カリブの朝
カリブの夜が明ける。
このあたりのイギリス領を収める総督の館の、一番いい召使の部屋で、黒髪の女性が静かに目を覚ました。
彼女はゆっくり起き上がると、あたりを見渡す。起きるにはまだ早い。しかし彼女はベットから出ると、衣装用のクローゼットの扉を開けた。
中には、決して豪華ではないが品の良い衣装がかかっていた。だが彼女はそれらには目もくれず、下に置かれた古ぼけた衣装箱をそっとあけた。
中には古ぼけた服がいくつかたたまれてしまわれていた。上の方の服を3枚ほどどかすと、彼女は底のほうから一本の日本刀を取り出した。
鞘からすっと抜く。わずかに光る刀身に、自分の目だけが映る。髪と同じく、黒々と光っていた。
「あなたの名前は、万里。清水水軍、清水康直が長女。」
刀を見つめ、そう遠く離れた故郷の言葉でつぶやいた時だった。
「マリーダ?まだ寝ているのか?」
突然後ろから戸を叩く音がした。万里はすばやく刀をしまうと、クローゼットの扉を静かに閉めた。そしてゆっくりと扉に近づいていく。
「どなたでしょう?まだ朝早いですのに。」
「すまないな。しかしマリーダ、もうわかっているだろう。」
「旦那様、ご無礼をお許しください。」
万里は素早く、椅子にひっかけてあったガウンを羽織ると、ゆっくり扉を開けた。
「おはようございます。」
「うむ、おはよう。まだ寝ていたのかね?」
「申し訳ありません。」
「ははっ。」
カーゾン総督は、大きな声で笑った。
「いや、こちらこそすまない。朝早くに起こしてしまって申し訳ないな。」
「構いません。ところで、旦那様はいつ、イギリス本国からお戻りに?」
「ついさっきだ。随分朝早くとなってしまったな。」
「ご無事で何よりです。奥様には?」
「まだ寝ているそうだ。ゆっくり休ませたいのでな。もう少ししたら顔を出そうと思う。」
「お心遣いに感謝しますわ。」
「ところで、マリーダ。君に土産だ。」
「土産?ですか?」
「ああ、そうだ。いつもよく働いてくれるからな。」
カーゾン総督は、外にいた小間使いの少年から、箱を受け取った。
「ああ、君は戻っていいぞ。」
「失礼します。」
少年が一礼して、どこかに向かう。おそらく朝食土器が近づき、忙しくなっている厨房から何かをくすねるつもりだ。
「もったいのうございます。一介の召使に。」
「なんてことはない。マリーダ、君と弟のケンはうちの大切な子供たちだ。」
カーゾン総督は、箱の中身を取り出した。美しく、華やかな柄のドレスが出てきた。
「本国の社交界で流行りのドレスだそうだ。」
「……ありがとうございます。」
華やかな柄にたっぷりのレース、とても素敵なドレスではあったものの、派手さに身を任せた品のないドレスとも言えた。万里は喜んでいるふりをしつつ、このドレスの使い道に悩んだ。
カーゾン総督は、少し笑うと、もう1枚のドレスを見せた。
「これは……。」
「マリーダの先祖がいたという、東洋からの布地を使ったドレスだそうだ。黒髪によく映えると思って、選んだのだ。」
「ありがとうございます……。」
万里は、久しぶりに見る柄に、思わず呆然としてしまった。
「その様子だと、気に入ってくれたようだな。実はさっきのドレスは、服屋の口車に乗せられてしまって仕方なく買ってしまったんだが、そのドレスは、素敵だった。」
「ええ、とても素敵なドレスですわ。ありがとうございます。」
「今日、海軍主催のパーティが、港の商館で開かれる。そこに着ていくといいだろう。このドレスなら、侍女のマリーダ・スイートウォーターが身に着けていてもおかしくはないだろう。」
1時間後。
普段着に着替え、髪を簡単に、しかし美しく結い上げた万里は、カーゾン夫人の部屋に向かった。部屋にはすでに1人のメイドがおり、朝食の片づけをしているところだった。何かを取りに部屋の外へ出たメイドを、万里はうまく捕まえた。
「あ、おはようございます。マリーダさん。」
「おはよう、リタ。今日はどれくらい?」
「奥様は、食欲がわかないと、パンをほんの一口と、スープをほんの一口だけしか、召し上がっておられません。」
メイドのリタは、廊下の棚にしまってあったふきんを取りながら言った。
「進めてはみたのですが……。」
「そう……。ありがとう、リタ。私からもお声掛けするわ。」
万里は言うが早いが、扉を静かに叩いて、部屋の中に入った。
「おはようございます、奥様。」
「おはよう、マリーダ。」
「ご気分はいかがですか?」
「ええ、とてもいいわ。」
「朝食はいかがでしたか?」
万里は椅子にかかっていたブランケットを畳みながら、長椅子に寝ている女主人の様子をうかがった。
「あまり気分ではないの。ごめんなさいね。」
「そうですか。ですが奥様、今食べないと、元気になれませんよ。果物はどうですか?」
「そうね、あなたが言うなら……。」
カーゾン夫人は、りんごをほんのひとかけらだけかじった。
「おいしいわ。」
「ごゆっくりどうぞ。奥様、空気も入れ替えます。」
万里は窓を開けながら言った。
「ええ、マリーダ。リタも。いつもありがとうね。」
カーゾン夫人は、弱った腕をそっとさすりながらつぶやいた。
カーゾン夫人の食事がすむと、万里にもわずかな朝食の時間がくる。万里は足早に、厨房に併設された、使用人用の食堂へと急いだ。