EP.20 死に死に死に死に死んで 死の終わりに昏し
「いつでも崖を崩せる。発動許可を。我が英雄よ」
「まだだ!」
「発動許可を。崩すべき」
「まだだって言ってんだろ! この先走りアルマジロが!」
目の前の魚面をメイスで殴りながら返す。
こちらに回ったサハギンの攻撃は散発的となったが、まだ仕掛けてくるのを諦めていない。
そう、最終手段の発動はまだだ。いま発動したら、俺たちは死ぬ。
もう、すぐそこに奴がいる。
「ぜあAaあんruァRY!」
血と吹き出物に塗れたロザントの咆哮からは、獣の臭いまでしてきそうだった。
振り下ろす。薙ぎ払う。叩き潰して切り上げる。
空に海に地に肉を骨を血を。赤い雫を撒いて鱗が乱れ飛び、いくつかは俺たちの服の飾りになっている。
サリアの浜の狂乱は、いまや一人の剣士が主導していた。
どれだけ打たれ殴られ水の弾丸で穿たれようと、奇声と剣は止まる気配がない。
取り巻く魚人も既に動きから焦燥と恐怖を隠せていない。
自分以外が飛びかかり、強敵に隙を作ってくれるのを待っている。
それはそうだろう。肉弾戦では斬舞の餌食。魔術戦は共有術で抵抗されるか傷が浅い。
一方的に悪鬼に殺戮されるだけなのだ。全員で掛かれば勝てるといえど、誰も最初に死にたくはない。
実際に死んでいるサハギンは最初の一撃で死んだ者を加えても四十弱。
倒れ付している者を助け起こし治療を施せばまだまだ余裕だ。だが誰にそれができる?
一瞬の内に数匹まとめて切り伏せる魔剣相手に。
盗賊団も既に残存三名にまで討ち減らされていた。
しかし手下二人に背後を守られている以上は簡単に首領は倒れない。
そしてそれは、俺たちにとっても最悪の事実だった。
「JUAんくあLィイイイイ!」
最後の落石からは結界術『ゾーニング』で自分たちを守る予定にしていた。
だがロザントが近すぎる。強化されたあの悪鬼の一撃は、結界をあっさりと切り裂き無化する次元の威力だった。
ここで崖を崩せば、ほぼ確実に自殺覚悟で突撃してくる。そうなれば全員一緒に生き埋めだ。
既に刃物が撒き散らす血肉が、こちらまで届く距離にいるのだ。
負傷覚悟で『反転闊歩』を使い突っ込んでくれば、十分に射程内。
一度でいいから、押し返さなければならない。
「発動許可を。さもなくばイナッシ貨幣希望」
「分かってるからしばし待て! あのブサイクチャーシューを片付ける! すぐにあの世に出荷してやるよ!」
「危険です! レンジュアーリ様! 私が出ますのでお考え直しを!」
「ですから! この隙に逃げましょうと!」
膝を突き荒い息のゼトの意見は論外。乱戦の結果、肩と膝にかなり深い傷を負ってしまっている。
ポーションは全てクールタイム中。おまけに全回復してもロザント相手には一合持たない。相手は無理だ。
お嬢の言葉は論外どころか検討以前だ。逃げるだけならできるが次がない。
「安心しろよ。さすがの俺も同じ相手に、二度は負けない。崖は任せるぞ、ゴレムント」
俺は全員にそっと笑いかけた。安心して欲しい。死ぬ気はない。
もう崖崩しは従士アルマジロに一任するしかない。魔術制御に割り込む余裕はない。
ゆっくり、前進した。陣形が崩れてしまうのを、悟らせないように。
踏みしめる砂砂砂。魚人の残骸がしこたま乗った砂。風はこの悪臭をサリアまで運んでいそうだ。
囲んでいたサハギンたちが、どよめくのを見計らって急加速。
メイスを掲げタックル。補正の力で転ばせる。
垣根となっている魚人越しに悪鬼を見据えて、インベントリを開いた。
標的をようやく捉えたロザントが、壊れた目で笑った。
盗賊の首領、その巨体が姿を掻き消す。一瞬だった。
取り巻く魚人も、背後を守っていた子分たちも驚愕している。
鯨のように浮き、垣根を越えた。全身の筋力とマナを振り絞って跳び込んできたのだろう。
背を向けた態勢で俺の正面に出現するまでに半秒。血まみれの外套から遅れて砂に血が散った。
急に現れたロザントの肉体は『反転』『闊歩』は当然に、『簡易抵抗』までが付与済だ。
これでは魔術も通らない。
そして魔技魔剣、斬撃射程内。
慌てて立ち上がる周囲のサハギン。その中から一匹を掴み、思い切りロザント側へ押し出す。
押す反動を利用して、死の予感のみが支配する空間から逃れるため。
処刑刀のように、下がる上体の紙一重で線が奔った。
バターのように柔らかく。八つの胴体に一瞬に線が刻まれ、魚人の上半身が転げ倒れる。全員即死だ。
そして悪鬼は止まらない。
本命の再反転。今度こそ、剣から逃れることはできない。
回転の半周を越えてこちらへ向いた顔は殺意そのもの。
瞬転の機動の中、俺の一挙手一投足だけを見ている。
死の臭い。止まらない剣腕は強力な力を帯びたまま、俺の首を薙ぐはずだった。
俺がスキル学習書を取り出し、読ませなければ。
「ァ? ウウエEEッアアアアAアアアア!」
ロザントは回転を急停止して絶叫した。反転とブレーキの勢いに吹き飛ばされた砂が舞う。
認識を塗り替えられる凶悪な感覚を味わっているのだろう。
悪鬼は剣こそ手放さないが、頭を抱えて錯乱を深くした。
俺の手にあるのは多量に被って数が余っていた水魔術スキル学習書。
ロザントは相応の教育を受けた元貴族だ。動体視力も高すぎる。字を読める以上、逃れる方法はない。
無理やり素質を植えつけられ、自分を作り変えられる恐怖から。
スキルはその人間の本質の一部。
向かないスキルを身に付けさせられるなど、適合しない臓器を移植されるのと変わらない。
どれほどの強者でも、意識は混濁するはずだ。
いくらレベルが上がろうが、この剣士は俺がまともな勝負で勝てる相手ではない。
まして強化済だ。メイスでも一撃を受けられない。
だから混乱させる。強化アイテムは攻撃やダメージ扱いではない。防ぐ方法はない。
水魔術を強引に覚えさせられた違和感に戸惑う敵手。
その隙に俺は動いていた。用済みの本などインベントリに叩き込んで。
渾身の力で振るわれたメイスは、とうに敵の頭蓋の真横。
「Aア! 終わっていないぞ! ジュアーン! cAリイィィ!」
咄嗟に伏せながら外套を跳ね上げるロザント。濁った思考で、こいつ。
この男は本当に戦闘に関しては悪鬼そのものだ。血で重くなった外套で鈍器を阻んだ。
メイスは頭を狙う軌道だったのに、直撃したのは突き出された右肩。
ブロックされた。致命打どころか、重傷ですらない。
それどころか、悪鬼は打たれた衝撃を利用した。右足が砂に食い込む。巨体が跳ね上がる。
またもや垣根を越え、子分たちのもとへ跳び退る影。
仕損じた!
せめてもの追い討ちに、メイスで地面を打ち、石を殴って弾いた。
標的、いまだ宙に浮かぶ敵。
ずどっと肉に沈む音。拳大の石が食い込んだのはやはり右の肩。だが最後まで見届けない。
包囲を今一度試みていた新手を体当たりで弾き飛ばし、みなのもとに駆け戻る。
「心配しましたぞ! レンジュアーリ様!」
「どうして無理ばかりするんですの!」
「ああ悪かったよ! 全部俺が悪いんだよ! ああそうだよどうせ俺はモテねえよ!」
「そんなこと、別に一言も、言って、おりませんの……」
妄言で気晴らしをするついでに目を閉じた。決断するために。
この結果は例え万全でなくとも、最善ではあった。ゴレムントに命じる。
「刻が来た! 最後の手を発動しろ!」
「発動の許し。やっと崩せる」
「【生ける大地は舞台にして人魔霊悉く演じ狂わん】」
ゴレムントの詠唱が聞こえてくる。俺の魔術と変わらずに、呪文の響きはフルートのようだった。
俺と違うのは、呪文名だけでは発動できない点だけ。
どこか現実から遠く、なにか無機質で恐ろしい響き。宇宙の離れた場所で鳴っているような。
奥の手の気配を察したのか。遠巻きにしていた群青までもが殺到してくるが、無駄だ。
最終手段の必須工程。それと兼用する防壁でついでに阻む。
「『境界防御!』」
押し寄せた全員が半透明の壁にぶち当たる。キラキラ光る壁の正体は俺の生み出す結界。
激突は陶器を殴ったような音。姿はガラス張りの部屋の壁に、集団で頭を打ち付けたような無様さだった。
遠間には俺を殺せなかったロザントを弱しと見て打ちかかり、逆に手足を切り飛ばされたサハギン。
狂気に蝕まれすぎたのか、力を入れすぎて剣を折ってしまう悪鬼。
「【入り乱れるすべての魂に玩具の運命の例外なし】」
水魔術で破ろうとしても、びくともしない結界の防壁。群青の一派は愕然とする。
そう、その程度の力では届きはしない。
強度のみならスキルレベル5。この浜で破れるとすればロザント一名、それも魔剣あるのみだ。
部下の死体から剣を奪おうとして、ロザントは腕ごともぎ取り、ぶら下がる骨肉ごと振り回す。
一匹の魚人が恐怖から遠ざかろうとして背中を刺し貫かれた。
「【赦し得られる終わりの日まで一切の安らぎを諦めよ】」
諦めず再々度の攻略をサハギンたちは試みているが、あと少しで終わる。
巨漢に撤退を勧めたのだろう。部下が殴られている。
ロザント側の魚人たちが標的を押し包み始める。
「【ゆえに滑稽にも踊れ、歌え、叫ぶがいい我が名を】」
視界の端の風景に、心が冷えた。
しまった。群青の大群とロザントの脅威の前に、残りの敵を見過ごしていた。
灰色。恐ろしい狡知の派閥。
突撃を諦めず、ほぼ全員が俺たちと悪鬼に集まる群青に対し、冷ややかな目。
遠巻きにしながら、観察を続ける視線。
「【砂上楼閣――******】」
「今だ! 沖合いへ撤退しろ! 敵は英雄! あのハルフィネンだ! なりふり構うな!」
灰色の首領が絶叫する。精霊の、最後の意味が聞き取れない詠唱とともに。
そして空と海が破壊の雨に満たされた。
轟音など鳴らなかった。ただ、崖が崩れた。作為と悪意に溢れた形状に。
サイコロ状の巨岩に、群青の数匹が一瞬で押し潰される。転がったサイコロは更なる餌食を求め転がる。
残った残骸の肉と骨は平べったい。臓物もその内包物も全てが圧延されていた。
海近くでもバスケットボールを彫刻したような石が、灰色のサハギンに直撃。
弾けた頭の肉は果実そっくり。血はここまで飛び散って、防壁にペンキのように張り付いた。
「見るな!」
「なッ! 急に、なに、するんですの……」
俺はローレラを抱き締める。緩く抵抗されるが見せる気はなかった。この風景だけは。
小柄な猫のような手ごたえ。この子を、傷つけたくない。ゆっくりとお嬢の力が抜けていく。
ギロチンに似た長石が魚人と盗賊団の例外なく胴体をまとめて刎ねた。砕けた小石が弾丸のように集結していたサハギンを蜂の巣にする。転び、悶えて苦しむその上に、氷柱のような子犬の大きさの石塊が墜落。頭を胸を腹を手足を貫通した。血みどろの戦いから我関せずの距離を取っていた術兵たちには、巨大なフリスビーのごとき落石。頭が砕かれ脳が撒き散らされ、胴体からも内臓がこぼれた。
大殺戮が続く。
海に逃げようとする者の背中が丁度落石に沿っており、逃げ去ったと安心した頃背中がすりおろされ背骨が露出する。仲間を盾にしたサハギンも尖った槍の石にまとめて刺し貫かれる。
崖はただ崩れただけでなく、多少だが砕けた石に敵への追尾機能がある魔術だったようだ。
無論、ゲーム版にはこんな魔術は、ない。
岩が、石が、砂が、すべて命を奪うためだけに浜に殺到し、凄まじい速度で生命を粉々にしていった。巨塊がしばしば落下し、地面が揺れている。
俺たちの上にさえ相当数が降り注いでくる。吐き気がした。
結界の使い手が俺でなければ、ロザントの攻撃を封じていなければ。もうみんな死んでしまっていただろう。
やがて降り注ぐ破壊と死が散発的になったころ。巻き上がる砂埃が防壁の先の世界すべてを満たし、外は何も見えなくなった。
数分間の時間が流れた。土煙が晴れていく。外の様子が、少しずつ見えてくる。
赤と青の死骸と、茶色と赤の無機質な石ころ。死の配置。サハギン浜は一変していた。
「やりましたな! レンジュアーリ様! 間違いなく我々の勝利です!」
「勝利。文句なし。女神様もお褒めになるに相違なし」
「いや、まだだ。従士団諸君」
風景だけ見るのならこれで終わり。しかし、俺の察知スキルが未だに動く赤マーカーを捉えている。
最悪だ。してやられたのだ。
風は今も吹いている。視界が良くなっていく。
そして――。
目をやった先で動くもの。浜へ戻ってくる無傷の灰色が七十。沖合いへ一時退避し、死をもたらす飛礫の領域から逃れたに違いない。
また、術兵と精鋭を中心とした群青が、負傷しながらも八十ほど生存。灰色が逃げたため、それを追って落石が誘導され、被害が軽微で済んだのだろう。
そして、両手各々に持った剣で、群青の死体をそれぞれ刺し貫いて盾にした男。血だらけのロザントが笑っていた。
愕然とするゼト。それでもまだ戦意までは失っていないのか、よろよろと剣と盾を手に取った。
ゴレムントは既に巨大サハギンの外見を維持できず、アルマジロに戻っている。ここ一番での失敗に、尻尾をうなだれさせながら。
ローレラが袖を引き、俺に逃げるよう小声で繰り返した。
すべては戦場の全域を見通せず、灰色の首領を侮った結果。ツケを払わねばならないようだ。
命の値段に、なりそうだった。




