番外編2話「異変」
ミレアは、義母と義妹であるイザベラが住んでいる、先代のフランドル侯爵が建てた邸宅を訪れていた。郊外にある新居はそれほど大きくなく、使用人も十名と少ない。情報収集するならば、人の出入りの多い広々としたフランドル侯爵邸の方がなにかと便利だ。
それに、先代が住んでいたフランドル侯爵邸は、ミレアやエミールがこの世界にきたことを初めて自覚した場所でもある。そのため、使用人の中にもしかしたら、自分たちと同じように、転生している者が現れる可能性も捨てきれない。
イザベラに手土産である焼き菓子を手渡すと、変わったことはなかったか尋ねた。
「とくにないけど……あ、そうだ。つい最近、ジョルジュの姿を見かけたわ」
「弟ですか?」
「ええ、そうよ。一か月ぶりに見かけたけど、うちになにか忘れ物でもしたのかしら? 私が話しかけると、驚いた表情をして逃げ出したわ」
失礼しちゃう、とイザベラは付け足した。
今から二年ほど前。ミレアは、約束通りにジョルジュを連れてティルベリー家にいる両親のもとまで逢いに行くと、最初はぎこちなかったものの、帰る頃には実家に戻りたいと心境を打ち明けてくれた。当然ながらミレアは賛成した。
ミレアが侯爵家のメイドを辞めると同時に、庭師見習い兼馬の世話係を退き、現在はティルベリー伯爵邸で暮らしている。それからは時々、手紙での近況報告や、伯爵邸に招かれたり、両親を連れてこちらに遊びに来たりと離れても交流は続けていた。最後に顔を合わせたのは、二か月前の正月だ。
「なにも聞いてないの?」
「ええ、初耳です」
ジョルジュからは昨日、手紙が届いたばかりだが、内容は正月に手土産として持たせた菓子についての感想だけで、首都に訪問するとは一切書かれていなかった。事前連絡なしに遊びに来たことはない。
ティルベリー伯爵邸とはそれほど離れているわけではないので、速達で手紙を出せば翌日には届く。通常の手紙も二日程度だ。だから不思議だった。
「次見かけたら、すぐに教えてください」
「わかったわ」
「では、そろそろ失礼しますね」
「もう帰るの!?」
「いえ。ちょっと食堂へ顔を出そうかと……」
用件は一晴を探すことだ。食堂や中庭などをこれから巡るつもりでいたのでそれを伝えると、イザベラには拗ねられてしまったが、この次来たときはスフレパンケーキを焼くと約束することで解放してくれた。
侯爵邸で働く使用人、一人一人に聞いて回ったが、一風変わった画家の話題が出るだけで、挙動不審な者はいなかった。他を当たるしかない。
ミレアが、落胆しながらフランドル侯爵邸を後にしようと外へ出た時。侯爵邸から少し離れた敷地外から、邸宅を見上げている人の姿が視界に入った。目を凝らしてみると、その背格好になんとなく見覚えがあった。
「……ジョルジュ?」
だいぶ距離があるので表情まではわからない。けれど、その男の髪色はアッシュブラウンで癖毛のショートヘアをしており、毛先がはねていることはわかった。ミレアの髪色、髪質と一緒だ。
「ジョルジュ!」
ところが。ミレアが声をかけた瞬間、こちらに視線を向けた気がしたが、そのまま立ち去ってしまった。
(……人違いかしら?)
似た人がいないとも限らない。他人の空似という言葉もある。
少々気がかりだったが、今日の午後にも一週間ぶりにエミールが帰宅することになっているので、一旦、自宅に戻ることにした。
馬車に飛び乗り急いでもらったというのに、運悪く家の前で黒猫に遭遇してしまった。逃げ回っていたので予定より三十分も遅くなった。エミールと住んでいる邸宅に足を踏み入れると、先に帰宅していた家主が仁王立ちしていた。
一週間という長めの領地視察をして、ようやく落ち着ける自宅に着いて早々、笑顔で出迎えてくれるはずの新妻の姿がなかったのだから、拗ねられてしまっても文句は言えない。黒猫にやられてしまった。
「おかえり、ミレア」
「た、ただいま……エミール様。エミール様も、おかえりなさい」
「ただいま。とりあえず、座ったらどう?」
「は、はい」
調度品が適度に飾られた居間の中央には、アンティーク家具のテーブルとソファがあるので、促されるまま腰かけた。ぴりぴりとした空気を感じているのか、使用人は部屋の隅で待機しているだけで、誰も近寄ろうとはしない。お茶くらい淹れてほしいと思いつつも、口を挟むと八つ当たりされないとも限らないので、知らぬ顔をしているようだ。
「──それで、僕が不在だというのに、一人で工房に遊びに行ったんだって?」
一応、置き手紙は残していたものの、さっそく痛いところを突かれてしまった。異性と二人きりで会わないと約束していたのに、はやる気持ちを抑えられずに侍女を伴うことを素で忘れていた。わざとではない。
「うっ……そう、ですけど」
「ふうん。待っててくれてもよかったのに。まあ、一週間もいなかったから仕方ないか」
「あ、あの……怒ってますか?」
「怒ってないよ」
そう答えていても、笑顔なことが逆に恐怖を感じた。
「あの、才知のことはとりあえず置いといて、もう一人の幼馴染みも、この世界にいる可能性が浮上してきました……」
「一晴くんだっけ」
「そうです。それでイザベラ様に会いに行っていたんです。そしたら、外でジョルジュらしき人影を目撃しました」
簡潔に状況を説明すると、エミールは頷いた。
「ふむ。普段のジョルジュくんなら、君を見れば真っ先に駆け寄るはずなのに、無視して立ち去ったのは気になるな」
「ですよね。ただ単に人違いということもありますけど、どっちにしろ不審者に気をつけた方がいいですよね」
「そうだね。警備を強化させようか」
「お願いします」
どうしても胸騒ぎが収まらないので、侯爵邸と念のため新居の人員を新たに手配してもらうことにした。
「ティルベリー伯爵に書簡を出して、ジョルジュくんの居場所を聞いてみようか?」
現在地を確認した方が手っ取り早いことはミレアにもわかっている。しかし、ようやく息子と再会して穏やかに暮らせるようになったというのに、そんな手紙を手にしたら動揺させてしまわないだろうか。ミレアは首を振った。
「うーん、両親に余計な心配させてしまうので、それは待ってもらってもいいですか?」
「わかった」
「それで明日の昼なんですけど、時間が取れそうだったら、工房まで一緒に行ってくれませんか? 今後のことを話し合いたいんです」
「もちろん、いいよ」
「ありがとうございます」
侯爵邸にそれらしき人物はいなかったと才知に伝え、これからのことを相談したかった。エミールを誘うと、ようやく機嫌を取り戻したのか普段通りに戻った。
「今度は僕の番だ。これ、今回のお土産だよ」
エミールが合図をすると、使用人が次から次へと部屋に足を踏み入れ、ミレアが腰かけていたテーブルの前に箱を置いた。その数は五つもあった。
「……またこんなにたくさん買ったんですか!?」
「君が着たら似合うと思って。それに、こっちは水縞さんっぽいでしょ?」
黒と白のストライプ生地のワンピースだ。モノクロが好きで、私服としてもよく着用していた。知られていることに驚いた。
「た、確かに……って、無駄遣いしないって約束しましたよね!?」
異性と二人きりで会ったことを責められたばかりだというのに、そんなエミールもミレアとの約束を破っていた。それを指摘すると、目を細めて微笑まれた。
「必要経費だよ」
「またそれですか!」
「心配しなくても、中古だからそれほどしてないよ。それに、君の仕事にも繋がるでしょ?」
「うっ……それはそうですけど……」
それを言われてしまうとミレアは強くは出られない。また負けてしまった。
「着て見せて?」
「……わかりました。ちょっと待っててください」
「うん」
前世の趣味はコスプレだったこともあってか、洋服を見せられると着用したくなるのだ。今回も無駄遣いを咎めることができなかった。けれど、せっかく選んでくれたのに、縛りすぎてもわだかまりができてしまうし、ドレスメーカーの仕事をする上で、手にしたことのないドレスに触れることはマイナスにはならないので、ミレアはしばしファッションショーに付き合った。




