1-3
「どうかしたゴブ? いきなり大きな声を出して」
プリンちゃんがひょこっと隣の部屋から顔をのぞかせ、心配そうな瞳を向けてくる。
突然、意味不明な叫び声を上げたら、そりゃあ何事かと確認しにくるよな。
「いや、なんでもないよ!」
「ふ~ん……? でも、元気が出てきたみたいで、よかったゴブ。
もすうぐスープができるから、おとなしく待ってるゴブよ?」
「う……うん。わかった」
プリンちゃんは鼻歌まじりにキッチンの方へと戻っていった。
とりあえず、おかしな人(というかゴブリンだけど)と思われるのは回避できただろうか。
さて、それよりもまずは……。
「やり直し要求は、通らなかったみたいだな」
「通らなかったというか、届かなかったと思うだわさ」
「やっぱり、そう思うか?」
「あいっ!」
レルムが甲高い声で答える。
どうやら、女神アフルディーヌ様と通信したり、こちらの要望を伝えて叶えてもらったり、といったことは一切できなさそうだ。
神様が味方についてくれている人生だったら、勝ち組街道まっしぐらになるだろうけど。
そんなわけないってことか。
だいたい、色々と考えて頑張って生きるように、なんて言っていたし、手助けは期待できないと思っておくべきだな。
「それにしたって、ゴブリンだしなぁ……」
自分の体に視線を落とし、ため息をつく。
「ゴブリンになっても、ソーハはソーハだわさ!」
「確かに、そうみたいだけど……」
ゴブリンになっても、オレはオレ。
レルムの言葉どおり、意識的には人間だった頃と全然変わっていない。……と思う。
記憶を失くしている身だから、細かいことまではわからないけど。
思考までゴブリンになったりしていないことは明らかだ。
「でも、プリンちゃんとしっかり言葉が通じてるんだよな」
ゴブリン語なんて、習得しているとは到底思えない。
おそらくオレは普通の日本人だったはずなのだから。
「きっと、転生特典だわさ。転生先の世界の住人と会話できなかったら、なにかと不便だわよ?」
「まぁ、そういうものなのかもしれないけど」
「むしろ、言葉が通じてラッキー、くらいに思っておくだわさ!」
「相手がゴブリンじゃ、そこまでポジティブには考えられないけどな」
と言いながらも、随分と気分は落ち着いてきた。
レルムとこうして軽口を言い合えているからだろう。
ナビゲーターとしての役割はまともに果たせなくとも、話し相手くらいにはなる。
……少々耳障りなほどに甲高い声質なのが、うっとうしく思えなくもないけど。
「そういえば、オレはゴブリンになってるからいいとして、レルムはどうなんだ?」
「どういうことだわさ?」
「妖精って、この世界では珍しくもないのか、ってこと。
さっきプリンちゃんが顔をのぞかせたとき、レルム、ずっとオレの目の前にいたよな?
それなのに、べつに気にしている様子もなかったけど……」
率直な疑問だ。
もちろん、小さいから目に入らなかった、といった可能性もある気はする。
でもそんな推測は、レルムの返答によって完全に消し去られた。
「ボク、ソーハ以外の人には見えないだわさ!」
「え? そうなのか?」
「あいっ! ソーハにしか見えないし、ソーハとしか喋れないだわさ!」
「なるほど……」
だとしたら、甲高くて小うるさい感じだったとしても、話くらいは聞いてあげなきゃ悪いな。
という思いを口にしてみると……。
「その通りだわさ! だから、ボクは喋りまくるだわさ! 一日二十四時間喋り続けるだわさ!」
「それはやめてくれ」
さすがに、考えただけでげんなりしてきた。
「ところで、この世界も一日は二十四時間なのか?」
「知らないだわさ!」
……やっぱり、ナビゲーターとしての役にはこれっぽっちも立たないようだ。
やがて、プリンちゃんがスープとパンを木製のトレイに乗せて戻ってきた。
オレはベッドから部屋の片隅にあったテーブルの方へと移動する。
「大丈夫? ちゃんと歩けるゴブ?」
「うん、平気だよ」
立ち上がってみると、少し違和感はあったものの、歩くくらいなら問題なさそうだった。
そもそも、体がゴブリンになっているのだから、違和感があって当然というものだろう。
オレが椅子に座ると、プリンちゃんは料理を乗せたトレイをそっと目の前に置いてくれた。
お椀に注がれたスープからは、白い湯気がもくもくと立ち昇っている。
お皿の上のパンも、軽く温めてから持ってきてくれたようで、ほのかな甘みのある香りが周囲に広がる。
「あっ、いい匂い。美味しそうだね」
「ありがとゴブ。といっても、質素な食事だけど……」
「いやいや、そんなことないって!」
ゴブリンの食事なんて、どんなものが出てくるか、不安だったのは事実だ。
スープを作っているとは聞いていたけど、グロテスクな生き物なんかを煮込んだ料理だったりしないとも限らない。
なんて思っていた自分が恥ずかしくなるほど、目の前にあるのは、とてもまともなスープだった。
数種類の野菜を使っているらしく、いろどりも豊かで、実に食欲をそそられる。
「ふふっ。どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
プリンちゃんは、テーブルを挟んで正面の席に座り、オレが食べ物を口に入れる様子をじっと見つめている。
そんなに凝視されたら、すごく食べにくい……。
でも、作ってもらっておいて文句は言えないよな。
木のスプーンでスープをすくい、口の中へと流しこむ。
「ん……んいひぃ(美味しい)!」
口を閉じたままだから、正常な発音にはならなかったけど。
言おうとしたことはしっかりと伝わったようだ。
プリンちゃんは満足そうに微笑んでいる。
調味料などが充実していないのか、スープとしては若干、薄味にも思える。
だけど、素材となっている野菜本来の味が充分に堪能できる、絶妙なバランスとも言える。
ほどよいまろやかさのある口当たりも、満足感を高めてくれる効果を担っているだろうか。
この世界に来て初めての食事は、オレの胃と心を充分以上に満たしてくれた。
「こんなに美味しい料理が作れるんだから、プリンちゃんはいいお嫁さんになれるよ」
「や……やだ、もう~。そんなにおだてても、他にはなにも出ないゴブよ~?」
頬を真っ赤に染めて恥ずかしがっている姿は、ゴブリンながら、なかなかプリティーに思えてくる。
「おかわり、いっぱいあるから、たくさん食べるといいゴブよ!」
「うん、ありがとう」
オレはスープを一気に飲み干し、そのままパンも口の中へと放りこむ。
「げほっ、ごほっ!」
急ぎ過ぎて、思いっきりむせてしまったけど。
「ほら、気をつけるゴブよ! おかわり、持ってくるゴブ」
「げほっ……うん、おねがい」
差し出した空っぽのお椀を受け取り、苦笑をこぼしながら立ち上がるプリンちゃん。
その後ろ姿を、なんとも言えない温かな気持ちに包まれながら眺めていると、レルムからジト目を向けられた。
「な~にデレデレてるだわさ」
「そ……そんなんじゃないっての!」
「えっ?」
プリンちゃんが振り返ってキョトンとした表情を見せる。
オレはついつい、横から口を挟んできたレルムの言葉に反応してしまったけど。
レルムの姿はプリンちゃんには見えないし、声も聞こえないんだった。
これじゃあ、いきなり意味不明なことを叫ぶおかしなヤツとしか思われないじゃないか。
気をつけないと……。
「いや、なんでもないよ。スープのおかわり、楽しみだな!」
「……ふふっ、食いしん坊さんゴブね!」
一瞬、首をかしげているみたいだったものの、すぐに微笑みをこぼし、プリンちゃんは部屋から出ていった。
次の瞬間、オレはレルムをにらみつける。
「レルム、余計なことを言ったりするなよ。オレが変なヤツに思われるだろ?」
プリンちゃんに気づかれないよう、小声で文句をぶつけてみたのだけど。
「つ~ん、だわさ!」
レルムは頬を膨らませ、そっぽを向くばかりだった。