▼ネオンピンク▼
冒頭に直接的な表現はありませんが、絡みのシーンがあります。
ご注意ください。
「ぁっ…あぁ…ぁぁぁぁあぁ!!」
快感の渦に呑まれて目の前が一瞬白く塗りつぶされる。
「…はぁ…はぁ…」
全速力で走った後のように息が上がるが、纏う倦怠感は心地よい。マサヒコはカズコを抱きしめる。
「好きだよ、カズコ」
「…愛してるわ、マサヒコさん」
しばらく大人しくされるがままになっていたカズコだが、抱きしめ返したくてそろそろと手を背中に回そうとすると、とたんに放された。
そのままマサヒコはバスルームに消えてしまう。その背中を寂しそうにカズコは見送る。
「最近、抱きしめさせて貰えないね」
それはやんわりと拒絶を表しているように思えた。こういう時のオンナの勘が当たることをカズコが知っていた。
「今回もダメかなぁ」
ため息を一つ零して、そのままシーツに蹲って安寧な闇へと意識を落とした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
頬を優しく撫でられる感触で、ふ、と意識が浮上する。目の前には、紺色のパジャマが見える。
「起こしてしまったかな?」
少しガラッとしたバリトンボイスが頭の上から降ってくる。顔を上げると、日に良く焼けた顔があった。
ほどよく引き締まったな身体と顔全体と比較してやや大きな目が、40代後半とは思えない若さを演出している。
「大丈夫、今何時ですか?」
「もうすぐ6時ってところかな。起きるかい?」
「えぇ、今日はどこか出かけるんですよね?」
「そう。君とショッピングなんてどうかと思ってね」
いたずらっぽく笑うマサヒコに、カズコはクスリと笑う。
「なら早起きして飛びっきりのおしゃれがしたいです」
「そうと決まればいつまでも抱きしめてる訳にはいかないか」
カズコの背中に回していた腕を解くと、マサヒコはベッドから抜け出す。ベッドサイドの電話でフロントへ連絡を入れる。いつも通り、モーニングを部屋でとるためだろう。
いつもと変わらない朝。だが、やはり昨日抱きしめることを拒絶された不安が拭えない。
「どうしたんだい?」
「え?あ、いいえ、マサヒコさんのスレンダーな身体に見とれてました」
「可愛いね」
右手でカズコの左頬を撫でる。それはまるで、恋人にする愛撫ではなく、ペットにする愛情表現のようだ。
そう思った瞬間、カズコの中の不安が益々大きくなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ここですか?」
「あぁ、そうだよ」
思わず入り口で足を止めて外装を見上げる。銀座のブランドが立ち並ぶ通りの一角にある宝飾店に二人は来ていた。
「本田様、いらっしゃいませ」
「しばらくぶりだね、佐々木くんはいるかい?」
「少々お待ちくださいませ」
仕事でしばしば高価な宝飾は目にするが、こういった最高クラスの宝飾店に入るのは仕事でもプライベートでもカズコには無い経験だった。
引け腰になりながらもマサヒコに続いて店内に足を踏み入れると、一目見て高級だとわかるパンツスーツに身を包んだ店員が近寄ってきた。
どうやらマサヒコはここに何度も来ているようだった。
「本田様、お久しぶりです」
「佐々木くんも。移動していなくてよかったよ」
「本日はどういった物をお探しですか?」
「彼女に似合うリングを探したいんだが」
「ご用途は?」
「彼女に似合って普段からつけられる、シンプルなものを」
「畏まりました。失礼ですが、お客様はどういったお仕事をされていらっしゃいますか?」
「え?私ですか?えと、ブライダルフォトを取り扱うお店で接客してます」
「そうですか。ご要望の色はございますか?」
「ピンク系が好きです」
「畏まりました」
用途を聞かれた時に、マサヒコは直接の答えを言わなかったが佐々木には伝わったらしい。いくつかカズコに質問した後、一礼して二人の傍を離れる。
ショーケースのいくつかを周り、リングを選んでいるようだった。しばらくしてリングを乗せたトレーを持って戻ってきた。
「こういったデザインはいかがですか?」
トレーに乗せられたものは全部で7つ。そのうちいくつかは、明らかにエンゲージリングを連想させるデザインだった。
そして、全てのリングにダイアモンドがついている。昨日から感じている不安はただの思い過ごしなのだろうかと、カズコは一人心に思う。
「サイズのお直しは可能ですのでお気に入りを見つけてください」
「ありがとうございます」
7つのリングのうち、1つのリングのデザインに目が留まる。
ピンクゴールドとプラチナの土台がクロスして連なり、その交差した部分に石がついている。石の配置が桜をイメージさせた。
5枚の花びらのように配置された石のうち、一つが艶やかなピンク色をしている。
「この石はなんですか?」
「それはスピネルといって、昔はルビーと混同されていた石です。そちらに使われているのは、最高級のピンクスピネルでお色はネオンピンクですね」
「へぇ~、きれい」
「気に入ったかい?」
「えぇ、とても素敵」
「ならこれにしようか」
「畏まりました、ではサイズを確認させていただきますね」
そういって佐々木は恭しくカズコの左手を持ち上げると、胸ポケットから小さなメジャーを取り出し薬指に巻きつける。
「わぁ、細くて綺麗な指なんですね。7号ですね」
「いつもサイズがなくて苦労してるんです」
「そうなんですか。ついでに他の指も測りますか?」
「いいんですか?」
「かまいませんよ」
そういって佐々木は結局全ての指のサイズを測った。
「ではお直しに2週間お時間いただきます」
「あぁ、かまわないよ」
「ではこちらの受け取り票に記入をお願いします」
「わかった」
マサヒコは渡された書類に必要事項を記入していく。その間、カズコは近くのショーウィンドウを覗く。
「あ、このピンキーリング可愛い」
「気になる商品ございますか?」
「いえ、連れを待ってる間に見ているだけなので」
「そうですか。どうぞごゆっくりご覧くださいませ」
同じくらいの年頃の店員に声をかけられ、カズコは慌てる。確かに気になった商品はあるが、彼女の給料ではとても買える値段ではないため、試着も躊躇われた。
「では、支払いはこれで頼むよ」
「お預かりいたします」
記入が終わったマサヒコの声が聞こえたので、カズコはそちらに振り返る。彼が黒い長財布から取り出したのはアメックスのゴールドカードだった。
話に聞いてが始めてみるそれに、カズコは目のやり場に困った。あまりジロジロ見るのは失礼だと思ったからだ。
「お待たせいたしました。こちらお返しいたします」
「じゃぁ、よろしく頼むよ」
「お任せくださいませ」
丁寧にお辞儀をした佐々木は、そのまま二人の前に立ち入口まで案内しドアを開ける。そこでもまた丁寧にお辞儀をして二人を見送った。
そんな接客を受けたことのないカズコには少しくすぐったかった。
「マサヒコさん」
「ん?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
カズコは先ほど見た、ネオンピンクのスピネルとダイアモンドで出来た桜を思い出して心が高揚するのを感じた。