EP.18 決戦、僕の町! ……いえすみません、君の町
サハギン浜には、群青と灰色が大集合していた。
焦げた魚のような体臭。熊のような体格の、鱗に覆われた魚面。
サハギン祭りの様相だった。
どうやら、これから灰色がローレラをお披露目するようだ。空はいまだねずみ色。
普通の日ならもうすぐ完全に日の出となり、空は赤く焼かれる。
時間を置いて、海の色は前に見たエメラルドになるのだろう。
今日の海は真っ赤に染めてやるわけだが。俺の手で。
「ここまで揃うと、壮観だな」
「まったくですな。レンジュアーリ様。しかしながらいまだ数は二百五十といったところです」
「隠れていると? どこにだ」
「森で死んだ者を差し引いても、結局まだ四百は生きておりましょう。ここにいないサハギンは洞窟と沖合いに半々、といったところでしょうな」
俺たちは坂の上から浜を見下ろしていた。
ゼトには新しい皮鎧と鎖帷子、そして恐縮されたがミスリル製の武具を与えている。
小剣と大き目の盾。この戦闘で本領を見せてもらうための装備。
まだ、サハギンに気付かれてはいない。
今は敵の数を勘定するのが得意なゼトにサハギンを数えさせている。戦場経験から得た特技らしい。
俺が数えても足手まとい。だから、ローレラがいるかだけを確認している。
いた。風が吹いているサハギン浜の中央。
窪みとなっている崖近くに、火種がおかれている場所があった。
そこで少女がサハギンに取り巻かれている。レベル30のサハギンに。
無理やり座らされているのか、動く気配はない。自力で逃げるのは不可能だろう。
「やっぱ駄目だな。この町近辺の敵は大体強化されてるみたいだ。普通の一撃では、さすがの俺も殺せない」
「レンジュアーリ様。それは一対一でもですか?」
「ああ。雑魚サハギンでさえ俺よりは落ちるが、だいぶ強くなっちまってる。それに雑魚はともかく、ローレラの近くにいる群青と灰色のボス二匹は、相当てこずるだろうな」
そう、ラゼナの呪いは普通に浜までも有効だったらしい。
全サハギンのレベルが、平均10ほど上昇していた。
これでは、雑魚相手でも土魔術での崖崩れが必殺の手となるかは怪しい。
『フィード』を軽く起動する。
「ゴレムント!」
「レンジュアーリ様から呼ばれる声。それは合図。僕の出番」
アルマジロが『フィード』で引っ掻き回された地面から出現した。
どうやら一瞬で、森の基地からすっ飛んできたようだ。
ロザントたちが異常に気付くまですぐだろう。急がなければ。
目が合った。無機質な精霊の目。英雄のためなら友人すらも囮とする目。
「言いたいことは沢山ある」
「言うといい。精霊は英雄の愚痴を聞くものだ」
「正当な非難を愚痴呼ばわりか。まあ、いいさ。お前はどのくらい、死なずに戦える?」
「愚問。精霊は死なず。マナの欠乏を恐れるのみ」
そう、精霊は死なない。ゲーム版でもペナルティが重い『死亡』を恐れなくていい数少ないペットだった。
精霊は生命力も魔術もマナに依存している存在だ。
特徴としては、契約した時点で特定能力に補正を掛けてくれる。
またマナがある限り、主人を補助して魔術で戦ってくれる。
そして死なない。代わりに、消耗しすぎるとプカプカ浮かぶだけの人魂になってしまうが。
人魂になるとマナが回復するまでは何もできなくなる。
親父とお袋の傍には風精霊がいたのだ。つまりあの仕様は間違いなく現実由来。
マナを消耗させすぎれば、策も潰れるし手数も減る。
「具体的に言い換えるぞ。俺とゼトを守りながら、お嬢のところへ行けるか? そのあと崖を崩せるか? 落石で死なない敵がいたら、引き続き戦えるか?」
「お嬢確保可能。崖崩し可能。落石後戦闘不可」
「そりゃあ助かるね。さすがは精霊」
「底無し沼使わず。当然」
底無し沼。俺用のシェルターを兼ねていた罠のことだが、結局、俺を格納する以外にはほとんど使っていない。
あれを使って盗賊団を皆殺しにするのは無理だった。
抵抗する相手を無理やり引き込むのに使っていれば、今頃ゴレムントはマナ枯渇でサハギンと戦えなくなっていたはずだ。
「よし。俺たちはまず名乗りを上げて決戦を挑み、お嬢のところまで突撃する」
「悪手。奇襲すべし。また崖をまず崩すべき」
「お嬢がいきなり死ぬだろうが。お前はお嬢に恨みでもあるのか。ちなみに俺はお嬢に恨みがあるぞ」
「崩すべき」
石のアルマジロが迫ってくる。全身を使ってタックルして主張してくる。
開戦直後、崖を即、崩さないと危ういと。動物と戦術談義をやっている場合ではない。
説得を頼みたくて、アゴに手をやるゼトに目配せする。老人も悩んでいた。
痛い! 痛い! まずこのアルマジロ止めろジジイ!
「ローレラお嬢様のお命を……。いや、致し方ないかも、知れませんな……」
なに諦めかけてるんだよ! はええよお前ら! もっと熱くなれ頼むから!
アルマジロを抱きとめた。尻尾を振っている。
じゃれてるつもりだったのか。それはともかく。
「却下だ。ローレラは俺の嫁」
「お嬢。血統微妙。能力微妙。資産微妙。英雄が、危険を冒しなぜ救う」
「俺は、ローレラをあ、い、し、て、い、る、か、ら、だ」
「見事な棒読みですな……レンジュアーリ様がいかにそう仰ろうと悪手ならば」
「崩すべき」
「先生の言葉を聞くんだ君たち! これには作戦的な意味もある」
一人と一匹に辛抱強く説明する。どうして突撃するのか説得し、何とか納得を得た。
最後まで嫌そうな態度を取られたが。
空を見上げる。ねずみ色の心持ちは、日本もここも変わらない。重く沈んだ殺戮模様。
この戦闘に負けた場合。
ゴレムントは精霊界に逃げ帰るだけ。でもその後の肩身は狭くなってしまうだろう。
人間に例えると、死ぬのと同じくらい。
ゼトと俺は負けたら当然マジに死ぬ。
みんな死ぬような戦いの前に、こんなアホな会話を繰り広げている。
お前らと会えて、本当に、よかっ、た?
「ジジイ。レンジュアーリ様と僕の足引っ張んな」
「これはこれはご丁寧にゴレムント殿。パルカル殿の例もありますし、我々の方こそ精霊の方を無条件に信頼するというわけには……」
お前らと会えて、本当によかった。けど会わずに済んだらもっとよかったよ!
最期かも知れないんだから、仲良くしろよ。
そもそもそんなに仲悪いのに、何でローレラの件では組めたんだよお前ら!
「待たせたな友よ! このレンジュアーリ・ハルフィネン・ミスレラインが君を迎えに来たぞ!」
光が、海の色を一瞬で染めた。俺はその瞬間を狙って叫んだ。
ゼトとゴレムントを控えてゆっくりと歩き出す。
日の出と同時、俺たちはサハギン浜に下りる坂の中腹に立っていた。
こちらに気付いた魚人どもが、灰色、群青の体色に関係なく驚いている。
生活の営みの手を止めて、小集団から数匹ずつが立ち上がってきた。
密集しすぎているせいか、垣根のようだ。青い鱗の垣根。
名乗りに気付いたローレラも、驚愕していた。数十メートル向こうだが一発で分かる口あんぐり。
そうだ驚け、驚くんだ。俺の羞恥心と釣り合う程度には心の平衡を乱すがいい。
フルソウルネームとかこっ恥ずかしい。だがもう開き直る。
今後、決めなければならないシーンでは、必ず俺はソウルネームの名乗りを上げる。
ラゼナと出会って理解した。自分自身が何者であるか。
ざわめきは波となった。サハギンたちもまさかこんな少数で人間が挑んでくるとは思っているまい。
人間二人と動物一匹で。
当然、浜は人間への軽い敵意に満ちているが、呆然とする反応の方が大きい。
サハギンの驚きの声。人間の言葉だ。隣り合う仲間と相談している。
魔物には人語を解する奴もいる。魔物の鳴き声は複雑なものを表現するには単純すぎるからだろう。
高等な概念を仕入れる為に、外国語を学ぶ感覚で人語を学んでいるのだ。
魔物の間では人語話者は評判悪いらしいが。
「なんだアレは……奇妙な動物が歩いている……」
「あのおぞましさはきっと、陸で人間が改造して作った生き物だ……」
訂正。アルマジロが挑んでくるとは思わなかったのだろう。
驚きは困惑に変わる。サハギンの声が一つに収斂されていく。
『なんだこいつら。なにしに来たの?』
あれ? 英雄の息子がお前らに挑むと言うのに何で?
もっと気合を入れて迎え撃つべきじゃない? どうして……。
考えて気付く。
俺は、こいつらに存在をアピールしていなかった。
べべリアスクにきて、こいつらとの絡みといったら視察とトレイン用の解体ぐらい。
俺から見た強敵とはロザントのことだったし、集団戦とは対盗賊団のことだった。
サハギンからしたら、俺なんて「誰コイツ?」のはずだ。
人間を食料にするらしいが、俺たちはいくらなんでも少なすぎる。警戒する奴なんて一握りだろう。
しまった。決戦だと言うのに特に大した因縁がないぞ!
まあいい。これから俺は文字通りこいつらに因縁をつけてやるわけだし。
「奇襲しないことを妙だと思っておりましたが、こういうことだったのですね。レンジュアーリ様。まさか堂々と接敵し、そのあと奇襲的に開戦するおつもりだったとは」
「ま、まあね」
「見事。さすが。我が英雄は勇敢。深慮」
「あ、ありがとう……」
マグレです。
俺だって戦闘は奇襲的に行わなければ勝てないことは承知している。
今回奇襲をやめておいた理由は二つ。
一つは迂闊な奇襲が乱戦の原因になり、お嬢が死ぬことを恐れたから。
レベル30以上の敵しかいない場所では、ローレラなんて打撃がかすっただけで死ぬ。
もう一つは使いすぎたせいか、勝手にスキルレベルが2に成長していた『察知』スキル。
そう、生死に関わるくらい使いまくると、俺のスキルも才能限界までは伸びることが実証された。
死線を越えないと伸びないとかクソ仕様すぎるが、スキルポイントは多少希望が見えた。
まあとにかく、追加された新技の『危険回避』が奇襲はやめるよう、頭に直接命じてきたのだ。
俺たちは悠々とサハギンに近づく。微妙な調整。
一メートルでも初期位置はお嬢に近く。一匹でも打ちかかって来られる相手は少なく。
少しずつだが魚類どもの警戒度が上がっていく。開戦の瞬間は、近い。
もっとも大柄な灰色のサハギンが、少し後退し群青を盾にした。
そこに小柄な灰色が駆け寄って耳打ちする。自分たちの言葉で囁き合う。
俺のプレイヤー能力は魚人の言語も対象内。
すぐさま翻訳が始まり、ぞっとする響きを耳に届かせた。
「坂に何かいるのは分かってたんです。仕掛けてくれれば終わらせてたのに」
「嘘だろう……ハルフィネン? ミスレラインだと? なぜ絶えたはずの英雄の血筋が!」
どうも、サハギンにも高位の『察知』を使う者はいるらしい。
しかも頭の良い奴、過去の因縁を知る奴も普通に混じっている。
俺たちがノコノコ出てきたから、弛緩した空気になっている。結果、まだ打ちかかられていない。
下手に奇襲を掛けていたら、一部の防衛隊が動いていたのだろう。
そして応戦しているところに興奮した全サハギンが雪崩れ込んでくる流れ。
『危険回避』は正しかった。無用の小細工をすれば死んでいたようだ。
こちらの名前に反応したあの巨大な個体。奴こそ間違いなく灰色の首領。
言うまでもなく強敵だろう。名前はロンギットでレベルは、47。
ラゼナの神罰の影響があるにせよ、元々レベル30代後半の強者。
そして、お嬢を連れて行った元凶。
「いや、元凶はゼトだった。忘れてたよ」
「申し訳ありません。レンジュアーリ様」
「愚劣。ジジイ反省しろ」
犯人探しの会話してる場合ではない。全員に後ろ手で、そっと指示を出す。
弛緩し続ける敵。いや、灰色の一派だけは、こちらへの応戦準備を隠さない。
そして――。
「どうして来たんですの! レンジュアーリ様!」
全員が意表を付かれ、準備が空振った。
彼女の自慢の金髪はひどく乱れていた。
ほんの数時間の苦難でも、頬は痩せていた。肌の色が悪い。目の下の隈も大きかった。
全身を震わせながら、涙を砂に吸わせ、俺に問いかける。
俺は、心の内を正直に答えた。彼女に届けとばかりに。
「それは君を、アイシテイルカラダ」
「なにその棒読み、嘘おっしゃい! 誰が助けてくれなんて言いましたか! 誰が迎えに来て欲しいなんて言いましたか!」
「嘘じゃない。愛している体。俺は君のカラダ愛してる」
「発音良好」
「卑猥ですな。レンジュアーリ様」
「どうして人の気持ちを踏みにじるんですか! どうして私の努力を無駄にするんですか! どうして……」
こちらの話なんて聞いていない。サハギンに囲まれて泣き崩れるローレラ。
従士一人と一匹の突込みがうざい。
「今気付いたが、美少女の周りに魚類ばっか並べてるあの絵面。あれはあれで結構シュールじゃね……?」
「前衛芸術」
アルマジロよ。俺の美的センスへの感想がそれか。
お嬢の爆発は止まらない。
この時までは扱いやすい人質だったのだろう。豹変にサハギンたちも呆気に取られている。
「大体! レンジュアーリ様! アナタは毎回毎回私の話も聞かず! 何様のつもりなんですか! 本当は弱いくせに! 本当は臆病なくせに!」
「安心しろ。今回は爆発的に強化してきている。……ゼトを」
「馬鹿じゃないんですか! いつもいつも英雄気取りで! 正直アナタ微妙ですから! 外見微妙ですから!」
「なんですと! 人の外見を侮辱するとは許せねえよこの吹流しヘア! 俺は金髪と銀髪には容赦しねえと決めてんだ!」
「どうせ私に惚れられた、だから助けなきゃとでも勘違いしたんでしょう! 必死なんでしょう!」
「かかっか勘違い違います! 必死ないです! お前なんかただのハーレムの端っこ要員です! サハギン殺しのついでに回収に来たんですぅー!」
「ほうれ見なさい図星じゃないの! それが証拠に敬語になった! アナタはどうせ女の人に好かれたことなんて人生で一度もないから! 女の人と交際できる見込みなんて今後も一人もないから……」
「もう一回同じこと言ってみろよ手前ェ! 四百個千切ったサハギンの首の横に手前の首も並べてやんよ!」
しまった。この十六年の人生を思い出し、ついマジになってしまった。
生まれてこの方、異世界脳だったもんだから、俺は女には縁が……。
日本での俺は女の子に少し優しくされる、俺が勘違いする。
そして告る、振られるの無限ループ、失恋永久機関だった。
「レンジュアーリ様ァァァァァァア! あの小娘の首級への一番槍はぜひ私めに!」
「いや、お嬢の頭蓋は僕がもぎ取る。人形。材料」
背後で気の狂った忠誠心競走が始まっていた。
いやいや。そもそもなぜ俺たちは仲間同士で舌戦しているのか。
ついちょっと前まで、死ぬことを思い、あんなにも悩んでいたのに。
サハギンたちは更に混乱してきたらしく、そろそろこちらを制止しそうな気配だった。
異変を感じ、沖合いから十数匹が戻って来つつある。洞窟から同じく数匹、確認の物見が出始めた。
だから、だから準備完了だ。
俺は確かにアホだ。だが、ここ一番では満更でもない。
後ろに回した手で、従士たちに行動は指示していた。
漁師のゼトは知っている。朝陽がもうすぐ昇り切る。
灰色さえもが緊張を解いている。俺たちは会話する振りでじりじりお嬢に近づいた。
そして、魔術、武装、連携、全て良好。
海が、照り返した。全員の目が眩む。
最初から敵の位置を覚え、目を閉じた俺たち以外は。
「走れ! 我が兵、我が従士たちよ!」
俺は腕を思い切り旋廻させる。暗い視界の中、全身の筋を捻る動作に回す。
インベントリからミスリルソードを抜き取りながら。
激痛とともに全力で発動した。
「『エア・ブレイズ』!」
刀剣レベル2、自滅技。使い手の腕を壊しながらも、敵複数をまとめて粉砕する真空波を。
苦痛の中で目を開く。照り返しが去った視界の中で、肘から裂けて骨の出た右腕が再生する。
動画の巻き戻しのように。発動前に飲んでおいたポーションの効果だ。
目の端に映るのは、三十近くの千切れ落ちた群青の首。密集が仇となった。
『刀剣』は、学習書でスキルレベル3へ強化した。
通常攻撃では無理だろうが技ならば、ただ高レベルなだけでは耐えられない。
ゼトが走りながら掲げた盾で、生き残りを跳ね飛ばして先行する。
巨大化し変化しながら突撃済みのゴレムントの背が見える。
跳ね飛ぶ青い鱗。混乱と狂騒に陥る敵。
インベントリに用済みの剣を投げ込んで、完全に治った腕で俺はメイスを抜き払う。
一人と一匹を追走し、そして狂ったテンションで叫んだ。
「開戦だ! ローレラ・サリアントを!」
こうして三対四百の決戦が。
「救出せよ!」
サリア決戦が、始まった。




