に入り込むのは無遠慮過ぎるだろう。
だが零二君は「そんなことない」とはっきり否定した。
そして、すぐにキスできてしまう近さを解いて、代わりにそのまっすぐな眼差しで私を説いた。
「これから……栞に、聞いてほしい話や、知ってほしいことがいくつもあるんだ。それを聞いた栞には、迷惑かけたり、悩ませたりしてしまうことが必ず出てくると思う。本物の恋人になるなら、これから俺達には、たくさんの乗り越えなきゃいけないことがあるはずだ」
言葉には淀みも濁りもないのに、零二君の瞳の中には躊躇いや迷いみたいな揺れも見え隠れする。
病気のことだろうか?
そんなに大変なの?
それとも、他に何か心配事があるのかもしれない。
大学をやめなくてはならないほどだ、恐らく、これから私が教えてもらう事情は、決して些少ではないのだろう。
けれどそれなら、やっぱり私は一緒に頑張りたい。
零二君の恋人として。
恋というのは、こんなにも活力の動機付けになるのだと、改めて知った。
「それでも一緒に…」
「頑張るよ。もちろん」
「でもきっと栞を驚かせたり、泣かせることも…」
「平気。もし驚いたり泣いたりしても、一緒に頑張るから。私は、零二君と一緒に頑張りたいの」
「栞……」
零二君は感情が溢れそうになったのか、眉間にしわを作って唇をきゅっと結ぶ。
あの明るい人気者の零二君がこんなにも表情を歪めてしまうなんて、それだけで切なくなる。
どれほどのものを彼が抱えているのか、私には想像もつかないけれど、とにかく私は、彼を支えたいのだ。
「零二君…」
「栞………でもごめん」
何かを言いかけて躊躇を滲ませた零二君。
だがすぐに言葉を濁した。
「ごめん、栞。色々あって、今すぐに全部は話せないんだ。もちろんいつか、ちゃんと説明するから、だからそれまで……」
「待ってるよ。そんなの待つに決まってるじゃない」
間髪入れない私の返事に、零二君はやっと安堵の息をついた。
「よかった……」
「そんなに心配だったの?」
あんなに如才なくて、ちょっと強引ながらも自分の意見を通すことに長けてる人なのに?
そんな私の内心を読み取ったのか、零二君は自嘲してみせた。
「実はここで一人考えてる間、もう栞と会えなくなるなら、せめてこれだけはお守り代わりにずっと持ってよう…って思ってたくらいなんだ」
弱気過ぎて情けないだろ?
言いながら零二君が薄手のジャケットのポケットから出したのは、小さな紙片だった。
「それ……」
それは、水族館の半券だった。
私も財布の中に大切にしまっていて、だから零二君がなぜこれを持っているのかは訊かなくても分かる。
「私も持ってるよ!」
鞄をおろし、興奮気味に財布から同じものを見せると、零二君は「本当だ」と声を弾ませ破顔した。
「栞も持ってると思ったら、お守り効力も倍増だ」
二枚のチケットを隣り合わせにさせて、零二君が朗らかに言った。
私達は顔を見合わせて、互いに通い合う恋の存在を感じていた。確実に。
フリをしていた時とは違う、正真正銘の恋心を。
だが、そんな私達に海の気紛れな風が嫉妬したのか、さっと通り過ぎるついでに私達の幸せなひと時を遮ってしまったのだ。
「あ!チケット!」
粗野な風に、二枚のチケットが取り上げられてしまった。
ゆるりゆらりと運ばれて
このままだと海に落ちてしまう!
そう思った私は体が勝手に反応していた。
腕を思いきり、思いっきり伸ばして
そして風に舞うチケットに指先が触れそうになったその瞬間――――
バシャッン!
気付いた時には海の中だった。




