7 ☆
「力が欲しいか……?」
黒い靄の奥に一人の男がいた。
レスターは少し考えて首を横に振り、意思を示す。
「そうか……」
男は諦めの声を出した。
「ならばお前に授けよう――」
「えっ……?」
いらない。いらない。いらない。
俺が欲しいのは……俺が一番欲しいのは!!!
「あっ……」
レスターは声を大にして叫びたかったけれども肝心の声が出ない。
喉がスースーする。声の概念がなくなってしまったかのよう。
その上、体が硬直していて動けない。
「お前に力を――」
抵抗出来ないと分かり、仕方なくレスターは視線だけはと向ける。
靄の中に映る男……背中に傷を負った男……が黒ジェムを持ってレスターへと近づきグラスに注いでいる。
そしてグラスを持ち、レスターの口の中へ――。
「無限の力を授けよう――」
☆
「やめろ!!!」
レスターは一声を上げて飛び起きるも、誰もいなかった。
「俺……死んだ?」
死後の世界は「人間の常識では計れない世界」であると孤児院の総長さんから話は聞いてはいたが、周囲は至って普通――じゃない! いや色んな意味で。
漆喰が塗られた壁に、規則正しく豪奢な装飾品が壁の至る所に掛けられている。相当値が張る奴なのは明らか。
恐ろしく透き通った木目を映す床面には、レスター自身が着ている清涼な寝間着が映っている。
レスターは純白のシーツが被さった天蓋付きのベッドから起き上がり、大きな時計の横に、誰かの勉強机だろうか――上には本が一冊載っているのを認める。
試しに捲ってみると文字の訛りはあるが一応読み通すことは出来た。
今いる国の歴史を記した書物のようである。
第三巻と記されていのが気になるが――。
「今はお腹いっぱい……」
病み上がりのレスターは文字の羅列に唸りながら読むのを諦め、頭を抱えながら見上げた。
「あ……」
レスターは続きの言葉を紡げなかった。
視線の先には一枚の絵がかかっていた。
描かれているのは一人の女性の立ち姿、場所は今レスターがいる部屋である。
身長はおおよそ百六十ほど。人形のように整った顔立ちで、くっきりした目鼻、海よりも深い青い瞳がはめ込まれていた。
黒を基調としたロングコートを纏い、金色の鎖に繋がれた勲章の先に見えるラペル。その隙間に見え隠れする女性らしさは見る者を魅了させるのに申し分ない。
引き締まった腰のラインに添えられた真っ赤な薔薇は、恐らくこの国の紋章なのだろうとレスターは推察する。
伸ばした右手の先には床に向かい斜めを向くレイピアが握られていた。
躍動感のある印象を見る者に与える。
腰に吊っている白銀の拳鍔が、窓の先に描かれている太陽に反射して輝いて見え、琥珀色の美しい髪は、踵のあるブーツに掛かりそうなほど、流れるように伸びていた。
女性と言えば王国ではフローラが一番綺麗と謳われていたが、世界は広いものだ。
レスターは唾を飲み、女性から出るオーラに嘆息をついた。
未来を明るく照らす、勇気を与える迫力は絵師だけの才能ではない。
人を惹きつける何かをレスターは肌で痛く感じていた。
次第に呆けて見ていたレスターは壁にかかる絵の主が誰なのか、気になるようになった。
お姫さまだろうか――しかし年恰好は大差なく見える。
今迄執着という物に疎かったレスターだがこのときばかりは違う。
不思議と気になって仕方がなかった。
理由は全く分からない。
けれども気になって気になって――仕方がなかった。
レスターは申し訳なくも興味が優り肖像画に手を触れる。
裏にはザテリーテンと書かれていて――。
「ザテリーテンって確か……魔族?」
「お目覚めのようですね、レスター・アルナイル君」
一人の男が、ドアを開けて、レスターの名前を呼んだ。
☆
男は見た目からして何処にでもいる人間の執事のようだった。
身長は百七十センチほど、全身を正装で覆い、肌の露出は少ない。手でさえ真っ白な手袋で隠している。十センチほどのシルクハットと、真っ黒なステッキが特徴的で――。
「貴方は、俺を助けてくれた――」
「左様。私はザテリーテン王国、三代目国王ミルヒシュトラーゼ様の命を受けて、レスター・アルナイル、君をデーモンから守るために差し向けられた家令でございます。尤も、あの個体は正確に申し上げるとアーク・デーモンの部類に入り。口を利けぬ個体はノーマル・デーモンと分けていますゆえお間違いないように。見分け方は喋るほかに、角の数でも判断を付けることができます。アークは2本、ノーマルは1本ですのでお間違いなきように」
男はシルクハットを取り、軽く会釈をした。
「ザテリーテン王国……」
「単刀直入に申し上げると、本国はあなた達が魔族と呼称する国ですよ。レスター君」
「と言うことはやはり――」
「ええ、本国は人魔族の国、ザテリーテン王国であります――と、自己紹介が遅れました。私はザテリーテン王国の家令、ヴァルター・R・アルギエバ。以後お見知りおきを」