転:魔王誤算
『その化けの皮、すぐに剥がしてやるわ!』
それは悪手でしょう。水晶越しに聞こえた少女の台詞に、私は思わず頭に手を当てました。
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悪役令嬢シャルリーヌを弟子としてから6年、とうとうシャルリーヌが、そして将来勇者として覚醒する可能性のあるヒロイン──カテリーナがラングバルド王立学園に入学する年がやってきました。
シャルリーヌ愛されヒロイン化計画は順調……ではありませんでしたが、努力の甲斐あって何とか望んだ位置まで到達出来ました。いや、彼女の飲み込みが悪かったわけではないのです。学問や教養、魔法や武術、様々な分野の教育を行いましたが、シャルリーヌは乾いたスポンジが水を吸収するように身に付けていきました。その様には流石はハイスペックお嬢様と感心するばかりでしたが、唯一躓いたのが人格矯正でした。
10歳にして既に特権階級としての常識を刷り込まれていた彼女は、平民を下に見ることを中々止められませんでした。当然と言えば当然ですし高位貴族の娘としては寧ろある意味その方が正しいのかも知れませんが、カテリーナの逆ハーレム妨害の任を彼女に託した私としてはそれでは困るのです。攻略対象キャラには平民出身者も居ますので、只でさえ高位貴族の身分で逆に相手から敬遠されてしまいそうなシャルリーヌは身分の分け隔てなく接する様にしないと彼等を惹き付けられません。カテリーナの逆ハーレム構築さえ妨害出来ればいいので別に全員の気を引く必要はないかも知れませんが、念には念を入れておいて厳しく教育しました。
そうして誕生したのが、悪役令嬢あらためラングバルド社交界の華シャルリーヌ嬢です。
その見目の麗しさもさることながら、あらゆる分野で発揮される才能、衆目を集めるカリスマ性、そして何よりも下々の者達にも丁寧に接する人柄に周囲の者達は魅了されました。夜会で彼女が登場すると一斉に人が取り囲み、婚約者である第一王子フェルディナンドが周囲の人間を掻き分けながら彼女を連れ出すという光景がお馴染みになる程でした。彼女は平民に対しても心を砕き、孤児院を訪ねて子供達と遊んだり、貴族令嬢でありながら自ら作った菓子を振る舞ったりしてました。勿論口さがない者達は人気取りだと揶揄しましたし、高位の貴族の中には平民にも分け隔てなく接する彼女のことを非難する者も居ましたが、大多数の者は彼女に好意的でした。
学園に入学してからも、シャルリーヌの周りには人が絶えませんでした。性別や身分を問わずあらゆる生徒が彼女と交友を持つことを望み、特に男子生徒はシャルリーヌに恋焦がれる者が後を絶ちません。勿論、彼等だって理解はしているのでしょう。シャルリーヌは第一王子の婚約者であり、一方的な恋が叶う可能性など万に一つもない。それでもせめて彼女と言葉を交わしたい、彼女の目に止まりたい、彼女に笑い掛けて欲しい……そんな愚かしくも純粋な想いを抱く者は無数に居ました。
その剣技と女性遍歴で知られている騎士レイフォルド=カルス、寡黙だが魔法と剣の双方に優れた魔法剣士フィラキス、学生でありながら卒業後は既に宮廷魔導士としてスカウトを受けている魔導師シラヴァーク=アラシス、そして他の者より2歳年下ながらその治癒術の才能を認められて学園への入学を認められた治癒術師ディラス。そんな様々な分野で学園のトップに立つ者達もシャルリーヌの前では一人の恋する男に成り下がりました。
シャルリーヌはそんな男達を柔らかくあしらっています。そしてあしらわれる程に彼等はより盛り上がります。何故か彼女にとって本命の筈の第一王子まで一緒にあしらわれていますが、もしかして私が「積極的過ぎると逆効果になる」と言ったせいでしょうか。
男達の想いを独占するシャルリーヌに対して嫉妬する者が居なかったわけではありません。しかし、そんな少女達も彼女であれば仕方ないと諦めざるを得ませんでした。シャルリーヌと敵対などしても益など無く、逆に様々なものを失うだけなのですからそれも当然です。
が、中には例外が居ます。それが今シャルリーヌや取り巻き達の前に仁王立ちしている少女、カテリーナです。恋サヤの本来のヒロインである彼女は真っ向からシャルリーヌに対して喧嘩腰に詰問しました。
『ちょっとあんた、悪役令嬢の癖に何やってるのよ!』
平民の娘が侯爵令嬢それも将来の王妃に向かってこの暴言、ましてや大勢の学生が見ている前でです。誰もがその暴挙に唖然としましたが、シャルリーヌに贈ったペンダントを通して観察していた私は即座に状況が把握出来ました……彼女は私の同類です。そして、おそらくシャルリーヌのことを転生者だと勘違いしているのでしょう。そうでなければシャルリーヌに対して「悪役令嬢」などという言葉を投げ掛けるわけがありません。
尤も、彼女の思い込みが当たっていたとしてもこの行動は悪手以外の何物でもありません。せめて場所やタイミングを選ぶべきですが、彼女は現実が見えておらずこの世界をゲームの中だとでも考えているのでしょうか。「私のための世界なのに、当て馬が何余計なことしてくれてんのよ!」と言った短慮で行動している様に見受けられます。
唖然とする一同の中でいち早く我に返ったのはシャルリーヌでした。聡明な彼女はゲームのことや転生者などは理解していないまでも、目の前の少女がかつて自分が見せられた夢による未来図と同様のものを知っていると判断したのでしょう。そして彼女が自分の人生を破滅させる筈の人物であり、かつその未来図と同じ展開を望んでいることも。シャルリーヌはカテリーナを敵と見做して強攻な反論……などしません。
『あの、貴女は何方ですか。
私が何か貴女の気に障る様なことをしてしまったのでしょうか』
シャルリーヌはカテリーナとは異なり場をしっかりと弁えています。そして、現状何よりも大事なのは周囲の生徒を味方に付けることです。ここで強気な言葉を放つよりも、意味不明な言い掛かりを受けた被害者としての立場を作りに掛かります。
『惚けるんじゃないわよ、あんたも転生者なんでしょ!?
あんたがちゃんと役割こなさないと私が逆ハー作れないじゃない!』
ダメですね、この人。
早く何とか……しなくてもいいですね、私としては好都合です。ヒロインがこんなダメな子だと分かってれば、6年も掛けて準備するまでも無かったかも知れません。
『先程から聞いていれば、何だ貴様は。
いきなり妙な言い掛かりを付けて来て、無礼にも程があるぞ』
『確かに、可愛い女の子だけどやって良い事と悪い事くらいは弁えるべきだね』
『大丈夫か、シャルリーヌ嬢』
『言っていることが支離滅裂です、気が狂っているのですかね』
『ど、どうしてこんな人が学園に入学出来たんでしょうか』
シャルリーヌとカテリーナのやり取りに最初は呆然としていた取り巻き達も援護に入る。勿論、シャルリーヌのだ。取り巻きである攻略対象達はシャルリーヌを庇う様に前に立ち、カテリーナを非難し始めた。
『ど、どうしてフェルディナンド様達が私を非難するの!?
あ、あんた! 彼等に一体何を吹き込んだのよ!』
自分をチヤホヤしてくれる筈の攻略対象がシャルリーヌを庇って責め立ててくる光景に、カテリーナは怯むとその原因をシャルリーヌが何か吹き込んだものと決め付けて、彼女を問い質そうとする。しかし、この状態はカテリーナ自身の失策であり、シャルリーヌは特に何もしていない。彼等は目の前のやり取りを見て判断したに過ぎない。
『まだ言うか、貴様……』
『これ以上のオイタは流石に僕も弁護出来ないかな』
『………………』
『そうですね、この娘には罰が必要かと』
『あの、教員に知らせた方が良いのではないですか?』
あくまでシャルリーヌに対して攻撃的な態度を取るカテリーナに、いよいよ攻略対象達が険呑な雰囲気を露わにする。
『ヒッ!?』
殺気混じりで睨まれて漸く状況を正確に理解出来たのか、カテリーナは怯えて後ずさる。
そうして、冒頭の台詞を放つと逃げていった。
この状態からカテリーナが逆ハーレムを作るのはまず無理でしょう。好感度で言えばマイナス100くらいまでいってそうです。呆気ないですが、これで勇者覚醒の可能性も殆ど無くなった筈です。
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私の予想した通り、カテリーナはその後も何とか攻略対象の気を惹こうと付き纏ったりしていましたが、第一印象が最悪だった上に既にシャルリーヌに心奪われている男達からは邪険に扱われることが続きました。逆ハーレムどころか誰一人として彼女に見向きする者はなく、広まった噂によりそれ以外の生徒達も彼女と関わろうとしませんでした。
そして、卒業の日。
カテリーナに啓示は齎されませんでした。
代わりにシャルリーヌが勇者に選ばれました。
『わ、私が勇者!?』
『シャルリーヌなら神に認められるのも当然だな。
しかし、王子でなければ私も同行出来たものを……っ!』
『残念だったね、彼女は僕が守るから殿下は城で大人しく待っているといいさ』
『シャルリーヌ嬢には傷一つ付けさせはしない』
『勿論、私も同行します。
魔王を倒すには私の魔法や知識が役に立つこともあるでしょう』
『ぼ、僕もシャルリーヌ様の為に頑張ります!』
何でですか。