その六、「僕の師匠は病気です」
はあー。
師匠は作業場の真ん中で深すぎるため息をついた。ノミを研いでいた僕は師匠の方に向く。すると、僕の視線の向こうに立つ師匠は、せっかく数カ月もかけて作った“作品”を前に十トンハンマーを振りかぶっているところだった。
「ちょっと待って下さい先生」
「止めるなバカ弟子よ! 目の前のこれがなんだか憎々しくなった!」
「いきなりバカ弟子とは何ですかバカ弟子とは」
「師匠と弟子ならば弟子にバカをつけるのは約束事、様式美というものだろう」
「なんの約束事ですか!」
と、この通り僕の師匠はなんだか最近お疲れだ。
とりあえず、物騒なもの(十トンハンマー)を取り上げると、僕はさながら噛んで含めるようにして師匠を切々と説得にかかった。
「師匠、この作品をどうなさるおつもりですか。これ、数か月をかけて創った大作ではないですか。きっと歴史に残るような逸品として」
「馬鹿者!」
師匠の一喝は本当に怖い。僕は口をつぐんでしまった。僕が黙ったのを見計らうようにして、師匠は咳払いをした。
「何が逸品か! かようなものが歴史に残る? 何を言っておるのだお前は。歴史に遺す、とは左様に簡単なことではない!」
「は、す、すいません」
師匠という人は仕事に厳しい。だからこそ、僕の師匠なのだけれども。
僕は一つ頷いた。でも、この作品、壊すにはあまりに惜しい。
「師匠、では、この作品をチューンナップしていく方向で考えましょうよ」
そう提案すると、師匠、意外にも頷いた。
「そうだな、では、そうしよう」
「どのように」
「まず、目をひとつにする。というか、両目を覆うような一つ目スリッドのゴーグルを作って、はめる」
「え?」
「そこにLEDを仕込んで、――あ、当然赤ね――、暗がりの中で見ると目だけ光るようにする」
「ええとあの、師匠」
「右腕は……そうだな、鉤爪をつけてしまおうか。念のため言っておくが、猫みたいに出し入れ可能な鉤爪だぞ。そして左手は超怪力という設定にして、むっきむきの腕にしてしまおうか。そして右足は」
「ちょっと待って下さい」
さすがに止めた。不服そうな師匠をよそに、僕は問いを重ねた。
「あの師匠、それ、元ネタがあるでしょう」
「ぎ、ぎく! いや、そんなわけないじゃないか」
とりあえず全部聞いてみることにしよう。メイン作品はアメコミ仕様らしい。じゃあ、その脇を固める他二つはどうなるのだろうか。
すると師匠は悪びれもせずに答えた。
「おう。決まっておろう。右はミニスカのボインちゃんにするぞい。左は黒髪ロングの清楚系に、言うまでもなくひんぬーだ!」
「あの師匠、元ネタは」
「元ネタとは失礼な。この二つは男の夢、いわばイコンではないか!」
イコン。まあ間違いじゃあない。僕らがつくっていたモノはそういうものだ。
でも、根本的に間違っている。
「あの、師匠。本当にそうしないとダメですか」
「ああ駄目だ!」
「ならば」僕は覚悟を決めた。「師匠、御免!」
僕はふんだくった十トンハンマーを思い切り師匠にぶち当てた。
師匠はといえば、
「このバカ弟子があー!」
と断末魔をあげて、床にふぎゅるーと潰れた。
こうして、師匠を病院送りにした僕は、クライアントに作品を独断で納品した。
先方さんはどうやら喜んでいるらしく、「さすが鳥さん(僕の師匠の名前だ)はいい仕事しますねえ」とどこかの鑑定士さんのようなことを言っているらしい。
ちなみにその作品、最近飛鳥に建てられた法隆寺に収められたらしい。
そうそう。僕らは仏像を彫る彫刻家、つまりは仏師だ。
あの三尊像は、師匠にとっては不本意だっただろうけれども、きっと後の世に称賛される逸品になるに違いない。そして、師匠を十トンハンマーでのしてしまったあの日の出来事も、僕の乾坤一擲のファインセーブとして語られるに違いないのだ。
いまさらですが、このシリーズ、時空列と順番には関連がありません。