▼ピンクゴールド▼
ブースの撤収作業を終えて店に戻ると、19時をまわっていた。
カズコは言いようのないもやもやを抱えながらも、デスクワークを片付けることにして、事務所の自分のデスクに向かった。
しばらくしてアイコが表から戻ってきて、カズコのデスクに近付いてきた。
「カズコ、ホテルで様子がおかしかったって聞いていたけど、大丈夫なの?」
「アイコさん…ご心配おかけしました。大丈夫です」
「何があったか聞かないけど、無理しちゃダメよ?私たちが辛い顔していたらお客様の幸せを祝えないでしょ?」
「はい」
「そうだ。ちょっと待ってて」
何か思いついたようにアイコは自分のデスクに向かい、可愛らしい缶を手にして戻ってきた。
「これ、ブーゲンビリアの花束使ったお客様から、あなたに」
「私に?」
「そう。相談から衣装合わせまですごくお世話になったからって、わざわざあなたに持って来てくださったの」
「これ…」
「ハワイのお土産らしいんだけど。この花、よっぽどお二人の思い出の花なのね」
「…そう…ですね」
アイコから渡された平ぺったい円柱の缶には、『Sweet Strawberry Candy』の文字とブーゲンビリアのイラスト。
それは、カズコにホテルで見た光景を思い出させるには十分だった。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
缶を見つめたまま硬直したカズコを見て、アイコは心配そうに覗き込む。無理やりに笑顔を浮かべたカズコは、アイコに尋ねる。
「アイコ先輩、彼氏が知らない女性と歩いてる現場見たらどうします?」
「う~ん。とりあえず、ストレートに聞いてみるかな」
「強いですね、先輩は」
「そんなことないわよ。ダンナとはしょっちゅう些細なことでケンカしてるし」
「たとえば?」
「ご飯炊き忘れたり、ゴミ出し忘れたりした時もすごいし、この前なんかカレーとシチューで大喧嘩しちゃったし」
指折数えながら言うアイコに、カズコは苦笑する。
「先輩の家は万年新婚夫婦でしたっけ」
「なんで皆そんなこと言うのかしら。不思議でしょうがないわ」
「いや、十分な証拠だと思いますけど」
両腰に手を当て真剣に言うアイコを見て、今度こそカズコは笑顔を浮かべる。
「やっと笑ったわね」
「え?」
「さっきからこの世の終わりみたいな顔してたから、どうしようと思ってたのよ」
「そんな顔してました?」
「そうね、1ヶ月くらい前のリサちゃん位ひどい顔してた」
「呼びました?」
リサが手に白い花束を持って入ってきた。あまりのタイミングのよさに、アイコとカズコは顔を合わせて大笑いする。
「え?なんですか二人とも」
「いえ、噂の力って偉大ねってことよ」
「意味わからんです」
「ちょうどあなたの話をしてたのよ」
「ちょっと!!悪い噂じゃないですよねっ!?」
「さぁ、どうかしら?」
「うへー先輩たちひどい!!」
先輩二人にからかわれ、リサは柳眉を逆立てる。
「ほらほら、そんな顔してると美人が台無しよ」
「アイコさんほど美人じゃねーしカズコさんみたいに可愛くないからいいです。別に」
「『ほど』ってことは美人だとは思ってるの?」
「揚げ足取らないでくださいよぉ」
アイコに口で勝てないと知ったリサはがっくりと脱力して項垂れる。手に持ったままの花束がカサリと音をたててリサの膝に当たった。
それは真っ白いダリアとヒマワリで作られたブーケだ。
「リサ、その花束どうするの?」
「これは今日の撮影で使ったヤツなんですけど、新婦が荷物になるからって置いて行っちゃったんでどうしようかってことになって…」
「そうなの」
「ダリアとヒマワリとはまた勇気があるブーケね」
「あ~なんでも新婦の好みらしいですけど、やっぱ勇者ですよね。スタジオでも撮影終わってからその話で盛り上がってました」
「あら、カメラマンチームもわかったの?」
「いえいえ。カズサさんが教えてくれました」
「へー。さすがカズサちゃん。で、どうするの?」
「私たちもいらないので、事務所に活けようかってことになったんで持ってきたんです」
「だったら私が貰ってもいいかな?」
「いいですよ」
リサは「はい」とカズコにブーケを渡した。
カズコはじっとリサを見ていた。その目にリサは思わず怯んでしまった。
「な、なんですか?いったい」
「ううん、なんでも。ただ、これも運命かなって」
その瞳には強い煌きが宿っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
待ち合わせの時間より20分程早くホテルに着いたカズコは、ラウンジでコーヒーを飲んで待つことにした。
店で貰った花束を脇に置いて、携帯電話でしきりに時間を確認する。
思ったよりも緊張している自分に気付いたカズコは思わず苦笑いを浮かべた。
「そういえば、自分から振るのってはじめてかも」
今まではずっと相手から別れを切り出されていた。理由はいつも同じ『君は僕の傍だと無理をしているみたいだね』
そう。親子ほども年の離れた相手と付き合うためにずっと無理をしてきた。
ただ守られて甘やかされたいという思いは恋愛ではないと認めてあげる時期かもしれない。そうカズコは思う。
「待たせたね、カズコ」
「いえ大丈夫です」
ラウンジに入ってきたマサヒコの手には、見知らぬ女が持っていたブーゲンビリアがあった。
それを見ても昼間のような動揺は起こらず、自分の心の移り変わりの速さに内心呆れる。が、それを億尾にも出さずカズコは笑顔でマサヒコを迎える。
「今日は何かあったんですか?」
「いや特に何も無いが…コーヒーを飲んでたのか」
「はい。早く着きすぎたので、喉の渇きを潤してました」
「今日は早かったのかい?」
「はい。シーサイドホテルのブライダルフェアに出向してました」
笑顔でそう答えたカズコに対して、マサヒコは一瞬だけ表情を強張らせた。やはり自分が目撃してはいけない現場を見たのだと、カズコは確信する。
一瞬だけ見せた強張りをすぐに笑顔で取り繕うと、マサヒコは自分のビジネスバッグから小さな箱を取り出す。
「この間のリングが出来上がったから渡そうと思ったんだよ」
「うわぁ!ありがとうございます」
「開けてごらん」
差し出された箱は、黒いビロード製で人目で高級だとわかる。おそらく、あの宝飾店では当たり前のものなのだろう。
開けてみると、中には先日見たピンクゴールドとプラチナがクロスしたあの二連リングが鎮座していた。たいした重さもない小さな箱とリングは、カズコの手にずっしりと違う重みを与える。
小さな箱に意識を奪われていたカズコは、マサヒコの言葉を聞き逃してしまった。
「僕がつけてもいいかい?」
「え?」
「君の手に、僕がそのリングを填めてもいいかな?」
「あ、はい。もちろんです」
「じゃぁ貸してごらん」
マサヒコは上機嫌の笑みを浮かべて箱をカズコから受け取り、恭しくリングを持ち上げるとカズコの左手を取った。
「マサヒコさん、その子娘はいったい何なの?」