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奴のシャツ


 結婚式なんてくだらねぇ。

 茶番だ。

 なんて持論を持っている俺だったが、笹木の結婚式は楽しかった。調子に乗って甘味のシャンペンをがぶがぶ飲み、誰かが残した海老の姿焼きまでペロリと食べてしまった。

 しかし式の後半、最後の方で、ちょっと困ったことになった。軽い気持ちで行ったのにあんなことになるなんて。後悔してる。今、すごく。

 俺はつり革を握り、車窓から流れる夜の街を見ていた。夜の街。夜な街。ナイトクルージング的な。酔った頭にその輝きは、笹木の嫁さんのドレスにあった色とりどりのスパンコールを連想させた。

 新郎、笹木とは大学が同じで、悪友。夜な夜な麻雀をしていた仲だった。

 当時の基本麻雀メンバーは、笹木、志水、谷口、俺の四人。なんであんなに、と思うほど麻雀をした。わいわい卓を囲むと時間を忘れる。だいたい気がついたらもう朝で、じゃらじゃらと牌を混ぜる音の合間に小鳥が鳴き、動き出した市営バスの音が聞こえてくる。そうすると俺たちは、あぁ、眠いなぁ、なんて言いながら安い牛丼屋へ、決まって並盛を食べにいく。たまに大勝ちしたやつがそこに生卵やオクラ等の追加トッピングをしたりしていた。で、帰る。当然皆、大学になんてまともに行っていなかった。

 結婚式で隣の席は志水だった。

 大学時代は細身で髪を茶色にして、今風(当時風)な好青年だった奴も、今やすっかり中年太り、前頭も少し薄く、生え際が後退していた。奴は大学を出てすぐに、実家のある浜松へ戻ったため、なかなか会う機会がない。今日、多分四年ぶりくらいだろう。

「ほんと、久しぶりだなぁ」

 志水は俺のグラスにビールを注ぎ、笑顔を見せる。八重歯を見せて笑う様、昔のままだった。

「なぁ、ほんと」

「でもまさか笹木が結婚するなんてな」

「確かに。俺もあいつは結婚しないと思ってたよ」

「しないっていうか正直できないと思ってたろ?」

「うん、まぁ……そうだね」

 笹木は女好きで、でも女の子たちは笹木にあまり興味がなくて、要はモテなかったという話なのだが。思い返してもなんだか昔から空振りしている話ばかりを聞いていた。それもけっこう凄惨な空振りで、豪快に空振りしてバットを自分の後頭部に当ててしまうような、そんな情け無い話ばかりだった。だから志水の言う通り、俺も笹木は結婚できないだろうなぁ、と漠然と思っていた。

 久しぶりなこともあって、二人、思い出話に花を咲かせた。

 思い出話というのは何故あんなに面白いのだろうか。あの時、あれあれでこれこれだったよなぁ、そうそうほんとバツバツでマルマルだった、なんて具合に。話していること自体は大したことないのに、何故か腹筋が千切れそうなくらい笑える。思い出話最強説。うん、それはあるよなぁ、なんて思っていたら志水がぽつりと、

「谷口にも見せたかったよ。笹木の晴れ姿」

 なんて言う。

「谷口……そうだなぁ。いや、きっとどっかで見てるよ。うん、で、笑ってると思う、きっと」

「だといいけどなぁ」

 もう一人の麻雀メンバー、谷口は一昨年前に交通事故で死んだ。

 徹夜麻雀明けにふらふらと原付で走っていたら、横から信号無視のトラックに突っ込まれたとのこと。即死だった。葬儀は親近者だけで行なったようで、俺はそれを数カ月後に人伝てに聞いた。聞けば、信号無視のトラックの運転手はその後、自責の念で自殺したようで、何とも後味の悪い事件だった。

「ところでさぁ、志水は結婚しないの? そろそろ」

 暗い話をしてしまったので、話を変えようと思ったのだ。しかしこれが俺の失敗。いや、今にして思えばこんなことを聞いても聞かなくても回避はできなかったのかもしれないけれど。始まりはここだった。

 志水は待っていました、と言わんばかりに、

「そのことなんだけどさ、実は来月に結婚することになったんよ」

「あ、そうなの? なんだ、早く言ってよ」

 この時、俺は普通に嬉しかったのだ。

「うん、ごめん。でね、ちょっとお願いしたいことがあって」

「あぁ、うん。何? ははは。なんでもやるよ」

「実は細やかながら結婚式をやろうと思うんだ。俺も」

「うん、うん」

「で、な、結婚式の司会をお願いできないかな?」

「え……俺に? また、なんで?」

 意外な依頼で驚いた。

「いや、まぁ。ちょっとな。お願いしたくて……」

「そういうのはプロにやってもらった方がいいんじゃないの? 一生もののことなんだし」

「あまり金がかけられないんだよ。前に言ったことがあるかもだけど、結婚相手は再婚でな、連れ子がいるんだよ。で、その子が四月から私学の中学に行ってて、何かと金がかかるんだ」

「あぁ、付き合ってる相手に連れ子がいるというのは聞いたことがある。それにしても司会なんて、俺やったことないよ。まぁ段取りだけでも教えてくれたら形くらいにはなるかもだけど……」

「そこなんだけどさ、さっき俺、司会て言ったけど、その段取りを考えるとこからお願いしたいんだ」

「え? じゃ、全部ってこと? いやいや、無理だよそんなん。まったくの素人なんだから。俺」

「いや、分かってるよ。それを分かったうえでのお願い。頼む、俺も一緒に考えるし手伝うから」

「いくらなんでも……それ、けっこう責任重大じゃん。きついって」

「頼む。そこをなんとか」

 そんな押し問答をしているうちに式は御開きに。笹木に手短かに挨拶をした後、俺は早々に姿をくらまし、誤魔化そうと思ったが、志水はこれを許さず、しっかりと俺をマーク。

 何となくの流れで二人で近隣居酒屋へ。そこから一軒、二軒といくうちに酔いも臨界点に近づいてきて、なんだかもう面倒になり、俺は半ばヤケで志水の結婚式のトータルプロデュース兼司会を引き受けてしまった。

 で、今帰りの電車でそれを後悔しているのだ。

 まいったよなぁ、なんて心の中で言って、最寄駅の本屋で結婚情報誌を開いてみる。しかし、どの記事を読んでもピンと来ず、具体的に参考になる話などなかった。

 過去の誰かの事例を参考にしてみようと目を閉じるも、だいたいにして俺自身、友人がトータルプロデュース兼司会をする結婚式など見たことがない。じゃあ、プロの司会者はどのような動きをしていたのか、思い出してみようとしてもひどく曖昧で、それは俺自身が彼等はプロとしてプロの仕事をしている、というくらいの認識くらいでいたため、何となく上手くやってたなぁ、という印象しかなかったから。

 そう言えば、二次会を取り仕切ってた奴なら確かにいたなぁ。そういう奴は決まってちょっと目立つ奴ばかりで、クラスで人気がありそうな、小狡くモテそうな。そんな奴らは、何を焦っとる。簡単なことじゃろう、なんてどこの方言か分からない言葉で俺の焦燥を嘲笑うだろう。が、そんな方々には、しゅあないじゃん、俺、そんなことできねぇべ、と同じくどこの方言か分からない言葉で返したい。人には得手不得手というものがあるのだ。悲しいくらいに。

 しかし、再婚による二回目の結婚式という辛さは、まぁ、確かに分かる。金も無いし、全方位に対して何となく気まずい。盛大に行う気にもなれない。

 かく言う俺も二回目の結婚式という生き地獄を体験した一人だ。

 俺は大学生の頃から付き合っていた女の子と二十三の時に結婚して、泥沼不倫の末、離婚。その直後、二十八の時に不倫相手だった今の配偶者と再婚した。

 二回目の結婚式は地獄そのものだった。

 初婚の配偶者立っての希望で開催を決意したが、主賓の挨拶から新婦側の余興まで、その全てが身体に突き刺さって痛かった。前の配偶者に対して悪いことをしたという自責の念が消える前だったこともあり、相当堪えた。その傷は何となく今もなお治りきっていない気がする。

 家に帰ると鍵を開ける音に反応して、飼い犬のシロ太郎がよちよちと玄関まで歩いてきた。

「おー、夜更かしやな、お前さん」

 なんて言ってシロ太郎を抱きしめると、殺気にも似た不思議な視線を横顔に感じた。見るとリビングの中から配偶者と配偶者の母が汚いものでも見るような目で俺のことを見ていた。配偶者は何だか厚着をして床に寝転がっており、その母が絞った濡れタオルをその頭に乗せているところだった。

「あ、ただいま。というか、いらっしゃい。というか、なんかあったの? なんだかしんどそうだけど」

「風邪引いたみたい。熱出て。あなた、何回も電話したのに出ないから。仕方ないからお母さんに来てもらったのよ」

 そう言われて携帯に目をやると、確かに配偶者から数件の着信が入っていた。

「ごめん。全然気がつかなかった」

「いいのよ。あなたってそういう人。私のことなんか何も気にしてなんかないの」

「いや、そういうわけじゃ」

「お風呂入ってきなよ」

 制するようにそう言ったのは配偶者の母。その言葉からは冷たさしか感じなかった。氷柱の先を首筋にあてられたような一言だった。

 温かい湯船に浸かると身体からアルコールが蒸発していくような感覚になる。湯気は白く、仄かに俺の視界を遮っていた。

 配偶者との関係がおかしくなり出したのは半年ちょっと前。正直、何がきっかけなのかよく分からない。

 些細な口論は前からあった。それがいつのまにかエスカレートしていき、配偶者は、俺を殴る、物を投げる、飲み物をかける、挙句、刃物等の凶器を持ち出す。そんな暴威に戸惑いと恐怖を覚えていると、いつしか配偶者の母が頻繁にうちに顔を出すようになった。配偶者の母は当たり前かもしれないが当然配偶者の味方で、先程のように信じられないような冷たい目で俺を見る。そもそも彼女は、結婚する時の泥沼不倫のごたごた時から、あまり俺のことを好いていないようで、結婚に対しても最後まで反対していたと聞いたことがある。

 この家で俺は間違いなく野党だった。そして、それに気づいた時にはもう既に遅かった。三回に一回の確率で口論に「離婚」というフレーズが現れた。これはなかなか尖った言葉だった。突きつけられた刃物よりもずっと。お互いに勇気がなく、それを決定付けるようなことにはならなかったが、徐々に事態が深刻化していることくらいは俺にも分かった。先はどうなるか分からないが、とりあえず今、希望のようなものは見えない状況だった。暗闇。一寸先さえ。

 まったく。冷静に考えたら他人の幸せを祝っている場合なんかではないのだ。ましてやトータルプロデュース兼司会なんてやってる場合じゃ。



 一週間後、志水が奥さん、になる人を連れてやってきた。わざわざ高い新幹線代を払って。一応の顔合わせというやつだ。何せ俺はトータルプロデュース兼司会。結婚式までは後三週間。

「おーい、志水」

 待ち合わせに使われることの多い巨大スクリーンの前、駅のホームの方から降りてきた志水に手を振る。志水はすぐに俺に気づき手を振り返す。

「人が多いなぁ、こっちは。電車も久しぶりに乗ると路線のこと忘れてやがんの、俺。すっかり迷っちまったよ。間に合わないかと思った。でも間に合って良かったよ。あ、これがうちの嫁、マリ、です。マリちゃんでいいよ」

「あ、始めまして。マリ……さん」

「始めましてマリです。主人がいつもお世話になっています」

 初対面の友人の嫁にいきなりちゃん付けは気が引けたので、とりあえずマリさんにしてみた。この選択はおそらく合っていただろう。俺だってたまには正解を選ぶ。マリさんはかなりの痩せ型で猫目、笑うと八重歯が見えるところは志水と同じだった。歳はおそらく俺よりも最低十は上だろう。もうだいぶいい歳、という印象だった。よく考えたらこの人には中学生の娘がいるのだ。辻褄は合う。

 とりあえず立ち話はナンだから、と、近隣の店、俺がたまに夜に利用するスペインバルへ移る。まだ時刻は昼過ぎのため、雰囲気はバルというよりカフェで、皆コーヒー・紅茶を飲んでいた。こんな時刻にここへ来るのは初めてだった。ここを選んだ理由は単純にオシャレだったから。そしてオシャレな店をここしか知らなかったから。初対面の友人の奥さん、になる人、俺だって少しは気を遣う。この選択も正解だったと思う。多分。

「いろいろすいませんね」

 マリさんは猫目•笑顔でそんなことを言う。もちろん俺は、いやいや、ほんとですよ、まったく、なんて言えない。言えやしない。言えるわけないじゃねぇか、馬鹿。いえ、大丈夫ですよ。なんて本心とは裏腹なことを言って誤魔化す。

 注文したコーヒーが運ばれてくる。砂糖を入れ、ミルクをゆっくり回し入れると、ミルクの白が輪郭を保ってくるりと回る。少しスプーンで混ぜてやると、よく分からんが力学的にすーっと渦のようになっていき、最後は輪郭がなくなり溶けていく様が綺麗で、見入ってしまっていた。

 何秒くらいだったのだろう。その間、会話が途切れて不気味な沈黙が我々の席に訪れた。昔、小学生くらいの頃、教室なんかでみんな騒いでいたのに急にフッ、と誰も何にも言わず静かになる瞬間を「天使が通った」なんて言うことがあった。しかし今訪れた沈黙はそんな可愛いものでなくて、もっとドロっとした何かだったと思う。気色が悪い。

「ところで、どうかな? 式の準備の方は?」

 この前は一緒に考えるなんて言っていたくせに、丸投げ的なスタンスになっている志水の発言に引っかかりつつも、俺は用意してきた資料を机の上に出す。

 如何に愚図な俺だって何もこの一週間、ただぼやっと過ごしてきたわけではない。今や世界は情報社会。インターネット等の文明の利器を利用すれば大抵のことは分かる。俺はインターネットにて、「結婚式 段取り」「結婚式 司会」「結婚式 イベント」等々のキーワードを探り、ヒントになりそうなページを閲覧、出力して今日に備えた。我ながら良い動きをしたと思う。

「いろいろ調べてみたんだけどね、例えばこのビンゴゲームなんかはどうだろう? いくつか景品を買って、一等くらいは豪勢にテーマパークの招待券にしてみるとか」

 俺は出力した中から「パーティで盛り上がるミニゲームベスト五」という資料を二人に提示した。ビンゴゲームはその第一位にランクインしていた。二人は資料を手に取りしばらく目を通していたが、やがてマリさんが笑顔で、

「ビンゴゲームて何か二次会ぽくない? 時間もかかるし」

 すると志水も、確かに、なんて言って頷く。俺は、そっかぁ、なんて言ってビンゴゲームの資料を回収し、四つ折りにして机の端に置いた。案ずるな。資料はまだまだある。

「じゃあさ、これなんてどうかな? 二人のプロフィールビデオを作って流すってやつなんだけど、結構人気だよ。やってる人も多い」

 俺は出力した中から「二人の生い立ち! 感動のプロフィールビデオ」という資料を二人に提示した。二人は再度資料を手に取りしばらく目を通していたが、やがてマリさんが笑顔で、

「良いけど、高いんじゃない? それに写真なんて最近あんまり撮らないし」

 すると志水も再度、確かに、なんて言って頷く。案ずるな。案ずるな。

 しかし悪い流れは断ち切れなかった。俺が提示した資料はことごとく論破。何かに付けてマリさんの物言いが入り、志水もそれに賛同する、という感じだった。四つ折りにした資料が机の端に積み上がっていく。俺は途中からもうどうでもよくなっていた。

 結局この日決まったことは、ケーキを用意する、ということだけだった。

 結婚式まで後三週間。その日は二人が帰ったあと、夜遅くまで一人、街で飲んだ。で、帰ってすぐ寝た。




 まずい。このままではマジでまずい。

 結婚式まで後二週間を切った頃、毎日が焦燥。朝から晩まで焦燥、焦燥。仕事もロクに手に付かず、かと言って良いアイデアも浮かばなかった。

 志水とマリさんからは当然のようにあれ以来連絡はない。おそらくもう俺に全権委任したつもりなのであろう。この前の去り際の感じ、そんな感じだった。「よろしくねぇ」なんて言って駅へのエスカレーターを上がっていった二人。笑顔で。俺はもう笑うしかなかった。

 まずい、と言えば家庭環境もまずかった。

 最近どうも、ほぼ毎日配偶者の母が家に寝泊まりをしているようで、俺は直接何の説明も受けていないのだけど、たまに廊下ですれ違ったりするのだが、相変わらず氷のような目で俺を見て何も言わない。その様子は非常に不気味で、何か悪い怨霊が家の中を彷徨っているみたいだった。

 当の配偶者はずっと自室に閉じこもっているようで、顔も見ないし声も聞かない。当然、電話にも出ない。如何に鈍い俺でも彼女が俺とのコミュニケーションを嫌がっていることは容易に分かった。いつの間にかシロ太郎もいない。どこへ行ったのだろうか、あいつは。

 家がそんな状態だから帰り辛く、俺は毎日安ホテルやサウナを転々として、都会のウジ虫のように何とか生きていた。たまに帰ったとしても深夜で、極力誰にも会わないよう務めた。

 しかし、まいった。結婚式まで後二週間を切っているのに今のところ決まっていることはケーキを用意して皆で食す。これだけだった。

 安ホテルの一室、後ろを振り向けばすぐにシングルベッドにぶつかる狭苦しい部屋で、テーブルに向かい紙とペンを手に考えている。

 しかしまぁ、どうせケーキを用意するなら、よくあるケーキ入刀、中世の騎士みたいな長い刃物でケーキを真二つに両断し、カメラに向け笑顔を作るあの儀式もやったらどうだろうか? 俺は真白の紙にケーキとそれに刺さった長刀の絵を描いた。あ、そうだ、あとファーストバイト。殿方はこれから姫君を経済的に支え食べさせていくと、逆に姫君はこれから殿方を家庭的に支え、美味しいご飯を食べさせていく、との誓いを立て、それぞれスプーンですくったケーキを食わせ合うというあれだ。あれは良い。皆多分盛り上がるだろうなぁ。うん、あれは良い。この場合、姫君が食べる方は普通のスプーンでいいのだけど、殿方が食べる方は兎に角でかいスプーンでないといけない。危ない、これは絶対に忘れてはいけないな。俺は先程のケーキと長刀の横に大小のスプーンを書き足した。

 珍しく今夜はアイデアが湧き出る。ケーキを始まりにして二つのイベントが決まった。ケーキ入刀、ファーストバイト、と、くれば次は何だ? あ、あれだキャンドルサービス。各テーブルにロウソクにそっと火をつけて回る、あれ。

 俺は目を瞑り、テーブルの上のロウソクに火を灯す二人を思い浮かべた。なかなか良い絵だ。うん、これは使える。

 そう思った瞬間、ロウソクに火を灯すマリさんが不気味に笑っていることに気づいた。俺はハッとして机の上のアイデアを描いた紙を慌ててびりびりに破いてしまった。いけない。こんなアイデアじゃまたどうせ断られる。いけない。いけない。いけない。破いたアイデアを屑篭に捨てる。落ち着こうと思い、無我夢中で机の上に置いたボトルの水を飲んだ。

 この一週間、少しはアイデアが浮かんだりもした。しかしいつも最後にマリさんの笑顔を思い出して、自信を失ってしまうのだ。駄目だ。このままじゃ、本当に駄目だ。俺みたいな奴ではマリさんのお眼鏡に適う企画は作れない。

 頭を抱えてベッドへ倒れ込んだ。部屋の電気を全て消す。窓から漏れる月明かりは蒼白く、多分俺、今こんな顔色してんだろうなぁ、なんて思った。

 そんな感じで月日はあっさり過ぎた。一週間、月火水木金土日、あっと言う間にだった。そして俺は圧倒的に無力だった。

 ある日、俺は不意に笹木のことを思い出した。

 奴は今、俺と志水にとって唯一の共通の友人だった。ははは、そうだ。あいつに手伝ってもらえばいい。あいつは女にはモテないが、ああ見えてなかなかできる男だ。おそらく俺よりも能力値は高いだろう。いいアイデアが出せる筈だ。

 短いコール音の後、笹木が電話に出た。

「あ、もしもし? 笹木」

「おー、どした? 結婚式以来だな。その節はありがとう」

 何故か電話の向こうはやたらと騒がしかった。

「あぁ、こちらこそ。ありがとう楽しかったよ」

「で、何? どうしたの? 珍しいじゃない、電話なんて」

「いや、あのさ。志水の結婚式のことなんだけど」

「え、何それ? 聞いてないけど」

「えっ、そうなの?」

「うん、呼ばれてない。なんだ、あいつ結婚すんの?」

「あ、うん。そうみたいよ」

「へぇー、それはめでたい。結婚式はいつなの?」

「来週の土曜日」

「そうか、残念だなぁ。俺は今から新婚旅行なんだよ」

 よくよく耳をすませば、後ろから聞こえる騒がしい音は空港のアナウンスのようであった。

「今から新婚旅行? どこに行くの?」

「ヨーロッパ。ちょいと二週間ほど遊びに行ってくるよ」

「いいなぁ」

「うん、じゃそろそろ行くわ。またね」

「うん、また」

 電話を切った時、いよいよ最後の望みが途絶えたな、と冷静に思った。もう覚悟を決めるしかない。と言うか、笹木が誘われていないとなると、おそらく俺の知り合いは一人もいない。たった一人。で、トータルプロデュース。で、司会。

 暗い気持ちが心と身体を支配した。やり切れなくて今日もまたアルコールを煽る。最近、毎日飲んでる。しかもけっこうな量をだ。更に終わりの見えないホテル暮らしで金もほとんどない。どうしようもない。自分でも分かっていた。

 金を無心するために久しぶりに家へ帰ると、珍しく配偶者がリビングに出てきていた。ソファに座って何とも言えない表情を浮かべている。よく見ると、配偶者と配偶者の母はそっくりだった。今更だが。

「お義母さんは?」

「いないわ。実家へ帰った」

 俺が言葉を発した数秒後、配偶者は目を合わせず静かにそう言った。

「そっか」

 俺はあの亡霊がいないと知り、少し安心した。その感情をすぐに感じ取ったのだろう。配偶者は、

「勘違いしないでよ」

「え?」

「私も出て行くの。今日」

「何言ってんの?」

 すると配偶者はゆっくりとテーブルの上を指差した。その先には一枚の紙、はらりと置いてある。

 離婚届だった。

 その横には俺が入籍の時にプレゼントした指輪も添えてある。俺は、なんかこういうのドラマみてぇ、なんて間の抜けた感想を抱いたが、もちろん言葉にはしなかった。これは間違いなく正解だったと思う。うん。

「本気?」

「この期に及んで冗談なんて言うわけないじゃない」

「そりゃ、そうだけど」

「お母さんもその方がいいって言ってる」

「あの人は元々俺のこと嫌いだから」

「受け入れようとしてたわ。最初の方は」

「そうか」

「でもあなた全然変わらないから」

「変わらない?」

「ダメダメなまんま。まぁ、私も馬鹿だったわ。だからお互い様と言えばお互い様なんだけど」

「そんな言い方ってないよ」

「厳しい言い方しないとあなたは分からないわよ」

「どういう意味だよ?」

 俺はちょっとムッとした。

「ほら、そうやってすぐ苛立つ」

「喧嘩売ってきたのはそっちだろ?」

「もういいよ。喧嘩するつもりなんてないから」

「俺もないよ」

「うん、でももう無理。私、行くわ」

 そう言って配偶者は立ち上がり何も言わずに家を出て行った。俺も何も言わなかった。言えるわけがないのだ。配偶者の言う通り、全然変わらないから。俺は。多分これからも。

 配偶者が出て行ったあとのリビング。フローリングに寝転がると、まだ微かに床暖房の温もりがそこにいた。消えないでほしい。いや、むしろ俺が消えたい。なんて思いながらその日はそのまま眠った。



 浜松駅を降りると痛いくらいの快晴で、俺は目元に手をやり顔をしかめた。突き抜けるような快晴。秋晴れ。見事な結婚式日和だった。

 今日、日本中で結婚式を挙げる夫婦が何組いるのか分からない。でも俺が断言しよう。君たちは必ず幸せになる。て、そんなこと俺みたいな奴に言われたくねぇか。

 ショーウィンドウに着慣れないタキシードを着た自分が映っている。これは三年くらい前に弟の結婚式に出る時に買ったものだ。一度しか着ていないのにえらく煤けて見えた。白シャツにタキシード、蝶ネクタイをして。だっせえなぁ、何か、俺。

 腹が減っていた。本当は新幹線の中で何か食べようと思っていたのだがタイミングが合わず何も口にできなかったのだ。

 結婚式まではまだ時間がある。仕方がないから駅から少し歩いたところで目に付いたチェーン店の洋食屋に入りスパゲティミートソースを食べた。

 意外なことにチェーン店の安っぽいスパゲティミートソースは美味く。空腹も相まって非常に食が進んだ。美味い。これは当たりだ。幸先が良い。

 結婚式について、結局最後までアイデアは何も浮かばなかった。現時点で決まっていることは数週間前と変わらず、ケーキを用意して皆で食す。本当にこれだけ。中世騎士の長刀も大小のスプーンも、結局持ってきていない。今更どこにも戻れなかった。これはもう捨て身で行くしかない。行きの新幹線の中でやっと決心がついた。ははは。特攻だよ。特攻。殉死。

 ま、それでも一応何とかなるかなとも思っていた。流石の志水とマリさんも当事者だし、イザとなったら助けてくれるだろうと。自分達の式だし、まぁ無下にはしないんじゃないかと。俺が困っていたら助けてくれるんじゃないかと。甘い考えだが現実的な考えでもあった。

 スパゲティミートソースを食した俺は更に電車を乗り継ぎ、式場となるパーティハウスへ向かった。着いてみると、割ともう人が多くて驚いた。開演まであと三十分。

 受付で名前を告げると係りの人の目が急に変わった。すぐにバックヤードへ下がり、なんだか気の強そうな女の人を呼んできた。揃いのユニフォームからしてこのパーティハウスの職員らしかった。「木原」と書いたネームプレートを胸元に付けていた。だから多分、木原さんなのだろう。

「あなた、司会の方ですよね?」

「あ、はい。そうです」

「困ります。司会の方は開演の二時間前集合の筈ですよ。今、もう三十分前ですよ。何してるんですか」

 木原さんは怒っていた。そんな様子を隠すことなく表情に出していた。ものすごく。

 とは言え俺だって怒られても困る。そんな集合時間のこと、志水からはまったく聞かされていなかった。寝耳に水なのだ。

 しかしまぁ、普通に考えたら開演の三十分前にふらっと現れて、じゃ本番行きますか、なんて下打ち合わせもなしにぶっつけで本番へ移行する、なんてことは有り得ないよな。少し考えれば分かることではある。だから俺は素直に謝った。

 木原さんはそんな俺をバックヤードへ促し、刑事ドラマの取調室みたいな小部屋へ連れて行った。木原さんは怒ったテンションのまんまで、じゃ、段取りを説明してもらいましょうか、なんて横柄な物言いをした。手短にお願いします、とも付け足した。

 流石にこれには俺もカチンときて、いかに俺が常識はずれで、開演の三十分前に会場入りした糞トータルプロデュース兼司会とは言え、明確な指示が俺まで通っていなかったことも一つの事実で、それなのにここまで言われなあかんのか、と関西風に憤りを覚えた。

 だから俺はもう口から出まかせに「主賓来賓によるニューウェーブ漫才」「新郎新婦による大道芸のお披露目」「ぬるぬるプロレス大会」「新郎友人余興 ものまねカラオケショー」等、思い付く限りの出鱈目なプログラムを話した。しかし木原さんは時間が無いから焦っているのか、真剣な顔で俺の出鱈目を小さなメモ帳に書き込み、時折質問をしたりして自分の中でイメージを固めていた。なんだか途中から可愛そうにもなってきたが、もう引き下がれなかった。

 一通り話し終わり開放され外に出ると、もう開演十分前だった。俺は一度会場の外へ出て、自動販売機で缶コーヒーを買って喫煙所へ向かった。煙草嫌いの配偶者が出て行ってから、俺はまた煙草を再開していた。

 喫煙所には誰もおらず、少し不思議に思った。皆、煙草を喫わないのか。禁煙していた俺が言うのもアレだが、こんなに美味いものは無いのに。まぁ、最近、喫煙者は滅法肩身が狭いと聞く。仕方ないかなぁ、なんて思っていたが、よくよく考えると、もう開演十分前だから皆喫煙を切り上げて会場入りしているだけなのであろう、ということに気づく。

 喫煙しつつベンチに腰掛けていると、不意に背中に妙な視線を感じた。何の気なしにに振り返ると、そこに中学生くらいの女の子が一人立っており、俺を見ていた。幼いがキリっとした顔立ちで、猫目。年齢には不釣り合いな程華やかな赤のカラードレスを身に纏っていた。美しい女の子だった。

「何か?」

 あんまり俺のことをはっきり見るので、ついつい声に出してしまった。恥ずかしながらも少し緊張して。

「おじさん、何してんの?」

「いや、まぁ煙草喫ってるだけだよ」

「もう結婚式始まっちゃうよ。行かないの?」

「あぁ、うん。行くよ。ぼちぼち。君の方こそ行かないの?」

「うん、そろそろ行かないといけないわよね。でもあんまり気乗りしなくて。だから外をぶらぶらしてたの」

「そっか。新郎新婦の親戚なの?」

「娘よ。新婦の娘。笑っちゃうでしょ」

「あ、じゃ君がマリさんの娘さんか。確か中学生の。私立の」

 言われでみると猫目がよく似てる。しかしマリさんと違ってこの子はまったく笑わない。短い黒髪が風に揺れてる。俺は何故だか分からないが悪い気がして喫いかけの煙草を灰皿で消した。

「おじさんは? 志水さんのお友達?」

 おじさん、という言葉は若干胸に刺さったが、でも志水とマリさんが結婚したら、この子は志水の娘になるのだ。そう考えたら俺は父親の友人というわけで、そりゃあ、まぁおじさんになるわな、と妙に納得してしまった。

「あぁ、そうだよ。志水の大学時代の友達なんだ」

「そうなんだ」

「志水は、いいお父さんかい?」

「うーん。まぁ、いい人よ。優しいし」

「そっか。じゃなんで気乗りしないのさ?」

「別に結婚するのが嫌と言ってるわけじゃないのよ。ただ、自分の母親の花嫁姿を見るのが微妙なだけ」

「あぁ、まぁ、そういうもんか」

「そうよ。ねぇ、おじさん」

「ん?」

「そこ、汚れてるよ」

 そう言って彼女は俺の白シャツの胸元を指差した。

 何のことだか、と思い指差されたシャツの箇所を見てみると、謎のオレンジの点が三つ。直径三ミリメートルくらいの染みだった。おそらく先程のスパゲティミートソースだろう。くそう、今から人前に出るのに何たる不運。と言うか、人前に出ることが分かっていたのだから、スパゲティミートソースなんて止めておけばよかった。またしても俺は選択を間違えたようだった。

 持ち合わせの乾いたハンカチで汚れた胸元をごしごし拭いてみる。しかし勿論水分を含まない布切れなんかでスパゲティミートソースのしつこい汚れが落ちるわけもなく、一人、小さくわちゃわちゃしていると彼女が、

「おじさんって何か、迷路の中で彷徨ってるみたいな顔してるね」

「えっ」

 無意識にハンカチを持った手が止まってしまった。彼女は非常に真顔で、そこには笑み、優しさ等の陽の印象は一切なかった。

「俺……」

「ほんと、そんな感じ」

 それだけ言うと彼女はカラードレスを翻して行ってしまった。



 扉が開き志水とマリさんが歩いて来る。志水は銀のタキシードで、マリさんは真っ白のウエディングドレスだった。本当に綺麗で、乳白色のスポットライトが高砂へ歩みを進める二人を追いかける。あたりは拍手。洪水のように鳴り止まない。俺は暗闇の中から二人を見ていた。

 満面の笑みを浮かべて歩く志水を見て俺は思う。

 志水、お前、幸せになれよ。てか今幸せか。すごく。だってあんな可愛い娘に優しいなんて言われてさ。幸せだよな。でも願うよ、俺は。お前、幸せになれよってな。だって無限の闇は広くて深い、いつ何時何がどうなるか分からないじゃない。俺、本当にそう思うんだ。一つ道を間違えたら、選択を間違えたら、全然思ってもいない道に行ってしまったり、迷路のゴールと行き止まりは紙一重なわけで、そんなどうしようもないものだから。だからお前、今何か幸せそうだからさ、逆に言いたくなるんだよ。幸せに。迷路の中で、本当に幸せになれってさ。

 二人が高砂に着くと今度は司会席に突っ立ってる俺にもスポットライトがあたる。皆の目線が一気に俺に集まるから、俺は必死で笑顔を作った。なおも皆が俺を見る。あ、そっか、みんな俺の一言を待ってんだ。俺、司会だから、俺が喋んないと何も始まらないんだ。ははは。そりゃそうだ。

 志水とマリさんは高砂に着席し、にこにこ笑っていた。多分、幸せに酔いしれているのだろう。向こうで木原さんが俺を睨んでる。ジェスチャーで何かを言っていた。多分、最初のイベント、「主賓来賓によるニューウェーブ漫才」の前振りになかなか移らないから苛々しているのだろう。そんなもん永久に始まんねーよ、馬鹿。新婦の親族席に先程のマリさんの娘がいた。暗がりだけど意外と皆の顔が見えるんだなぁ。彼女は肘をつき、呆れたような顔で俺を見ていた。相変わらず笑わない。

 不気味な沈黙がパーティハウスを包む。

 スポットライトに照らされて、白シャツに浮かぶスパゲティミートソースの染みが、暖灯のように火照っていた。綺麗。てかあのスパゲティミートソースは美味かったなぁ。うん、そう考えると間違いじゃなかった。あれも。間違いだらけで今日もここまで来てしまったと思っていたけど、意外とそうでもないのかもな。離婚届、帰ったら砂にでもなってねぇかな。全部嘘だったみたいに。いや、そりゃないか。それはもう通った道だから。しかし、まぁ彷徨ってるは彷徨ってるけど何だかそれも人間の匂いがして愛らしいじゃないか。

 最初の一言が本当に出なかった。確かに段取りは何も考えていない。でも一言も出ないというのはどういうことだろう。

 いつの間にか俺は自分の笑顔が作り笑いでなく、ナチュラルな、自然な笑顔になっていることに気づく。お、いい傾向。ははは。そうそう、いい傾向だよ。

 そう思いながら俺は、スポットライトに照らされてなおも笑んだ。本当、馬鹿みたいに純粋に。

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