16話「社交界デビュー」
あっという間に半月経ち、赤、白、黄色と並んだチューリップの花が咲き乱れる五月上旬。エルダークラウン宮殿では、毎年この時期になると、社交界デビュー前の若い令嬢が、女王に謁見するという厳粛な儀式が執り行われる。
初めての舞踏会は後日開かれ、貴族令嬢であるイザベラも参加する予定だ。
侯爵夫人は風邪を引いて体調を崩しているので、宮殿に向かうのはイザベラ、ヤングレディーメイドのミレア、そしてなぜかエミールの姿もある。今日はイザベラだけでよいので、エミールがこの場にいて驚いたが、もともと付き添うつもりで仕事を入れていなかったという。
エミールは十八歳でパブリックスクールを卒業した後は、多忙を極めている侯爵を助けるために、領地視察を積極的に手伝っている。母親が自分に遺した土地の管理もこなしている。
イザベラはというと、緊張でそれどころではないようだ。
「ど、どうかしら……?」
馬車に乗り込む前に、おかしいところはないか不安そうに聞かれた。朝から五回目だ。
「ばっちりお綺麗ですよ!」
「そ、そう?」
「ええ。私、嘘は吐きませんから」
この励まし方も実はというと五回目だ。それくらい気持ちに余裕がないらしい。
本日のイザベラの装いは、低いネックラインに短い袖、そして引きずるほど長い裾が特徴的な純白のトレーンドレスだ。それに、肘まであるグローブ、ヘッドドレスとヴェールもすべてミレアのお手製だ。花嫁のドレスに似たものに手縫いで挑戦するだなんて、こんなこともなければ一生無縁だろう。フィッティングを何度も重ね、誰にも見劣りしないドレスを作り上げた。一針一針縫っている最中は、今まで以上にミシンのありがたみを感じたほどだ。
「招かれているのはお嬢様だけではないので、そこまで緊張しなくていいですよ」
招待されている人数は百や二百もいると耳にしている。宮殿に向かう馬車で渋滞しないだろうか心配だった。
「それは知っているわ。でも、宮殿には初めて行くし、緊張するな、なんて無理よ!」
「今日は帰ったら、特別にベイクドチーズケーキを焼きますね」
「まあ! それなら早く行きましょう♪」
「……ねえ、ミレア。僕もチーズケーキ、食べたいんだけど……」
「わかってますよ。ほら、行きましょう」
チーズケーキと耳にしたイザベラは、率先して馬車に乗り込んだのでミレアも続いた。早めに到着するように心がけて出発すると、開始時刻よりも三十分早くに到着した。だが、すでに宮殿の外では馬車が何台も並んでいた。みな考えることは一緒だったらしい。
どのくらい待つのかわからないが、馬車の中で待機するしかない。暇潰しのためにカードでも持参するべきだったかと思っていたところ、なぜかエミールがポケットから取り出した。イザベラでも簡単に楽しめるよう、あまり知られていないババ抜きを教えて時間を潰しているうちに、馬車から下りる令嬢たちを目にしたので、ミレアはイザベラに声をかけた。
「そろそろお時間です。ご準備を」
「え、ええ」
また緊張した面持ちに戻っていた。ミレアはイザベラの肩にそっと手を置いた。
「お嬢様。お嬢様はこの日のために、私やダンシング・マスターと礼拝やダンス、宮廷でのエチケットを何時間も練習しましたよね。大丈夫。あなたはやればできる子ですから。練習の成果を存分に発揮してきてください」
儀式に必須な礼拝や宮廷マナー、社交界デビューのためのダンスは、ダンシング・マスターと呼ばれる講師を邸宅に招き習っていた。講師が帰ってからも練習相手になるべく、ミレアも一緒に指導を受け、礼拝や宮廷マナーだけでなく、後日開かれる舞踏会のためにワルツ、ポルカ、カントリーダンスなどの手解きを受けて練習相手になった。最初の頃は、礼拝の際になにをするのか忘れたり、退室方法を間違えていたり、宮廷マナーを破ったりと大変だったが、繰り返すうちに覚えた。
また後日必要なダンスの方は、イザベラに何度も足を踏まれていたものの、一週間、二週間、三週間と続けているうちにスムーズに動けるようになり、みるみるうちに上達していった。人前でも立派に踊れるだろう。
それにエミールも何度か練習に付き合ってくれた。彼は、パブリックスクールの授業でダンスレッスンを受けていたらしく、手慣れた様子だった。なぜか踊る相手はイザベラではなくミレアだったが、おかげで上達した。
ミレアが励ますと、イザベラは笑顔を取り戻して大きく頷いた。
「ええ、頑張るわ!」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「行っておいで、イザベラ」
「……はい、お兄様」
馬車を降りて並ぶように指示されたので、イザベラは地に降り立った。謁見室にメイドや家族は入れないため、馬車の中で待機する。
「……暇ですね」
「僕は退屈しないけどね」
「そうなんですか?」
「なかなかこうやって二人でいることはないからね」
そうだろうか? とミレアは首を傾げた。この六年間、なにかと理由をつけて外出していた気がしたのだが、エミールとしてはそうでもない、という解釈だったらしい。
「舞踏会のエスコート、任せましたよ。こうなったら、デビュタントでいい人と巡り合えるように祈ります」
「うん。そうだね」
時間があったので、イザベラが戻るまでの数時間は、馬車から下りて屈伸して過ごした。
エルダークラウン宮殿での儀式から三日。いよいよエミールのエスコートのもと、イザベラが社交界デビューする当日だというのに、なぜかマーガレットが参加していた。そのエスコートに選ばれたのは、イザベラが一目ぼれしてしまう従兄弟のエドワードだ。最悪だ。原作だと、イザベラの二歳年上のマーガレットは昨年、社交界デビューしたはずなのに、どういうわけか姿を現した。
接触は避けられない。だがしかし、イザベラはエドワードを見てもなんとも思わなかったらしく、ダンスや交流を無事に乗り切ると、初めて体験した舞踏会の感想を、控室で待っていたミレアに楽しそうに語ってくれた。
(更生したことで、好みが変わったのかしら……?)
原作だと一、二年前に偶然助けられたことがきっかけで出会うのだが、フラグが立たないようにヒロインと遭遇しそうな場所は徹底的に避けていた。そのおかげだろうか。
「お嬢様。お疲れでしょうから、お話は馬車で伺います」
「え? 私は平気よ?」
「いいえ。今すぐ帰りましょう。侯爵夫人がお待ちですよ」
控室にマーガレットたちが訪れる前に帰ろうとしたところ、タイミング悪く正面から歩いてくるマーガレットを避けることができなかった。
「エミール様。それからミレアさん。お久しぶりです。お元気でしたか?」
話しかけられてしまったミレアは焦った。マーガレットと顔を合わせたのは、三年前のカントリーハウスで開かれたティーパーティー以来だ。街中でも気をつけていたのに、まさかここで再会するとは想像していなかった。
「え、ええ。私は元気です。マーガレット様もお元気そうでなによりです」
「ふふ、ありがとう」
ミレアの隣にいるイザベラの様子を窺うと、目を伏せていた。マーガレットが光ならばイザベラは闇なので、合わないのかもしれない。
「そちらの方は、イザベラ様ですよね。先ほどは、ご挨拶できずにごめんなさい」
マーガレットは微笑みながら、イザベラに声をかけた。ミレアははらはらしてしまったが、イザベラは口角をあげて返事をした。
「いいえ。お気になさらないで」
「それならよかったです。今度、うちでティーパーティーを開くので、よかったら来てくださいね」
「ええ、よろこんで」
「それでは」
立ち去るマーガレットを見送ると、珍しくイザベラに肩を叩かれた。
「……ねえ、いつの間に仲良くなったの?」
なんとマーガレットと顔見知りだったことに拗ねているようで、唇を尖らせて不満を露わにしていた。可愛すぎて吃驚した。悪役令嬢に逆戻りルートにはならず、拗ねているだけのようだ。
「三年前に一度、お話しただけですよ」
「本当?」
「本当です。ね、エミール様」
「うん。そうだよ」
「ふうん。それならいいけど。ミレアは私のメイドだからね? よそに行ったら嫌よ?」
「……行きませんよ!!」
──《《断罪回避するまでは》》。
「……さて、僕たちも帰ろうか」
「そうですね。帰りましょう」
一気に疲れが押し寄せてしまったし、イレギュラーな事態が発生してしまったが、なんとか社交界デビューを果たせたことにほっとした。




