1-4
「ふふっ、こんなに美味しそうに食べてくれると、作りがいがあるゴブ」(ズズズ)
「ん。だって、本当に美味しいから。いくらでも食べられるよ!」
「あら、うふふ」(カチャカチャ)
団らんの時間は続いている。
プリンちゃんはオレのおかわりだけでなく、自分用のスープも持ってきて、今は一緒のテーブルで飲んでいる。
パンも追加で持ってきてくれて、それをふたりで食べながら、こうしてお喋りしているわけだけど。
「……あっ」
ポトリ、と。スープの中に入っていた芋がテーブルに落ちる。
「あら、落ちちゃったゴブ。……でも、もったいないし」
プリンちゃんは落ちた芋を手でひょいっとつかみ、自分の口の中へと放りこんだ。
「うふふ、お行儀が悪いよね?」
てへ、っと舌を出す仕草は、(相手がゴブリンだとしても)なかなか可愛らしく思える。
なんというか、ゴブリンの姿も徐々に見慣れて、気にならなくなってきているな。
……まぁ、それはいいとして。
さっきから見ていると、どうもプリンちゃんは、スプーンの扱いが苦手な様子だった。
お椀にぶつかってカチャカチャと音が鳴っていたことからも、それはよくわかる。
だいたい持ち方からして、なっていない。子供のようにグーで握っているし。
加えて、スープをすする際にも、ズズズと大きな音を立てている。
落とした食べ物を拾って口にする以前にも、お行儀としては気にすべき点は多い。
ゴブリンの口には柔らかい唇の部分が無いみたいで、さらには牙も生えていることから、上手く食べたり飲んだりするのが難しいみたいに思えた。
もっとも、それはオレの方だって同じなのだけど。
人間だった頃の感覚が残っているおかげなのか、ちょっと気をつければ、音を立てたりしない食べ方は実践可能だった。
「プリンちゃん、スプーンはこうやって持った方がいいよ」
オレは手を伸ばし、プリンちゃんの指を包みこむようにして、正しい持ち方を教える。
「あ……。うん……」
「そのまま口の前までそーっと持ち上げて……そうそう。
で、そこから流しこむ感じで……。うん、上手い上手い」
「んふっ、ありが……」
「口に食べ物が入ってるときは喋らない!」
「ん……」
プリンちゃんは、こくりとうなずく。
「よくできました」
オレが自分のスプーンを握り直したところで、プリンちゃんからこんな質問が飛んできた。
「ソーハはどうしてそんなに上手に使えるゴブ? これって、人間が使う道具よね?
……もしかして、人間と一緒に暮らしていたことでもあるゴブ?」
一瞬プリンちゃんの表情が陰ったのは、少々気になった。
でも、もっと重要な点があった。
それは、今のセリフから新たな情報が得られた、という事実に他ならない。
疑問形ではあったけど、彼女はスプーンのことを、人間が使う道具だと言った。
つまり、ゴブリンたちが自分で作ったわけではないのだ。
また、オレに人間と一緒に暮らしていたのかと訊いてきた。
とすると、この場所にはおそらく人間がいないと考えられる。
もしいるのなら、スプーンが人間の使う道具だという部分は疑問形にならないだろう。
さて、プリンちゃんからの質問に、オレはどう答えるべきか……。
考えあぐねていると、プリンちゃんが慌てたように言葉をかけてくれた。
「えっと……答えたくないなら、べつにいいゴブよ!
あっ、もう食べ終わってるゴブ! 私、洗い物してくるゴブね!」
そそくさと食器をトレイに乗せ、素早く立ち上がって部屋を出ていくプリンちゃん。
あんなに焦った様子で、いったいどうしたというのだろう?
「ソーハ! 今度はボクと喋るだわさ!」
プリンちゃんがいなくなるやいなや、レルムが耳元で甲高い声を発し始めた。
なんだかんだと聞き分けのない様子を見せていたけど、しっかりと言いつけを守って、プリンちゃんのいる間は静かにしてくれていたようだ。
それで喋れる状況になった途端に、こうして声をかけてきた、と。
意外に可愛いところがあるじゃないか。
「うわぁ~、ソーハの耳の中って、めっちゃくちゃ汚いだわさ! 掃除するだわさ! ふ~っ!」
「……って、耳を引っ張って息を吹きかけるのはやめろっ! くすぐったい!」
「ぶぅ~~っ。でも、汚い物体が飛んできそうだから、やめておくだわさ!」
「……汚いのはゴブリンになってるからだろ。……たぶん」
自分がどれくらいの頻度で耳掃除をしていたかなんて、記憶を失くしているオレには知る由もない。
とはいえ、几帳面ってほどではないかもしれないけど、そこそこ綺麗好きな面もあったんじゃないかと、ちょっとだけ考える。
プリンちゃんのスプーンの握り方が悪いことや音を立ててスープを飲むことが、なんだか気になったわけだし。
きっとオレの血液型はA型だな。うん。
……どうしてこんな無駄な知識は残っていて、以前の生活に関する記憶はすっぽり抜け落ちているんだか。
そもそも、ゴブリンにも血液型ってあるのだろうか?
「しっかし、どうしたものやら……」
オレはポツリとつぶやく。
ここにはどうやら人間はいないらしい。
ただ、石の壁に開けられた窓(もちろん窓ガラスなんてない)から外を見てみれば、この家以外にも建物があるのを確認することできた。
周囲は真っ暗だけど、近くの家々から明かりが漏れているのだから、ここはゴブリンたちが生活している集落だと結論づけていいだろう。
オレは今、ゴブリンになっている。
そして、ゴブリンの少女――プリンちゃんの家にご厄介になっている。
意識的には人間の頃のままであっても、この姿で人間の住む場所へ行ったら、おそらく素直に受け入れてはもらえまい。
ゴブリンはモンスターの一種なわけだし、怖がられるか、場合によっては退治されてしまうか……。
必死に訴えかければ、魔法で姿を変えられただけで、中身は人間だという主張も通るかもしれないけど……。
……いや、無理か。
実際には転生してきた身で、その時点でゴブリンになっていた。
ということは、この世界に限って言えば、オレはゴブリン以外の何物でもない。
人間としての知識をフル活用して、嘘をつき通す作戦を取る方法もないではない。
でも、この姿で一生それを続けられるかは微妙だ。
今のオレは、プリンちゃんの姿にも慣れてきて、しかもちょっと可愛らしく思えてきている部分もあったりする。
見慣れただけだと思いたいけど、オレの意識が徐々にゴブリン化している証拠なのかもしれない。
外見だけでなく中身まで完全にゴブリンになったオレが、人間たちの中にいたら……。
いい結果が生まれる可能性なんて、ゼロに等しいと言える。
「う~ん。やっぱり、これは厳しいよな……」
このままプリンちゃんたちと一緒に暮らしていくしか、まともに生活していく方法はなさそうに思えてくる。
だけど……。
果たして、本当にそれでいいのか?
人間として生きていて、どんな理由があったか不明ではあるけど、オレは死んでしまった。
未練があったからこそ、転生を心から望んだ。
そうでなければ、女神アフルディーヌ様のもとへは行っていないはずだ。
記憶がないから、その未練がなんだったのか、今のオレにはわからない。
だとしても、ゴブリンとして生活することが望みだったというのは、どう考えてもありえないだろう。
「そうか、転生……」
「さっきから、ブツブツとうるさいだわさ!」
「うるさいとか、レルムにだけは言われたくはないけどな」
声質の違いで、騒音属性が高いのは、比べるまでもなくレルムだ。
ただし、オレだけにしか聞こえない局所的な騒音ではあるけど。
「とにかく、思ったんだ。もう一度死ねば――」
そこまで言ったところで、事態は一変する。
ドドドドド、と。
大きな物音を立てて、勢いよく近づいてくる影があったのだ。
その影は緑色の両手を伸ばし、オレの肩をがしっとつかむ。
「ちょっと、なにを言ってるゴブ!? 死ぬなんて、そんなこと、軽々しく口にしちゃだめゴブ!
……それに、もう一度? あの草原で倒れてたのって、もしかして自殺だったゴブ!?
そんなの、絶対にいけないことゴブ!」
鬼のような形相で別人のようにも思えるくらいだけど。
それはプリンちゃんだった。
オレの肩をつかんで、脳みそが衝撃で壊れそうなほど、力強く揺さぶってくる。
「命を粗末にしたら、私が許さないゴブ!」
そう叫びながら、力の入ったプリンちゃんの手は、オレの肩から首の方へとずれていく。
思いっきり、手が首にかかってるよ……!
「ちょ……くるし……っ!」
「そうゴブ! 苦しいゴブ! 痛いゴブ!
でもね、残された方の心の痛みは、もっとずっと強くて長い苦しみになるゴブ!」
言いたいことはわかったけど。
首を押さえつけられていて、息すらまともにできない。
目の前が真っ暗になりかけているオレには、抵抗する余力すら残されていなかった。
「げほっ、げほっ!」
「ごめんなさい。取り乱してしまったゴブ……」
せき込むオレの目の前で、シュンとうなだれるプリンちゃん。
「いや……いいけど。げほっ……」
「でも、自殺はだめゴブ。それは約束してくれるゴブ?」
「うん、わかった。……けど、どうしてそんなに……。
さっきは般若みたいな恐ろしい顔にまでなってたし……」
プリンちゃんがあんなに熱くなるなんて、思ってもいなかった。
「般若みたいなんて、言わないでほしいゴブ……」
「あ、ごめん」
さすがに気を悪くするよな。反省。
それにしても、「般若」なんて言葉まで通じるんだな……。
ともかく、オレは詳しい話を聞いてみることにする。
プリンちゃんにはヨーグルトくんという弟がいた。
姉弟仲良く暮らしていたという。
なお、両親は早くに亡くなり、プリンちゃんが母親代わりだったらしい。
プリンちゃんはヨーグルトくんの面倒を見ていた。
でも、ヨーグルトくんも頑張って手伝いをしてくれた。
身寄りのないふたりだったけど、手に手を取り合って、貧しいながらも幸せに生活できていた。
ヨーグルトくんは、とある病気を患っていた。
血が流れると、簡単には止まらなくなる病気だ。
そのせいもあって体は弱く、熱を出して寝こんでしまうこともしばしばだった。
それでも、仲間のゴブリンたちの助けもあり、充実した毎日を送っていた。
そんなある日。
木の実や山菜などを採りに出かけた際、ばったりと人間に遭遇してしまう。
普段は自分だけで出かけていたのに、たまには散歩させた方が健康的かと思い、弟も誘ってしまった日だった。
この日に限って、収穫が極端に少なかった。
そこで、弟にいいところを見せたいと考え、無理に遠出してしまった。
人間たちが出没しやすい地域に、足を踏み入れてしまったのだ。
いつもならもっと気をつけているのに……。
プリンちゃんは自分のうかつさを呪った。
人間たちが、こちらに気づいた。その手には、大振りの剣が握られている。
ヨーグルトくんの手を取り、プリンちゃんは必死に山道を逃げた。
だけど、慣れない山道に足を取られ、ヨーグルトくんは転んでしまう。
勢い余って手が離れてしまう。
その瞬間、追いついてくる人間たち。
人間は持っていた剣を容赦なく斬りつける。
間に割って入る時間もなかった。
自分の目の前で、鋭い切っ先が、弟の胴体にめり込んでいく。
地面が赤く染まる。
「う……ぐっ……! 痛いよぉ……死にたくないよぉ……っ!」
切られた胴体からだけでなく、
口からも大量に出血して。
弟が、苦しんでいる。
助けなきゃ!
駆け寄ろうとした刹那、
弟は姉の方へ向けてそっと手を伸ばす。
「お姉ちゃん……今までありが……とう……。
逃げ……て……。
僕の分まで、生きて……」
声にならない声で、弟は想いを紡ぐ。
そして彼の腕は、力なく地面に落ちた。
別の人間が、もう一体の獲物――すなわちプリンちゃんを狙う。
弟は大量に血を流している。
病気のことがなかったとしても、危険な状態。
どう考えても、もう助からない。
自分のミスで、弟を死なせてしまった。
こんな場所まで来なければ、そもそも最初から一緒に来るように誘ったりしなければ、弟は死なずに済んだ。
後悔してもしきれない。
ここで一緒に死んで、あの世で詫びるしかない……。
そう考えたプリンちゃんの脳裏に、ついさっきの弟の顔が浮かぶ。
逃げて、と。
生きて、と。
弟はかすれた声で言った。
自分自身で、もうダメだと悟ったのだろう。
だから、願った。
姉が生き延びることを。
私は……ここで諦めちゃダメなんだ!
すでに高々と掲げられていた剣。
それが振り下ろされるよりも早く、プリンちゃんは体当たり。
背後に倒れる人間。
その隙をついて、プリンちゃんは逃げた。
無我夢中に。死にもの狂いで。
ただひたすら、弟の最後の願いを叶えるためだけに。
「気づいたときには、人間は追ってきていなかったゴブ。
逃げ切れた、と思った途端、私は意識を失ってしまったゴブ。
そして目が覚めたら、知り合いに助けられて、当時住んでいた森にいたゴブ」
プリンちゃんの両目からは、涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「そ……そうだったんだ……」
オレは、気の利いた言葉のひとつもかけてあげられなかった。
どんな言葉を用いても、その場にいなかった自分では、プリンちゃんを心の傷を完全に癒すことなどできはしないだろう。
だとしても、ほんの少しだけでもいいから気持ちを楽にしてあげたいと思い、オレは震えている彼女の肩をそっと抱きしめた。
どれくらいそうしていただろう。
プリンちゃんの涙が乾いた頃、オレはそっと身を離す。
「あ……」
今さら恥ずかしくなったのか、真っ赤になるプリンちゃん。
「と……とにかくっ! 自分から命を絶つなんて、そんなバカな真似をしたら、許さないゴブ!」
「うん」
素直に頷くと、プリンちゃんは満足そうに微笑んでくれた。
「それじゃあ、もう寝なさい。
ゆっくり休んで、早くよくなるゴブよ?」
彼女はそう言い残し、いそいそと部屋から出ていった。