EP.17 そして彼女の名を呼んで
金髪女神のラゼナは自信満々だった。腰に両手を当てて威張りかえっている。
背後のゼトの気配が怖い。こいつ女神に抜き打ちかまさないだろうな……。
死体置き場に行くなら一人でお願いしたい。香典は出すから巻き添えはやめて欲しい。
「これは最ッ高にいい話だと思うぞ! ボクも超笑えるし!」
「と、仰られましても、私はハルミシア様の直参ですし……」
「あーんなダッセェ髪型のクソガッパはほっとけよ!」
なんと! コイツ意外といい奴かもしれない!
カッパが嫌いな奴に悪人はいない。
「まず、ボクがお前に頼みたいのはボクが書いている物語の主役になれ、ってことだ。別にハルミシアの直参をやめる必要なんて無い」
「申し訳ありません。卑小の身にて仰ることが今一つ……」
「お前あったまわりーな。ボクは面白い奴の人生を物語として大事に保管している。それだけじゃない。お前らが『神』と呼んでいる者たちの世界でも、英雄譚として発表しているんだ。その主人公になれ、と言ってるだけだ」
「はあ……」
出版か。放送か。いずれにせよラゼナは作家先生のような地位にあるらしい。
そして俺をモデルに新作を出すと。謝礼を出すから手伝えという意味か。
とは言っても罠があるんですよね? 確実にヤバい話が。
俺にはコイツが肖像権を取りに来ただけには思えない。超越存在が人間なんかに気を使うとも考えていない。
十中八九救いようもない話だろう。
「具体的にはお前にはボクの演出する苦難に挑み、ボクの用意する難敵に打ち勝ってもらう。物語を面白くするためにな!」
「演出? 苦難を、わざわざ演出されるのですか?」
「盛り上げるためさ! 天然自然の人間の人生なんかにドラマがあるわけねーだろ! 放っといたら凡人の人生なんてガンガン詰まんねー方向に行くに決まってんだろ!」
「その、ラゼナ様とラゼナ様の物語に魅入られた方々? の感動が、作り物でよろしいのですか?」
「いいんだよ面白ければデッチ上げで! いいんだよ感動の物語なら作為的でも!」
感動の物語とか言っておいて自作自演かよ!
しかもコイツ俺を一つ失敗したら即、死ぬような状況に追い込もうとしてる!
さすが生き馬の尻小玉を抜くと言われている女神界だ。
カッパ以上のクソがまだ温存されていた。ホカホカだ。
目の前の黄金のウンコはその筆頭の一人(一柱か?)なのだろう。
「畏れ多いことながら、それは難しいかと。現在の私は、ハルミシア様の命で魔王軍と戦っておりますので」
「あぁあん? ボクに意見しようってのか!?」
目を剥いて威嚇してくるラゼナは凄まじく恐ろしかった。
下手をしたらこの金髪女はハルミシアより格上なのだ。しかし引くわけには行かない。
既にボンクラ女神カッパミシア様のおかげで、俺の人生はオモシロ殺戮冒険譚と化してしまっている。
ここに作為的な危機など追加されたら確実に死ぬ。
そして、先ほど垣間見たラゼナの本性。
俺に向けた歪み濁った愛情。認めた者への好意と、玩弄物への嘲笑を葛藤なく同居させている異常な心理。
どの道、仕えるわけには行かない。
最強最古最悪の神、娯楽の神、ランゼッシナには。
「……ボクに付けば、絶世の美女たちに取り巻かれた生活が送れんだぞ。王侯貴族にだってなれるし、この世界でただ一人の能力をくれてやってもいい。名誉も財産も不老長寿も愛も全て手に入るんだよ! 無論、ボクの英雄として活躍したあとでだけど」
「不躾ながら、どのような方法によってでしょうか」
「決まってんだろ! お前の心身は強力なものに作り変えればいいし、周りの者にはお前以外の誰も愛せない心を持たせる! 全員カネも女も差し出してくるぞ! どうだこの完ッ璧な見返り!」
おぞましい。やはりこいつも狂っている。
作り変えられた俺は俺ではないだろう。今でさえ強化アイテムによる変貌に怯えているのに。
俺を愛するしかできない人々しかいない世界など、俺の自惚れ鏡、俺が俺のために美化して描いた自画像以外の何だというのだ。
幼児的なメンタリティの持ち主以外、誰も幸せになれないと思う。
それを幸福だと思っている感性もとんでもないが、それよりも俺を見詰める黄金の瞳。
馬鹿っぽい自慢げなドヤ顔と独立して、冷たく深く濁っている。
俺がそれを選ばないと。俺が万一それを選べば不幸になると。
こいつは理性では理解しきっている。なのに無邪気に破滅へ到る報償をすすめて来ていた。
何よりもラゼナは、俺の最大の希望である帰還を、褒美のリストに出す気配もない。
こいつら超越存在は知能そのものは人間など比較にもならないほど高い。
勘や無意識の領域では、俺の願いや嫌悪感に気付いている可能性もある。
なのにこれ。狂った方法を平然と提示してくる。
本当に、特に悪気もなく。
二面性があるとかではない。
こいつらは恐らくこういう存在でしかないだけだ。
万能に近く、それが容易なのに己の欠点を改める気だけは無いのだ。
「……私ごときをお目に掛けて頂き、まことありがたいお話ですが、やはり……」
「あーあー! もういいよ! どうせお前はボクよりハルミシアの方が好きなんだろ!」
「え、いや、私としては……」
「私としては!?」
「あ、いえ。ランゼッシナ様は今までに見た美しい方々のなかでも別格だと……」
「はあ? お前、ボク……」
しまった。本人が隠している(つもりの)本名をつい呼んでしまった。
もうすぐ交渉終わると思って油断した。思わずラゼナから目を逸らす。
汗が、止まらない。
凄まじい殺意が膨れ上がった。まるで、自分のヒナを守ろうとする親鳥の気配。
荒い呼吸。想像を絶するほどの、歴戦の気配。
背後から俺を凍らせて――、背後?
「フシィィィィィ」
ぶち切れたドラ猫のような息。ゼトの呼吸だった。この殺気、金髪じゃなくてお前かよ!
どうもラゼナに討ちかからんと気合を溜めているようだった。やめて!
俺の知る限りランゼッシナ相手に勝算あるとすれば、ハルミシア一柱のみだ。それも分が悪い。
女神には魔王も英雄も敵いはしない。怒らせれば世界崩壊だ。
怯えながらそっと金色の女を見ると、なぜか顔が紅潮している。
頬に両手を当ててやんやん言っている。ラゼナは上機嫌になっていた。
「そーかそーか! お前ハルミシアよりボクが好みか!」
「え? いや」
「隠しても分かるぞー。さっきからボクの胸と目ばっかりチラチラ見やがって! コノッコノッ」
金髪が肘でグリグリしてくる。俺は咄嗟にそっと体の陰でメイスを握り鈍器補正で肉体強化。
それでもかなり痛い。下手をしたら肋骨が割れて内臓に響きそうだ。
これスキルで対応しなかったらどうなってたの……?
社交辞令に救われた。外見において、カッパよりラゼナが俺の好みだと言うのはマジだ。
超越存在相手に嘘はヤバい。もし好みが違ったら命が危なかったのだろうか。
ちなみに二人とも中身は負けず劣らずの糞便だと思っている。
「最初は断りやがったから、全力で破滅させてやろうと思ってたけど、もおぉーいいや! お前の英雄譚は勝手に書くとするよ。でも今後、ボクがお前に依頼を出す分にはいいよな!」
依頼? クエストの意味だろうか。
上機嫌の女神の優しくて無邪気な声に、俺はおののいた。
妥協してくれたのだ。これまで断ったら、多分死ぬ。
脂汗が俺の全身の皮膚を包んだ。
「お、お手柔らかに、お願いいたします……」
言質! 言質を取らないと!
これにイエスとラゼナが言えば、イージーモードの依頼以外は来なくなる。
女神から見たイージーが、人間から見たルナティックでないという保証はないが。
「いいぞいいぞ! 簡単なのにしてやる!」
「ありがたき幸せ! ありがたき幸せっ! ありがたき幸せぇっ!」
「……そこまで喜ぶことなのかなあ? まあいいや。今回も罰ゲームだけで済ませてやるし」
今。聞き捨てならないことを言いやがったぞコイツ。
頭を下げたまま下手に出つつ、聞き出す努力をする。
「ば、罰とは……」
「私の名前を許可なく呼んだな、レンジュアーリ」
声の変貌は、凍るようだった。音域も声色も変わっていない。
なのに、一瞬で緩やかな春の風が、全て液化してしまったようだ。
周囲から音が失われていた。無音の広がりは森だけではない。浜で終わりとも思えない。
全世界を液体窒素に浸すような言葉だった。
背後のゼトから気配がしない。恐らく格の違いで動けなくなっている。
俺は顔を上げてラゼナの表情を確認することも、背後のゼトの無事を調べることもできない。
怖い。
「今後、お前に関しては私の二つの呼び名を両方許す。だが、他の者にはラゼナ以外許さん。迂闊に私の名前を有象無象に対して教えるなよ、レンジュアーリ。幸せな人形の道を拒んだ愚か者」
怯えきって何も言えない俺が顔を上げたとき、ラゼナは笑顔になっていた。
無邪気な、親切な顔で、僧服の血を払っている。腰に再度手をやって覗き込んできた。
どうも本気で俺を心配しているようだった。
俺の心労はお前のせいなんだけど。こいつ。さっきより更に怖い。
背後で誰かが倒れる音が聞こえた。ゼトだ。
「じゃーボクは帰んぞ! すぐ依頼持ってくっから! またな!」
そのまま走り去る金色の女。あっという間にその背中が見えなくなった。
物理的に帰るのかよ……。
俺はため息を付いて、助かった事実を噛み締める。握り締めた両手が汗の雫を地に落としていた。
そしてあわててゼトを助け起こす。大したことも無いようで、すぐに目を覚ました。
「大丈夫かゼト! 死ぬなら死ぬでサハギンを皆殺しにしたあとでよろしく!」
「だ、大丈夫ですレンジュアーリ様。まさか貧血で倒れるとはお恥ずかしい」
「は? 貧血じゃねえ。むしろお前は血の気が多すぎる。ラゼナ、様のこと、忘れたのか」
「ラゼナ様なる女神が先ほどまでおられ、レンジュアーリ様を勧誘されておられたのは覚えております。いや、ハルミシア様のご寵愛深い上、他の女神様からも目を掛けられるとは。不肖ゼト、レンジュアーリ様に惚れ直しましたぞ」
耄碌したのか、ジジイ。
このままゼトがおかしくなり、いやもうおかしいがもっとおかしくなり、異世界介護物語が始まってしまうのかと最初、俺は恐れた。ミスリル繊維で、ジジイのオムツを編む日が来るのか。
話をよくよく聞いてみれば、そうではなかった。ゼトの記憶は混濁しているだけ。
俺がランゼッシナの英雄になることを断ったところで記憶が途切れているそうな。
確実に名前を教える気がない金髪の仕業だろう。
これが罰ゲームか? だが神の怒りがジジイ昏倒程度で済むわけが……。
周囲を見回し、ウィンドウを開いて、俺の血の気は引いた。
「ゼト、解体はもういい! 行くぞ!」
「は? いや、確かにもうすぐ夜明け、浜に向かう時間ですが……」
「そうじゃねえ! 一刻も早く森を出るぞ!」
俺は訝しがるゼトと協力し、ロザントの基地周辺にサハギンの死体を撒いた。
インベントリから発射する形で敵の『察知』の限界ギリギリから。
大急ぎで。そして『察知』のスキルとマップを最大限生かし、森を脱出した。
なぜかって? 『対人鑑定』は一度見た相手がマップ内にいるならレベルくらいは分かる。
森を調べにきているのはうだつの上がらないサハギンたち。レベルなど全員20前後。
強さは知れていた。さっきまでは。
ウィンドウに映る敵のレベル。現在のサハギンは、全員がレベル30を越えていた。
これが神罰か。敵がことごとく強化。
もし、ロザントや浜のサハギンにまで適用されていたら。
俺もロザントとの死闘を越え、レベルは28となっている。
だが、この戦いの勝算がもはや三割を切っているのは、明白だった。




