教訓1:工房は風呂敷に入りきらない。
ルートリアル=フォルジスト=ドラグティル。 何者か曰く最高の鍛冶師だとか、天才だとか、人ではなく鍛冶の神の化身だとか……そんなことを言われているらしいけれど、彼女の一番近くにいる俺にとっては、そんな風評は馬鹿らしいとしか言えない。
言ってしまえばリア、彼女は駄目人間である。
一人では飯も作れない買い物も出来ない掃除も出来ないゴミを捨てられない服を着替えもしない人と話も出来ない……ダメなところを挙げればキリがない。
この前、少し目を離していたらカマキリに負けてた。 手を鎌で掴まれて尻餅をついて涙目になっていた姿は記憶に新しい負け姿で、夏になれば毎年のように死にかけのセミに驚いて泣きそうになっているのを見る。
百も千も語れるダメなところだけれど、リアのいいところは一つしかない少なくとも、俺はそれしか知らない。
彼女は剣を造るのが上手い。 名匠が打った入魂の一振が、子供の気に入っている木の棒と同じに見えるような、他の全ての剣を陥れる魔性の剣を暇潰しのように生み出して、一山幾らと言っていいような何の才能もない新米兵に渡してしまう。
あらゆるものを捨てている代わりに鍛冶の才能だけは得ている。 それが彼女、ルートリアルである。
そんな不世出の天才、リアは珍しく小さな身体を作業着以外に包ませて、布を広げて手足をバタバタと動かしていた。
作業着ではないと言えど、旅人の装いのようであり、年頃の少女の私服というものではなく、色気もクソもない。
朝っぱらから何をしているのだろうかと思いながら、リアの元に歩く。
「何しているんだ? ……力作が出来たと喜んでいたところだろ。 そろそろ寝た方がいいと思うが」
「……ああ、セファか。 見ての通りだ」
「なるほど、エア闘牛か」
「引越しの準備をしているところだ」
引越しの準備、工房の前で布を動かすこと、その二つに何の関連があるのだろうか。 しばらく見ているが、延々と布を動かすばかりだ。
「……よく分からないが、手伝おうか?」
「ああ、助かる」
「何をしたらいい? というか何をしているんだ」
「工房を持って行こうと思ってな。 風呂敷に包むところだ」
「入んねえよ」
「助言感謝する。 そうだな、大きい風呂敷を買ってくるか」
そう行ってリアは工房の中に入り、すぐに出てきたと思えば俺に小袋を投げ渡す。
「風呂敷を頼む、大きいやつ」
それは買ってくるとは言わない。 俺が買ってくることはリアが買ってくることにはならない。
投げ返した小袋をリアは取り落とし、不思議そうに首を傾げた。
痛くなってきた頭を抑えて、手に持っていた袋を挙げて見せ、リアに言う。
「飯、作ってきたから、中で食いながら話そう」
「僕は芋が好きだから、それを頼む」
「作ってきたって言ってんだろ。 変更は出来ねえ」
工房の中に入り、先ほどまで作業していたのか熱気がこもっており、どうにも飯を食うには向かない環境だ。 息も苦しいぐらいなので、換気をして、そこらに転がっていた作業着に目を落とす。
汗で濡れているそれを、なんとなく申し訳ない気持ちになりながら拾うと、下から下着が出てきて、気まずさに拍車がかかりながらも、それを手に取って籠に入れる。 後で洗うか。
少しマシになったところで、地べたに座っている彼女の前に、作ってきた弁当を広げておく。
「やっぱり、言ったものに変えてくれたんじゃないか」
「元々入ってただけに決まってんだろ」
「……なるほど、運がいい」
好物を知っているからそれを詰めてきたのだが、そういうことも分からないらしい。 毎日なのだから好みぐらい分かるに決まっていた。
ボサボサの黒髪は少し汗に濡れていて、首筋も少し艶めかしい。 胸も色気もないといえど、無防備な少女の姿は目に毒だ。 誤魔化すようにフォークを動かして声をあげる。
「まずな、工房は風呂敷には包まない」
「大きければいけるだろう」
「下が固定されてるからな。大陸ごとになるな」
「切ってから包むことになるな」
「包むな。 というか、風呂敷で包んだところでどうやって持ち運ぶんだよ!」
「セファに頼もうと思っていた。 力持ちだからな」
「無茶振りも過ぎるわ!」
頭が痛い。 もうなんだこいつ関わりたくない。 そう思いつつ、身体はいつもの癖で口元をベタベタに汚しているリアを布で拭って、ゴミが放られている工房の掃除を始めてしまっている。
「……それで、なんで突然引越しをしようと」
呆れながらも話をしようと口を開く。
「ああ、ほら、この前仲良くなったシンレイクっていただろ」
「いたな」
「いい剣が出来たからそいつに自慢しようと思った。 欲しがりゃやるつもりだ」
「あんな才能もない新米の傭兵にか? 売るとこに売れば、馬鹿らしいほどの金になるだろ」
「売りもんもちゃんと作っているだろう。 文句を言われる筋合いはない。 決めた、僕は引越す」
馬鹿なのだろうか。 一通り汚されたところを拭き終わり、彼女の仕事道具を除いて綺麗にし終わる。
「渡しに行くなら、人任せでいいだろ」
「そこらのやつに頼めば、持ち逃げされるだろ。 持ち逃げしないようなのはお前ぐらいだけど、いなければ困る」
「引っ越したら俺がいないだろ」
「……?」
なんで不思議そうな顔をしているんだよ。
「いや、来るだろ? 一緒に」
「いや、なんでだよ。 ……なんでだよ」
「……?」
「……いや、野垂れ死なられたらおっさんに殺されるから世話焼いてるが、流石にべつの街まで面倒見きれねえよ。 どこに行くつもりだよ」
地べたに座りなおして、突然寝転びだしたリアを抱き上げる。
「ベッドで寝ろ。 あと歯も磨け」
「飯食ったら眠くなった。 歯磨きは明日する」
工房の奥にある居住スペースに入り、歯ブラシを濡らして粉をつけたあと、手に取って半分寝かけている彼女の口の中に突っ込む。
「ん、んぁ、突然何をする」
「突然じゃねえし、寝るな」
ふがふがと動いている口の中を動かしながら、説教をする。
「普通に生活も出来ねえのに、別のところに引越すとか何考えてるんだよ。そもそも、旅でもいいだろ」
「ふぁが、たひゅならついてくりゅのか?」
「どっちにしろ行かねえよ。 ほら、吐き出せ」
「うぇぷ……」
いつものことながら吐き出すの下手だな。 何故えづくのだろうか。
「……んで、どこに行くんだよ」
「シークレス」
「……シークレス? ……シークレス共和国のことか? ……外国じゃねえか! んな気軽に引っ越せるわけねえだろ!」
「行くったら、行くんだ」
「……そんなにあの男が気に入ったのかよ」
不思議に苛立ち、乱暴にベッドに投げる。 その縁に座ってから毛布を少女の上に被せる。
「なんで突然怒ってるんだ。 ……セファは嫌いなのか?」
「……嫌いじゃねえよ。 あいつがいい奴なのは認めるけどよ」
「死んでほしくないから、武器の手入れぐらいしてやりたい。 しばらくはあっちにいるようだしな」
「もう死んでてもおかしくねえよ。 あれは」
「それならその時だ」
そう言ってから、リアは目を閉じた。
……惚れたのだろうか。 ここでの生活を捨ててまで助けに行きたいというのは。
リアの考えは分からない。 ……異様な苛立ちをぶつけるところもなく、立ち上がる。
引越しの用意をしよう。 何も出来ないくせに、本気で一人で行くだろう。
幸い、金とツテならあるからどうにでもなる。
ここまで振り回されているのについていこうとするのは、おかしい気がする。 何故かは分からない。
外に出て、知り合いの商人の元を訪ねていく。 リアは虚弱ではないが、自身の健康を維持する意識がない、通常の旅路ではどうにもならないだろうから、特殊な方法を取るしかないだろう。