1-5
翌日、オレの体調はだいぶよくなっていた。
そもそも、ケガをしたわけでも、病気だったわけでもない。
異世界からの転生による影響で調子がおかしいだけだったのだから、この世界の空気に慣れてくれば問題がなくなるのも当然だろう。
「この分なら、もう大丈夫そうゴブね」
「……うん」
昨日のスープの残りとパンをいただきながら答える。
もう大丈夫そう。
イコール、この家から出ていかなくてはならない、ということに……。
そう考えて、つい声は小さくなっていた。
「でも、無理はしちゃダメゴブよ?
しばらくはここにいていいから、しっかり体調を整えるのがいいゴブ」
「うん、ありがとう」
いくら同じゴブリンだといっても、見ず知らずの相手に対して、ここまで親切にしてくれるなんて。
プリンちゃんは本当に優しい子なんだな。
朝食の片づけを終えると、プリンちゃんから仕事に行ってくると伝えられた。
どんな仕事をしているのか尋ねてみたけど、時間がないからと、教えてくれなかった。
オレは留守番をしていればいいのだろうか?
そう思ったのだけど、体の調子がいいようなら、散歩にでも出かけるといい、と言われた。
家のドアにはカギなどもついていない。戸締りをする必要はないという。
プリンちゃんがいなくなると、家の中は静まり返った。
……かというと、そんなことはないわけで。
「ぷはぁ~っ! 静かにしすぎて、息が詰まりそうだっただわさ!」
言うまでもなく、妖精のレルムが騒ぎ始めたのだ。
「ソーハソーハ! 出かけるだわさ! 外はいい天気だわさ!」
「まぁ、そうだな。プリンちゃんの許可も得てるし、出かけてみようか。
ここの村だか集落だかのこと、もっとちゃんと知っておきたいし」
「やっただわさ! 早く行くだわさ!」
オレの髪の毛を引っ張って、急かしまくるレルム。
「こらこら、痛いって! そんなに急がなくても、時間はあるんだから」
とりあえず、今のオレにするべきことなんて、なにもない。
このままここで暮らしていくなら、プリンちゃんみたいに仕事をしないとダメだとは思うけど。
今日のところは、体調を整えることに専念しつつ、ゆったりとした時間を過ごせばいい。
オレは「早く早く」とわめき散らすレルムをなだめつつ、プリンちゃんの家から外へと足を踏み出した。
太陽の光がまぶしく辺りを照らす。
森の中にひっそりと存在する田舎の村。
基本的にはそんな印象だった。
建物はまばらながら、集落全体としてみれば、それなりの広さがあるように思える。
とはいっても、視界に入る範囲内だけで判断すれば、ということになるけど。
「へぇ~。思ったよりも綺麗な感じだわさ!」
レルムの言葉どおり、意外にも綺麗な建物が多い。
石造りの建造物ばかりで、ところどころヒビ割れている家も見受けられる。
それでも、ゴブリンたちの集落だと考えれば、充分以上に清潔感が保たれていると言える。
「歩いてるのはゴブリンばっかりだわさ!」
そう。建物があるだけでなく、道も整備されている。
もちろん、舗装されてなんていない、むき出しの土が踏み固められただけの道だ。
そんな道を、ちらほらとゴブリンたちが歩いている。
「予想したとおり、ここには人間がいないみたいだな」
「でもこの村自体は、人間たちが作った場所なんだと思うだわさ!」
「うん、そうだね。そしてそれらを、ゴブリンたちは有効活用している」
人間たちが残した建物や道具などを使い、ゴブリンたちはここでの生活を充実させている。
集落の中を適当に歩いてみると、その考えが確実に的を射ていたと実感できた。
「お店とかもあるだわさ!」
「うん。野菜がたくさん売られてるここは、朝市とかなのかな?」
ここのゴブリンたちは、思っていた以上に文化的な生活を送っているみたいだ。
野菜を栽培する畑なんかも、人間たちが残したものを利用していると考えられる。
無論、人間が残した建物や畑があったからって、それを使う知恵がなければ宝の持ち腐れになる。
この集落に住むゴブリンたちには、やはりある程度高い知能が備わっていると考えていいだろう。
「見た目とかを気にしなければ、ここで暮らすってのも、それほど悪くないのかもしれないな」
オレのつぶやきを、レルムが曲解する。
「それって、あのプリンって子がいるからだわさ!? あんなゴブリン娘に惚れちゃっただわさ!?」
「そ……そんなんじゃないって!」
とはいえ。
もしもこの場所で一生暮らしていくとするならば。
そしてオレの心までもがゴブリン化していくのならば。
そういう未来も、ないわけでもないのかもしれない。
「ボクはそんなの、許さないだわさ!」
「べつに、レルムに許してもらう必要はないと思うけど……」
「ちょ……っ!? もう、あの子にメロメロなんだわさ!?
というか、ボクはソーハのナビゲーターだわよ?
ソーハはボクの言うことを聞く義務があるだわさ!」
ナビゲーターとしての役になんて、これっぽっちも立ってないのに。
といった言葉は、さすがに飲みこんでおいた。
そんなことを口走ったが最後、今の何百倍もの文句がぶつけられる結果になるのは目に見えている。
「かつて人間の住んでいた村か……」
ここでひとつの疑問が浮かんでくる。
人間たちは、いったいどこに行ってしまったのか? ということだ。
一番高いのは、何らかの原因で村を捨てて逃げた可能性だろうか。
村と呼べるレベルとはいえ、広さを考えるとそれなりの人数がいたのに、全員で逃げるなんてことがありえるのかはわからない。
そもそも、それまで住んでいた村を捨てる決断をするような原因とは、いったいなんなのか。
致死率の高い病原菌が村に迫ってきた?
いや、そんな菌の接近に、どうやって気づくのか。
菌なんて目に見えないのだから、科学的な装置などでもない限り難しい。
特別な力を持った占い師やら預言者やらがいたのかもしれないけど……。
病原菌説を採用するのであれば、その菌によって村人が全滅した可能性も考えられる。
……う~ん、これもないか。
そんな大量死があったら、死体のひとつやふたつ、転がっていてもおかしくない。
死体はゴブリンたちがすべて焼却処分した? ……それもあまり現実的ではないよな。
病原菌ではなくて、凶悪なモンスターに襲われたらどうだ?
例えばドラゴンの群れなんかが襲撃してきたら、人間には成すすべもない。
ひたすら逃げる。
運悪く逃げ遅れた人は、骨まで食い尽くされて死体も残らない。
「おっ、完璧な推理か? オレって天才!?」
自画自賛。満足感に、気分も高まる。
でも、すぐにレルムによって蹴落とされてしまう。
「……そんな、ドラゴンとか凶悪なモンスターとかに襲われたような形跡、この村にはないだわさ」
「う……。確かに、そうだな……」
巨大なモンスターなんかに破壊されたような建物とか、炎のブレスなんかに焼き尽くされた焦げ跡とか、そんな様子はいっさい見られなかった。
気力は一瞬にして萎えてしまったけど。
とりあえず、他のパターンも考えてみる。
「ゴブリンたちが人間を追い出したってのは?」
「プリンって子、弟くんの話をしていたとき、人間に怯えているような感じだっただわよ?」
「……なるほど。人間が出没する地域に入ってしまったのを、激しく後悔していたみたいだもんな」
それは、この村のゴブリンたち全員に当てはまるわけではないかもしれない。
とはいえ、人間を追い出してこの場所を奪い取った、とはどうしても思えなかった。
「ま、そのあたりのことは、あとでプリンちゃんに直接聞いてみよう」
いくら頭を悩ませたところで、真実にたどり着くとは限らない。
誰かに聞いて答えを得られるなら、それが一番の近道だと言える。
近道をするのは、ズルでもなんでもない。
時間や労力を削減するためには重要なことなのだ。
集落の中を歩いていて気づく。
ちらほらと、オレを視線を送ってくるゴブリンがいることに。
ゴブリンの姿をしてはいても、オレがよそ者であることに変わりはない。
単に珍しがっているだけならいいけど。
外界からの侵入者を嫌う風潮がこの村にあったりしたら、場合によっては危険にさらされることも……。
「や……やぁ!」
遠巻きにオレを見ているゴブリンに、軽く手を上げて挨拶してみた。
「きゃ……っ!」
察するに、そのゴブリンは女の子だったようだ。
声をかけただけなのに、泣き出しそうな顔をして、一目散に走り去ってしまった。
とても……へこむ。
「ソーハが悪人面してるからだわさ!」
「ゴブリンになってるから仕方ないだろ」
「元の人間の姿のときから、そうだっただわよ?」
「…………」
とてもとても……へこむ。
「なんて、ウソだわさ! ソーハは超絶美形でカッコいいスーパー王子様チックな完璧男だっただわさ!」
……それこそ、ウソくさい。
レルムとしては、フォローしてくれたんだろうけど。
オレの心はとめどなく沈みこんでいくのだった。
と、そのとき。
不意に男性のものと思われる声が聞こえてくる。
「あ……あいつ、プリンちゃんが連れてきたヤツだゴブブ」
少し離れた位置からオレを指差し、忌々しそうに吐き捨てるゴブリンの姿が、そこにはあった。
どうやらあのゴブリン、プリンちゃんのことを知っているらしい。
プリンちゃんって、意外と有名人だったりするのだろうか?
……いや、ある程度の広さがあるといっても、村と呼べるくらいの規模だから、ほとんどの住民が顔見知りなのかもしれないな。
「えっと……どうも」
とにかく、コミュニケーションは大切だ。
若干ひきつり気味になってしまったものの、オレはどうにか笑顔を見せて話しかける。
敵じゃありませんよ、安心してください、そんな意味を込めたつもりだった。
でも……。
「こんなヤツを村に入れて、穢れが持ちこまれたらどうするんだゴブブ!
村の会議で罰則を提案しないとダメだゴブブ!」
「ははは……」
苦笑しか出ない。
オレはそそくさとその場を立ち去る。
やっぱり、オレは歓迎されていないんだな。
「ソーハ、元気を出すだわさ! ボクがついてるだわよ!」
「ん。ありがとう」
こうやって話をするだけでも、少しは気持ちが落ち着いてくる。
だけど、冷静になって考えてみると、オレがここにいることは、色々な意味でいい結果を生まないように思える。
オレがいるせいで、プリンちゃんにまで迷惑がかかりそうだし……。
「レルム……。オレ、この村を出るべきかな?」
「どうしてだわさ? プリンはしばらくいていいって言ってただわよ?」
「でも、迷惑がかかるだろうし」
「じゃあ、この村を出て、どうするだわさ?」
「う……」
行くあてなんか、どこにもない。
森の中で一匹のゴブリンとして孤独に生きていく。
オレの人生、それでいいのか?
「だったらここは、死んで再び転生を……」
人間だったはずのオレが、ゴブリンとして転生した。
これは最初から間違っているとしか思えない。
おそらく、女神アフルディーヌ様のミスか何かが原因だろう。
だとしたら、もう一度死ねば女神のもとへ戻されて、再度転生できるはず……。
「本当にそう思うだわさ?」
「…………わからない」
死んだら再転生できる。
それがもし勘違いだった場合。
オレの人生はそこで終了となる。
「それ以前に、ソーハ。あなた、死ねるだわさ?」
「うぐっ…………」
ぎゅっと、自らの手を握る。
指先の鋭く尖ったツメが、手のひらに突き刺さる。
血がにじみ出る。
痛みだって、当然ある。
手をちょっと切っただけでも痛い。
死ぬほどの傷をつけたら、どれだけの痛みが襲いかかってくるのか。
切り刻む以外の方法だとしても、痛みや苦しさは確実にある。
ならば、即死を狙えば……。
飛び降り? それとも、転がる巨石の前にでも飛び出して押し潰される?
どんな方法であれ、きっと行動に移せないだろう。
人間は……いや、生けとし生けるものはすべて、本能的に死を恐れるものだ。
「軽々しく、死ぬとか言うもんじゃないよな。
昨日、プリンちゃんにも怒られたばっかりだし」
「うんうん、そうだわさ! 頑張って生きるだわよ!
ボクは頑張ってるソーハが好きなんだわさ!」
「……ありがとう、レルム」
オレを元気づけるためだけの言葉だったとしても。
レルムの言葉はとても嬉しかった。
「よし、もう少し村を回ってみるか!」
「それがいいだわさ! プリンって子の仕事場も探しちゃうだわさ!」
「おっ、いいね! プリンちゃん、必死に隠そうとしてたみたいだし!」
オレは角度の上がってきた日差しを全身に浴びながら、軽やかな足取りで村のメインストリートを歩いていった。