3話 卑屈な娘
オクトは俺の家へ引っ越す準備の為に部屋から出て行った。
もっとごねるかなと思ったが、意外に素直だ。むしろ一緒にいた女性の方が、くってかかっていた。
「うちの団員が、見苦しい真似をして、申し訳ございません」
「いえ。こちらも突然の申し出だったので。所であの女性は……」
「アルファはオクトの母親と仲が良かったんです。オクトの母親であるノエルが死んでからずっと、オクトの事を面倒見ていました」
「へぇ」
ノエルねぇ。
オクトの母親は黄の大地出身だと言っていた割に、名前が黄の大地風ではない。むしろこの国や近隣国に多そうな名前だ。移民だったのか、それとも偽名か。
「アルファは責任感が強いので、一座を出ていくにあたってオクトを引き取りたいと言っていたのです。息子のクロともオクトは仲がいいので」
「そう言えば、先ほどもそんな事を……。何故出ていくのか聞いても?」
「私と次の公演をする場所で少し揉めたんですよ。彼女はその場所へ行きたくないようでして」
「次は何処で公演を?」
「ホンニ帝国を予定しています。まあその間に通る国でも少し稼ごうとは思っていますが」
ホンニ帝国といえば黒の大地と金の大地にまたがる国だ。ここからだと結構遠い。確か最近国王が変わったとかという話があった気がするが……。何が理由かは知らないが、アルファは舞台で剣の舞を踊っていた軍人だ。色々事情があるのだろう。
「そうだ。今から書く俺の住所を、後でアルファに渡しておいてくれないだろうか?中々会いに来るのは難しいかもしれないが、近くに来た時にはクロと一緒にオクトと会って欲しい」
「そうしてもらえると助かります。なら、今すぐ紙とペンを――」
「ああ。大丈夫だ」
俺は手のひらの上に召喚魔法の陣を思い描き、紙とペンを取り出す。それを使って、宿舎と、自宅の住所を書いた。
「このどちらかを尋ねてくれれば、連絡は取れると思うから」
紙を二つ折りにして渡すが、団長はすぐに受け取ろうとせず、どこか呆けたような顔をしている。
「団長?」
「ああ。すみません。あまりに鮮やかに魔法を使うので……」
「ふーん」
この程度で驚くんだ。
この一座には魔法使いもいるようだが、あまり大した事はないのだろう。だからこそ、オクトの価値にも気がつかないんだろうけど。
まあオクトの価値は、魔力の強さではない。子供っぽさのかけらもない、冷たい眼差し。それでいて、クロのような大切な人へ向ける目はまた違う。さらにあの見た目とのギャップと、何をするか正直予測できない所がいいと思う。
「そういえば、オクトの母親は死んだと聞いたけれど、病気か何かだったのか?」
「その事ですが、それが良く分からないのです」
「分からない?」
「はい。ノエルはいきなり失踪してしまいましたので。ただ失踪した時に一緒に居たオクトは、『消えてしまってもうこの世界の何処にもいない』と言いました。ノエルがオクトを置いて何処かへ行くとは考えにくいので、死体はないのですが、私たちは死んだのだろうと解釈しました」
死体はないか。
精霊は肉体がないので、死んだ後は世界に溶けると言われている。ノエルが精霊よりのヒトだったとしたら消えてしまうのも理解できる。しかしその場合、何が原因で死んだのか。
オクトはノエルのようにはならないのだろうか――。
小さな不安が頭をよぎる。ただ現場に居たのがオクトだけだったとすれば、オクト抜きでこの話をしていても意味はないだろう。俺もこの団長も何も知らないのだ。
「へぇ。それとオクトの事を色々知りたいんだけど。良ければ教えてくれないかな?」
◇◆◇◆◇
オクトはノエルが消えるまでは、赤ん坊のような子供だったらしい。……正直想像はつかないが、団長もわざわざそんな嘘は言わないだろう。
オクトを連れて帰って一日目、俺は昨日聞いた内容を思い返した。
「混ぜモノって情報少なすぎるよなぁ」
本だらけのベッドの上で、混ぜモノについて書かれた文献を読んでいるが、混ぜモノについて主に語られるのは死にざまだけだ。それも何が原因なのかを書くのではなく、どんな暴走を起こしたのかだけである。……まあ、混ぜモノが暴走すれば、町一つ消えるのが普通。何が起こったのかを知るものは誰もいないだろう。
「やっぱり、まともに残っている資料はこれぐらいか……」
100年ほど前の黄の大地で起こった混ぜモノの暴走。
これは6番目の王女の王位継承を阻止する為に兄王子が混ぜモノを使って暗殺しようとした結果、混ぜモノの力を暴走させ、王都を火の海にした事件だ。王女の遺体は燃え尽きてなくなってしまい、兄王子の暗殺は結果的には成功した。ただし兄王子もまた焼死しているので、試合に勝って勝負に負けた感な話である。
ただしここで語られている内容はこれぐらいで、あとはどのようなメカニズムで暴走が起こっているのかの推察がされているだけだ。この混ぜモノがどのような種族で、どんな生い立ちをしていたのかなどは一切語られていない。俺としてはオクトの今後を考えると、できるだけ混ぜモノの生態について詳しく知っておきたいところなのだが……。
「他に何かなかったかなぁ」
母校の図書館ならばどうだろう。確かあそこには種族別の文化や生態を記載した本があったはずだ。混ぜモノについては無理でも、精霊についてなら少しは情報もあるだろう。
バタン。
何かを開け閉めする音が聞こえて、俺は体を起こした。独り暮らしでは絶対聞こえてこない生活音だ。オクトも起きたのか。
俺は本を閉じるとベッドから降りた。本の山を崩さないよう部屋から抜け出る。
音のする方へ行けば、オクトは本の山の中に居た。……いや、どこも山か。たしかここは、キッチンだったはず。
「オクト、おはよ」
「あっ、おはようございます。アスタリスク様」
……様?
朝起きて誰かがいる。そんな幸せをかみしめようと思ったのに、返ってきた言葉はなんともよそよそしい。というか、昨日までのふてぶてしさは何処行った?
「ああ。俺、堅いの嫌いだから。アスタでいいよ。そんな所で何しているの?」
「……朝食の準備をしようと思いました」
だから、何で敬語。
はて、オクトとこの家にきた時は敬語だっただろうか。たしかオクトが眠そうだったのでさっさと寝るように言ったが……。思い返した所で、オクトは荷物をまとめてから、まともに話していない事に気がついた。元々オクトはあまりしゃべる方ではなく、適当に寝るように言った時も俺の言葉に頷くだけだった。
「とりあえず、頭上げてね。そんな堅くならなくていいから。それより、オクトって料理できるの?」
「簡単なものでしたらできます。しかし申し訳ございません。ここにあるものだけでは、私では作る事ができません」
あくまでこの姿勢を崩すつもりはないようだ。
おかしい。俺は使用人が欲しかったのではないのに、何故こうなる。これではつまらない。いきなり引き取った意趣返しだろうか。
「そりゃそうだ。結構前に買ったパンしか入ってなかったでしょ。俺、もっぱら食堂ばっかで食べてるから。でも材料さえあれば料理ができるなら、オクトに頼みたいな。時間の縛りがあるし、色々制限もあって、食堂で食べるのは面倒なんだよね」
「分かりました」
「それとさ、何ビクビクしてるわけ?」
意趣返しならばそれはそれで面白い反応だ。しかし無表情にみえるオクトの目には、どこか怯えの色が見えた。
「……何のことでしょうか。もしも私の言動でお気に召されない事があったなら、申し訳--」
「その敬語だって。異界屋であった時は、もっとふてぶてしい子供だったよね」
「あの時のご無礼をお許し下さい。私は無知な子供でございました。今はアスタ様に拾われた身。精一杯お仕えしたいと思っております」
「ふーん。感謝してくれてるんだ」
「もちろんでございます」
そうか。
感謝してくれているという事は、俺の事を嫌っているという事ではないだろう。それにオクトは何を思ってか、決定的な勘違いをしている事に気がついた。
俺は仕えろなんて言ってないんだけどなぁ。
「じゃあ話は早いや。そのへりくだった、敬語は禁止。俺の方が年上だから、場所によっては多少の敬語は使ってくれた方がいいけど、普段は今まで通りで」
「はっ?」
「それと何か勘違いしているみたいだけど、俺は引き取ると言ったんだよ?」
「アスタ様の使用人として、引きとっていただけたんじゃ……」
オクトがキョトンとした顔で首をかしげた。驚いた顔は、年相応で結構可愛い。ぐりぐり撫ぜ回したくなるのをぐっと我慢する。今はここで話を折らず先にちゃんと説明するべきだ。
何事も最初が肝心である。
「様も禁止。せめて、さんでよろしく。もしくはお父様なら可かな。永遠のお兄さん自称してるけど、一回くらいは可愛い子に『お父様❤』って呼ばれてみたかったんだよね」
「えっと……」
オクトが胡乱な目で俺を見た。おお。これこれ。
大人を大人と思っていないような表情だ。年相応の顔も可愛いが、このギャップがたまらなく面白い。
「賢者様のくせに理解が遅いなぁ。それほど意外?俺がオクトを養子として引き取ったって事」
「……はあ?!」
「そう。つまり君は俺の養女という事。俺がパパで、オクトが娘」
相当な衝撃だったようだ。冷戦沈着だと思われたオクトが叫んだ上で固まっている。目の前で手を振ってみようか。
「何で?」
手を振る前に動き出したオクトは、驚きの所為か敬語が抜けていた。
「ひどいなぁ。こういう時は、『ありがとうございます。お父様❤』だろ?」
何とかして緊張をほぐそうとしてみると、オクトの口元がヒクリと引きつった。毛虫をみるような目をしている。少し本調子に戻ったらしい。
「……どういう意味でしょうか?」
「オクトは頑固だねぇ。だから、家族なら敬語はなしだろ。ただし貴族にはそういうのも五月蠅い奴いるから、外ではソレな。俺も一応伯爵家の一員で、子爵の称号は持っているし、今後そういう場所に行く事もあるだろうしね」
「……宇宙人め」
「えっ、宇宙人って何?」
罵っているっぽいが、何を指しているのか分からない。どこかの方言か、それともまた母親に教えてもらった異界の言葉か。
「この世界以外の生命体の事。それで、何故私がアスタの子供なん……です?」
「おっ。大分と砕けてきたね。でもそんなに理由が気になるのか。そうだなぁ。しいて言うなら、俺が面白いから?」
「……馬鹿?」
馬鹿かぁ。
そんな事を言われるのは初めてかもしれない。変態とか犯罪者扱いする奴は多いが、馬鹿と面と向かって言ってくる人物はそういないのだ。
ただオクトも、言うつもりはなかったのだろう。手で口を押さえると、目をさまよわせて慌てている。別に思った事素直に言ってもらっても全然構わないんだけどなぁ。むしろあまりしゃべらず、何を考えているのか分からない方がつまらないので、積極的に喋ってもらいたい。
「はいはい。思考の渦に入り込まない。まあ結局はそれが面白いと思った理由だけど。オクトは色々考える生きものみたいだからね。俺は頭使うやつが好きなんだよね。ちょうど結婚しろって言われてて、いろいろ五月蠅かったし、いいかなと思って」
「ば、馬鹿か?!そんな理由なら、今すぐ取り消せ」
「何で。俺の勝手だろ」
「世の中、俺様だけで生きれるほど甘くない。私が跡取りになれるはずないから。私は混ぜモノだ。親の気持ち考えろ」
あー、子供を引き取るという事は、後継ぎ問題もあったか。まあでも、オクトも継ぎたいわけではなさそうだし、丁度いいだろう。
「混ぜモノには違いないね。あ、悪い。勘違いさせたかな。オクトが継がなくても、俺の息子が継ぐから、窮屈な思いはさせないよ。最低限のマナーは覚えてもらうけど」
「……もう少し分かりやすく、最初から説明してもらえませんか?」
「だから伯爵は俺の息子が継ぐから問題ないんだよ。周りが再婚しろって五月蠅いけど、混ぜモノの親になりたがる酔狂な貴族は少ないからな。小さな混ぜモノの子供が居るって言えば、しばらくは見合いを断れるだろ」
オクトなりの意地なのか、また敬語だが、とりあえず指摘は止めた。ぐるぐると考え込んでいる様子を少し眺める事にする。
「アスタはいいの?」
しばらくして、オクトが聞いてきた。どこか不安そうだ。何が不安なのか理解できないが、いいも悪いも、俺から引き取りたいと言っているんだけどなぁ。
「俺はオクトが気に入ったから大丈夫」
「気に入ったのは、異界の知識?」
「ああ。それは、どっちでもいいよ。何か知っている事があって、気が向いたら教えて」
「はっ?!」
何でそんなに驚くのだろう。異界の知識なんて、正直おまけのようなものだ。オクトは全然自分の価値というものが分かっていない。
異界の知識がなければ、自分が無価値だとでも思っているのだろうか。俺が選んだのに?
そう思うと少し悔しい。でもその悔しさをオクトにぶつけるのは間違っているだろう。5歳の子供が自分を無価値だと思うのは周りの大人の責任だ。
よし。こうなったら、べたべたに甘やかしてやろう。オクトは自分に厳しいので丁度いいはずだ。
何故引き取ったのか説明しながら、俺は困惑気味のオクトを安心させるように笑った。