その五、「それゆけ歴史小説家」
あー、マイクテステス。
はいどうもー、今日も始まりましたラジオ・浄御原、生放送でーす!
パーソナリティはワタクシ、歴史小説家のあー君です! はいよろしくー。
お、さっそくきましたねお葉書でーす。ふーむなになに?
『あーくんこんにちは。』はいこんにちはー。『いつも楽しくラジオを聞かせてもらってます。そういえば、あ―君の最新作、「はじめ人間縄文人」読みましたよ。でも、あの作品、正直時代考証が雑だと思います。縄文人といえば磨製石器を使ってるのに、あの作品だと石を打ち欠いて石器を作ってますよね? なんか変。それに、あの時代に卑弥呼さんはいないっすよ』
あー、鋭いですねー。
でもさー。そういう人に言いたいのが、君が読んでるのは歴史の教科書じゃないんだよ、ってことなんだよね。ちなみにさ、後世の歴史家さんが面白いことを言ってるから引用すると、歴史っていうものが我々にもたらす恩恵は三つあるんだって。「教訓」、「説得の技術」、「エンターテイメント」なんだって。それで、僕はあの小説の中ではエンターテイメントを前面に出したんだ。
だってさー、そりゃ歴史的事実が大事なのは判りますよ。でもね、面白さと歴史的事実がガッチンコしちゃうんだったら、僕は批判されても面白さを取るね。だって、僕が書いてるのは歴史『小説』だもん。
ってか、そんなことを言ったら、そもそも「縄文時代」って言葉だって当時は使われてないわけだし、「磨製石器」とか「打製石器」なんていうのも後世ついた学術上の名前なわけだし、「卑弥呼」なんていうのは中国側の史書の呼び名で、相当馬鹿にした呼び名なわけだし。
そもそも、詳しいことを言ってしまうと、縄文時代だって打製石器を使ってるし、日本の旧石器時代にだって磨製石器はあるんだよ! まあそんなことはさておいて。
何て言ったらいいのかしらん。歴史小説っていうのは、現代人向けに歴史をリライトした小説だと思うんだよね。そして、現代人が面白さを求めているなら、それに応えるのが歴史小説家ってものさ。お分かりかい、レディ?
「あのう」
突然の横槍に、あー君はヘッドフォンを外した。
「どうしたんですか」
「あ、私、メッセンジャーです。短波ラジオなんてやってないで早く仕事をせい、とのことでした」
「え、いやあの」
「困るんですよ」メッセンジャーは言った。「お忘れですか。うちの帝、気に食わない甥っ子を殺してますからね」
「怒らせると怖い、と」
「ええ。はやく、お願いしますね」
「はいはいただいま!」
ラジオ室から出たあー君は、となりの部屋に入った。そこには、山のように積み上げられた書の山。その背表紙には、『帝記』『旧辞』のタイトルが。
パーソナリティあーくん。本名、稗田阿礼。
飛鳥時代の歴史小説家にして歴史の先生である。その記憶力を見込まれ、それまで朝廷が記録してきた歴史書の暗誦を時の帝である天武天皇から指示される。そして後、稗田阿礼によって伝わった歴史が古事記の下敷きとなるのである。
でも。
「ああもう!」あ―君は涙目だ。「歴史っていうのは暗記だけじゃあ面白くないんだよ! もっと僕の妄想を挟ませてくれ! 歴史っていうのはエンターテイメントなんだよ!」
「あ、帝が、『でも、教訓とか説得の技術って側面もあるんだから、そこも追求ヨロ』とのことでした」
「軽いな! ああもう、ちきせう!」
あーくんは涙目になりながら、ぶつぶつと山のような歴史を暗誦しはじめた。