小さく大きな勝利
「…んあ」
むくりと体を起こして、窓から入る朝陽に目を細める。
鳥さえ鳴かない静かな朝だ。戦場から日常へ急に投げ出されたような感覚に浸る。
「起きたか。飯にしよう」
グズグズしてられない。ここは静かでもやはり戦場なのだ。
野戦糧食から干し肉と豆を取り出して、ボロボロのかまどに火を起こし手持ちの水筒の水を沸かす。肉と豆を放り込んで塩と胡椒で味を整え。
火を焚けば煙が出るが、リタの体調を考えれば温かいもので体力を保たなければいけない。リタはやはり熱が出た。体力的にアドバンテージを持つリタだが、傷を負ってしまえば誰でも同じだ。しかし、頭はスッキリしているらしく、リクヤやアテネとの会話も朝から見られる。俺とクレルは表と裏に分かれて見張り中。夜まで降った雨で、整備されていない所謂路地はぬかるんで、所々に水溜りが見える。水分が太陽光を容赦無く反射させて、朝だというのに汗を浮かべて見回りをする有様だ。
しかし静かだ。
一体、ガロウや他の部隊は今なにをしているのか。
それとも、絶対数が減ることで活動する部隊が減って戦闘が起きないのか。
「ほら、飯だ」
突然の声に思考が打ち切られ、現実に引き戻される。見張りがこんなのではいかんな。
「悪いな。具合はいいのか?」
スープのカップを運んできたのはリタであった。眼帯など持ち歩いていないので、そのまま包帯を巻いているが、出血はなさそうだ。
「今の所は問題ないぜ。ま、感染症にかからないことを祈っててくれ」
眼球が破けると、眼圧がゼロになってへこむ。その姿はとてもではないが見られるものではない。一応傷のところで瞼は縫ったが、衛生上安心できるわけではない。
「…祈っててやるよ」
スープを受け取って、啜る。汗をかきながら熱いスープを飲むのはなかなか厳しかったが、素朴な味が心を安らかにする。
「…静かだな」
リタが零した。
「…ああ。怖いくらいに静かだ」
リタはスープ片手に晴れ渡る空を見上げた。
「…嵐が来ないといいんだが」
-俺もそう思ったよ。嵐の前の静けさでないといいが。
世界から音が抜け落ちたような錯覚に囚われているのか。
その日はゆっくりと時間が流れた。誰も必要以上に口を聞かず、外の音も少ない。流石に昼前になると銃声も響いたが、片手で数えられる回数のことだった。だが、それと反比例して不安は増していく一方であった。夕方になるとリタの熱もほぼ下がり、俺の頬の傷も問題なく塞がった。
空が赤く染まって、夕暮れの光の反対で月が薄っすら光った頃、嵐がやってきた。
「…来たぞ!…自律兵器だ…」
リクヤが苦々しく告げる」
それと同時に、ハルルの空に信煙が上がった。-撤退命令。
「…間が悪いことこの上ねえな」
ハハ、と空笑いしたリタは俺の銃を取った。
「使うぜ」
首肯する。俺には剣があれば十分だ。
「…やるぞ!」
リクヤの叫びに皆が応じた。
「了解!」
究極の殺人マシン。対するのは不完全な人間。
勝てるのか?
奇跡を信じる?
違うだろ。
奇跡なんて存在しない。
クレルの言ったように、全ては結果だ。
確率は二分の一。
勝つか、負けるか。
死ぬか、生きるか。
「いいか、俺たちはイアンの援護だ。あいつの足を止める。その間にイアンは仕留めろ」
「了解」
そう。この5人だから出来ることがあるはずだ。5人でないとできないことはきっとある。不可能を可能にすることはできない。だけど、可能の範囲を広げることはできる。
青い目が俺たちを捉える。
眩いマズルフラッシュが夕暮れの街を照らす。
リタも右目が見えないながらも銃撃に参加していた。
俺はじっと待つ。自律兵器は確実な速さで迫ってくる。
一瞬、自律兵器は姿勢を崩した。誰かが撃った一発が膝関節に当たる部分に直撃して揺らぐ。
-今だ!
「う、うおぉぉ‼︎」
加速され延伸された世界で、両手に握った2振りの剣が数十の残像を残して動く。右から腰のひねりで加速された剣が左、右の順で払われる。自律兵器はその剣影を認めると右手の剣で無造作に出す。剣の軌道が交錯して、不快な金属音と火花を散らして、力の拮抗が発生する。刹那の間に、俺と自律兵器の視線が交錯する。その瞬間、頭がけたたましく警鐘を打ち鳴らした。
-マズイ‼︎コイツ左手に!
動けない俺に自律兵器は左手を向ける。そこには丸い筒が虚無の空間を湛えて、こちらを見据えていた。
-銃だ!
身体の力を抜いて、自律兵器の力に抗わず吹き飛ばされる。直後、灼熱の鉛玉がもといた空間を通り抜けた。
俺が離れたのを見て、援護射撃が再開される。家から持ち出した長机を掩体として使っているが、果たして自律兵器の銃撃に耐え得るのか。
そんな俺の不安など知りもせず、自律兵器は俺を第一目標として迫る。
「…来いよ」
亜音速で迫る剣。こちらも最大限まで加速した右の剣で切り結ぶ。またも金属音と火花を散らして、静止する。だが、片手になった俺の方が力負けして押される形になる。そして、先ほどと同様に左手の銃が俺の顔を狙う。
「…馬鹿が!」
遊んでいた左手の剣が、腹筋と背筋によって加速され、左手を下から切り上げる。ガツンッと硬い感触が伝わって、腕がしびれる。だが、ここでミスれば命が消える。俺の剣に押されて、自律兵器の重心が僅かに持ち上がる。それを確認して、右手をいなす。重心の崩れていた自律兵器は、さらに力の支えを失って、前に倒れこむ。前に見た時も思ったが、それほど人間の動きがトレースできているとは思えない。事実、起き上がることができていない。
「…すまんな」
起き上がろうと必死でもがく自律兵器の首にあたる部分に一閃。ガツンとくる衝撃とバキンッという甲高い音が響いて、自律兵器の青い目が輝きを失う。
「…ふう」
どうやら終わったようだ。
あの時と同じように、4人が走ってくる。
「やるな。倒しちまったじゃねえか」
「よくやったじゃない」
こいつらの声を聞いてほっとする。やっぱりこの5人でなきゃダメだな。
しかし、神は束の間の休息を許さないようだ。
「…伏せろ!」
途端、頭上を銃弾が飛んでいく。ナイスリクヤ。
「…まだ続くのか…」
リタは響きが、誰も見当たらない路地に響いた。