EP.13.5 みなが知る 御伽噺の英雄の 現に来たためしなし
夜の森でロザント・バルカニルは有頂天だった。剣を掲げ、大声で笑い、腕を振り回す。
子分たちはその姿を恐れを含んだ目で見ていた。彼らの親分はこんな状態になることがしばしばあったからだ。
かなりの躁状態だったが、決して良い状態ではない。親分である男はこうやって定期的に意気を上げ、揺り返しなのかそのあと機嫌が悪くなりすぎて人を殺す。
周囲が恐れるのは当然だ。
ロザントは周りなどどうでもよく、一人喜びのたけなわだった。
ようやく積年の怨敵だったジュアンカーリ・ミスレラインを倒したのだ。そして長年夢見た高嶺の花を手に入れた。奪ってやったのだ。
顔面を焼かれたが、大したことはない。噂ほどではなかった。英雄の銀風とやらも。
ロザントは心の底から笑い出したかった。
ジュアンカーリは手強かったが、鍛錬の差が出た。
この歳になっても血反吐を吐く思いで剣を振っていてよかった。才能が無いことの嘲りを受けても魔術を研鑽した甲斐があった。
親父も兄貴たちも女どもも吠え面をかくがいい。いや、もう連中などどうでもいい。
「アハハハハハハ! やっぱり最後に勝つのはこの俺だったな! ジュアンカーリ!」
基地へ引き上げる帰り道。盗賊団は表情や内実はともかく、肉体的には健康だった。
取引相手のゼトが裏切るというアクシデントがあったものの、何とか収拾できたのだ。加えてゼトやゼトの小屋から回収したポーションは上質だった。
それでもロザントの焼かれた顔面は引きつったままミミズ腫れが残っていたし、治療が無駄な部下たちは見捨てることになり、数が三人減ってしまったが。
不気味そうな目で後を付いて来る部下たちが見てくるのに気付いたが、ロザントはもう気にするつもりも無かった。
ロザント・バルカニル健在。それを世間に示し、己の失った時間や名誉やカネを取り戻すのだ。
盗賊団を率いていたことをとやかく言われるかも知れない。だが合わない辻褄など、彼女がいれば問題ない。
ある意味、王より貴い血。彼女は自分のものになったのだから。やり直せる。
そう、彼女とともに。
「レンジュアーリ様、どうなったの」
「アハハハハ。ジュアンカーリのことか? ヨキア、君には教えてあげよう。奴は泳ぎたくなったらしい。底なし沼を使うとさ! 無様な溺れっぷりだったよ。今頃冷たくなってるだろうな」
「そう」
「だから言ったのさ! ヨキア。最初から俺にしておけば、君の人生はバラ色だったのに。あんな奴を選ぶから失敗する。まあいい。回り道したが、これからは」
「失敗者は、あんたに見える」
その言葉が、引き金だった。
ロザントは金髪の少女の首を掴むと全力で締め上げた。手ごたえから考えて、数十秒で死に至るはずだ。
部下たちが必死に止めてくるが、殴り、蹴り剥がす。そうして更に腕に力を入れる。
止まれなかった。あの日を取り戻したはずだったのに。あの日に戻れたはずなのに。
少女が涼しい顔でお義理のように咳き込むのが更に許せなかった。冷めた瞳。
子分たちは半分泣きながら、命がけで親分を制止した。
「親分! やめてくれ! サリアント家の身代金が!」
カネを失えば終わる。脳裏を掠める現実的な打算が、ようやくロザントを止めた。
腕が少女を乱暴に放り出す。細い体は草むらに倒れた。
「そうだったな……」
「しっかりしてくださいよ、親分。急にジュアンカーリだとかヨキアだとか言い始めるし……」
そうだった。ロザントは理性を総動員させた。
自分は、やり直しのカネを作るべく人質を取ろうとしていた。サリアント家から。
今、その人質がこの手にある。奪ってやったからだ。歳を取っていないジュアンカーリから。
奪った? 誰を?
ヨキアだ。結界の姫。黒バラのような黒目黒髪の君。始めて会った日から心惹かれ、そしてこちらを一度も振り向かなかった少女。
あの腰抜けのジュアンカーリになど恋した女。自分を拒絶し否定した、この世で最も貴い血を持つ無能の馬鹿女だ。
そうだ近くに倒れこんでいる、この金髪の小娘のことだ。歳も見た目もまったく合わないし、攫った目的も異なるがこの女がヨキアに違いない。
人質として用済みになれば、結ばれるべき相手だった自分を否定した罰を徹底的に加えてやる。
「なああんだ、そうだったのか」
ロザントは、自分の中に完璧に矛盾が無いのを感じた。
自分はジュアンカーリの息子と名乗るジュアンカーリと出会っておかしくなったのではない。顔を焼かれたから混乱しているのでもない。
この十七年間、鬱屈した生活の中で自分が少しずつおかしくなっていくような気がしていた。
だが勘違いだったようだ。もう間違いない。自分は正気だ。
だってあの日に戻れたのだ。全てを失ってしまったあの日に。
なら異常などあるはずがない。
「アハハハハハ!」
「親分?」
心配そうに尋ねる子分を、ロザントは無視した。
おざなりに咳き込みながら、ようやく立ち上がった金髪の少女。彼女に、優しく呼びかける。
もう迷わない。何一つ疑いなんてなくなったのだから。
「結婚式の準備をしよう。さあ帰ろうか、ヨキア」
ロザントの中に、疑問が生じることはもうなかった。
流されていれば楽だったのに。なぜこんなことをしてしまったのか。
ローレラの中に後悔はあった。恐怖もあった。だがやり直せるとしても、もう一度同じことをしてしまうだろうという確信もあった。
森の道は悪い。おまけに闇夜だ。何度も転びかけては太い腕に小突かれ、早く歩くよう促される。
歩調が速すぎるのだ。自分へ伸びてくる腕を押しやって、彼女は思い出していた。
数日前に出会った少年。この世で最も新しい英雄を。
レンジュアーリ・ハルフィネン・ミスレライン。
この世界で最高の血筋を持ち、英雄の父と母を持ち、本人も図抜けた力を持つはずの英雄。
世界を統べる女神とさえ関わりがある神人。
ローレラにはそうは見えなかった。
少年は頭は良いのかも知れないが、言っていることは訳が分からなかった。世間知らずだった。すぐこちらをおちょくった。意地悪だった。
強いのかも知れないが、自分勝手だった。怒りっぽかった。恐ろしかったし、冷酷な面もあった。
英雄には見えなかった。黒目黒髪を除いては、ただの男の子にしか。
レンジュアーリと出会って初めてのローレラの感情は、嫉妬だった。
父からは愛されず、母からは自分の人生の代替扱い。私の不幸の原因になったお前が。なぜ父と母に愛されているのか。なら私は。
それだけではない。
なぜお前だけ強い。なぜお前だけ賢い。なぜお前だけ神の力を持っている。なぜお前だけ旧臣に、精霊に、ああ、そして父母に愛されているのか。
どれだけ恨みがましく見つめても、少年はローレラのことなどなんとも思っていないようだった。
ローレアは己を恥じた。思えば流されるだけの人生だった気がしたのだ。親を嫌っていても、親が決めたもの以外、何も持っていない。自分の責任で親を憎む覚悟を決めてでも、何かをしようとはしなかった。
そんな者の感情など、相手に届くわけがなかったのだ。
勝手に自分と比べて逆恨みしたことが惨めだった。取るに足らない凡人が才人を一方的に羨み、相手からは名前も顔も覚えられていないような、そんな惨めさだった。
そして次にローレラは混乱した。こちらの落ち込みなど気にもせず、少年は笑いかけてきたからだ。
少年は話しかけてきた。クッキーをくれた。乗馬ができるなんて凄い、と言ってくれた。
勝てるか分からない相手に挑んでいた。自分のために何度も何度も戦っていた。
見栄を張っているだけなのに、大変だな、と心配してくれた。
怪我をした彼女を見て悲しそうな顔をしていた。貴重なポーションを顔の怪我などに躊躇いなく使った。
夜道を歩くのにそっと手を引いてきた。胸を毎日見ようとしていた。
レンジュアーリは物語の英雄のようではなかった。
立派でもなかったし、無感情でもなかった。弱いところは弱かった。
ローレラはそう思ったし、事実そうだった。
自分を助けるため、盗賊に打ちかかったとき、確かにレンジュアーリは震えていた。怯えていた。
あのとき彼も怖いのだと知った。彼は勇敢なのではない。いつも、なけなしの勇気を振り絞っていたのだ。
流されるだけの自分とは違って。
レンジュアーリは物語の英雄ではなかった。
弱いが工夫し、知恵が及ばないと機を図り、怖ければ必死で自分を鼓舞するだけ。立派かも知れないがとても英雄とは言えない。
だから代わりに、彼はローレラの小さな憧れだった。
何度も、助けられた。勇気付けられた。一緒にいるだけで怨念や、嫉妬や、無力感が溶けていくのがわかった。
怒りも恨みも妬みも本当だったのに。
憎もうと、努力したのに。
嫌いになることだけは、できなかった。
「ウゴッ」
「またか! これで四度目だぞ!」
「なんだこれは! 仕掛けた奴は馬鹿か!」
先行する者が底なし沼にまた落ちた。聞き取り低い発音で罵声が届く。
この森は底なし沼だらけだ。正直、仕掛けすぎだとローレラは思う。誰の仕業かも知っているが。
思わず笑ってしまう。
三人と一匹で暮らした二日間は、本当に楽しかった。夢のようだった。
だから、だから。夢から覚めたから。
死ぬしかないのだろうな、とローレラは思った。
横を歩く相手の一人に尋ねる。なんとなく相手はしっかりとした受け答えができそうな気がしたからだ。体も大きく、この集団の中では指導者の地位にいるようだった。
勇気を持って、はっきり聞いた。
「私、どうなるんですの?」
相手はかなり驚いたようだった。まともに回答する相手だと考えられていたのが意外すぎたのだろう。
だが一瞬考えると、相手なりに誠実に考えてくれたのだろう。答えがあった。
「……悪いが、十中八九、処刑することになるだろう。この出兵は初めから無謀だったが、こちらにも面子がある。貴人である以上は覚悟されよ。あなたの死をもって一応の功績とし、撤退の口実とさせてもらうぞ」
言葉を打ち切った灰色のサハギンは、理知的な瞳をしていた。そのまま顔を背け、前へ進んでしまう。
回答はローレラの思ったとおり、提案した者の考えどおりだった。
だから、これであの少年は助かる。
自分さえ死ねば。
これで彼を見返してやれる。感謝される。ずっと記憶される。私の素晴らしさを――。
それがすべて嘘だと、少女は自覚していた。
彼のことを好きなだけだ。彼に好きになって欲しいだけだ。彼に死んで欲しくないだけなのだ。
そして彼に嘘をついていたことを、償いたいのだ。
震えは止まらない。歩く足が重い。怖くて仕方がなかった。
だが、もう足取りは流されるだけではなかった。殺されるのが分かっていても、ローレラは自分の足で、処刑台が待つだろう場所へと歩いていった。
気が滅入る。
今日はいい日のはずなのに。
筋肉質で立ち上がった熊並みに大柄。全身のせびれや鱗は音を立てず、顔は雄雄しい戦魚に似ている。
そんな同胞とともに暗い森を行く。総数ほんの数百にまで減ってしまった灰色の派閥。
その灰色にようやく光が差した。にも拘らず心は晴れない。
ロンギットは手柄を立てたにもかかわらず、気分が悪かった。確保した人間の少女が既に自分の運命を知っていて、そして彼女が若すぎたからだ。
無論、ロンギットとて人間のことは好きではない。食糧にならないのなら、絶滅させてやろうとまで考えたこともある。
しかし、理性ある者を傷つけることには人間相手であれ忌避感があった。加害が必要なことであろうと、無意味なことであろうと関係なくだ。
先ほど口を利いた限りでは、少女の態度は立派なものだった。どうも覚悟の上でここへ来たようだ。
惨い真似を。言う資格が自分には無いが許せない。
ロンギットが憎しみを向ける的になったのは、少女ではなく別の男だった。くだらない口車で相談を持ちかけてきた男。自分たちに有益なだけに無視はできなかった。
やはり奴は危険だった。信じ切っていたら、今頃わけの分からない戦闘が起き、同胞を相当数失っていただろう。
この取引は散々もつれた。全て奴のせいで。
魚人の首領は腹立ち紛れに思い切り、森の木を蹴飛ばした。まさか少女に当たるわけにいかない。
それに相手は人間の社会において、の意味とは言え身分ある女だ。いい加減に扱うのは恥になる。
ようやく、言い訳をつけてサリアから手を引ける。灰色の派閥がこんなものに巻き込まれて得などないのだ。
少女には――本当に悪いと思ってはいるが、その礎になってもらう。
「族長。これでベラム一派と手を切れますね」
灰色の小さい影がにじり寄ってきて、小声で成功を告げてくる。時代の希望である若者の一人で、今回、灰色が遠征する際の副官を務めている。
これだけでは難しい。彼の純粋な喜びに水を差したくはなく、ロンギットは首を横に振った。
「そう簡単にはいかんよ」
「そうなのですか? 明白な手柄として撤退の理由に……」
若者の考えを聞き流しながら、族長は次の手を考える。
青色はほぼベラム派とは言え全員が彼を支持はしていない。無理をして付き合っている連中も少なくはない。
お義理出兵にうんざりしている者中心に、多数派工作を仕掛ければ撤退は決まるだろう。
しかし集団の方針決めで勝利するだけでは意味が無い。そのあとは確実にベラムと取り巻きの不興を買ってしまい、全員を敵に回すことになるのだから。
質は大幅に灰色が勝るが、とにかく青は数が多いのだ。力づくの争いとなればまるで勝ち目は無いだろう。
灰色の勝利のためには、二つほど、まだ条件が足りない。そして残り一つ分であっても達成は難しい。
だが今の内にやり遂げねば灰色の自立、あるいは優位の確保でさえ、その内に不可能になるだろう。
「まあ、任せておけ」
「はい! あ、でも、あまり思い詰められない方が……」
「安心しろ。思考を深めるには悪くない。それに不可能なことにもしばしば挑まないと、やがて可能なことも無理になるものだ」
ロンギットは若者を勇気付けると、考えをまとめ始めた。そして元々魚類を歪めたような形の顔を、更にしかめる。
最後の言葉が誰の言葉か、口にした後で思い出しながら。
「あの理屈屋の言葉などを、なぜ俺が」
思い切り、吐き捨てた。
少しだけの、捨てきれない彼への尊敬の念まで一緒に。
あるところに小さな部屋があった。床に置かれたロウソクと粗末なベッドくらいしかない殺風景な部屋だった。
部屋には金色の少女がいた。豊かな髪は黄金。身にまとう装身具は黄金。その瞳まで黄金。服だけが真っ白な僧服だった。
ベッドに腰掛けると眠そうに目をこすり、いい加減に欠伸をする。
「なんだよもー。どうせどうでもいい奴しかいないだろー。ボクがわざわざ……」
少女はいつの間に手にしたのか、片手の中の砂に目をやる。つまらなそうに。退屈そうに。
しかし急に目を見開くと、砂をまじまじと見詰めはじめた。
「何こいつ、超馬鹿じゃねーの? すっげえ笑えるんだけど!」
少女は抑えきれない笑いを浮かべ、慌てて靴を履くと、部屋を飛び出した。
あれ? と一瞬お思いかもしれませんが、そういうことです。
そして十二万文字以上使ってサリア編が終わっていないのはなぜだ。




