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その九、「それでいいのか?」

「酒うめー!」

 そんなことを言いながら、大伴旅人(おおとも の たびと)はパシフィックビューイングの展望を我が物にしながら盃を傾ける。日はまだお空の上にある。でも、旅人に言わせれば、日が高いうちの酒はまた格別においしいのである。もっとも、妻からは嫌な顔をされているが、妻には既に都で大流行のメーカー・舎練のバッグを贈ってある。きっと一か月くらいは目をつぶってくれるに違いない。げっへっへ、と下卑た笑いを挙げながら、旅人は太陽に盃を掲げた。おてんとうさまは困った顔をしながら空の上にある。

 と――。

「あのう太宰帥(だざいのそち)様」

 お、来たか。振り返ると、やはりそこには旅人の想像した通りの人物が立っていた。

 いかにも貧乏神の風情を漂わせる立ち姿。オーラもなんだか暗い。今にも喀血して倒れそうなくらい顔色が悪い。裏で死神とあだ名されるこの男は。

「おう、憶良(おくら)か。よく来たな」

 部下の山上憶良である。

 憶良は今にも消え入りそうな声で、ぽつぽつと言葉を放つ。

「は、はあ、お呼び頂きありがとうございまする。でも、いいのでしょうか」

「何が?」

「民草が飢饉と貧困に苦しんでいるというに、われわれはこうして――」

 だったらホイホイ招聘に乗っかるな、と心の内でぼやいた。

 それはともかく。

「さて、始めるか、サークル活動」

「ですね」

 二人は上司と部下だけれども、相当地位が違う。会社でいうと、大企業の係長と社長くらいの差である。でもこうして同じ場所でこうして会えるのも、共通の趣味のおかげである。

 そして。短冊に二人して文字を書き連ね、その短冊を交換した。

「うーん」

 憶良が声を上げた。

 思わず旅人は身をのけぞらせる。普段は全く怖い要素など何もない憶良が怖いのは、この短冊交換の時である。はたして憶良は顔をしかめた。

「これはだめですよ旅人さん」

 趣味モードに入ると、憶良は旅人のことを名前で呼ぶのである。

「な、何がダメだ」

「一から十までダメじゃないですか。前からお話しているでしょう? 歌というのは風景の美しさを愛でるだけではいけません。風景を描きたいのであれば、その風景の中にあるあなたの心を歌いこまなくてはならないことにはそれはただの文章の羅列です。それにさらには--」

 陰気な男の口からこうも饒々と言葉が出るものか、とむしろ痛快な気分になる旅人。

「ふむふむ、情と景のバランスか、簡単なようでいて難しいのう」

「はっはっは、むしろ、そのバランス感覚こそが歌の極意ですよ。わたしだってまだわかりませぬし」

 普段、このくらいの快活さがほしいもんだ。特に仕事の場面で。そう愚痴を言いたい気分だったが、とりあえず黙っておくことにした。

「しかし」そんな旅人の心中も知らず、憶良は唸る。「どうも、旅人さんの歌には旅人さんらしさがないんですよね」

「ら、らしさ?」

「ええ。キャラクターが出ていないというか。あなたらしさが全然ない。歌だからってなんかかっこつけてる感じがすごくしますよ」

「そ、そうかなあ」

「です。あなたらしさ。それがないと、いつまで経ってもうだつの上がらない歌詠みですよ」

「むむ」

 悔しさ半分に旅人は考える。わしらしさってなんだろう。

 と、ふと脇を見れば、なみなみと注がれたままの酒が置いてある。

 む?

 そうだ。わし、酒が好きだった。

 そうして、こんな句をしたためた。

      酒飲める 酒が飲めるぞ 酒飲める ああ酒飲めるぞ 酒飲むぞ

 恐る恐る憶良に見せてみた。

 すると憶良、いつもの死神フェイスを崩し、にぱっと微笑んだ。

「おお、いいじゃないですかこれ。まだまだ荒削りですけどらしさが出てていいですねえ!」


 というわけで、大伴旅人は、酒に関する歌をたくさん残している(実話)。


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