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虚術偽刃(ホーカスポーカス)のレンジュアーリ  作者: クラゲ三太夫
第二部:硝子の楽園には 蝶なんてやっぱり飛ばなかった
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EP.35 流れたひとしずくの色なんて知らずに

「そして母は、この首飾りと同じ意匠の模造品レプリカを沢山、工房に注文して、自分の町の名産にしようとしたです!」

「なんと素晴らしい……このレンジュアーリ、涙を止めたいのに、一向に止まってくれません……」

「そこまで思い入れてくれてありがとです。でも注文してるときに戦争がひどくなって、模造品レプリカを手がけた工房も燃えちゃって、残念ながら本物はどこかへ行っちゃったです。でも確か、引っ越した工房の職人が、ここシノラッドのファルファムという町で、まだ作ってるって聞くですよ。私の物も、多分本物じゃないですけど、お母さ……母からの、最後の贈り物だったですから」


 悲しげな響きの中にも、母を誇りに思う色が混じる、目の前の少女の声。

 柔らかな語りが明らかにした真相。


 パフィリカたちが泊っている宿の、だだっ広い部屋。テーブル備え付けの椅子の上。

 本気で涙目になりながら、目の前の高貴の姫に媚びる言葉を、何とか絞り出したあとのこと。

 肉体の震えが無意識に刻み始めたビートが、俺を包んだ。喘ぎは誰にも聞こえない息だけの声。

 アオウアオウとセイウチのよう。そのまま前後に緩やかにヘッドバンク。脳内に流れるのは葬送行進曲のテーマだ。

 こっちを見ていたのか、ゼトが嫌そうに小声で耳打ちしてくる。


「レンジュアーリ様。なぜ揺れながら白目を剥いて、握り締めた拳から人指し指と中指を伸ばしておいでなのですか」


 俺は思わず勝利のポーズを決めてしまっていたようだ。

 やっと正気に戻ることができた。ゼトの手で。

 頭のおかしい人が、俺を正気に戻してくれただなんて感激だ。

 まるで放火魔が消火活動の楽しさに目覚めたかのよう。慶賀すべき吉兆、爽やかな春の夕べの一幕である。

 アレ? これ異常者がマッチポンプ覚えただけか? まずは自分の正気をなんとかしろ。


 ……気持ちが収まるわけがない俺は、小声で悪態をついた。


「……こんな話聞かされたら、衝撃で誰だって思わずこうなるわ。テクニシャンな不良に肉体をヤンチャされて、愛してた幼馴染に裏切りの動画送りつける女の子みたいになってしまっても、誰も俺を責められないだろ?」

「てくにしゃん、とどうが、は存じませんが。誰、でも……? 左様、ですか……?」

「ホントだって。嘘だと思うなら、今度、お前の幼馴染の女に聞いてみろ。村のワルに言い寄られた経験さえあれば、俺の気持ちを分かってくれるはずだ」

「……故郷には、あれから葬儀で一度戻っておりますので。二度目は結構ですとも。……それに私には男しか幼少からの馴染みはおりません」

「分かった分かった。俺に任せとけよ。今度サリアの若い女に金積んで、お前を村から追い出した幼馴染を、古女房から寝取らせるよう仕向けるね。あとは老夫婦が破局してく途中経過をねっとり詳しく聞けばいい。これで男女の機微に疎いお前でもバッチリさ」

「おやめください。レンジュアーリ様」


 人生なんでも経験だというのに。一つの愛が略奪されて壊れていくところを、実況中継付きで観察できるチャンスなのに。

 俺の手に掛かれば、家庭崩壊をお約束するくらい軽い。熟年離婚待ったなし。

 それなのにゼトめ。変なところで水臭い。遠慮しやがって。


 違う! ジジイに寝取られの何たるかを教育する方法なんてどうでもいい!

 もうベベリアスク終了(ゲームオーバー)の予感。パフィリカママンのアホさ加減は俺の想定を超えていた。

 高校生ごときの手には余り過ぎている。素敵な奥様はどうやらイベントアイテム改造した上に、量産化しやがったらしい。

 ブランド品解体して、別のパクリ商品のモデル作るとか、どこの海賊版製品専門の東南アジア工場だ。

 伯爵夫人って錬金術師の亜種だったのか。だが異世界をゲームで再現した母親も地球にはいるのだ。

 その時点で悟ればよかった。専業主婦すげえ。


 しかも、別にパフィリカ所有の首飾りにも本物の保証はないらしい。それどころか、もはやどれが本物なのか分からないと。

 だからかよ。この糞多い反応の数は。下手したら全部が本物扱いになってんじゃねえか。

 ウィンドウマップのファムファル方面が輝きで埋まってる。空き缶や釘にまで反応しちまう、駄目な地雷探知機の画面みたい。

 もう無理だろ。どうすんだよコレ。


「お嬢様……日も暮れておりますし、そろそろ……」


 まだショックに打ちひしがれている俺の耳に、ラフィナの声がやけに残酷に響いた。

 まずい。まだ諦めるわけにはいかないのに、要らん時間の空白を作ってしまった。ここを逃したらもう触るチャンスはない。

 唯一の現物も未確認なのに。パフィリカの首飾りが本物である可能性に賭けるしかないのに。

 なのにとっとと退出しろと、侍女が俺たちに遠回しに言ってくる。


「でもラフィナ。私、まだレンジュアーリに話したいこと、一杯あるです」

「お客様方は行商でファムファルを目指しておられるのですよ。その準備もございますでしょうし、また明日になさいますよう」

「そう、ですね……。名残惜しいけれど、レンジュアーリ。また明日です」


 これで喰らいつこうとしても、無理になった。

 あっと言う間に幼女が言いくるめられたせいで。もっと頑張れよお前!

 この場での最高位は、間違いなくパフィリカ。彼女の意向を無視することはできない。

 口では明日と言っているが、相手は身分を隠してても貴族、こちらは食客の旅人だ。

 一度歓談できただけで、十分に横紙破り。二度目の保証はないだろう。


 主人の決定に、安心した様子でラフィナがドアに歩み寄り、押し開けて廊下に出る。

 顔が隠れて見えないが、顔に言葉が書いてあるとしたら『とっとと出てけ』、の一文のはずだ。

 このままでは追い出される。

 一方で苦しげな表情で腰を浮かせかけたゼトは、素直に退出しなければもっと状況が悪くなると身振りで教えてくる。

 俺が焦りながら次の手を打とうとしたとき。


「レンジュアーリ。安心するです」


 侍女に悟られないよう、小さい声で目の前の褐色ロリが手招きしながら、優しく提案してくる。

 目には隠しきれない好奇心と笑み。


「また明日。明日の朝早くに、私の部屋に来て欲しいです。実は私、レンジュアーリにお願いあるですよ。もし、お願い聞いてくれるなら、ラフィナたちには内緒で首飾り、こっそり触らせてあげるです」


 依頼の期限は明日までだ。何とか皮一枚で繋がった、のか。

 ロリ姫が席を立ち、ゆっくり時間を掛けて奥の部屋へと向かう。何度も振り返って俺にぶんぶん手を振りながら。


 パフィリカが奥に引っ込んでからのラフィナの手際は素晴らしかった。

 有無を言わせず、礼儀に外れず、速やかかつ円滑に俺たちを部屋から叩き出したのだ。

 まるで不法居住者を追い出す地上げ屋。

 地上げ屋に遭遇した経験はなかったが、きっとこんな仕事をしてるんだろうと確信するほどに。

 ハロワ紹介してやっからいっそ侍女辞めて地上げ屋目指せよ。天職だよきっと。ハロワに地上げ屋の募集あるか知らんが。

 俺は侍女への舌打ちを堪えた。


 廊下に俺たちを閉め出してから、ラフィナが自分の任を果たした自慢げな気配を漂わせた。








 追い出されたのは、他の客のいない宿の廊下。田舎に似つかわしくない高級宿のせいか、ドアの間隔は広い。

 パフィリカの部屋は突き当たりで、一階へ降りる階段までまっすぐ廊下は伸びている。


 廊下は宿泊客の靴底から落ちたのだろう砂が、一箇所に集められていることを除き、部屋を訪ねたときと何も変わりない。

 いや、一点違いがあった。視界の端には転がりながら、一番近い他の部屋のドアに体当たりを続けるゴレムントの姿。

 宿に響くのは、ごんごん断続的に鳴る木と石がぶつかる音。そしてたまにドア越しの室内から青年の悲鳴。

 相手はどうも俺のソバ食ってくれたあの青年、割とイケメンのへクマノールだ。

 アルマジロはイナッシ貨幣を隠し持っていると決め付け、ずっと交渉を続けていたらしい。


 いい加減にしないと割と高確率で衛兵ポリス呼ばれそうだから止めてね。それ恐喝カツアゲだから。

 下手しなくても俺たちも賊扱いされて、連座で拷問部屋行きだから。

 ゼトが人差し指を床に向け、腕を横に動かす。俺には意味が判別できない奇妙な手振り。

 それを見て、ゴレムントは嫌そうにだが、やっと静かになった。


 今、パフィリカと俺を引き離せたためか、喜びを隠せていないラフィナが目の前にいる。

 俺の目論見を潰してくれた、嫌いな相手とお別れの挨拶をしなければならないとは。最低の気分である。

 まあ、侍女どもの側でも俺たちを嫌っているようだが。

 当たり前か。俺は平民の分際で、貴族の姫に馴れ馴れしい態度を取っている形なのだから。お互い様といえばお互い様。


 ラフィナに見詰められただけで、腹の痛みが蘇り、俺は逃げたくなった。

 この女のことは確かに嫌いだ。だがそれ以上に、かなり警戒すべき相手だと思ってるのも事実だ。


 そう、俺はこの女が恐ろしい。ラフィナの人となりは知らないが、イカレっぷりは確実にゼトに次ぐレベルだ。

 どこの普通の貴族の娘が、街中で突発的に亜人サッカーなんて珍球技を創始するだろうか。

 しかもリフティング、いやいきなりのPK戦突入である。

 いかにベベリアスク広しと言えども、そんな悪行に手を染めているのは多分コイツくらいだ。

 相手が平民や亜人だろうと、最低限、職や共同体での立場くらい持ってるはず。

 さすがに重傷者や死人を出したら領主や代官など、平民や亜人を管轄してる奴から文句が出るに決まっている。

 あんな真似を繰り返していたのなら、いくら貴族でもいつかは咎めを受けるだろう。

 なのに、ラフィナはいまだにのうのうと正業に就いて働いており、今日も加減なき一方的な暴虐っぷりであった。

 つまりコイツは、後先考えないくらい亜人を憎んでいる超攻撃型のストライカーであるか、後ろ盾を持っており周囲にとことん甘やかされた駄目人間か、暴力的な姿勢で周囲に忌み嫌われている破滅的な札付きか、そんなところのはずなのだ。あるいは複合型かも知れん。

 いずれにせよ、関わった時点でアウトな人としか思えなかった。

 おまけに下っ端と言っても貴族。社会的な権力では俺に勝ち目はない。


「……本当に、黒目黒髪なのですね。お近くで見せて頂くと、まるで瑪瑙メノウのようです」


 ぽつりと小声で呟いた、侍女の言葉を拾う耳。なんかこの女、微妙に俺に見蕩れてるような。

 興味なさげな振りして凝視、そして凝視からの視線外し。ブラウンの瞳でチラチラを繰り返すラフィナに恐怖が募る。


 もう蹴られたいなんて言わないから。頼むから関わらないで欲しい。

 この女はない。この女だけは絶対にない。


 最初、俺は最強の肉壁であるゼトを盾にする予定だった。

 だが、返された笑みは老年期特有の深さ。手には地味に、二本目のナイフがあった。前より長い刃渡り。どこに隠してたんだよ!


 この壁すげえや! この壁の性能、信じらんないほどすげえや!

 建材を奮発した甲斐があった。敵と判断したら、勝手に攻撃開始しようとするんだぜ。防御が本領のはずなのに。

 今か今かと攻撃の機会を伺ってくれる壁がこの世にあったなんて……。

 でもそれ壁役って言わねえよ。壁が嬉々として攻撃に参加するな。むしろどうして攻撃の主軸になってるんだ。

 バスケで例えるとこれ、センターのくせに攻めてる状況、いや、センターしか攻めてない状況だろ。

 どこのホームセンターでこんな危険な壁の建材仕入れてしまったのか。誰か教えてよ返品しに行くから。

 ……危険人物に危険人物をぶつける『老いぼれたる盾(オールドシールド)』作戦は断念するしかなかった。


 ジジイが頼りにならない。目の前にいる女は、かなりのキワモノだというのに。

 怯えかえった俺の頭脳が、女の子の生態に関する知識を総動員していた。相手の本質を見切り、生き延びるために。

 駄目だ。俺の曇りなき理性でも、ラフィナの人となりを浮き彫りにはできない。

 せめて、『どんな過去を持っていたら、こんなオゲチャになってしまうか』、それだけでも、想像できないと危ないのに。

 必死で頭を動かした。真実を見据える俺の眼力はもはや過去視サイコメトリーの領域、そう信じて。


 脳内でラフィナの人物像が収束していく。小娘の人生に起きたイベントを九割方、想像で補うことで。

 見えたのは、頭の沸いたウェディングプランナー作の、結婚式で流す新郎新婦の経歴捏造用スライドのごとき、適当なクロニクル。

 うっわおっかねえ……。万が一これが正しかったらコイツの人生終わってんな。


 ラフィナは生まれてこの方、男とのデートなどに脇目も振らず、寸暇を惜しんではプロテインをキメてきた。

 女友達が彼氏と学食で仲良くランチタイムと洒落込む中、一人屋上で主食の鶏ササミをガッツ食い。

 白いコメを食うのは誕生日だけである。誕生日プレゼントは毎年バーベル。父母への感謝はベンチプレスで表現してきた。

 風呂上がりには、鏡の前で上腕二頭筋ヒクつかせて自分の筋肉美にうっとりする毎晩の儀式。

 仮に男に合コンに誘われても速攻断って帰宅。鋼のスネを獲得するために、日課として部屋の片隅で巻き藁に蹴り込み続けた女だ。


 まるで駄目だった。俺としたことが、この殺人メイドの人間性をまったく想像できない。情報量が足りないのだ。

 まあ元々、女の子に関しては、俺は理解に自身がない。参考にしてる資料も貧弱だからな……。

 ギャルゲと、子供の頃に盗み読みしていたお袋の女性誌とレディコミが主だから……。

 だが、危険な相手だという判断自体は大体合っているはずだ。


 ……はずだったのだが。


「……先ほどは、大変、無礼千万な態度を取ってしまい、かつお怪我をさせ、ご迷惑を。本当に申し訳ありません」


 早速困った。この豹変振り。この予想外の動き。高慢なはずの貴族の侍女が、頭を下げてきていた。

 栗色のボブカットが揺れて、細い指はスカートを握り締めて震える。

 この女、早く俺たちを帰らせるために尽力し、排除するために率先して動いたくせに。

 主人がいなくなると、なんかしおらしいのである。俺たちを陥れるための演技かと疑うレベルだ。

 多分、この女の実家が貧乏貴族だとかで、黄金のお菓子(賄賂)効果が効いているのだろうが……。

 あれほど俺を蔑んでた奴に、急に低姿勢になられても。


 色々とちぐはぐな対応に混乱するが、俺は必死で考えて、一瞬で軌道修正。ひとまずの結論を出した。


 寛大なところを見せてやることにしたのだ。

 ツテはあってこまるものでなし。明日にもう一度再訪する予定もある。貴族を敵に回すのはまずい。

 それにコイツもコイツで一応の美少女ではあった。

 たとえ本人は絶対にハーレムに入れたくなくとも、他の美少女を紹介してくれる可能性もある。

 少なくとも男の知り合いばかりがこれ以上増えていくのを、ただ傍観しているわけにはいかない。


 ナイフを固く握りこみ、侍女の脇腹を狙っているゼトの腕を全力で止めて、前に進み出て体の陰に隠す。

 ついでにアルマジロも彼女の視界から遮り、そして爽やかな笑顔を作った。


「ラフィナさん。別にそこまで下手に出なくとも、構いません。私は気にしておりませんから」

「あ、ありがとうございます。そう、仰って頂けると……私は散々不躾な真似を、にも拘らずあれほどの贈り物を頂き……」


 ラフィナが何度も頭を下げて、俺の寛大さに打たれた顔をする。頬に、薄く紅が差された。

 心底不安だったのか、今は苦悩から開放された雰囲気だ。俺への視線にはどこか、熱が篭ったように感じられる。


 わけわからんがとにかくよし! この女さっそく俺に惚れそうや。

 現物が強いこの世界では、付け届け無双なのは思ったとおりだ。そしてなんか好感度が割と高い。

 俺は一気呵成に陥落おとしに掛かる。使い捨て要員の確保のために。


 どうせラフィナには、男と語り合える話題の一つもないに決まっている。

 趣味なんてあるとしてもせいぜい、夜な夜な田んぼへ出かけてゴブリンを蹴り殺すことくらいだろう。

 つまり男への免疫などないはずだ。間違いない。俺には分かる。

 ならば負い目のある相手から、優しく口説かれれば一撃であろう。


 ここで一息に惹き付けてみせる。そして首飾り確保に協力させ、ついでに女の子を紹介させてハーレムを充実させる!

 そして用済みになればポイだ。


 俺はまずは美点を褒め、ダメ押しで更に警戒心ガードを下げることにした。

 褒め殺し。人間関係の基本を使って攻める作戦だ。いいとこ探しの天才を自認する俺には朝飯前である。


 ……。

 ……。

 ……どうしよう。

 必死に探したのだが美点が思いつかなかった。

 よくよく考えると、この女には地鶏と比べたときのブロイラー程度にも見るべきところがない。

 発達した太腿の筋肉くらいしか長所がない。よりにもよってだが、蹴り以外に、褒めるべき部分を持たない。


 やむを得なかった。俺は、ゼトの喋りを参考にチョイ悪の魅力で迫るべく台詞を練る。

 急いで味方にしないとヤバいという焦燥感。嫌味の一つも言いたい気持ち。蹴られたいという欲求。

 全てを融合させる。次に口にすべき言葉はすんなりと決まった。


『良い人ぶって自分を偽るなよ。もっとフランクに行こうぜ。本性を現して、謝罪しながら俺という絶好のカラーコーンに蹴り込んできてくれても一向に構わないんだぜ? その百グラム十円くらいのモモ肉を存分に使いなよ!』


 これだ! これで俺に惚れさせた上で、滅多打ちに蹴ってもらえる!

 ゼトをモデルにしたのは正解だったぜ! チョイ悪のつもりが極悪になっちゃった!

 しかし、秘策発動に移ろうとして、それは叶わなくなった。


「これで、心置きなく申し上げられます。ハルイトネ様。先ほどのような態度は感心致しません」

「い、……なにがですか」

「もう、すべてお分かりでしょう。ひ、お嬢様へこれ以上お近づきになるのは、おやめください」


 安心したように微笑み続けているラフィナの、その言葉。

 当然のように放たれた、聞き捨てならない一言のせいで。


「貴き血は、汚れた血と関わるべきではございません」


 浮かれた思いはすべて消え、耳の周りで血管が鳴る音がした。この体の、すべての体液の一滴までを震わせて。


 身分が違うのだから調子に乗らず、平民は分際を弁えて隅っこで縮まってろだとか。

 乞食への炊き出しをやってるのは広場だから、とっととそこへ行ってオートミールでも配給してもらえだとか。

 そんな程度の暴言ならば、何百回、口にされようと俺は我慢しただろう。

 現状、俺の本当の出自を語ることのできる環境など整っていない。周囲からの圧力や悪意と戦うだけの力が、今の俺にはないのだ。

 だったら、強くなるときまでは、己を抑えるしかない。そんなのアホの俺にだって分かる話だ。


 だが、聞こえた単語は、我慢できる、いや、我慢した己を許しておける限度を、一瞬で越えた。


 汚れた血。再びの言葉。

 ……俺の血が汚れていると。事情を知ろうが知るまいが、既に一度この女は口にしていた。

 これで二度目だ。三度目があるのなら。

 冗談抜きで、殺す以外に道はなくなる。


「ご大層なご忠告、痛み入りますが……ご自分が貴い血であるおつもりにしては、相手の名誉を重んじてはおられないようで」

「……え?」


 今の俺の目から、温度は消えているのだろう。

 一方で自分の中を流れる銀色・・は、沸騰しそうになっているのを感じる。

 まさか俺に言い返されるとは思っていなかったのか、ラフィナの表情が驚きにこわばった。揺れる栗色の髪が、踊る針のようだ。


「生まれを選べる奴はいない。自分の境遇を呪ってる奴だっているだろう。でもな、誰であろうがな。自分以外の奴から出自や血筋について要らない講釈垂れられる筋合いはねえよ。あなたにとってはいい暇つぶしの趣味なのかも知れないが」

「なん、ですって」

「じゃあ貴族なら相手の血について笑っていいのか? あなたがお好きそうな典礼にもそんなことなんざ一文だって書いてないだろうが。……今のは独り言のつもりだったってんなら、そういうことにしとくがな」

「……」

「独り言なら便所にでも行って、周りを確認してから口にするといい。それともあなたには俺の顔が便座かなにかに見えてんのか?」


 微妙な顔と言われる分にはしょうがない。真実そう思ってるなら、不愉快だろうと黙らせようがない。

 だが、俺の顔面を、汚物を吐き捨てるタン壺扱いされるのは御免だ。

 言葉を続けようとして、掴んでいたはずのゼトの手がいつの間にかすり抜け、逆に俺の手首を掴んでいるのに気付く。ゆっくりだが強く引いて、すぐに謝罪し引くように腕で請願してきた。

 俺は、それはできない旨、手首を軽く引っ張り返して伝えた。


 相手は貴族。こちらは平民、いや、下手したら状況次第では乞食以下の流民扱いだ。

 万一揉めたのが公になったとき、この町の代官や配下の衛兵たちは、世の中は、どちらの意見を重んずるか。

 ゼトの判断はいつも正しい。従うべきなのは分かっている。

 そもそも俺は、サリアント家の保護がある場所でもない限り、下手に目立つことを許されない立場だった。

 だって他のどの共同体にも俺を知っている人間はいないのだ。身分の証明もひどく貧弱。

 何かの拍子で事件に巻き込まれたとき、ゼトを初めとする少数を除き、俺を庇ってくれる奴なんているわけがない。

 大人しくしていなければ何かの拍子で、命の保障もされなくなる確率は高かった。


 汚れた血。俺は確かにベベリアスクでは黒目黒髪の『異族』で、要するに得体も知れない人間なんだろう。

 逆に下手な本当の血筋の名乗りも危険すぎる今、我慢こそが、最善だ。


 ラフィナから言われるまでもない。両親から受け継いだこの銀色・・の血は、俺の苦悩の元凶。

 だがそれを口にしていいのも、この思いの持ち主も、俺だけだ。

 他の者から侮辱される謂れはない。名指しで嘲笑された以上放置はしない。

 俺を守ろうとしてくれた父さんと母さんにも及ぶ蔑みを、なかったことにして許しておくわけにはいかない。


 諦めたように老人の太い指から力が抜けて。


「で、ですが! ……ハルイトネ様! 姫様は!」

「……大概にしろ。小娘。今は貴様らも平民を名乗っているはず。ならば我が主君へのその口の利きようは何なのだ。無礼どころの騒ぎではあるまいが。いくら老いぼれようと私も従士の立場にある。主君に難癖を付けられて、いつまでも黙っているとでも思うのか。もとより貴様の繰り返しの寝言を聞き届けるために、レンジュアーリ様がおられるわけではない」


 同時に、俺を制止していたはずのゼトが、侍女の抗弁を冷たく切り捨てた。己が従士なのだと、明言した上で。

 渇いて低い、なのによく通る地声だった。

 驚いて振り返れば、敵意を隠す男、笑顔で相手を刺すことを以って常套策としているはずの老従士が、冷たい怒りをはっきりと顔に表している。

 普段から怒りっぽい奴だと思っていたが。この表情を見れば、あんなものは怒りのうちに入っていなかったのだとすぐ分かる。

 無表情なのに、視線だけは静かにラフィナを捉え、瞳は研ぎ澄まされた憤怒で澄んでいた。燃えて溶け落ちるガラスの色。

 肝心のナイフをとうに収めているのが、逆に殺意に真実味を感じさせた。


 少し離れた場所で、ゴレムントまで転がるのを止めている。

 常日頃から感情の読めない作り物の顔には、何も浮かんでいない。

 ただ、集めていた砂がマナで渦巻き、詠唱を受ければ刃となり放たれる段階となっている。

 まとめた砂。あれは武器を探し確保していたのか。魔術でできた土の渦が廊下に音も立てず尖っていく。


 両方とも本気だ。忘れていた。俺が侮りを買ったら、一番怒りそうなのは誰なのか。

 急に醒めていく俺の思考。自分の指が冷たくなるのを感じた。

 慌てて一人と一匹に落ち着くよう表情で指示するが、まったく効果がない。


「どうして。どうして」


 そのとき、急に。少女のブラウンの瞳から、雫がこぼれた。汚れのない色だった。


「どうして! どうして。分かって、下さらないのです……」


 少女の涙は理由なくいきなりに。そのまま止まりもせずに一筋流れ落ちた。

 俺に掴みかかろうとしたのか、ラフィナが前置きもなく進み出てくる。


「英雄の前で。無礼な。メイドめ」


 ゴレムントが一瞬で、粘る水たまりが歩き出したかのような形状に、その姿を変えた。

 固まる前の石膏でできたスライムのよう。蛇のように俊敏に伸びてラフィナの足に絡みつくと、引き倒そうとする。

 これは。あのタフガイのアランを開始三分目に降参タップに追い込んだゴレムントの秘策、重粘液格闘コールタールワルツ

 ゲル状になって粘度と重量で絡みつくだけなので、マナを節約しつつ相手をいたぶれる鬼畜の技だ。

 見事に侍女は足を取られ、直立不動のポーズのままこちらに倒れこむ。


 驚きはそこからだった。思い切り勢いが付いていたのにラフィナは倒れ切らず、急な傾斜で停止した。

 ぴたりというよりぐんとした止まり方。純然たる腹筋と背筋の力で持ちこたえたのだ。

 石の粘液に足が固定されているとは言っても、足首、脚、腰などどれだけ鍛えていればこんな真似ができるのか。

 この女、確かに肉体の能力値は高いが。

 前のめりの体勢で、背筋が伸び上がっている。そのまま俺の膝の高さから睨み上げて来る。


 ゼトでさえもが驚愕し、俺とともに後ずさった。

 これは……昔のミュージシャンのPVで見たことがある。原理はよく分からないが、物理法則超えてるレベルの現象。

 重力グラビティゼロになってしまっている。

 視線は恨みがましくも強く。髪を振り乱しながら、地に伏す直前の場所から見上げてくる。

 首を振るごとに廊下に散った涙の滴。

 最悪に生理的嫌悪感を掻き立ててくる上目遣いに、背筋が凍えた。


「どうしてよ! 私、あなたのために言っているのに!」


 必死なのは分かった! でもどうしては、こっちの台詞だ。

 メイドだと思っていたのに。彼女はいつの間にか地上げ屋ではなく宇宙飛行士に転職していた。 どうして?

 少女が無重力の世界から、延々とチャネリングのための強力な念波飛ばしてくる。

 膝の高さの月面基地からしきりに交信しようと激しく通信送ってくる。


「私、嘘なんか何一つついてない!」


 ラフィナは錯乱しながら交信を試みるだけではない。続いてバンバンと、宙に浮いていた平手が床を殴り始めた。

 彼女はいまや衛星軌道上を漂う宇宙ソラの人だった。宇宙遊泳が開始されたのだ。

 俺がメイドと聞いてイメージする、そのままの服で宇宙空間を渡っているかのように、激しくバタフライ。

 おまけに地を打つ反動で跳ね上がる瞬間の動きは、単純にエビに似ていた。腹筋強すぎる。キモいを通り越し怖い。


 あまりの惨状。もうわけが分からない。

 なぜ。なぜこんなことになっているのか。なぜ異世界で重力を超えた女がいきなり切れて必死に抗議してきているのか。

 なぜこの女、エビに進化して床をドラムにしているのか。そしてなぜ暴言吐かれている俺たちではなくコイツが泣く。


「どうし……ごえ!」


 ラフィナが急に顔面から床へ突っ込んだ。真っ直ぐ、受け身も取れないまま。床が重い音を立てた。

 ゴレムントがいきなり足の拘束を解除したのだ。精霊はアルマジロの姿に戻り、侍女の頭に乗って勝ち誇った。

 ゼトは……哀れみくらい感じているかと思ったが、落ち着きを取り戻し、冷然と見下すだけだった。


 さすがの俺もドン引いた。先に手を出されたのは確かだが、こいつら……英雄関連だと本当に黒いな……。

 アルマジロを早く止めればよかった。時間を巻き戻したい。

 仮に時間を巻き戻せても、再び呆気に取られて、何もできなくなるかも知れんレベルの狂態ではあるが。


「どぼじで……」


 床は、少女の鼻が垂れ流した汁に染まっていく。小さい血溜まりが波紋とともに硬い木に広がっていく。

 そこそこの美少女だったはずの侍女。だが持ち上げた顔は、涙と血で不気味極まりない凶相になっていた。

 どこぞの部族の戦化粧を終えたあとみたいになっているラフィナが再度、膝を折って床に崩れる。


 どうして。どうして。

 消えそうな泣き声での侍女の繰り言に、俺の怒りも表面だけは冷めていく。従士双方からも殺意が薄れていった。

 ここまで無様だとさすがに追い討ちはやらんか。ゼトに関しては予断を許さないが。


 状況がまるっきり分からない。よっぽど血筋に関わる恐ろしい裏話でもあるようだが。

 おまけに身分隠してるのに、従士言っちゃったし。しょぼい格だろうとは言え、れっきとした貴族に喧嘩を売ってしまった。

 今頃ちょっと不安になってきた。大丈夫だろうか。

 とりあえず一同で目を合わせ、うなずき合う。この突然の狂乱の理由は不明のままだが、ひとまず引き下がることにしたのだ。

 いきなりラフィナの頭がおかしくなった事情も聞けそうにないし、ここに留まらなくてもいい事実には変わりはあるまい。

 どの道、この現場を人に見られれば、碌なことにはならないだろう。

 ……例えあとでまずくなりそうでも、ラフィナをフォローする気は、ないが。

 一言の謝罪さえされてない。この女を慰める義理はない。宇宙飛行士になりおおせたエビのことなど放置だ。


 そのまま何も言わず、泣き伏す侍女を無視して俺たちは宿を出る。

 最後に、俯くラフィナの頭にレベル1ポーションをそっとぶっかけた上で。水で塗らした布だけ投げつけておいて。

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