25話「決戦前日」
とうとうやってきてしまった十月下旬。明日はいよいよ六年目──運命が変わる建国記念日。
断罪されるような悪事には一切加担していないとはいえ、王太子がなにか手を下すとしたら当日に動きがあるはずだ。ティルベリー家を破滅に追い込んだ証拠として、側近のメモだけでは役に立たないことはわかっている。シドマス元子爵夫人の使用人から預かった紙との照合も取れ、同一人物と判断してもらっている。ただ、それだけでは失脚させることはできないだろう。もっと必要だ。
もう一度、没落させられた貴族の説得を試みたいし、まだフランドル侯爵家に提出する辞表を用意していないのでその準備もしたい。
昼休みや休日を使い、時間の許す限り貴族の家々を回って説得を続けた。一介のメイドがどうして、と尋ねられたので、ミレアは初めて自分も没落貴族なのだと打ち明けた。地方在住だったので、シドマス元子爵家にいた使用人以外に知人はいなかったが、同じ痛みを知る同志として扱ってもらえた。
そんなタイミングで、エミールがどうしても話したいことがあるというので、十分だけ付き合うことにした。
「それで、話ってなんですか?」
食堂にいた。外に誘われたがさすがに断った。
「これを受け取ってほしいんだ」
紺色をしたベルベット素材の小さな袋を渡された。とても軽い。お金かと思ったが硬貨ならずっしり重いので違うだろう。
「なんですか? これ……あ!」
巾着の紐を弛めて掌に中身を出すと、金色のシンプルなリングがころんと飛び出た。リングの中央には小さなエメラルドらしき宝石が輝いている。
「結婚指輪ですか? まさか、これがなにかの証拠……ですか!?」
王太子を失脚に追い込むほどの代物だろうかとエミールの反応を窺うも、どうやらそうではないらしい。
「期待したところ申し訳ないけど違うよ」
「だったらなんですか?」
「君に持っていてほしい。母の形見なんだ」
「え……?」
まさかそんな重いものを渡されてしまい、ミレアは反応に困ってしまった。母親の形見を贈るということは、そういうことだ。好きでもない相手に持っていて欲しいと渡す人間は早々いないだろう。
「お守り代わりだと思ってくれればいいよ。正式なものは、明日を乗り切ったら贈らせてほしい」
うすうす感じていた。もしかしたら、エミールに好かれているのではないかと。けれど、単なる勘違いだったら恥ずかしいのでミレアは考えないようにしていた。
昔、幼馴染みで腐れ縁の御剣才知とも似たようなことがあった。お互い、気があったわけではないが、自分ともう一人の幼馴染みの三人とばかりつるんでいただけでなく、水縞あいりの家の裏に住んでいた御剣才知とは登下校も一緒だったことから、噂話が独り歩きしたのだ。御剣才知と水縞あいりは相思相愛なのだと……。
その噂のせいでお互いが、お互いのことを好きだと勝手に勘違いし、同じタイミングで「タイプじゃないので、ごめんなさい」と謝罪したのだ。あれほど屈辱的で恥ずかしいことはない。
だから、エミールに好かれているような気がしても、あまり考えないようにしていた。転生してまで一方的にフラれてしまったら、立ち直るまで時間を要するだろう。それだけは嫌だった。せっかくの転生ライフを楽しみたかった。
「どうして私なんですか?」
どうして自分に形見の指輪を渡したのか、理由が知りたかった。
「……君に話しかけることなく死んだ前世に後悔していたのもあるけど、ミレアとして生きる君にも惹かれたからかな」
「打算だったんですよ? 利用価値があると思ったから応じたんです」
なにを考えて食事作りを引き受けていたのか。今更隠すつもりはないので正直に打ち明けた。ただ高額な報酬に釣られていただけだ。
同情心や、後から湧いた彼の母に対する罪悪感も、少なからずあったかもしれないが、重要ではないので置いておく。
「それでもいい。なんでもいいから繋がりがほしかったんだ。君が水縞さんだと気づいた瞬間は、僕はどれだけ幸運なんだろうって神様に感謝した。そんな君に、毎日食事を用意してもらえるだけでなく、会話したり、不器用な振りをして顔に触れてもらったり、この世界にいることに最初は戸惑ったけど、でも毎朝ガッツポーズしてたんだ」
それを耳にしてとあることを思い出した。
「さすがにコーンスターチをはたくくらい自分でできるのでは? って思ったんですよ。それなのに、雑菌が繁殖するとか、台所に入れないとか適当にいって私を丸め込もうとしてましたよね? 案の定、怪我の手当てのときは器用でしたし」
「はは、気づかれてたか」
「当然ですよ。でも、緋崎先生はあんなにモテていたのにどうして?」
水縞あいりとして生きていた頃は、誰かから熱い感情をぶつけられた経験がなかったので不思議だった。平日は病院の事務員として地味に過ごし、週末は御剣才知の原稿を手伝ったり、イベントがある週末はコスプレイヤーとして輝いたり、オンとオフはまったく違った。だから、水縞あいりのどこに惹かれたのか謎だった。
「興味のない大多数に好かれたって、意中の人に振り向いてもらえなきゃ意味ないよ」
「地味で目立たなかった私のどこがよかったんですか? コスプレだって、変わりたくて始めた趣味だったんですよ」
「好きな作品に夢中になっている姿に惚れたんだよ。あとはやっぱり『前世はネズミ』のくだりかな」
だって面白過ぎでしょ? とエミールに同意を求められ、またそれかとミレアは顔を引き攣らせた。水縞あいりにとっては、猫はどういうわけか天敵のような存在だ。そんな苦手すぎる猫から好かれる原因はなんだろうと考えたときに、やっぱり前世がネズミだから、としか考えが浮かばなかったのだ。今でも本気でそう思っている。
「……変わり者ですね?」
「はは。よく言われる。想いを知ってくれているだけでいい。明日を無事に乗り切ったら、改めてプロポーズするから」
「折れる気ありますか?」
「当然、ないよ?」
清々しい笑顔にミレアはやれやれと言わんばかりに溜め息を吐き出した。しかし、それは不快感から出るようなものではない。
「仕方ないですね。わかりました。断罪回避に成功したら、エミール様との未来を考えます」
「ありがとう」
「まだ受けるって言ってないですからね?」
「うん。指輪を持っていてくれるだけでいいから」
「お預かりします。あとで返却したらごめんなさい」
「できればそれはない方が嬉しいけど……その時はその時で」
正午過ぎの食堂とはいえ、遅い昼食を取る者はいる。長居をすれば目立ってしまう。
「じゃあ、部屋に戻りますね」
「明日は万全を尽くそう」
「……はい!」
指輪の入ったベルベットの巾着をポケットに納めた。これをどうするのか決めるのは明日を乗り切ってからだ。
食堂でエミールと別れて真っ先に自室へ戻ると、今日中に準備しなければならない辞表を書くためにミレアは筆を取った。




