6話 憂鬱な里帰り
「へえ。それで、混ぜモノを引き取ったのか」
ああ、そうだよ。でもアンタ、絶対事前に調べて知っていたよな。
俺は目の前で優雅にお茶を飲む王子から少し目をそらす。もう少しで睨みつけてしまい、遊ばれる所だった。今は時間がないのだ。関わるのは最低限したい。
俺はサリエルを意識の外に出そうと、キロが持ってきた魔力変動の数値に目をやる。とりあえず、小さな魔力の動きはあるが、混ぜモノが暴走したり消えたと思える数値は上がってきていない。転移魔法もこの程度の変動ならば、使われていないだろう。
そうなれば、ここにはもう用はない。次は――。
「じゃあ、見つかったら今度紹介しろ」
「嫌です」
「アスタリスク魔術師?!」
ちっ。無視しようと思ったのに。反射的に答えてしまった自分を殴りたい気分だ。サリエルがニタニタと嫌な笑みを浮かべているのが、見なくても分かってしまう。
「そんな、減るものでもあるまいに」
「減ります」
オクトをこんな性質の悪い大人と関わらせたくはない。見た目には減っていなくても、みえない部分が減ってしまう。例えば……えーっと、そうだな。良心とか?とにかく、オクトが大きくなって自分で考えて会う選択をするならばいいが、それまでは駄目だ。
「魔族の執着は、気がくるっているというが、お前もそうだったんだな。何にも執着しない男に見えたんだが」
「失礼ですね。普通です」
少なくとも、サリエルよりはマシだと思っている。彼は強欲だ。欲しいと思えば、国だろうと人だろうと必ず手に入れようとする。俺には彼のように、何もかもが欲しいなんて激しい感情はない。
「これが種族の相違というものか。……でも偶然出会ってしまうのは、仕方がない事だよな」
「そんな偶然起こるわけないですよ」
「アスタリスクが踏みつぶすからか?」
「さあ、おっしゃる意味が分かりません」
全てはいらない。だけど俺は大切なものを、何でも欲しがる子供にとられるのを黙って見ているほどお人よしでもないかった。
この人に関わらせないようにする方法を瞬時に考える。答えは簡単だ。もっと気になるものを渡せばいい。彼は子供だ。何でも欲しがる子供。
何でも欲しがる代わりに、すぐに飽きる。……そこが俺とは決定的に違う。
「そういえば、黒の大地で頭が変わった国がありましたね」
「……それがどうした?」
「何でも派手な兄弟げんかの末の交代劇らしいですよ。肉親同士で争うなんて、恐ろしい話ですね」
それが何だと言う顔をしているが、興味は持ってもらえたらしい。黙って俺の話を聞いている。
「話は変わりますが、あの国は、いまや色んな場面に欠かせない『紙』の半数以上を作っていましたよね。きっとこれから面白い事になりますよ」
オクトと仲の良かった少年の事もあり、色々ホンニ帝国について調べてみたが、今の調子だとかなり高い確率で国内部が分裂する。それが内乱にまで発展するかどうかは今後次第だが、国が荒れれば、産業も大きなダメージがあるはずだ。
そして紙が輸入できなくなれば、他の国も色々な不都合がでてくる。――紙の大半を輸入しているこの国を含め。
「ほう。それはまた面白い事になるな」
うわー、悪役っぽい笑み。
サリエルの笑みはどう考えても、正義の味方には見えない。これがこの国の王子と言うのだから、世も末だ。だが彼は今のところ、この国にとって有益な事をしている。あくまで、『この国』にとっては、だけど。
「よし、その件はお前に任せた。必ず楽しい事にしろ」
「えっ?えっ?」
隣でリストがキョロキョロと俺とサリエルを見比べている。俺はわき腹に肘を当てて、黙っていろと伝えた。これ以上、サリエルに関わる気はない。
「それと――」
「物質への魔法添加の件は早急に終わらせますから、ご安心を。では、娘の一大事ですので、失礼します」
リストの頭を押さえつけて一緒に礼をさせると、早足で廊下へ出る。後ろから足音が聞こえるので、無事リストも逃げだせたのだろう。
「アスタリスク魔術師、一体どういう事ですか?!」
「どうもこうも、面倒な事になっただけだよ。あぁぁぁ、俺はただ娘の安否を心配している親にすぎないのに。どうして現実は、こう邪魔ばかり入るんだ」
「……ああ、うん」
「何そのやる気のない声」
「いや、何かアスタリスク魔術師が、娘の為とか言うと嘘くさいなと……。い、いえ。別に否定しているわけでなくてですね、いや。普通の親ならそうですよね。分かります。うん、痛いほど――きゅう」
おっと、反射的にリストの首を絞めてしまった。
変な鳴き声がリストから漏れた事で、俺は我に返り手を放した。そうだ、こんなことをしている暇はないんだ。ゲホゲホとえずくリストを尻目に、俺は再び歩き出す。
次は何をしたらいい。色々やるべき事はある。どれから行おう。何が、最優先事項だろう。
「ゲホッ……分かりました。手伝います。手伝いますから、怒らないで下さいよ」
俺は足を止めて振り返った。リストは喉を押さえ、涙目になりながらも俺を見あげる。
「僕、役に立ちますよ?具体的に言えば、アスタリスク魔術師より、友達多いですから」
ティアちゃんでしょ、ミントちゃんでしょと、女の名前を上げては、リストは指を曲げる。……それは本当に友人だろうか。
「誰だよ、それ」
「王宮のメイドさんです。ほら、僕って人畜無害な顔しているでしょ?だからすぐに仲良くなれるんですよ」
確かにリストは、俺やエンドよりも若い外見をしている。人族で例えるならば15か16歳ぐらいで、可愛いと表現されるような顔立ちだった。そして、実際若い。10代とは言わないが、俺やエンド何かより、ずっとだ。でもそんな若いのに、俺らとつき合えるコイツがただの『人畜無害』なはずはない。
「そのうち、後ろから刺されるぞ」
「その時は助けて下さいよ。でね、話を戻しますが、彼女達は噂話大好きという名の情報屋なんです。色々知っていると思いませんか?僕を仲間にするとお得ですよ。ね?」
まあ、メイドさん方々にはどうか知らないが、俺にとっては有害でもない。
「だからさっきの話、つまりどういう事か分かりやすく、かつ簡潔丁寧に説明してくれませんか?結局、何がどうなっているんです?」
◇◆◇◆◇◆
「お待ちしておりました、アスタリスク様」
「父上はいる?」
「はい、いらっしゃいますが――」
答えの途中だったが、玄関で頭を下げている使用人の前を俺は通過した。まあ答え求めているわけじゃない。居るから、わざわざ来たのだ。
伯爵邸に来るのは久々だ。最後にここへ寄ったのは年末くらいか。息子の学校の休みに合わせて帰ったような気がする。結婚、結婚、五月蠅かったかったから自然と足が遠のいてしまっていた。オクトを引き取った事は、結局手紙で知らせただけである。
……うわぁ、面倒臭い。
現状を考えると、オクトの事がなければ、後一年は近づく気はなかった。結婚、結婚とは言われなくなったが、今度は孫を見せろと母親が五月蠅かったのだ。ここに来たら取り上げられてしまう可能性が高い。
「父上、入りますよ」
それでも今回ばかりは仕方がない。両親より、サリエル王子の方が厄介度が高いのだ。オクトに近寄らせる気はない。
「なんだ。来たのか」
「ええ。少しお願いがありまして」
相変わらず無表情な親父だ。俺を赤い瞳で一瞥すると、再び書類に視線を落とす。昔はこの父親が苦手だった。今でも息子である俺でさえ、彼の考えている事は読みとれない。でも80年近く付き合っていれば、怖いとかそんな思いは風化する。今は面倒臭い大人だなぁと思うだけだ。
「単刀直入に申し上げますが、紙の生産事業に手を伸ばしていただけないでしょうか?」
「何故?」
ですよね。
流石に理由を説明せずに「はい」と頷いてもらえるほど甘くはないだろう。
「もうすぐ、『紙』産業を支えるホンニ帝国が、内戦で混乱します。『紙』を輸入に頼っている、この国も独自に作っていかなければいけないと思うんです」
「何故、私が?」
模範的な解答を答えれば、心底不思議そうに返された。うん。たど思ったよ。
流石、昔伯爵家をつぶしかけるほどに、仕事を怠けた男だ。確かにここは雪深く、あまり穀物の生産量も高くない地域である。しかしもう少し真面目に産業を育てていれば、もしくは農作物の改良に力を入れていれば、あれほど深刻な状態にはならなかった。そんな男が進んで仕事を増やすとは思えない。
「それに、内戦が起こるとも限らないだろう?『紙』の技術は、『印刷』技術と共に、ホンニ帝国がほぼ独占している。もしも内戦が起こらなかった時、太刀打ちできる能力がないこちらは、赤字となるだけだ」
返事はもっともな感じで帰ってきた。手堅い感じで経営してます的な話にも見えるが、俺には分かる。面倒だと思っているだけだと。
「もちろん、何も起こらなかった時の事を考えて、ホンニ帝国とは別の市場獲得も考えていますよ。例えば紙に魔方陣が書かれている『魔術符』を販売するというのはどうです?使い捨てにはなりますが、一般的な道具よりも安価にできるかと思います」
「魔法使いを含めても、魔法を自由に使える者など限られているだろ。それほど大規模な市場にはなると思えんな。もしも利益があるなら、私でなくても、誰かがやるだろ」
ちっ。誰かがやるだろと言っている時点で、どれだけ美味しい話だろうと乗ってこないという事は分かった。いい話ならば、いい話で、絶対裏があると言って断るに違いない。
……やっぱり、表情筋さえ衰えたこの怠け者を動かすには、正攻法では無理か。
「ねえ。なんでそんなに『紙』にこだわっているの?」
伯爵から少し右横に視界をずらすと、そこにはいつの間にか母上が立っていた。いつもの事だが、この人の隠密技術と影の薄さは計り知れない。
「母上……」
「それとどうして、ここに居るのが貴方一人なのかしら?まさか小さな娘を、一人で家に置いてきたの?とんだ人でなしね」
きゅるんっと純粋無垢な笑みで毒を吐かれ、俺は逃げ出したくなった。しかしここで逃げても、事態は解決しないので、転移する寸前で、発動を止める。危ない、危ない。
それに伯爵を動かす事が、正攻法で難しければ、裏技として母上を使うしかない。今の父上にとって大切なのは彼女だけであり、全ての基準は彼女だ。……ならば最初から母上に頼めばいい話かもしれないが……できる事ならば頼りたくなかった。
「私にも事情があるのです」
「親に娘を見せられない事情なんて考えられないわ」
「……今、娘は誘拐されているんです。娘を魔の手から助け出す為には、王子が要求する『紙』の生産を成功させなければいけないんです」
正確には誘拐されたオクトに王子を近づけない為に『紙』の生産を成功させる必要があるだけれど。それでも王子という魔の手から助け出すに事には違いないので、間違っていはいない。
俺の言葉に、一応人並みには驚いたらしい母上は、「まあ、まあ」と言いながら目を大きく見開いた。それでも、「まあ、まあ」で終わってしまう辺り、色々ヒトとしての常識が抜け落ちているとしか思えない。
「なら、無事魔の手から助け出したら、家に遊びに来てくれるのよね?」
正直嫌だ。
この母親ならば、俺からオクトを取り上げかねない。しかし王子と天秤にかけた上で、厄介度は王子の方に軍配が上がった。母親相手ならば、俺が上手く立ちまわればまだ何とかなる。
俺は少し迷った末、是と頷いた。