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「何で……」
迷宮森林は一度入れば抜け出すことが難しいことで有名だ。
それでも、パタゴニア王都から小一時間のところにあり、古代文明の遺跡や、造形物が並んでいることから、夏になれば避暑地としても有名な場所である。
「何で何で……」
そんな迷宮森林に一歩でも森の中を歩もうとするものなら、抜け出すことは容易ではない。道に迷って自暴自棄になるか、魔物に食い殺されるか――それとも。
「デーモンから逃げてるんだよおおお!!!」
如何してレスターがデーモンに追われているのか。
それは今から二時間前に遡らなくてはならない。
約束通り、ギルドに来たレスターにアルビンは魔族を倒しに行くと言った。
レスターはフローラとロックがいないことを確認するも、後から来ると一点張り。
「疑うべきだった、あのとき疑うべきだった……!」
それでも今迄にも何度か経験していたし、何より一緒にいるとストレスが増えるだけなのは十分理解していたので、レスターは特段考えることなく一緒に迷宮森林へと来た訳なのだが、結果それが裏目で今に至る。
「無理無理無理! 敵前逃亡してないなんて前言は撤回する! 逃げるが勝ちだ!」
レスターは走る。
無造作に植わる木々を避けながら、全力で疲れも知らずに一目散に森を駆ける。
アルビンの行方は知らない。
逃げたのかもしれないし、既に殺されているのかもしれない。
兎に角今は己の命を優先して、レスターは逃げることに執着する。
「鋼のように硬い皮膚だった。アルビンの攻撃にビクともしてなかったし……」
デーモンの姿が見えなくなり、レスターは木に凭れ掛かりながら息継ぎをする。
自然の空気を味わう暇もない。疲れを癒やす為に治癒魔法を施す。
とはいえ、スキル1の治癒魔法だから、気休めにしかならないが。
「巻いたかな……」
レスターが呟くと、同時に何処からか音が聞こえてきた。
理由は分からない。
否、訳なんて考えている暇なんてない。
突如、デーモンが一体、両手の拳を作り、レスターの背後に現れる。
「殺される――」
レスターは直観するも体が言うことをきかない。
というよりむしろ、レスターは初めて視界に捉えるデーモンの全景に驚いていた。
形は人間のそれに近いのだが、先ず体躯が全く異なる。レスターの掌より大きな両拳、腕、体――その全てが薬漬けしたかのような筋肉質な体型。そして全身が金属の合金で出来ているのかと思わせるほど硬そうな肌に、人間には無い角が二本、頭に植わっていた。ギラリとした目も特徴的だ。身長は二メートルを優に超えている。
人と比べるとその姿は異様だった。
慎重にレスターは後ずさりをする。
「□×○……××○……」
「喋るのか……?」
理解不能な言語、否、寧ろ言語かどうかも怪しい。
レスターの目の前でデーモンが奇怪な音を立てながら、周囲を見渡す。
レスターは人生の危機を前にしてようやっと理解した。
「俺はこいつ等に関っていい器じゃない……」
先ずは一歩ずつ――。
視線をデーモンの青い瞳に向けながら、土の地面に右手をつける。
途端デーモンが唸りを上げた。
雄叫びにも似た音は森の駆け抜け、空へと発散していく。
「キン○・○×モン……!!!」
デーモンが突然レスターでも理解の出来る言葉を断片的に発した。
それでも、理解出来るだけで、言葉の意味は分からないが。
ってか、もしかしてさっきの言葉も古語とかかな? いや、今は考えているときではない。
レスターは額の汗を拭い、意思疎通出来るか不明だが、デーモンに恐る恐る耳を傾ける。
「キング・デーモン……復活……!!!」
「キング・デーモンの復活……?」
レスターは思わず反復してしまう。
今迄人間以外と会話なんてしたこともないし、もとよりデーモンが喋れるなんて文献にも載ってなかったぞ。まあ文献には関わるなとしか書いてなかったのだけれども。
ってかキング・デーモンって何だ。
「お前――目的は何だ」
「××△□――目的……」
「そうだ。目的だ。も・く・て・き!」
レスターは声を張り上げる。言うまでもないが虚勢だ。
「目的……目的ハ……!!!」
「馬鹿……やめろ……!」
デーモンが唾液をまき散らしながら暴れ出した。
周囲の草、木、ありとあらゆるものを鋭い爪でかきむしる。
「馬鹿……やめろ……!」
レスターはゆっくりと下がる。
だが、凭れていた木が邪魔で動けない。
「うおっ……!」
よろめいたと同時にデーモンの拳が頭上を通過、木の幹を悉く粉砕した。
「逃げられる訳がねぇよ……こんな奴からよ……」
「オレタチノ目的ハ……!!!」
「止めろ! デーモン」
アルビンだ。
重厚な赤い鎧に身を包み、国王陛下より賜った白銀の剣を構えている。
間違いない。
「怪我はないか、反抗の機会を窺っていたのだが――」
「何とか……けど、アルビン。今迄何処にいたんだよ!」
「野暮用があってな――まぁ、助けに来てやったんだから感謝しろよな」
「アルビン、危ない!!!」
レスターが叫ぶ。
けれども、アルビンは無傷だった。
アルビンの視線の先を追うと、威勢と共に剣でデーモンの攻撃を受け流していた。心なしかいつもより強く感じる。
もっとも勇者だから強いのだけれども――しかし今回は特別に感じた。
パーティを組んでいたレスターだから感じ取れる気配にも似た感情だ。
「動きが遅いぜ」
動揺しないところが、流石は一国を背負う勇者である。
「魔力吸収!」
アルビンは素早く懐から属性化した灰色のジェムを取り出し、剣の柄頭に装着する。
ジェムの効果発動だ。
間合いをとり、森に眠る魔力を剣へと集める。
するとアルビンの剣に光の粒子が纏わり、やがて鈍色に輝く一本の剣が完成した。
出来上がった剣を、アルビンは一気に間合いを詰めて――薙ぎ払う。
デーモンの右腕は宙を舞い、この世界に生きる者とは思えない奇声を上げて倒れる。
「すげえ……」
だが――アルビンもまた倒れた。
「アルビン!!!」
レスターが駆け寄ると、右腕を失ったデーモンが暴れ、左腕でアルビンを叩き飛ばした。
「ぐあっ……」
アルビンは嗚咽と同時に深紅の血を吐き出す。
レスターは直観した。
いつものアルビンなら、あの程度の攻撃、避けられる筈。
何かがおかしい。
そういえば剣の輝き方も少しいつもと違っていた――あの輝きは確か――。
いやいや。今は考えているときではない。
レスターはアルビンと共に生き残ることを優先する。
ここは背負って逃げるか?
唯一の救いは、デーモンが自我を忘れて暴れていること。
アルビンに腕をもぎ取られ、のたうち回っている今が逃げるには絶好の機会である。
「でも――」
レスターはアルビンを見た。
先の一撃で既に鎧はボロボロ。幾多の難敵を屠ってきた白銀の剣は見る影もなく、真ん中でへし折られている。
治癒魔法を施してからでも遅くはないか――。
「治癒!」
「止めなさい!!!」
途端につんざく声がレスターの耳に届いた。