29話「イザベラの願い」
ティルベリー家にいる両親に別れを告げ、馬車に乗り込むこと数時間。すっかり辺りが暗くなった頃、見慣れた外観をした侯爵邸に到着した。先に降りたエミールが手を差し出してくれたので、寄り添いながら邸宅に足を踏み入れるなり、同僚らに見られてしまった。
「ちょ、ちょっとミレア、一体どういうことなのよ!?」
エミールが傍にいてもおかまいなしだ。ミレアの左手の薬指には、金色と金色に小さなエメラルドのついた二つの指輪が嵌められており、目ざとく指摘された。エミールから受け取った婚約指輪と形見の指輪だ。
「その指輪、もしかしてエミール様からもらったの!?」
「やだ、ウソ、いつの間に!?」
「あなたやるわねえ! 昇級も早かったし、いつかこうなるんじゃないかと思っていたのよ!」
取り囲んだだけでなく、口々に話しかけられるので、いつの時代も変わらないんだなとミレアは冷や汗をかいた。馴れ初めはなんだったのか、どちらからアピールしたのか、根掘り葉掘り聞かれて大変だったが、そんなミレアを助けてくれたのは、エミールではなくイザベラだった。
「あなたたち、落ち着きなさい!」
その一言でしんと辺りは静まり返り、使用人はハッとして整列した。顔を強張らせて、目を伏せびくびくしている。
「ミレア。私の部屋に今すぐ来て頂戴」
「はい、ただいま」
イザベラは、黙ったまま待機している使用人らへ近づき、凛とした声で言い放った。
「それから騒いだあなたたち。そのまま三十分、そこで整列していなさい。それが済んだら解散よ」
「……は、はい」
それだけだった。ハウスキーパーに咎められた場合は、罰として誰もやりたがらないトイレ掃除が待っていただろう。使用人らは胸を撫で下ろしていた。
「エミール兄様も、一緒に来てくださる?」
「わかった」
助けられたとはいえ、朝の別れから十時間ぶりなので空気が重苦しかった。そんな中、イザベラの私室に通された。
「あ、そうだ。こちら、お嬢様にお土産です」
道中、立ち寄った菓子屋で胡麻入りのクッキーを食べたところ、ほろほろで美味しかったので、イザベラにもどうかと購入していた。それを手渡すと、イザベラは眉間に皺を寄せて、微妙そうな顔をして見せた。喜んでいいのか、それとも怒るべきかで悩んでいるようだ。
「……なによ。ごますりのつもり?」
「いいえ。お嬢様の好きな味だと思ったから、持ち帰りたくなったんです」
「……そう」
そんなつもりで土産を選んだわけではない。イザベラに土産を渡すのはこれが初めてではないので、本人もわかっているはずだ。
「それでイザベラ。話って、なに?」
エミールが話を促すと、イザベラは早速、本題に入った。
「……兄様。ミレアはメイドを辞めて、エミール兄様と結婚するのね?」
「そうだよ」
二人で出かけたことと、指輪を目にして察したようだ。
「ミレア。それなら、どうして先に教えてくれなかったの? 親しいと思っていたのは、私だけだったの?」
「……お、お嬢様!」
寂しそうに付け足され、ミレアの胸はぎゅっと締めつけられたような気がした。結婚を決めたのはつい最近だが、それでも、早めに打ち明けるべきだったと、悲しむイザベラの姿を目にして感じた。
「まあいいわ。兄様と結婚するということは、私の姉様になるのよね?」
「そうなりますね」
イザベラとエミールは異母兄妹なので、結婚すれば当然ながら、ミレアはイザベラの義理の姉になる。メイドを辞めるからといって、縁が切れてしまうわけではない。
「でも、私のレディーメイドを辞めるのは、まだ認めてないから。あなたはまだ私の専属メイドよ」
どういうわけか、イザベラはぷいっと顔を背けて知らんぷりした。こちらを見ようとはしない。まだなにか主張したいことがあるようだ。
「イザベラ。どうしたら許してくれるの?」
なにかを察したエミールが尋ねると、イザベラは、その言葉を待っていたらしく、勢いよく振り向き詰め寄った。
「庭師の彼に、男爵の爵位を授けてほしいの!」
庭師の彼、と言われてミレアもエミールも目が点になった。予想外だった。
「え、庭師って……もしかして、ジョルジュくんのこと?」
「違うわよ。喋ったことないし」
「もしかして、レモネード、ですか?」
「そうよ。私じゃ爵位は与えられないけど、兄様にならできるでしょ?」
どうやら以前、中庭でレモネードを飲ませた庭師の青年に、爵位を与えてほしいとのことだった。いつの間にそんな話になっていたのかと、ミレアは驚きを隠すことができずに目を瞬かせた。
事情を尋ねると、あれから何度か話しているうちに、彼には何人もの弟たちがおり、稼ぎはすべて仕送りしていることを知ったという。それをどうにか助けようと考えた結果、爵位があれば、庭師以外の仕事もできるのではないかと考えが行き着いたらしい。
「正式な爵位は、国王と女王だけが与えられるから僕にも不可能だけど、領地を分け与えるだけなら約束するよ。庭師の彼が誰なのかは知らないけどね」
「エミール様!?」
悩むことなくあっさり頷いたので、ミレアは驚愕した。そんな簡単に領地を分け与えてもいいものなのか。爵位は与えられなくても、領地を分け合えることで下位貴族のような立ち振る舞いができるという。それでいいかとエミールが尋ねると、イザベラは頷いた。
「丁度、一人では管理しきれないと思っていたんだ。君との時間を作りたいからね」
「……エ、エミール様!」
二人の時間を作りたいと微笑まれ、ミレアは思わず頬を赤らめた。口説かれ慣れていないのでいきなりはやめてほしい。小出しにしてほしい。それを伝えようとしたところ、目を細めたイザベラに突っ込まれた。
「ちょっと、私もいるんだけど?」
「ご、ごめんなさい」
「はあ。とりあえず、任せたわよ、エミール兄様」
あと数日で十一月が終わってしまうが、今月付けでイザベラのヤングレディーメイドを辞めることになった。六年間、長時間労働で大変なことの方が多かったが、メイドとして粉骨砕身、働くのはそれなりに充実していた。




