リタの思い出話
返り血のヌメヌメした感触が気分を害す。軍服のズボンで拭うと、そのズボンも真っ赤だった。
「…チッ」
舌打ちをして、諦める。乾くだろう。
すぐに戻る。残りの5人は、既に数を減らして、3人になっていた。既に後退を始めている。
「深追いするな。一旦引くぞ」
リクヤがよく通る声で言った。
もうボロボロの廃墟になった建物に腰を降ろす。アテネがリタの傷をもう一度見る。釣られて目をやると瞼が切れているだけでなく、眼球も傷がついているようだ。もう、光を見ることはないのだろう。
「…フッ、そんな顔をすんじゃねぇよイアン。問題ねえよ。お前の言う死体の山の中には入らねえからよ」
いつぞやの夢の話を引き合いに出して、冗談めかして笑う。俺も釣られて笑ったが、うまく笑えたかは自信がない。
「…どうする?」
クレルが切り出す。
今、俺たちの中には2つの道が伸びている。一つは、撤退すること。怪我人を一度運んで、もう一度ここに戻ってくるという道。もう一つは、このまま留まって戦い続ける道。
「怪我人を除け者にするなんて言うんじゃねぇ。俺はまだ戦えるからな」
静かにしかし、強く言い放ったリタをリクヤは、思案顔で見つめる。
「…お前、死にたいのか?」
ピクンとアテネが反応した。
「……ハハ、馬鹿言え。死ぬかよ。勝てる見込みがあるから残るっつってんだ」
嘘だ。俺は思った。リタは今、死に場所を探してる。こいつには勝つ気などさらさらない。
「…おい、リタ」
リクヤとリタを挟んで向かいにいた俺の方を向いて、
「あん?」
今一度目を見て確信する。
「…お前、脱け殻だな?」
いつぞやの夢の話をもう一度引き合いに出して、こいつの正体を確かめる。
「は?」
アテネとリクヤがハモる。
「……ッハハハ…。よくわかったな、イアン」
表情は実に楽しそうに笑っているのに、目は虚空を見つめていた。
「……もう、お終いさ。何もかも」
何が話題になっているのか、残りの3人は理解できてないようだが、俺とリタとの会話は続く。
「……ただ、俺は蹂躙される生存者になりたくないだけさ。…もう、この世にいる意味も無くなっちまったしな…」
リタの残った左眼から、涙が溢れた。
「……ハハ、情けねえ」
自嘲して、顔を天井に向ける。溢れた涙は頬を伝って床にシミを作る。
「何があった?」
何かがあったに違いない。
「…そうだなあ。同期のよしみで教えてやろう」
俺とリタは同期入隊である。クレルとアテネはその一期後だが。しかし、俺とリタの間には歳の差がある。
「……家族の…いや違うな。家族になる予定だった奴が死んだんだとよ。南部に下ったんだが、過労だそうだ。…真面目だったからな…」
リタの後、誰も口を開かなかった。あのリクヤでさえ、黙っていた。
「……。そうか…。エネアさんが…」
耐えきれなかったのは、俺だけではなかったようだ。
「…誰……?」
アテネの消え入りそうな声が響かず床に落ちた。
「………ああ」
リタも俺も言葉の意味を呑み込むのに時間がかかった。
「…リタの婚約者だよ。綺麗な人でなあ。リタには勿体無いくらいだったよ」
「…本当だぜ。まあ、家柄だって言われちゃそれまでだけどよ、よくもまあ俺んとこに来るって言ったもんだ」
もう一度自嘲すると、フウーと大きく息を吐いた。まだ血は止まらないようだ。リタの顔が心なしか青くなっていくように見える。
「…リタっていいとこのおぼっちゃまなの?」
アテネの質問に答えるべく、リタは遠い目をした。
「おぼっちゃまなんてもんじゃないぞ。立派な貴族様の三男坊さ。ガキの頃からやんちゃこいて、散々乳母に文句を言われたもんだ。んで、丁度お前らの歳の頃に家を飛び出してフラフラしてたんだが、見つかっちまってな。お前なんか軍で犬になってりゃええ!って言われてな。それでここに来たんだよ」
俺はいつかに聞いていたから大して驚きはしないは、初耳勢には驚きだったらしい。まあ、俺も最初は貴族ってのを聞いて驚いたが。
「小さい時に親同士が決めたことだから、軍に入った時点で婚約の話も有耶無耶になったと思ったんがなあ。付いてくんだよ。俺はもっといい男が山ほどいるだろうって言ったんだが、聞かねえしな」
そう言うと、口の端が上がる。なんだかんだで、仲良さそうだったしな。
「…おいおい、俺の思い出話してる場合じゃねえだろ。とりあえず移動しようぜ」
これ以上の追求を避けたいのか、リタは徐に立ち上がり、トントン、とブーツで床を鳴らした。
最大の脅威がこの時、放たれた。