初めての
碧黎は、結界内を見渡した。だが、二人の気が感じられない。二人は結界の外へ出たということだろうか。
「碧黎、きっと外へ出てしまったのですわ。まだ月になって数年なのに、力だってあの姿を維持するのにほとんど使ってしまっていて、飛び過ぎたりしたら…。」
陽蘭は顔を青くした。碧黎は眉根を寄せた。あれらの気配は感じない。おそらく気を消耗していて読めない状態なのだ。それでなくとも自然過ぎて、月である二人の気配は読みづらいというのに…。
碧黎はため息を付いた。
「心配ではあるが、あれらが気を回復するまで待つよりない。十六夜がおるゆえ、大丈夫だろうと思うが。」
陽蘭は声を荒げた。
「そのような!まだ小さな子供なのですわ!二人とも、一緒に生まれたのですから!あなたは十六夜に期待し過ぎておるのです!」
碧黎は苦笑した。確かにそうかもしれぬ。
「だがの、陽蘭。見ていても分かるであろう…十六夜はほんにしっかりしておるわ。あのように小さな体ではあるが、責任感だけはある。前世と何が違うのかと思うがの。」
碧黎は、月があるはずの場所を見た。間の悪いことに今日は新月…十六夜の力は、今の歳で考えて補充出来て明日の朝になるだろう。それまで、維月を守るのだぞ。
一方、十六夜は、維月と二人で洞窟らしき所で、こじんまりと小さく収まって座っていた。維月が寒がるので、十六夜は袿の中に維月を抱き締めて、じっと座っていたのだ。ウサギを抱いていると暖かかったが、ウサギは時にじたばたとした。仕方がないので、下に草を敷いて、そこに寝かしていた。
春の始めとはいえ、夜は寒い。十六夜は少しずつ補充出来ている気を、暖をとるために使っていた。二人共体が小さいので、それで事足りる。暖かくなって、維月がうとうととした。
「維月?眠ってもいいが、気を失いそうだったら言えよ。」
維月は頷いた。
「うん。」
そして、その目は、少し先を見て固まった…そこには、見たこともないような動物が、じっと目を光らせてこちらを見ていたからだ。十六夜は、それに気づいて、じっとその目を見た。これは…きっと、熊というやつだ。見たのは初めてだが、月の宮の本で、確か雑食性って書いてあった気がする。でも、オレ達はエネルギー体だし、生物学的には存在しないと習った。それはつまり、実態はあっても、生き物に食べられてしまうとか無いのだと十六夜は理解していた。
「じっとしてろ。」十六夜は囁くように言った。「オレ達は大丈夫だ。」
維月は震えながらまた囁き声で答えた。
「じゃあ、ウザギは…?」
十六夜はハッとした。確かにそうだ。ウサギが異変に気づいて一目散に左方向飛び跳ねて行く。維月が叫んだ。
「ダメよ!こら!」
維月が叫んだが、ウサギは左右にジグザグと折れながら跳んで行った。熊は、それを追って咆哮を上げて驚く速さで走って行った。
「どうしよう…。十六夜…。」
維月は震えながら十六夜をじっと見上げる。十六夜は維月を抱き寄せた。
「ダメだ。今はとにかく、お前とオレが父上達が探しに来るまで無事で居なきゃ。あれが戻って来ない間に、違う場所へ行こう。」
維月がためらうのを、十六夜は急かして手をつなぐと、もう少し大きな木のある方へと歩いて行った。
一本の大きな木を見つけた。これに登っていたら、きっと獣も寄って来れないし、見つかりにくい。
「維月、木に登れたよな?これの上に行こう。そしたら、あんなのは来れないから。」
維月はじっと十六夜を見たが、首を振った。
「ううん、ごめんなさい。私、気を使って登ってたの…今は無理…。」
十六夜は考えて、周りを見て蔦の枝を二本に捻ると、先を輪にして縛った。そして、それの片方を持って言った。
「維月、オレが合図したらここに座ってしっかり捕まるんだぞ。上から引き上げてやるから。」
維月は頷いた。それを見て、十六夜はするすると木を登って行くと、枝にそれを引っ掛けた。上は、思った通りとても大きな枝が何本も出ていて、葉も茂っていて広い。十六夜は、下に向かって言った。
「維月、しっかり持ってろよ!」
「わかった!」
十六夜は、少し引っ張り上げては枝に巻きつけ、また引っ張り上げては枝に巻きつけを繰り返して、維月を上まで引き上げた。
「十六夜!」
維月はやっと上がって来ると、十六夜に抱きついた。十六夜はその背を撫でた。
「大丈夫、オレがいるから。」
維月はホッとしたように十六夜に頬を擦り寄せた。
「うん。大好き。」
二人は枝の根元に座った。小さい体はこんな時に便利だった。十六夜は維月をさっきと同じように袿の中に入れて抱き寄せ、温めた。
父上が遅い…。十六夜は思った。もしかしたら、気が少ないから、見つけられないのかもしれない。じゃあ、朝までがんばったら来てくれるかな。
維月が十六夜を見上げた。
「十六夜が居て、よかった。私一人で行っていたら、きっともっと怖かったと思うの…。」維月が身震いした。「でも、十六夜が一緒だから、いいね。十六夜は私の、夫になるんだものね。」
十六夜は維月を見た。確かにそうだ。今でも大概一緒だが、婚姻というのをしたらもっと一緒なのだと父が言っていた。一人にしたら心配で仕方がないし、早く婚姻をしてもらえるように父上に頼もうかな。
「維月は一人にしたら心配だから、オレ、父上に婚姻を早くしてもらえるように頼んでみる。」
維月はびっくりしたような顔をした。
「でも、大きくならないとダメって言ってたでしょう?まだ身長が110センチしかないから、小さいんじゃないのかな。」
「オレは115センチある。」十六夜が言った。「だって、婚姻って一緒に休むって言ってたが、オレ達いつも一緒に寝てるし、ほかに何をしたらいいんだろう。」
維月は考えるような顔をした。
「…父上と母上は、唇をくっつけてた。」
十六夜はふーんと考えた。
「それかな?それならオレ、知ってる。確かにそれはまだしたことないな、維月。」
維月は頷いた。
「そうね。じゃ、しちゃおうか。そしたら、婚姻だもん。黙ってたらわからないし。」
十六夜は眉を寄せた。
「隠れてそんなこと、オレは嫌だな。堂々としたい。でないと、回りに維月がオレの妻になったってわからないじゃないか。」
維月は困ったように眉を寄せた。
「でも、まだダメって言われてるんだもん。もっと大きくならなきゃ。十六夜もお父様みたいに180センチ以上にならなきゃならないんでしょう。まだいっぱい大きくならなきゃ。」
維月は言って、あくびをした。温まって来て、眠くなったようだ。十六夜の胸にくっつくと、いつものように寝る体勢に入った。
そんな維月とは裏腹に、十六夜は考え込んでいた。大きくなるまで待つってどれぐらいだろう。このままずっと一緒にいられるならいいけど、維月とオレは男女だから、きっとそのうち別々にされるに決まってる。他の神の兄弟達が、みんなそうだから、十六夜はそれがわかっていた。
「維月」不意に、十六夜は言った。「やっぱりしよう。」
維月はまどろんでいて、慌てて目を開けた。
「なにを?」
十六夜はじっと維月を見た。
「あの、唇くっつけるやつ。」
維月はためらったように十六夜を見上げた。
「でも、隠れてって嫌って言ってたでしょ?いいの?」
「今はそれでいい。」十六夜は言った。「そのうちに分かってくれると思うし。」
維月は頷いた。が、緊張気味に十六夜を見た。あれって一体どんな感じなんだろう。
「でも、私したことがないの。十六夜は、ある?」
十六夜は首を振った。
「あるはずねぇだろ。だって、婚姻だぞ?」と、唇を寄せた。「だが、きっとくっつけたらわかるんじゃないか。」
二人は唇を寄せた。しばらく重ねていたが、別段何もない。だが、ドキドキした。維月が言った。
「…ドキドキする。」
十六夜は大真面目に頷いた。
「オレも。婚姻ってドキドキするものなのか。」
維月は首をかしげた。
「初めてだしわからない。」
二人はまた唇を重ねた。
今度は口づけらしい口づけだったが、当の二人には分かっていなかった。
次の日の朝早く、気を感じ取った碧黎が急行した場所で、十六夜と維月が、しっかり抱き合ってすやすやと眠るのを見つけた。
「ほんにまあ」碧黎は苦笑した。「また、大変だったようだな。」
それが木の上だったことや、蔦の枝が絡んでいる様を見て、碧黎は察して言った。そして、二人を両脇に抱えると、月の宮のほうへ飛んで帰ったのだった。