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第八話〜曳馬城攻め〜

あ〜・・・なんかもうすみません。

何で謝ってるって?

更新が遅れた事ですよ


東海地方でも類稀な名門・今川家、その歴代当主は文武に優れた名将が多かった。


今川義元の兄・氏輝・義元とわずか二代に渡って尾張・松平家を支配していたところを見ると武田・上杉・北条に並ぶ程の名門であるのはいうまでも無い。


今川義元の軍師であり教育係であった太原雪斎の進言により今川・北条・武田による三国同盟が成り立ち、その勢力はますますをもって強大化の一途を辿っていた。


だがその今川家の前に立ちはだかったのが尾張・織田家であった、長きに渡る攻防戦に終止符を打つべく義元は上洛の準備を整えていたが突如、雪斎が病の身を押して出兵に熱心に反対したのである。


かくして織田家が世間に一躍名を広めるはずであった桶狭間の合戦は未遂に終わり、再び長きに渡るにらみ合いが続いていた。


だがその威勢を誇った今川家は今や滅亡の危機に陥っていた・・・その決定的要因が当主・義元と軍師・太原雪斎の死と松平一族の謀反である、歯止めを失った今川家は松平家討伐を決意し三河に向けて出兵した。


だが酒井忠次・本多忠勝・榊原康政率いる三河軍団二千と木下藤吉郎・須藤清則・前田利家率いる尾張軍団三千の計五千余の寡兵の前に敗北を喫したのである。


− 曳馬城 西方 連合軍本陣 −


松平・織田連合軍は吉田城を出立し今川家の牙城・曳馬城を攻めた、曳馬城主・朝比奈泰朝はわずかな兵で松平・織田連合軍の猛攻を一週間に渡ってかの城を守り抜いていた。


曳馬城は搦手門を太平洋側に突き出した堅城で流石の松平・織田連合軍も攻めあぐねていた、一方信長を総大将とした丹羽・柴田・池田(恒興)・佐久間軍団は墨俣へと進撃していた。


すなわち木下藤吉郎を総大将とした前田・浅野・太田・須藤・小一郎軍は三河攻めの全てを取り仕切っていたいたのだ、だが信長の気性から言うとこのまま無駄に時間を掛け続ければたちまち後方送りにされるのは目に見えていたのだ。


かつて共に敵であった松平元康・木下藤吉郎、須藤清則・本多忠勝は過去の経緯を水に流し同じ戦場で戦っていた。


「ご報告致します!!大久保忠世様が負傷なされました!!」

伝令が次々と絶望的報告を本陣にもたらした、大久保忠世は徳川十六神将の一人に数えられる猛将であったが退却する今川方を深追いしすぎて肩に銃弾を受けたのである。


「何!?忠世が!?・・・解った、下がってよい」

元康が忠世の身を案じながらも一軍の大将として気丈に振舞った、それを知ってか知らずか藤吉郎が元康に忠世を見舞うよう促したが、この土地に不慣れな織田軍のためにも残らねばならないと頑として受け付けなかった。




− 曳馬城内 評定の間 −


城主・朝比奈泰朝以下城兵は寡兵ながらも奮戦していたものの城内は阿鼻叫喚の地獄絵図が如く凄惨を極めていた、既に兵糧も底を尽きかけていて軍馬や城内の片隅で栽培されていた青々としていた野菜まで喰らい尽くされていた。


当然下々の兵にまで食料が行き渡る訳では無い、中には死んだ同僚の血肉を喰らい生き永らえている者も多数いた、ほかにも烏や虫をも喰らう有様だから当然の餓鬼地獄であった。


海に面しているのにも関わらず本拠地・駿府城からは援軍のみならず米の一粒すら到着する気配が無かった、実は一枚岩に見える今川家でも曳馬城主・朝比奈泰朝と重臣・岡部元信との間に確執があったのだ。


かつて義元上洛未遂の折には太原雪斎に説得され共に義元説得を試みた泰朝と上洛を最後まで主張し続けた岡部元信の間には深い溝が横たわっていたのだ。


泰朝は元信に対して詫び状と救援要請の旨が記された書状を送ったが、元信はこれを握り潰し泰朝以下曳馬城の兵達を見捨てたのである。


打って変わって攻め手よりは本多正信・石川数正・木下小一郎が降伏を促す使者として幾度も訪れていたが忠義と現状の間で揺れる泰朝にはイマイチ決め手に掛けていた。


考えに考え抜いた末、一か八かで藤吉郎は清則を降伏勧告の使者として送り込む決断を下した、同じ武人としてこのまま干殺しにされる泰朝を見捨てられないと清則が主張したからである。


「泰朝殿、貴殿等城兵の忠義と奮戦はこの須藤清則のみならず織田・松平両家の武士を感激させる物があり申した・・・降伏は恥ずべきことにござりません・・・何卒このまま無為に戦を続けるのを御止めくだされ」

清則が鎧を纏ったまま降伏勧告の使者として泰朝の説得を開始した、登城途中城のあちこちで見かけた凄惨な光景に思わず涙していたのである。


「・・・」

泰朝は腕を組んだまま黙り込んでしまった、例えここで功績を挙げても氏真の側近である岡部元信に握りつぶされて逆に有らぬ罪で切腹させられる恐れがあったのだ。


「元康公も貴殿を厚く迎え入れて重く用いてくださる事を約束なさっています、城兵の為・・・しいては貴殿の御為にもここは降った方がよろしいかと」

清則が少し強引な感じに泰朝の心を揺さぶった、清則達は事前に伊賀忍軍・服部半蔵から得た情報で岡部元信と朝比奈泰朝の中が険悪になっているのを知っていた、そしてこの曳馬攻めで泰朝が窮地に陥っている事も。


だが敢えて泰朝を降らせたのは籐吉郎の策謀であった、今川家一の忠義者と呼ばれた朝比奈泰朝が松平・織田軍に降伏したとあらば今川領内の将兵や民の戦意を削ぐのには十分過ぎるである。


「清則殿・・・真に元康殿は某を重く用いてくださるのであろうか?」

泰朝が清則の顔をじっと見て聞いた、このまま今川家にいても栄達は望めない、ならばいっそのこと松平家に仕えて憎き岡部一族を討ち滅ぼし松平家で栄達を手にするのが得策と考えたのである。


「武士に二言はござらぬ・・・信用できぬとあらば、この清則が誓書を書きましょうか?」

清則が確かな手応えを感じて最後の難関を突破しようとした、この悪戯っぽい満面の笑顔と自身に満ちあふれた声に泰朝はついに折れた。


曳馬城陥落と朝比奈泰朝降伏の報告は今川家中を混乱の渦に陥れた、次々と国人衆や水軍衆が今川家に見切りを付けて松平家に鞍替えして行った。


今川家当主・氏真は北条・武田家に対して援軍を求めたが北条家当主・北条氏康は『墜ちる烏に差し伸べる手は無き事にて候』と出兵を拒否。


武田からは老兵二百騎と古くなった兵糧五百石が送られてきた、事実上三国同盟は崩壊し今川家は一人孤立する事となったのである。



















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