第六話〜清則、英雄を論じる〜
「その死合ッ!!待った!!」
突然の叫び声に二人は同時に声の主の方を向く。着物を着た老人と才気活発そうな若者が数百の兵を率い、二人を取り囲んでいたのだ。
「守清からの連絡が遅いと思ったら・・・何故、源助(高坂の幼名)がここにおるのだ?」
「幸隆殿・・・」
「源助、御館様の用事は終わったのだろう?ならばさっさと海津城に帰るがよい、上杉めの備えであるお前が城を開けてどうする」
「・・・分かりました」
高坂はまるで親に叱られる子供みたいに項垂れると、清則に目配せをし海津方面へと歩いて行ってしまった。
流石の高坂と言えども、信玄から全幅の信頼を受けている幸隆には逆らうことが出来なかった。
それ以前に、高坂は幸隆のことを師と仰いでいる部分が少なからずあり。真田の一族とは懇意な仲でもある。
勝負に水を差されたと言わんばかりに不機嫌そうな清則の視線に気が付いたのか、幸隆は清則に向かって深々と頭を下げ始めた。まるで一国の城主に対するような礼である。
「上田城城主、真田幸隆と申します。某の領内で夜盗に襲われるとは、某の不徳とするところです。どうか、平にご容赦を」
「幸隆が三男、昌幸と申します。せめてもの謝罪として、今夜は我が城にお泊まりいただけないでしょうか?」
ヤケに腰の低い態度に清則は一瞬、解答を躊躇ったが。目の前の老人と青年から殺気も闘気も漂って来なかった為、素直に従うことを選んだ。
上田城
城に付いた一行は現地で採れた山河の珍味と真田の名酒で持て成され、すっかり気分を良くしていた。
宴もたけなわと言った所で、幸隆は『この上田城には湯治場があるので、そこで汗を流しては如何か?』と薦められたので、清則は少しだけ酔いの回った千鳥足で湯殿へと向かった。
「某がご案内致します」
昌幸が先頭に立ち、清則を案内して行く。
上田城はさほど大きな城では無いが、この時代の城には侵入者対策用の罠が多数設置されており、城によほど詳しい者でなければ、忽ち命を落す危険があったのだ。
「面目ない・・・」
清則はフラフラと壁に手を付きながら、昌幸の後に続いた。真田の名酒である濁り酒をしこたま飲んだせいで頭は重く、考えることすら億劫になっていた。
そして、ヤケに大きな一枚戸の前で昌幸はピタリと足を止め、『ここが湯殿になります』と丁寧に通した。
戸を開けると、そこは脱衣所になっており。その先には天然の岩肌に囲まれた露天風呂となっていた。
「お〜。これは見事な」
まるで真田の秘湯と言わんばかりに広い露天風呂に清則はすっかり感心していた。
素早く着衣を脱ぎ捨てると、褌も脱ぎ捨て。子供みたいに湯に飛び込んだ。
乳白色の湯は熱すぎず、温すぎずと文字通り適温で。こんな広い露天風呂を一人で味わえるとは、まるで大名になったような心地がした。
「絶景かな・・・ふぁ〜・・・」
体が温められたことにより、体内のアルコールが活性化され。清則の酔いは極限に達してしまい、岩肌にもたれ掛かったまま船を漕いでしまった。
どれぐらい眠っていただろう。脱衣所に誰かがやってくる気配に清則は目を覚ました。
きっと真田の者だろうと清則は安心しきり、バシャバシャとお湯で顔を洗い始めた。
「・・・様!!・・・も・・・に!!」
「・・ぬ。・シ一・・十分・・ゃ」
ヤケに騒がしいなと清則は怪訝な顔をしたが、戸が開くと同時に何故揉めていたかの理由が分かった。
初老の男性が幸隆・昌幸と小さな子供を引き連れて、湯殿に入ってきたのだ。清則は幸隆達に軽く会釈すると初老の男性をチラリと見た。
とても初老とは思えぬ程引き締まった体。まるで千里先まで射抜くような鋭い視線に、威厳たっぷりと言った顔をした坊主頭の男性だった。
それ以上に体中に刻まれた傷から、彼がただ者では無いと言う気配を感じ取って、自然と身構えてしまった。裸にもかかわらず、その体からただ漏れる重圧感に清則は息を呑んだ。
「幸隆殿。そのお方は・・・どなたか?」
清則の問いかけに幸隆は身を強ばらせた。余程位の高い男なのだろうかとタカをくくっていた。
「何、ただの隠居の爺じゃよ。ご一緒してもよろしいかな?」
初老の男性がカラカラと笑いながら歩み寄ってきた。清則は少し考え込むと、静かに頷いた。上田城に隠居なんていたかな?と首を傾げるが、体中に回ったアルコールからか考えるのを止めた。
すると彼は清則の隣に腰を下ろすと、深い溜息を付いた。その姿が何とも性に合っているなと清則は苦笑する。
一方の幸隆達はどうにも落ち着かない顔をして、二人を取り巻くような形で湯に身を沈めた。
「やはり湯は良いのぉ。この世の憂さを洗い流してくれる心地じゃ」
「ご老体と言えども、世に憂さを感じるのですか?」
「この戦乱の世に生きる者としては当然じゃろ。戦ともなれば民は苦しみ、土地は荒れ果てる・・・それは見るに耐えないもんじゃよ」
「では、ご老体は誰が天下に近いと思いますか?」
清則が何気なく投じたこの疑問に、幸隆達は苦笑いを浮かべて解答を待った。
彼はしばらく考え込むような素振りを見せると。濡れ手ぬぐいを頭に乗せ、静かに語り始めた。
「天下に近いだけじゃ駄目じゃ。天下の主に相応しい器でなければ、天下は治められん。足利も器に相応しくないから・・・こうして世が荒れたのじゃよ」
「なるほど、正論ですな」
「お主は誰が天下人に相応しいと思う?」
「そうですな。織田信長公はどうですか?」
「信長か。ヤツは確かに強いし、家臣を上手く統率しておる。だが、恐怖による統治は長続きしないのが通例じゃ」
「・・・徳川家康公は?」
「ヤツは長い目で見れば・・・一番天下に近いかもしれん。だが、まだ若すぎる。世の酸いも甘いも知らなければ天下を治めることは出来ん」
「では、武田信玄公はどうですか?」
その言葉に彼も幸隆達もピクリと動く、単なる興味からであって。別に深い意味はなかった。
彼はふぅと溜息を付くと、ゆっくりと夜空を見上げて呟き始めた。
「・・・信玄か、ヤツは駄目だな。とてもじゃないが、天下を治める器では無い」
「今や破竹の勢いと言われる武田家でも・・・駄目だと?」
「あぁ、全く持って駄目だ。信玄は人間ではなく、畜生じゃ。甲斐を手に入れる為に実父を追放し、今川を攻める為に実子を死に追いやった・・・。ヤツが天下を治める器では無いことは明白よ」
その答えに清則はギョッとした。武田家の重臣である真田一族を前に、これだけ主君をボロクソに貶められれば、その場で斬り捨てられても文句は言えないのである。
だが幸隆を始め、真田の者達はどこか悲しそうな顔を浮かべて俯いたままだった。
「信玄も駄目となれば、北条・上杉・毛利・大友も駄目じゃな。今はこの日本に戦乱を収める英傑がおらんのが・・・ワシの憂いじゃて」
「なるほど・・・」
「それより、お主。信玄に会ってみたくはないか?」
「信玄公に?」
「あぁ。お主なら、信玄の信玄を止めることが出来るかもしれぬな」
期待に満ちた目を向けられ、清則は慌てた。甲斐の虎である信玄公を自分如きが止めるなどと・・・そんなことが出来ようはずはないと答えた。
「あの平八郎を止め、今川に引導を渡したお主なら出来よう。さて、もう遅い。ワシはこれで帰るとしよう」
彼はそう言うと立ち上がり、真田の一族を引き連れて風呂から上がっていった。残された清則はしばらく考え込む素振りを見せると、静かに立ち上がって湯殿を後にした。