1-6
適当に歩いていると、公園らしき場所にたどり着いた。
木々が植えられた敷地に道が通っていて、ちょっとした池や花畑なんかが目を潤してくれる。
そんな中、元気な笑い声が聞こえてきた。
続いて、パタパタと軽やかさも感じられる複数の足音が、かなりの速度で近づいてくる。
追いかけっこをする幼いゴブリンたちだった。
「ゴブリンの世界でも、子供ってのはやっぱり騒がしいんだな」
そう言いながらも、微笑ましさでオレの方もまた笑顔になる。
……などと余裕をかましている場合ではなかったようだ。
「ソーハ、危ないだわさ!」
「えっ?」
レルムが注意を促してくれたのに、オレの反応は鈍かった。
次の瞬間、体に衝撃が走る。
先頭を走っていた子供のゴブリンに、思いっきり体当たりを食らってしまったのだ。
「うご……っ! み……みぞおち……っ!」
子供のヒジがクリーンヒット。うずくまるオレ。
みぞおちにエルボーを受けると、ゴブリンでも凄まじく苦しいことが証明された。
「ごめんゴブゴブ。お兄ちゃん、大丈夫だったゴブゴブ?」
「あ……ああ、平気だよ」
うめき声を上げて片膝をついている状態では、平気じゃないのは一目瞭然だろうけど。
相手は子供だ。いくら前を見ずに走ってきたとはいえ、怒るわけにもいかない。
オレの方だって注意が足りなかった部分はあるわけだし。
「元気なのはいいことだけど、危ないから、周りはちゃんと見るんだよ?」
「うん、わかったゴブゴブ!」
体当たりしてきた子供のゴブリンは、満面の笑みを浮かべて頷くと、公園の奥へ向かって全速力で駆け出した。
なんというか、オレの言ったことが全然わかっていなさそうだ。
苦笑いするオレに軽く会釈だけ残し、他の数人の子供たちもまた、仲間を追いかけて走り去っていった。
子供たちの襲来から数刻も経たないうちに、オレは別のゴブリンと出くわした。
「ゴブー!」
なにやら荒い息を吐く、大柄な……というか、とてつもなくデカいゴブリンが、オレに鋭い視線を向けている。
敵意むき出しの様相ではあるけど、初対面でいきなり殴りかかってきたりはしないだろう。
といった予測はものの見事に外れることとなる。
「ふんっ!」
「うわっ!?」
巨大な緑色の腕がオレの目の前をかすめる。
かすめただけであっても、強風が巻き起こる。
大振りだったから避けられたものの、これは確実に、オレを殺しにかかってる!?
「ちょ……ちょっと待ってよ! どうして殴ってくるんだよ!?」
慌てて声を上げると、平然とこんな答えが返ってきた。
「ゴブー! お前、男の挨拶を拒否する気か!?」
「あれ、挨拶だったのか!?」
コブシで語り合うとか、そういう感じだったのかもしれないけど。
あんなのをまともに食らったら、タダじゃ済まない。
もしコブシを合わせる的な意味もあるとしたら、確実にオレの指の骨が砕け散る。
「挨拶だったら、言葉でお願いするよ!」
「ゴブー。つまらない挨拶だが、わかった。はじめましてゴブー」
「うん、はじめまして」
まともに話が通る相手のようで、本当によかった。
問答無用で殴られたら、一瞬であの世行きだっただろう。
「……ところでお前、プリンの家に居候してるんだってな?」
「ああ、うん。そうだね」
「ふんっ!」
「うわっ!?」
巨大な緑色の腕がオレの目の前を再びかすめる。
挨拶ではなく恨みのこもった一撃だというのは明らかだった。
「危ないよ!」
「ゴブー!」
ゴブリンの瞳に殺意がありありと浮かんでいる。
相手は見上げるほどの巨漢ゴブリン。
こんなの、シャレになってないっての……。
「ストップストップ! オレは倒れていたのを助けてもらっただけで、居候ってわけじゃないから!」
「ゴブー!」
「今は一時的に休ませてもらってるけど、体調がよくなったら出ていくことになるはずだよ!」
「ゴブー……!」
少しは落ち着いてくれただろうか?
とはいえ、まだ懐疑的なまなざしを向けられているような気がする。
「え~っと、オレはソーハ。君は?」
とりあえず、話題の方向だけでも変えてみようと、自己紹介作戦に出る。
「ゴブー! オレ様はゼリー。プリンとは幼馴染みだ」
「へ~、そうなんだ!」
プリンちゃんの幼馴染み。
そして、そのプリンちゃんの家に住まわせてもらっているオレ。
そんなオレに、ゼリーはあからさまな敵意を向けている
これはつまり……。
「ゼリーって、プリンちゃんのことを……」
「ななななな、なにを言っている!? ゴブー! ゴブー!
オオオオ、オレ様には、なんのことやら、とんとわからんぞ!? ゴブー!」
これまで以上に息が荒い。なんとも、わかりやすい反応だな。
「大丈夫だよ、オレはプリンちゃんのことなんか、全然気にしてないから」
「ゴブー! プリンとひとつ屋根の下で生活しておいて、気にしてないだとっ!?
ふざけるな! あの天使のようなプリンのことが、気にならないわけがない!」
「確かに、プリンちゃんは優しくて細かい気遣いもできる、素敵な女性だと思うけど……」
「ゴブー! お前、やっぱりプリンのことを穢れた目で見てるんだな!?」
どうしろっていうんだ、この状況……。
オレは助けと求めようと、レルムに視線を送ってみたのだけど。
「ボクは知らないだわさ」
レルムはあてにならなそうだ。
そもそも、オレ以外には見えもしないし声も聞こえない妖精が、このゴブリンに対してなにかできるわけがない。
「プリンって子なんかにうつつを抜かしてるソーハには、絶対に手を貸さないだわさ。つーん!」
「お前も勘違いしてるのかよ!」
思わずツッコミを入れてしまう。
「と……突然、空中に向かって叫ぶとか、お前、本気で怪しいヤツだな……。ゴブー……」
ゼリーはドン引きしていた。
まあ、それもそうか。
「と……とにかく! オレはプリンちゃんの家で休ませてもらってる客ってだけだ!」
だから、安心していいよ。そう続ける間もなく、ゼリーの大声が轟く。
「プリンとひとつ屋根の下で暮らしているという事実。それだけで、万死に値する! ゴブー!」
懐からナイフを取り出すゼリー。
体の大きさと比較すれば、随分と小さなナイフではある。
だとしても、怪力で突き刺せば致命傷を与えるのはたやすだろう。
オレはとっさに身構える。
でも、こんな巨漢相手に対抗できるとは思えない。
斬られることを覚悟した。
そんなオレの目の前で、ゼリーは器用にナイフを振るう。
飛び散っていく真っ赤な色彩が、オレの網膜に焼きつく。
「……だが、プリンが悲しむことをするのは、オレ様の本意ではない。
ほら、これでも食って早く元気になれ。ゴブー!」
ゼリーは、オレの目の前に丸い物体を掲げる。
それはリンゴだった。
飛び散った赤い色は、ナイフによって綺麗にむかれたリンゴの皮だ。
「あ……ありがとう」
「ふんっ! いつまでもプリンの家に居座られたら困るからな。ゴブー!」
顔を背けながら答えるゼリー。
元が緑色だからわかりづらいけど、耳の辺りが赤くなっているのが見て取れる。
最初は図体のデカさから恐ろしそうな印象を持ったけど、意外と悪いやつじゃないのかもしれない
オレはリンゴを受け取り、勢いよくかぶりつく。
強い甘みのある食べ物を口にするのは、この世界に来てから初めてのこと。
瑞々しさも相まって、とても美味しく感じられた。
一気に食べ尽くし、中心部の芯と種だけを残す。
さて、ゴミはどうすればいいのだろう?
「ほら、向こうにゴミ箱があるだろ。そこに捨てるといい。ゴブー!」
「ああ、うん。道も公園も随分と綺麗だと思ったけど、ゴミを放置しないように徹底してるんだね」
「ゴブー。ま、もともと置かれていたのを使ってるだけだがな!」
なるほど。このゴミ箱も、人間が設置したものだったわけだ。
とはいっても、大勢で利用していれば、すぐにゴミでいっぱいになってしまう。
それを回収して捨てたり、集めて燃やしたりといった作業は、ゴブリンたちが引き継いで行っているに違いない。
ならば、充分に使いこなしていると言っていい。
「リンゴ、ごちそうさま。美味しかったよ」
「満足してもらえてよかった! 早く良くなって、プリンの家から出ていってくれよな! ゴブー!」
明るい声で言い残し、ゼリーは去っていった。
「プリンちゃんの幼馴染みか……」
「声が大きくてうるさいゴブリンだっただわさ!」
「お前が言うなよ」
レルムに容赦ないツッコミを入れつつ、オレは散歩を続けた。
夕方になると、おなかがグーグーと鳴り始めたけど。
露店でのやり取りを見ている限りでは、買い物の際にはコインらしきものを支払いに使っているようだった。
オレはコインなんて持っていない。
すなわち、食べ物を取得するすべがないことになる。
プリンちゃんの家に帰れば、なにかあるはずだ。
そう気づいたのは、かなり時間が経ってからだった。
また、適当に歩き回っていたせいか、帰り道で若干迷ってしまったこともあり、プリンちゃんの家に戻れたのは暗くなってからだった。
「もう。随分と遅かったゴブね?」
「ごめん、ちょっと道に迷っちゃって」
言い訳をすると同時に、おなかから音が鳴り響く。
「あ……」
これは恥ずかしい。
赤くなるオレの前で、プリンちゃんは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさいゴブ。お金がなかったら食事もできなかったゴブね……」
「いやいや、昨日の夜も今日の朝も食べさせてもらって、寝床まで用意してもらってるんだから、これ以上は……」
「そういうわけにはいかないゴブ! 明日はちゃんと、お小遣いを渡すゴブ!
さあ、夕飯はできてるから、すぐに食べるといいゴブよ!」
オレはプリンちゃんの言葉に甘え、遠慮なく今夜の食事をいただいた。
夕飯を食べながら、この集落のことも色々と訊いてみた。
正確な数はわからないけど、ここには百数十匹ほどのゴブリンたちが生活しているとのこと。
プリンちゃん自身も、村、と表現していた。
もっとも、村自体の名前はとくになさそうで、単純に「私たちの村」という風に呼んでいるようだけど。
お店で物を買うには、お金が使われている。それは人間たちが使っていたものを流用しているらしい。
ただ、ご近所同士などでは、物々交換で済ますのが基本だという。
公園でゼリーに会ったことも話してみた。
プリンちゃんは、幼馴染みであるゼリーのことを、不器用だけどああ見えて結構頼りになる、と語った。
なんだ。好印象を持たれてるみたいじゃないか。
微妙に「面白くない」という気持ちが芽生えたことに、自分自身、少々驚く。
それから、ずっと気になっていた、「人間がどうなったのか」という件についても、話題に出してみた。
結果、この場所にやって来たときには、すでに人間はいなかったと判明する。
以前は森の中で住んでいたゴブリンたちだったけど、建物があって風雨を凌げるこの村を見つけ、住み着くに至った。
人間たちの使っていた便利な道具などが多数残っていたのも、ゴブリンたちにとってはラッキーだった。
「ここは本当に住みやすい場所ゴブ」
プリンちゃんはそう言って、話を締めくくった。
食事を終えると、オレはすぐにベッドに入った。
一日中歩き回ったせいか、プリンちゃんが洗い物をする音をBGMに、オレの意識は一瞬で暗闇の世界へといざなわれていく。
なかなか生活もしやすそうな、ゴブリンたちの村。
このままここで暮らし続けるという未来も、案外、幸せなのかもしれないな。
オレはそう思い始めていた。