4
「どう?進んでる?」
突然の声に和也はびくっとなった。
声の主はドアの陰から顔を覗かせている大きな瞳をもつ赤毛の女性。
和也の8つ違いの異母姉、彼方である。
女性にしては少し色黒な肌と
太陽のような赤毛を除けば
顔立ち、体型、雰囲気は和也によく似ていた。
しかし、冗談も通じない和也とは違い、
その瞳にはユーモアのセンスが輝いていた。
彼女はバツイチで普段は主にシンガーソングライターをしている。
和也は現在彼方と二人暮らしだが、
他に別居中の母と難病の妹がいる。
父は早くに亡くしている。
母は妹の看病で精一杯であったため、
いつも彼方が和也の親代わりだった。
その妹も父の死後、経済的なこともあり、父方の叔母の養女として引き取られた。
…3人だけの暮らしになったものの、彼方と和也たちの母は全く反りが合わず、7年前から別々に暮らしている。
特に和也が母より彼方に懐いたことが最大の原因だった。
母は「赤の他人のくせに、和也を母親の私から盗った」と酷く嫉妬し、彼方を憎んでヒステリックになじったのだった。
そこで和也が彼方を庇ったりすると
「お前は私を裏切るのか」と、和也にもつらく当たったり……。
…和也の気難しい性格はそんな複雑な家庭環境からも来ているのかもしれない。
さらに
「お前、いつも授業参観に誰も来ねえけど、親いないの?お前もしかして捨て子なの? 」
などと
家庭のことをネタにいじめられることもあった。
しかしそれでも、和也がどんなにひどいいじめにあっても、不登校にならなかったのは
家にいる方がずっとつらかったからだ。
だが、兄弟間の仲は悪くはない。
今和也が理系の進学クラスにいるのは
難病の妹のために外科医になることを決心したからである。
「あっちへ行ってくれ。お前がいると話がややこしくなる。」
和也は彼方に向かって
「しっしっ」と合図をした。
彼方は「やれやれ」という顔して部屋を出ていった。
「お姉さんにあんな言い方はないだろ?心配してきてくれたんだから。」
賢一が悲しげに言った。
「おーまーえはっ!人の心配するより、自分の心配しろっ!たかが英語のプリントに何十分かかってんだっ! 」
和也はまた、声を荒げた。
賢一は慣れているせいかひびる様子もなく、渋々宿題に戻った。
約3時間後−
「で、できた……」
賢一はかすれた声でそう言うと、
宿題だった英語のプリントを広げてみせた。
和也はそれをパシっと取り上げると、鷹のような目つきで一通り確認をした。
「よし。」
和也の言葉に安堵したのか、
賢一は机の上にくたっとなった。
「お前なあ、こんなにしょっちゅう追試になってたら絶対看護師になんてなれないぞ!」
和也は外科医になり、賢一は看護師になる。
そしていつか一緒の病院で働くことがお互いの夢だった。
「…ごめんな、和也。俺本当に馬鹿だから、和也に迷惑かけてばかりだな。こんな俺に勉強教えてくれるのは和也しかいない…。」
賢一は蚊の鳴くような声でそう言うと
ぶたれるのを覚悟した犬のように縮こまった。
そんな賢一を見て和也の喉の奥に何かが込み上げた。
それを掻き消そうとするようにこう言った。
「謝るくらいなら勉強しろ!馬鹿!」
完全に日が落ちた夜空の中をとぼとぼと帰っていく賢一。
その後ろ姿を見送ると
和也は彼方が待つリビングへ向かった。
彼方は夕飯の魚を焼いていた。
匂いからするとおそらく鮭か。
「彼、帰ったの?」
魚を焼きながら彼方が尋ねた。
「ああ。」
和也がだるそうにこたえる。
「ねえ、」
「なんだよ。」
彼方のもったいつけた態度に和也はいらついてきた。
いや、いらついたふりをしていた。
ずっとコンロを見ていた彼方はくるりと顔をこちらにむけた。
吸い込まれそうな大きな瞳。
「なんでそんなに必死なの?」
続く