10話 億劫な仕事
オクトが再び攫われた。
「護衛が離れてどうするんだ?」
「止めて、師匠。頭が、トマトにっ!!」
「いいじゃないか。トマトの方が美味しいし、ずっと役に立つだろ」
俺は苛立つままに、ライの頭を掴んだ手に力を入れる。
お茶会で伯爵夫人……今は伯爵だっけかと乗馬の約束を取り付けたオクトは、伯爵家へ訪問した。もちろん吸血夫人と繋がっている相手なので、護衛としてライを連れてだ。
しかしライはオクトから離れたところで、何者かに襲われたらしい。そこでライはカミュの存在が明るみに出る前にと一度引いたそうだ。オクトを置いて。
よし。一度死んで詫びろ。
「アスタリスク魔術師。ライをトマトにしても美味しくないから」
「美味しいとかそういう問題――あたたたたっ。止めて、本当に窪むっ!!」
五月蠅いな。本当に握りつぶしてやろうか。
「何他人事のような顔をしているんだ。ライの上司であるお前も同罪なんだけどな」
もしも約束を違えるならば、俺は――。
「そんな怖い顔しないで欲しいな。ちゃんと、伯爵家にはライ以外も潜入させてるし、オクトさんが捕まっている場所も分かっているから。ほらこれが屋敷の見取り図で、こっちがオクトさんが捕まっている部屋の見取り図」
カミュが出してきたのは、とても詳細に描かれた図面だった。家具の配置まで明確に記載されている。これならば一度伯爵家の前へ転移して、その後部屋の中まで転移できそうだ。
俺はライの頭を放し、図面を手に取りじっくりと見つめた。
「オクトさんの身の安全は保障するから、少し落ち着いくれないかな」
「これでも冷静な方だけど」
本当ならば、今すぐ伯爵家の屋敷を塵に返してしまいたいぐらいだ。
伯爵家が抱えている魔術師程度だったら、実際それぐらいできる。しかしオクトを人質に取られたら……、オクトに全く怪我をさせずというのは少し難しい。
「そうだったね。貴方がキレればもっと被害は甚大だ」
「分かっているなら話は早い。俺は今すぐオクトを連れて寮へ帰るから」
「でもこのままじゃ、オクトさんはまた連れ去られるだろうね。だから僕に協力――」
カミュが話し終わる前に、俺はカミュの喉元に杖をつきつけた。天辺に魔法石がはまっている杖には、戦闘用の魔法陣がいくつも組み込んである。ずっと使っていなかった為ほこりをかぶっていたそれを、俺はあえて召喚した。
「ライ、動かないで。大丈夫だから」
「余裕だな」
「まさか。本当に余裕があれば、ライに助けてもらってるよ。それはきっと、詠唱も魔方陣構成もいらないものですよね」
「ああ。理論上、1秒もかからずに、お前の頭をカチ割る事ができるよ。どれぐらいかかるか検証してみるか?」
これは昔、ヒトを殺す為に造った物だ。考える間もなく、相手を殺れる戦争の道具。もちろん俺しか使えないように細工もしてある。
「それは困るかな。僕にはまだやる事があるから。そこでなんだけど。アスタリスク魔術師、オクトさんの為にも僕に協力していただけませんか?」
俺が喉元につきつけた杖を少し強くカミュに当てると、ごくりと生唾を飲む音が聞こえた。気丈にふるまってはいるが、コイツもまだガキだ。少し震えている。しかも第一王子に逆らう事の出来ない哀れな存在。
それにここでカミュを殺したところで、バレてオクトに嫌われるという負の要素が増えるだけ。時間の無駄だ。虐めたって楽しくもない。
俺はくしゃりと髪の毛に手をやり、杖を降ろした。
「それで、何をして欲しいんだ」
◆◇◆◇◆◇
本当ならばすぐさま伯爵家に行きたいところだが、俺は何の因果か、公爵家の庭の茂みに身をひそめていた。
「足手まといになったら、置いてくからな」
俺の言葉に、俺の後ろに居るカミュとライは頷いた。
公爵家に魔法感知の結界がはられていない事は、この間お茶会についてきた時に確認済みだ。大規模な結界を張り続けるには、数名の魔法使いが寝ずに魔力を供給し続けなければならないから、当たり前と言える。つまり光魔法単独とはいえ、常に結界の中にある王宮は規格外なのだ。
ただし流石公爵家。私兵がうじゃうじゃいる。見つかると面倒そうだ。
俺はカミュから渡された公爵家の見取り図を召喚すると目を落した。
公爵家に潜入したカミュの部下が、送ってきたもので、部屋の配置は間違いないそうだ。ただしこれだけ鮮明な配置図をかけるほど調べてあるのに、女性を連れ込む事ができる場所は見つけられなかったらしい。
さらに女性を売買している姿も1度も見ていないそうだ。
ならは公爵令嬢は白ではないのかと結論づけれそうなものだが――。
「本当にここなのか?」
「ここではない場所かもしれないけれど、公爵令嬢がほいほい出歩く事はできないからね。何かあるのだと思うよ」
「そうそう。例えば、ローザの部屋とか」
まあそうなるよな。
あくまで疑ってかかるならば、そこしかない。ローザの部屋は2階にあるようだ。部屋の間取りまでは分からないそうなので、廊下に一度飛んで、その後中へ入るべきだろう。
「ローザ嬢は今は伯爵家にいるから、チャンスは今かな」
用意周到な事で。
それにしても元とはいえ、自分の婚約者を罠にはめ、切り捨てるとは、なんとも胸糞悪い話である。
でもだからこそ、第一王子はカミュにやらせたに違いない。
ヒトは一度どす黒いものが沁みつけば、次からは多少黒いぐらいならば躊躇せず汚せるようになる。きっとカミュは今後兄王子の言うままに仕事をこなせるようになるだろう。
もっとも、そんなのは俺が知った事ではないけれど。
「じゃあ行くぞ」
俺は脳内に転移の魔方陣を組み上げた。
完成すると同時に、目の前の視界が変わる。初めての場所だが、成功したようだ。
カシャン。
背後で陶器の割れる音がした。
振り向けば、割れたカップの隣にメイドが崩れ落ちる所だった。その隣にライがいるので、ライが気絶させたに違いない。カップはきっと、俺達に驚いた彼女自身が割ったのだろう。ライは脳筋族だが馬鹿ではない。彼女が食器をとりおとす前に存在に気がつけば、割る事なく気絶させたはずだ。
「他にはいないみたいだね」
カミュはそう言いながらポケットから鍵を取り出し部屋の扉を迷うことなく開けた。事前に合い鍵をつくって置いたのだろう。
扉が開くと、俺らは中に入り込み、最後に入ったライが内側から鍵を閉める。倒れたメイドが見つかっても、これで逃げる時間ぐらいは稼げそうだ。
部屋の中はぬいぐるみがそこらじゅうに飾られていた。天蓋付きのベットはレースがふんだんに使われている。パステルカラーのみで構成された部屋は、何とも居心地が悪いぐらい乙女でだった。
「これが公爵令嬢の部屋?」
確かカミュと同い年なはずだが、部屋から感じるイメージは、もっとずっと幼い。もっとも、俺自身が男なのでそう思うだけで、女性の部屋はこういうものなのかもしれないけど。
一体どんな人物がここで過ごしているんだろう。俺は机の上に飾られた家族全員が描かれた絵を手に取った。
「問題のお嬢さんって、もしかしてコレ?」
絵には幼い子供が3人と両親と思われる男女が描かれている。しかし子供はどうみてもカミュよりも幼ない。見た目だけだと、オクトより少し年上なぐらいだ。
「そうそう。その子だよ。これはきっと古い絵姿だね」
「古い?公爵家って、財力はそれほど問題なかったはずだよな」
姿絵というのは、裕福な家庭なら年に1回くらいは描き直すのが普通だ。大切に古い絵をとっておくことはあるが、いつまでも変えないということはまずない。
「たぶんわざと変えていないんだと思うよ。ローザ嬢は今の自分の姿が嫌いなようだからね」
「嫌い?」
「ほら、魔力が弱いと成長が早いだろ。ローザが婚約解消されたのはまさにそれが原因だし」
正確に言えば、魔力が強いと成長というか老化が遅いのであって、魔力が弱いヒトの方が正常な成長の仕方だ。ただ生きる時間が違う事には変わりない。
魔力の違いで婚約解消される事は、貴族社会ではわりと普通にある事だ。
「ふーん。おっ、この絵姿……、闇よ、偽りの光を相殺せよ」
じっくり絵姿を眺めていると、絵が揺らいだ事に気がついた。光魔法でつくりだされていた絵姿は、俺の魔法により消され、変わりに魔法陣が現れる。
ビンゴだ。
「師匠、それって」
「転移用の魔法陣だな。たぶんパスワードを言えば魔素で発動し、対に造られた魔方陣へ移動できるんだろ。移動させられるものは、これだと……小柄な女性か、子供ぐらいだな」
俺の言葉に、2人が息をのむ。
「なら、それを使えば――」
「パスワードがいるって言っただろ。それに魔素不足で、しばらくは使えないな」
魔素だって限りがあるから、1日に何度も使う事は出来ないだろう。仕組み的に結構魔素を使いそうなので、せいぜい7日に1回ぐらいがいいところではないだろうか。
「少し時間はかかるが、行先指定をそっくり写した魔法陣を造れば、移動はできるな。行くか?」
ただ行った先に、誰がいて、何があるかは分からない。本来ならば、王子を連れて行くような場所ではない事は確かだ。でもきっと行くと言うだろうな。
しかし俺の予想に反して、カミュは首を横に振った。
「その魔法陣は貰っていくけど、今は行かないよ。さあ、今度はオクトさんを迎えに行こう」
「えっ?!行かないのか?」
ライも行くとばかり思っていたらしい。素頓狂な声を出した。
「そこからは僕の仕事じゃないよ」
じゃあ何をしに来たと言う話だが……。犯人探しではないのだろうか?
「吸血夫人なんてどこにもいなかったんだよ。殺害現場が見つからないんだから。通り魔がたまたま魔力を持った若い娘を襲っていただけ。ただ不幸にも通り魔に襲われてしまった、男爵令嬢と懇意にしていた僕の従姉は、心を痛めて自殺してしまう。けれどそれも仕方がない事だと思うんだ」
自殺。
カミュがすらすらと述べる話は、まるで過去に起こったかのようだ。しかし実際は公爵令嬢は自殺なんてしてはいない。つまりこれは過去でも今でもない話。
「そして遠い国では、そんな従姉殿と同じ名前の、魔力を持たない平凡な娘が孤児だけど幸せに暮らしているんだ。でもそんな偶然よくある話だよね?」
そういう事か。吸血夫人など何処にもいなかった。そうする事が、元婚約者に対する、コイツなりの誠意なのだろう。
「その後兄上が、この鍵をどう使うかは、僕には関係ない事だよ」
「まあいいけど」
そっちの用事が終わったならば、今度は俺の用事を済ませてもらおう。俺は脳裏に伯爵家へ繋がる魔法陣を思い浮かべた。




