第五話〜異形の構え〜
高坂と守清が話をしている間、清則達と忍びの間にも動きがあった。
どうしたものかと攻めあぐねていると、旅の一行の中に女性の姿を見つけたのだ。清則の恋人であり、半兵衛の娘である千里である。
これ以上、無様な姿を見せつけては武田の沽券に関わると踏み、強攻策に出ざるを得なかった。
「き、貴様!!何を!!」
「退けッ!!女、来い!!」
「きゃっ!!は、離しなさい!!」
千里を庇うように立ちはだかった小一郎を体当たりで弾くと、千里の首を腕でがっちりと固め、人質としたのである。
「清則殿!!千里殿が!!」
官兵衛が慌てて清則に叫んだ所で、清則と慶次は己の迂闊さを恥じた。
正面からの戦では敵わぬとなれば、搦め手を攻めるのは兵法の常道である。当然、自分たちの弱点である千里に手を出すはずだったのだ。それをすっかり忘れてしまっていたのだ。
「ひ、卑怯者め!!武人としての心意気は無いのか!!」
「黙れッ!!大人しく降参しないと、この女の首を折るぞ!!」
慶次が一喝するも、恐慌状態に陥った忍びは聞く耳を持たず。ギリギリと千里の首を締め上げ始めた。
これには流石の清則も二の足を踏んだ。千里は自分の思い人であり、それを目の前で殺されるのは耐え難い苦痛に他ならない。
「こん・・・のッ!!千里殿を離さんか!!」
小一郎が手近にあった石を掴み、忍びの頭を思いっきり強打する。流石に強靱な肉体を持つ忍びと言えども、この一撃は堪えたらしく。千里を手放してしまった。
・・・それが彼の運の尽きだった。
彼がくらくらする頭を抱え、立ち上がった時。彼の目の前に清則の姿は無かった。文字通り、視界から完全に消えていたのだ。
「う、上じゃ!!」
仲間の声でハッと上を見上げれば、跳び蹴りの姿勢で今まさに自分に突っ込んでこようとする清則の姿が見えた。
この時、忍びは本能からか顔を両腕で庇ってしまった。誰もが顔が攻撃されようとすれば顔を防ごうとするものである。
だが、彼はここで三つ目の間違いを犯してしまった。
一つ目は千里を人質にとってしまったこと。
二つ目。本気で清則を怒らせてしまったこと。
そして。三つ目は、避けずに直撃を許してしまったことである。
重さ数十キロはあると言われる鎧を身に纏い、戦場を駆ける武将。更に清則は元は農民である、故に足腰の強さは並の人間とは桁外れの強さを誇っていた。
そんな彼の跳び蹴りである。とても、両腕だけでは防ぐことなど出来ようものか。
ボギボギと忍びの両腕から骨が砕ける音が響き。あらぬ方向へとグニャリと曲がる。折れた骨は筋肉を突き破り皮から出てしまっている。
「ぎ、ぎああああああああああああああああああああああ!!」
激痛に忍びが吠える。忍びと言えども・・・いや、誰であろうとこの痛みは耐えられる物ではない。挙げ句、怪我の度合いから彼の両腕は二度と使い物にならないであろう。
痛みに悶え苦しんでいるにも関わらず容赦なく、清則の蹴りが飛ぶ。今度の彼の狙いは首の骨である。
人間の骨で重要な箇所は背骨と首の骨である。各種神経が通っているそこを折られた場合、即座に体の全ての機能が停止し、確実に死に至るのだ。
その瞬間、彼は自分の愚行を悔いた。だが、既に時は遅く・・・全てに判決を下す閻魔の鉄槌は下ろされてしまった後である。
ボギィと言う鈍い音が上田原に木霊する。彼の首はくの字にひしゃげ折れ、白目を向きながら崩れ落ちた。
「次は・・・誰だ?」
ハァーハァーと肩で息をしながら振り返る鬼神。自分が倒した敵には目もくれず、次の敵を求めて忍び達を一睨みする。
もはや誰もが敵わぬと心胆が氷り付いたその時である。上田原に飄々とした声が響き渡った。
「ハッハハハ。まさに鬼神よのぉ・・・」
怖じ気づいてしまった忍び達を掻き分けながら清則の前に立つ男。誰であろう、高坂弾正忠虎綱その人である。
忍び達は彼を見るや否や、地面に膝を立てて頭を垂れた。その姿から清則も彼がただ者では無いことを武人の勘で感じ取った。
「貴公がこの忍びの元締めか?」
「いいや、違うぞ。ワシは武田の一家臣じゃ」
殺気を向けてくる清則に対して、悠々と自己紹介をする高坂。流石は武田の名臣、殺気と血まみれの戦場を抜けてきた強兵は殺気如きには遅れを取らぬと言わんばかりの態度である。
「武田の家臣がワシになんの用だ?」
「ハッハハハ。流石は織田の鬼須藤と言った殺気じゃ」
高坂の言葉に清則の眉がピクリと揺れる。一応、隠密での旅となっており、目の前の男が自分の名前を知っているとは思ってもいなかった。
「何故・・・」
「何故、お主の名前を知ってるかと?簡単な事じゃよ、お主が隠密の旅に出るには・・・ちと有名になりすぎたからじゃよ。今川攻めであれだけの武功を挙げれば、嫌でも名は知れるもんじゃよ」
「・・・」
「ハハッ、自覚は無しか。本当に変わった男よ」
「それで、何が望みだ?」
「ふむ。ようやく本題に入れるな・・・お主、仕えるべき主は見つかったか?」
「いや、諸国見聞の最中だが」
「ならばよい。単刀直入に言う・・・御館様にお仕えせぬか?」
「・・・嫌だと言ったら?」
「お主程の男が上杉に付くのも脅威じゃ・・・ここで斬る」
瞬間、二人を包む空気が一変する。高坂も温厚そうな顔に溢れんばかりに闘気を滲ませて、清則と間合いを計る。
清則は直感で素手での勝負は危険だと判断した。高坂は半身を捻り、拳打の構えを見せているが、右手は常に太刀の柄を握りしめていたのだ。
もしも、素手で殴りかかろう物ならば間接を捻り上げられて抜き身の一刀の元に斬り捨てられるだろう。
飛びかかったとしても避けられてしまえばそれまでである。どう考えても素手で相手をするには分が悪いとしか思えなかった。
そう判断した清則は、右手で槍を握りしめ、左手で小太刀を握りしめて構えた。
異形の構えに高坂は背中に嫌な汗を掻いた。槍で掛かってくれば懐に入ればよい、だが小太刀を持つことで懐に入られた時の備えも出来ている。まさに戦場で培った叡智が結集された構えだった。
「・・・」
「・・・」
両者が睨み合って既に半刻が経過しただろうか。それでも両者は動かない。この仕合は先に動いた方が負けであると両者は直感で悟っていた。
ただ無駄に時が流れるだけの上田原。二人は互いに睨み合ったまま動かない・・・直ぐ傍に忍び寄る影にも気が付かぬまま・・・。