20話「爵位継承」
先月末の大暑が過ぎると、日差しがますます強くなる八月上旬。フランドル侯爵家にとって驚くべき一報が突如として届いた。
「お、お母様……大丈夫ですか?」
「……え、ええ……」
領地視察に出ていたフランドル侯爵が、いきなり苦しみながら胸を抑えて、倒れてそのまま息を引き取ったという。三日前までは元気にしており、イザベラの生誕十七回目のパーティーにも参列していた。ミレアも姿を拝見していたが、変わった様子はなかった。
原作だと断罪される当日までは生存していたはずだ。またイレギュラーが発生してしまったのか、それとも寿命だったのか。
ともに知らせを聞いていたエミールの様子をちらりと窺うと、どういうわけか動揺した様子は一切見られなかった。ミレアと視線が合うなり、目を伏せるだけだ。
(……エミール様)
フランドル侯爵が亡くなれば、爵位を継ぐのは嫡男であるエミールだ。亡くなったのが昨日なので、昨日から侯爵だったというわけだ。
継げるのは男系男子との決まりがあり、たとえ娘であろうともイザベラに権利はない。仮に長男がいない場合は、その爵位はフランドル侯爵の実弟に移るという。
エミールの前世──緋崎玲斗は医者だ。ミレアや侯爵夫人、イザベラの目には普段通りに映っていても、体調の変化を見抜いていたことも考えられる。
現地まで迎えに行く侯爵夫人を見送ると、ハウスキーパーはすぐさま使いを出して葬儀屋を手配した。葬儀は邸宅で執り行うため、これから準備が必要になる。
ミレアは指示された通りに、死亡時刻に合わせて時計を止め、邸宅中のカーテンをすべて閉め、鏡は黒い布で覆って歩き回った。玄関に黒いリボンを飾ることも忘れない。
それからイザベラの部屋へ足を運び、喪に服すため黒一色の衣装を選び手渡した。
「イザベラ様、こちらにお着替えください」
「え、ええ」
黄色と明るいドレスを着用していたが、全身黒い装いになった。
「……突然のことで驚かれましたよね。ホットミルクでも用意しましょうか?」
「……お願いするわ」
冷たい飲み物よりも温かい方が落ち着くだろうと提案してみると、イザベラは小さく頷いたので部屋を後にした。
(……エミール様はどうだろうか)
キッチンに向かう前に通りかかるので部屋の扉をノックすると、中から返事が聞こえたので足を踏み入れた。すると、すでに黒のスーツ姿になっていた。エミールが合図をすると、待機していたメイドは退室した。
「侯爵の最後って、どうなるか知ってましたか?」
「……いや。原作ではまだ、そこまで描かれてなかったはずだ」
「ですよね……。私も詳しく知らないんですよ。こんなことなら、フランドル侯爵がどんな結末を迎えるのか、才知に聞いておけばよかった」
ミレアやイザベラが断罪されるのだから、よい結末を迎えないことだけは確かだ。だがしかし、御剣才知は、描いている最中に気分が乗らないと、わりと簡単に展開を変えてしまう節があった。そのため、どうなるかは実際に連載誌で確認しないと、時々変わっていることも何度かあった。
「……親しかったんだっけ? 才知くんと」
「いいえ。まっっっったく親しくないです。ただの腐れ縁です」
「ふうん、そっか。……それでも妬けるなぁ……」
「エミール様──いえ、フランドル侯爵様。どうされましたか?」
聞き取れなかったので聞き返したが、エミールは小さく首を振った。
「なんでもない。それより、二人のときは、今まで通りエミールでいいよ」
「わかりました。エミール様」
「うん。さて。もう少し君と話していたいところだけど、イザベラが部屋で待ってるんじゃない?」
そう指摘されて本来の目的を思い出した。
「あ、そうでした。ホットミルクを用意しなきゃ。エミール様も如何ですか?」
「……僕はいいよ」
「そうですか。では失礼しますね」
いつもなら頷いているのに、本日は二回も首を振られてしまい、なんとなくショックを受けた。どうしてそう感じたのかはミレアにはわからない。
「では、失礼しますね」
「うん。またあとで」
エミールの私室から退室すると、階段を下って台所へ急いだ。足を踏み入れるなり牛乳を温め、はちみつを加えて煮溶かすとホットミルクが完成した。カップに注いでトレイに載せ、二階にあるイザベラの私室へ引き返した。
翌日の朝。無言の帰宅を果たした故フランドル侯爵と、イザベラら家族が順番に別れの挨拶を交わし、家族四人だけでひと時を過ごした。
そして午後からは、教会へと移動する段取りを組んでいたため、邸宅の前には、黒い馬と豪華な霊柩車、親族や友人が乗る複数の喪服馬車が停車しており、次々に乗り込んで教会へと向けて出発した。ミレアたち使用人は、徒歩でその後ろをゆっくりと歩き、道中は一言も喋らなかった。
儀式を終えると、教会の傍らに、フランドル侯爵家の家族墓所があるのでそちらに移動し、侯爵の眠る棺は埋葬された。
故フランドル侯爵が帰宅してからは、憔悴しきった侯爵夫人ではなく、エミールが率先して指示を出していた。それを目にしたメイドたちは「さすがフランドル侯爵様ね♡」と、目の色を変えていた。その中には以前、世話をしたくないと溜め息吐いていたあのメイドもいた。いとも簡単に意見を翻していた。
(……ここまで露骨な掌返しを見られるなんてね)
エミールの中の人は、二十一歳の青年ではなく、二十八歳の緋崎玲斗だと知っている。そこまで心配していないが、侯爵になった途端、態度を変える人間にこれから対応していくのだと思うと、ミレアだったら人間不信に陥るだろう。密かに同情してしまった。
なんの役にも立てないことは自覚しているが、エミールが助けを求めることがあれば、また手を貸すことにした。




