異世界の東京。
イリヤ自身の話によれば、イリヤ・ハジメは「入谷 肇」と書くそうだ。
本来の読み方は「イリタニ」らしい。
こちらの世界に来たのを機会に、ロシアの叙事詩ブィリーナの英雄イリヤ・ムロメッツや、同じくロシアの画家イリヤ・レーピンから読み方を拝借したのだそうだ。
こちらの世界に合わせた名前どうこうではなく、完全にイリヤの趣味らしかった。
隣の部屋に行くと、刺繍の施された白いシーツがかかった机の上に、盛大な晩餐の用意がしてあった。
机の中央には大きな銀の皿に山のように果物が積み上げられており、芳醇な香りを放っている。
その周りをやはり銀の皿に乗せられて肉や魚、サラダが貴重な香辛料やソースに囲まれて配置されている。
チョコレート菓子やケーキも百貨店をしのぐほど所狭しと並べられ、それでも並べられないものはケーキスタンドにピラミッドのように積み上げられていた。
ナイフ、フォーク、スプーンは全て黄金で、柄の部分には紋章の模様が彫られていた。
皿も同様に金で装飾が施され、紋章が描かれていた。
この紋章は国章なのだろう。中心に剣と盾、その周りをリボンで束ねられた麦とオリーブが囲む意匠だった。
かつて向こうの世界で存在した超大国、ソビエト連邦の国章に良く似ていた。
色々な飲み物が入った盃も所狭しと並べられた。
これらを見たこともないような盛大に飾り付けられた鮮やかな南国の花が色を添える。
「座ってくれ。アオイ君には例のやつを。グラムシ君、君は肉で良いか?」
そう言うとイリヤが給仕係に合図を送る。
すると奥から、メイド服姿の妖精が料理を運んできて眼の前に並べた。
料理は厚い木板の上に乗っていた。
手頃な大きさに固めた飯に薄く切った生の魚が乗っていた。それが複数。飯の上には一枚ずつ色々な種類の薄く切った魚が乗っている。
寿司であった。そして小皿に入った醤油、さらに箸もあった。
先程のお茶同様、こちらの世界ではお目にかかれる様なものではない。
イリヤにも同じものが運ばれていた。
「食べてみろ。」
そう言われマグロを醤油につけ一つ食べる。
マグロ、酢飯、ワサビ、醤油、その一つ一つが感慨を憶えさせる。そしてそれらが一つになって舌を痺れさせ、意識を覚醒させる。
たまらない。
「美味いだろ。でもそれ、マグロじゃないんです。この世界でマグロに類する魚は発見できなかった。マグロに色と味がよく似た魚はいたのが幸いだった。まあ海水魚ですら無い大型淡水魚なんですがね。」
イリヤが窓の外を見た。
「ここからの景色は特に東京に似ているでしょう。アオイ君のいた時代の東京の景色とは違うかな。」
「戦前の東京ですよね?でも、こちらの世界でこんな東京の景色を拝めるなんて夢にも思いませんでした。」
俺は食べる手を止め、箸を置く。
「そうです。作った自分で言うのもなんだが、良く再現できている。」
イリヤは目を細めた。
「2018年の東京か、さぞかし凄いのだろうな。行ってみたい。きっと車は空を飛んでいるのだろう。」
「いえ、まだ飛んでいません・・・。」
俺のせいじゃないのについ申し訳なさそうに言ってしまった。
「まだ飛んでいないのか?」
イリヤは少しガッカリした様子だった。
アオイ・サキは漢字で蒼井 咲と書く。両親は英国の作家サキから取った。




