EP.7 つまらない話だが聞いて欲しい 俺結婚するんだ
澄んだ空気が非常に美味い。小道は乾いた草の匂いがわずかにただよい、小鳥が遠くで鳴いている。魔物の気配もなく、爽やかな春の日差し。今は三人並んでゼトの家に向かう途中だ。
ああ、森よ、森の小道よ。俺、吐き気がするから戻しちゃっていいかい?
「……戦士系、戦士系職にさえ俺が就いていれば……」
「あらいやだ、レンジュアーリ様は無役、無職の身の上でいらっしゃるのですか? まあ、それはそれは……」
「無職言うな哀れむなお前しばくぞパツキン」
ちなみに『べべリアスク・オンライン』で職業とは最初のキャラメイク時点で設定する要素である。戦士や魔法使いや商人や貴族などのいかにもなものから、流民や邪教徒などのイロモノまでがあり、選択した職は言い訳程度の差異をキャラへ与えることができるのだ。
職業にはメインとサブの二種を設定可能で、各種能力値に貧弱だがそれぞれ補正を掛けてくれる上、スキルを使用する際にも小なりとはいえ、職業補正が付いてくる。
途中の職業変更はできないが設定された職業熟練度が行動により上がっていき、メイン、サブともに補正量も大きくなっていく。また、熟練向上によってごく低確率で職業関連スキルが手に入ることがあるのだ。
したがって職業が違う別プレイヤー同士では同じ能力値でも性能が少し異なり、同じスキルでも効き目が微妙に違ってくるのだった。サブに到っては辛うじて感知可能程度のありがたみだったが。
俺の職業の説明が適当なのは『べべリアスク・オンライン』での優先順位が低いからだ。別に能力値やレベルそのものに絡むわけでなく、職業限定スキルなどは存在せず、ある職以外スキルを覚えられない、使えないと言った事態はあり得ないからだ。
ゲーム内のプレイヤー強化要因としてはレベルや能力値やスキル、装備などに比べると圧倒的にどうでもよく、特に、最後に残る最重要の要素が別にあるのだが、それの前では誤差の範囲内。
はっきり言ってゲーム版では少しでも余裕が欲しい序盤と、身分や階級や所属の絡むイベント以外ではお飾り要素だった。これは頭の中が純日本人のお袋が、今一つ階級社会などを理解していなかったからだと思われる。またゲームの目的である『俺自身』には、この世界での職業選択の自由とかはないのだから設定するだけ無駄だったろう。たとえ現実では一番大事なのが職だったとしても……。
俺の場合ゲーム版に存在もしない『英雄』であり、サブ職もない。本当は嫌で嫌でしょうがなかったが、謁見の間で口出ししたら女神に壁に連続衝突させられ、殺されそうだから諦めた。
まあ、職業は結構何とかなる。どうしても気に入らなければ、ペナルティありだが職を変えるアイテムもあったはずだから、詰んだ時に考えようと思い、放置していたが最初から詰んだ。ちょっとでもいいから筋力と耐久に補正が欲しい。
しかし、システムヘルプの詳細化に欠かせない鑑定スキルが低いのが痛い。スキルレベル3の『自己鑑定』ができないから、『英雄』なる職業がどんなものなのかさっぱり分からないのだ。妙な補正があったら困る。強敵に見込まれやすいとか。
そこまで考えて本気で吐きそうになった。
「うええ死にそうだ。気を抜いたら胃袋が口からこんにちわしそう。もう無理よ……」
「本ッ当に情けないこと! ゼト様からアナタのお父上のお噂はかねがね伺っておりましたのに、がっかりです。先ほどまでの余裕はどこへ行ったのですか?」
「ロッ、ローレラお嬢様……」
しかしどうして? 俺は彼女の危機を救ったよね。普通、命の危険を助けられたらなんだかんだで惚れるもんじゃないの? 異世界ってそういう物理法則が支配する世界じゃないの? 原因は顔面か? 顔面スキルが低レベルだからか? スキルポイントを振るべきか? 俺がイケメンじゃないのがそんなに悪いのか? それともべべリアスク基準じゃ俺はすこぶるキモい顔だとか? 『英雄』にイケメン補正はないのか?
なぜか俺は金髪お嬢のローレラによって、全存在を駄目出しされていた。ハイゴブリン戦後の全身を蝕む激痛と倦怠感、そして嘔吐感と戦いながら。
どうやらスキルによる補正は、肉体に掛かっている負荷までを帳消しにしてくれるものでもないらしい。現在の俺は小娘に勝てないレベルに衰弱している。もう地が出てしまっているが、喋っているだけ褒めて欲しい。
体が慣れるまでは、戦うたびに死ぬ思いをしそうだ。
「しょうがねぇだろ……鉄の塊を背負って悪路を駆け抜けたあと、腕の立つゴブリンと大立ち回りしたんだから……お前が同じことできたら認めてやるよ。田舎食堂の創作麺料理みたいな髪型しやがって……」
「うわっ、淑女の身嗜みを罵倒とか……。そしてよりにもよってか弱い婦女子に鉄剣を背負えとか、森を走れとか……口にしていて情けなくはないの? ご自分はできて当然で、人にさせてはまずい類のことでしょうに」
「お嬢様、レンジュアーリ様は仮にも命の恩人ですぞ……」
「このアマ……俺が親父とお袋の名前を背負ってさえいなければ、お前の体内の生き血を直接、『精錬』スキルの実験台にしてやるのに……」
さっきからこの娘、俺にキツすぎます。さっきの勝利でレベル12に上がった喜びも色褪せる罵倒の数々。
ゼトが強く出られないなりに嗜めようとしてくれるのが救いだ。そうでなかったら俺はもう泣いてる。助けた相手から非難とか……ぬるい人間関係しか知らん現代っ子には耐えられない。
どうやらこの二人、主従ではないものの繋がりはあり、そしてやはりローレラの方が上位の立場のようだ。『お嬢様』呼びだからなあ。お嬢は町長の娘だし、一応ゼトに対しても様付けだし仕事関係の繋がりか?
「まあ乱暴な。これだから紳士としての振る舞いも知らない殿方は。どうお思いになります? ゼト様? これで本当に伝説の英雄の息子?」
「ローレラお嬢様! それは言い過ぎで……」
「ご子息がそんな調子では、闇の眷属を蒼銀の炎で焼き払ったとして知られる『銀風』の名が泣きません?」
「お嬢様!」
「おい金髪。ドヤ顔してるとこ悪いが、その技、はじめからオワコンと言うか死に筋だぞ……」
「あらあら、よく聞こえません。それとも言い返す元気もなくなりましたの? これではお父上のジュアンカーリ様も噂ほどではないようね」
「……」
「ひょっとしたら魔王軍と度々戦ったと言うのも嘘なのかもしれ」
「もう黙れよお前」
急に俺の声が冷えて乾いたせいか、二人が立ち止まる。俺が合わせて止まってやると、金髪お嬢が沈黙した。先ほど俺が巻き起こした殺戮劇を思い出したのか、急に怯えた目をして青くなっている。
先ほどまでは曲がりなりにもただ互いに嫌味を応酬していただけだったが、親にまで悪意が及ぶなら別だ。こちらの顔色を伺う視線に冷めた眼差しで返してやると、ローレラは急に元気をなくしたように俯いた。
吐き捨てる。
「お里が知れてんのはお前だろ。いい年して口にしたら最後になる言葉も分からねぇのか。相手が我慢して黙ってくれてるのは、穏便に済んでるうちに入らんぞ」
返事がない。そっと見やると、お嬢はようやく自分の発言が意味するところを悟ったのか、震えていた。半泣きだ。
人目がなかったら殺し合いになるかも知れん暴言だったのだとやっと気付いたか。このネタでイジメ倒してやろうかと思った。
……まあ、いいか。軽口にこっちが本気になりすぎたと言えんこともない。ここはゼトに取り持ってもらおう。
ゼトゼトゼト、頼りになる老兵ゼトよ、忠臣ゼトよ。さあ場を和ませる小粋なジョークをお一つ頼むよ。そう思って目で合図しようとすると、おい、何その視線!
「……」
親父への悪口によってなのだろう、ゼトはもっと切れかけていた。顔が青くなり表情は能面のよう。音もなく、右手が先ほど渡した鋼の小剣の柄に掛かっている。
目が据わっていた。コイツ親父とお袋の信奉者というか、狂信者か!? なかなか堂に入った構えだ。放置しておくと、本当に抜き打ちをお嬢の背中へぶち込みそうな予感。
冗談だよね? 目で合図を送ると、こくりと頷いてくる。そしてゼトは猫のごとく前傾姿勢を取ろうとした。
違う! 殺せって意味じゃない! 攻撃三秒前だ。通じてない! こいつマジだ!
やべえ仕方ねえ!
「十七、八年くらい前、親父は人類のために命を捨てる覚悟で何度も戦場へ行って、最後には魔王と相討った。それは間違いない。それともお前の町では違う噂でも流れてるのか?」
「それ、は」
「知らなかった可能性もあるから許す。俺が情けねぇ野郎なのも事実だしな。でも親父への中傷は撤回しろ。お前も名家の出なら、騎士、戦士、術士の名誉に関しては軽口じゃ済まねぇのは知ってんだろ」
「……」
「大体お前は、親に虐待されてたとか捨てられた、とかでもない限り、相手の前で親を侮辱して何もなしで済むと思ってんのか」
「……大変、失礼しました。先ほどの言葉、撤回、いたします……」
べべリアスクの戦士や術士についてはゲーム版での設定以上のことは知らないが、真面目っぽく語った甲斐があった。不承不承という感じだったが、正式に謝罪してくれた。よかった。頼りになるはずの最初の保護者が、速攻で凶悪殺人犯と化し指名手配されるところだった。
ゼトを見やると、何もなかったかのような涼しい顔で微笑を浮かべていた。剣呑な気配も戦闘態勢も霧消している。
こいつ。
「ローレラお嬢様、レンジュアーリ様は紛れもなく力と勇気を併せ持つ英雄、そうでなくば我らは既にこの世におりません。紛れもなく英雄の中の英雄たるお父上とお母上の血を継がれた方。またご覧のとおり、寛大な方ですぞ。どうかそのお心映えを素直に受け入れて頂きたいものです」
「はい……重ねてお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした、レンジュアーリ様」
ローレラは優しく諭すゼトの言葉でいっそう落ち込んだ。この反応を見るに、別に悪人ではないのか、お嬢。どうやら親父関係で伺い知れん事情があるようだ。
そしてゼトはなんなの? 殺人狂かなんかなの? どの面下げてそこでさも自分は最初からわかってました的な台詞を吐くの? 今も、見守る視線を投げてきてるし。黒い。コイツ黒い。と言うか怖い。多分真性の悪はこっちの老いぼれの方だ。
今の、俺がゼトを宥める流れじゃなかったよな、どう考えても。これからはこの二面性の激しいジジイが近くにいるときは言動に注意しよう……。
カッパといい、俺の周りには危ない奴しかいないようだ。
小道を行けば、そこにはあばら家か廃屋と表現すべき小屋が待っていた。
これがゼトの森ハウスか。放火により家が燃えてしまった同級生が中学にいたが、翌朝そいつの感情が抜け落ちた顔を見たときと同じ感覚が蘇る。
ジジイの人生に何があったのか。とても前大戦の功労者が手に入れた終の棲家とは思えない。
「ひでえなオイ。まるでスラムの家だ。今にも山賊が出てきてこっちを襲撃してきそう。焦って全員に戦闘準備を命じるところだった」
「アナタ、本当に失礼ですね! ゼト様に対して! ゼト様は立派な……」
「まあまあお嬢様。いや、レンジュアーリ様の仰るとおりでかつて栄誉ある従士だった男としてはまことお恥ずかしい限り。さ、お二人とも、狭苦しいところですが中へ」
ローレラはいつの間にか元気を取り戻していた。ぷんぷん怒り頭をゆする度に舞う金色の光。
俺は憎しみを忘れない男。もっと打ちのめしておくのだった。次こそは精神に硫酸で焼くような陰湿で偏執的な言葉責めを加えてやろうと決意しながら家に入り、内装を確認する。
実用的な家具を除いては調度など、一つもなく、壁も天井も木の色が滲んでのシミが多い家だ。内部の傷み具合も、外から伺われるひどさを裏切るものではなかった。あくまで古いのであって、汚いのではないのだけが救いだ。
ゼトにすすめられ、古ぼけた椅子に座る。汚れていないのだけが褒めるべき点の、修理した跡だらけのひどい椅子だ。それとも椅子が三つあるだけ、貧しい世帯としてはマシなのだろうか。
茶は貴重品なのだろう、出なかった。出たのは代わりにお湯。それもそれぞれ種類の違う器に盛って、お嬢と俺だけにしか出なかった。
ゼトが再度恐縮し、小さくなった。俺は別に構いはしなかったのに。経緯を説明し助力を得るほうがはるかに大事だ。
「まこと、お恥ずかしい」
「いえ、お気遣いどうも。ところでゼト殿、そろそろ私がここへ来た理由を話してよいだろうか」
「はい。先ほどは動転しておりましたし、助けて頂いた喜びで舞い上がっておりました。しかし、レンジュアーリ様にも事情あってのご来訪だろうとも、僭越ながら察してもおりましたとも」
「まさしく。お考えの通り私がここへ来たのは偶然ではない。あなた方をお助けできたことこそ偶然だが、元々は、ゼト殿のお力を借りることを求めて訪ねて参ったのです」
「……なんと光栄な。この老骨に貴方様の力になれるやは分かりませんが、事情がおありなら是非とも。また私のことはゼト、とお呼び捨てに願います。従士団は解散したとはいえ、私個人は今でもジュアンカーリ様の従士のつもりです。主筋のご子息である以上、私に敬語も不要です」
一瞬、まだ主君が親父のつもりなら、その息子に過ぎない俺が偉そうにするのは違わないか? そもそも親父って明確に騎士とか貴族にはなってないのでは? と思ったが、さっきの暗殺未遂から言われたとおりにする方が安全と判断した。
しかしこの世界の従士とやらの立ち位置が謎だ。
「ご厚意、また変わりなき忠誠、ありがたく。そうさせてもらうよ、ゼト。また、差し支えなければ、俺の話のあとには、お二人の事情も伺いたいのだが」
「それは……」
「横から失礼いたします。私の事情については別に秘密にせずとも構いませんよ、ゼト様。命をお助け頂いたのは事実ですし、先ほどレンジュアーリ様へは無礼も申しましたし」
お嬢が湯を音もなく啜りつつ言ってくる。今度は嫌味なところはなかった。ただただ座って悠然とした雰囲気を醸し出している。随分と落ち着いていてサマになっている佇まいに、そう言えばお嬢様だったんだなあと少し感心した。
本当にさっきのは反省したのだろう。態度が非常に慎み深い。俺も自然と丁寧になる。
「よいのですか、ローレラ殿。己で口にするのも何ですが、私は所詮、余所者ですよ。人を忍ぶだけの理由をお持ちなのでは?」
「……なんですかその言葉遣い。他の者がいるならともかく、この三人しかいないなら私に対しては先ほどまでと変わらない態度で結構です。お互い被っていた猫の皮はとっくに剥がれているでしょう?」
ジト目で言われた。それならいっか。
「まあそうだよな、今更取り繕ったところで邪悪なお嬢が心優しいお嬢様になって小遣いとかくれるようになるわけでもなし、お互い自然体で行くか」
「調子に乗るの早くありませんアナタ……」
「ところでお前デコ広いよね。正直金髪がかすむ輝きだわ」
「アナタこそそれ言ったら終わりの言葉でしょうが! 表へ出なさい! 私のこん棒が火を噴きますよ!」
「ククク……鈍器で俺に挑むとは愚かな……俺こそ昔は銭湯では『標準装備こん棒』の呼び名で恐れられた男よ……」
「ははは。もう仲良くなられたのですか。盛り上がっておられて大変結構。しかしお二人とも少々お戯れが過ぎるかと……」
一本のこん棒を奪い合い、立ち上がろうと睨み合った俺たちに、割り込んできたゼトの薄い笑顔が怖い。感情というものが遠い男の顔だ。一言で言えばサイコパス。俺たちはその不気味さに震え上がり、素直に俺、ローレラの順に自分の現状を話すことにした。
俺の事情に関しては、手短にするため肝心なところを一部省略し、分かりやすくするため的確な歪曲を加えて説明を終えた。
「女神様直々のご命令で魔王軍の撃破を、ですか。それはまた壮大な」
「俺のような子供が挑むというのだ。言いたいことは分かる、ゼト。だが俺にご神託を断る選択肢はないのだ。まだどこから手をつけていいのかさえ分からないが、まずは魔王軍と戦える新従士団を作り上げることになるだろう」
「分かっておりますとも。こちらこそ是非、今抱えている事情が片付き次第、すぐに新従士団の末席にお加え願いたいと考えております」
「おお! 仲間に加わってくれるのか!」
「当然ですとも! あと仲間というよりは、私は従士ですので配下かと」
第一の味方ゲット。早いな。ひと悶着あるかと思ったが、ゼトが忠義に厚い男で助かった。無論、調子の良いことを言っているだけかも知れないし、親父たちへの恨みを隠している可能性もゼロではない。だが、従士として同行してくれるという点は普通に信じても問題なさそうだ。本当に嬉しそうな表情や、昔の旅装を今にも探しに行きそうな気配を見る限り、こちらが粗略に扱ったりしない限り、裏切りそうもない。
……何より現状のゼトの生活はひどいもののようだし、こっちに付くほうが確実にマシなのは俺でも分かる道理だ。あとで段階を踏んでだが、チュートリアルで手に入れたブツやカネを多少融通してやろう。
お嬢に関しては人払いとかで遠ざけたりできないし、もう聞かれてもいいと覚悟した。
「加えて、ご神託でしばしば魔王軍とは関わりのない、べべリアスク大陸各地の試練に挑まれることになる、と。正直こちらは……いえ、私も微力ながらお手伝いは致しますが、英雄というものも大変なのですな」
「ああ、女神様によれば俺は英雄としては未熟ゆえ、父と母の名を辱めないだけの力、相応の資質を示してみせねばならんそうだ。こちらも避けては通れないだろう」
『百の因果』については英雄に付き物の試練ということにした。優先順位上、第一と第二の目標が転倒してしまうが正直、平行世界の破滅の原因がこの世界で発生どうたらとかこっちの人間に理解できないだろう。してもらう必要もないし、俺の本当の目標が知れ渡って、破滅志願のカルト教団とかが邪魔してきても困る。
分かりやすさと安全を重視してのプレゼンとなりました。期限の迫っているサハギン大虐殺がその一つとは、まだ二人に告げていない。なぜならゼトに逃げられたら俺が困るから……。正気の奴なら逃げるのが普通だ。忠誠関連でゼトが正気を保っているかどうかはかなり怪しいが。
「しかしまさか、ジュアンカーリ様、ヨキア様ともに、亡くなられていたとは……まこと、残念です」
「……」
両親についてはゼトが誤解するに任せた。異世界で生きてます、二人とも普通に働いてます、などと言ったら前大戦の関係者一同切れそうだし。
俺は嘘をついていない。「遠いところにいる」そう言っただけだ。涙ぐんでいるゼトに心が痛むが、俺の安全には換えられない。
「そうですか。お二人ともが……」
「そういうわけで俺は両親から全ての技を受け継いだとは言えない。英雄とはとても呼べん未熟者だ。今後ともよろしく頼むぞ」
「い。いえっ。先ほど十に迫る数の魔物を瞬く間に葬ったレンジュアーリ様の力量、まさに見事でしたとも。それに必ずやこのゼト、補佐させて頂きます」
話題は無理やり変えた。ボロが出る前に。
「こちらの話は終わりだ。で、だ。お嬢の事情ってなんなんだ? ゼト以外のお付きもなく、魔物の出る森の中へ名家の娘が入るとか普通ならありえないだろ?」
「ええ、それが……」
「私がここにいるのはお見合い、と言うよりは婚約の儀を行なうためですの」
「お嬢、様」
ゼトではなく、ローレラが重い声だが自分の口で答えて来た。握り締めた拳は膝の上で固くなり、金色のまつげが震えている。
瞳と頬には、悲しい色があった。諦めと、怯えと、どこか、卑屈な色。
「ゼト様は正式には当家の使用人ではありません。森番のお役目に付かれるときに、当家を通されただけですわ。その関わりで、一人で参る予定の私をこちらで保護してくださる予定だったのです」
「それは分かったがなぜ一人?」
「サリアの町に婚約者を既に持っている娘が、他の殿方の家へ向かうのを周りの者に見られるわけにはいかなかったからです」
「なんですと? つまりお前は今の婚約を破約して、よその一族と……」
「ええ。私は町長の娘で、もう十五歳になりますから。今、苦難が町に迫っていて、乗り切るには戦力を要する以上、覚悟をせねばなりません。……サリアと同盟を結び、出兵する旨を約束してくれた家へ嫁ぐべく、ここにいるのです」
十五歳の娘が乗り換え縁談。四百匹サハギン大行進は、こんなところにも影響していたようだった。