11話「私を口説かないでください」
紫、白、黄色のクロッカスの花が芝生一面を覆い尽くし、花の絨毯が公園内を彩る三月上旬。水縞あいりが、ミレア・ウィン・ティルベリーに転生したことを自覚して、もうすぐ三年が経とうとしていた。十五歳になったミレアは、ついにイザベラの専属メイドである、ヤングレディーメイドの座に到達した。二人いるうちの一人に大抜擢されたのだ。
いつイザベラが悪戯、または善意で誰かを困らせるのか。原作でのイベントを思い浮かべながら業務をこなす。奇跡的に同じ世界線に転生し、原作を知る仲間でもあるエミールと、記憶をすり合わせながら挑めるのでこの一年は気楽だった。
秘密を共有できる存在がいるのは心強い。自分だけがこの先の行く末を知っているのではなく、もう一人いるのだ。そんな人が、初期の段階で協力者になってくれたことで、メイドという、低賃金で過酷な労働環境でも適応できている。エミールがいなければ、生活に余裕はないし、断罪回避した後の人生について相談できなかったはずだ。
順風満帆な生活を送るためにも、正ヒロインであるマーガレットの従兄弟──エドワード・コートニーと遭遇してしまい、イザベラが一目ぼれしてしまう前に婚約者候補を探さなければならない。ミレアはイザベラの婚約者候補として二人考えていた。どちらもマーガレットとは結ばれない、二番手と三番手の男だ。家柄も性格も素行も問題ない、こちらにとっては願ってもみない相手だ。
当然ながらその二人は、向日葵のように明るく笑うマーガレットを好いている。イザベラも外見だけは申し分ないが、正ヒロインが向日葵なら、イザベラは薔薇と例えるとわかりやすい。悪役令嬢を更生させようと努めてはいるが、棘があるのだ。ツンデレなのだ。マーガレットはツンデレ属性ではないため、二人の殿方には推し変してもらう必要がある。
(……どうアピールしようかしら……)
推しを好きになるきっかけは様々だ。誰かにプレゼンテーションされて、作品を読んだことがきっかけで好きになることがあれば、たまたま深夜に見たアニメがきっかけでハートを射止められることもある。水縞あいりはどちらの経験もある。だから悩んでいた。
「エミール様。そろそろイザベラ様に、婚約者を見つけて差し上げたいのですが、アーネスト様と、ウィリアム様はどうですか?」
天気のよい週末。作戦会議をしようと言うので貴重な休日、エミールと近所の公園を散歩していた。あちらこちらで咲き誇るクロッカスは見ている人の心を陽気にしてくれる。ぽかぽかといい天気ゆえに、親子連れや恋人同士で賑わっている。いつの時代も休日の公園には人がいる。
「……せっかく僕とのデート中なのに、他の男のことばかり考えていたのか?」
「あ、当たり前じゃないですか! 私たちの生死がかかってるんですよ!?」
呑気にデートをしている場合ではないというのに、エミールの正体が緋崎玲斗と判明してからというもの、こうして外に連れ出される機会が増えた。イザベラ専属になってしまった今は休日だけだが、まだ上級ハウスメイドのときはベッドメイクを頼まれたり、侯爵夫人や令嬢など婦人が中心のアフタヌーンティーをやりたがったり、夜に眠れないからレモネードを運んでほしいと、なにかにつけて呼び出されていた。あまり頻繁だと変に目立ってしまうため、控えるように進言したのに聞く耳を持たなかった。
ミレアに関与している以上、エミールもなにかしら巻き込まれる可能性もあるのだが、あまり真剣に考えていない気がして突っ込んでしまった。
「ああ、うん、ごめんごめん。タイミングを間違えたみたいだ」
「なんのタイミングですか?」
「こっちの話だよ。そうだな、君があげた二人は最適だと思うよ」
「ええ。私もそう思います」
ようやく本題に戻ったので、また足並みを揃えて歩き始める。
「でも、彼らの好みはマーガレットだからなぁ」
「そうなんです。やっぱり正ヒロインは強いですよね。イザベラ様も可愛らしいお方ですが、マーガレットは光に対して、イザベラ様は闇だし……」
「光……? 闇……?」
「こっちの話ですよ。それより、イザベラ様を売り込みたいので、アーネスト様とウィリアム様を邸宅に招いてくださいませんか?」
油断してヲタク用語を出してしまったミレアは、話をさらに進めて誤魔化した。原作漫画を読んでいたとはいえ、緋崎玲斗はあくまで一般人だ。こちら側の人間ではない。いきなり光と闇なんて中二病的な発言をされても困惑してしまうのも無理はない。
「うちに招くのか。それなら、ディナーパーティーはどうかな?」
「いいですね! あまり招待してしまっては、お嬢様と話す機会がなくなってしまうので、お呼びするのは十人程度がよろしいかと」
「わかった。その二人以外は、差し障りのない人に声をかけておくよ」
「お願いします! お嬢様の準備はお任せください!」
こうしてエミール主催で、ちょっとした夕食会が開かれることが決まった。
***
四月上旬、夕食会当日。侯爵家令息主催で気心の知れた学友のみ招待して開かれる夕食会は、三月下旬から十日間程度ある春休みの日程にぶつけたので、十名全員が出席していた。上々だ。
シェフが腕によりをかけて用意したのは、定番のコンソメスープに外国風のカレースープ、魚料理からはボイルドサーモンと鱈のソテー、前菜は鶏のフリカッセ、ビーフパイ、そしてメインディッシュは子羊のローストとアヒルの煮込み、そのほかにも野菜とデザート数種類は準備済みだ。
ミレアはイザベラ専属のため学友らに給仕はできないが、夕食を楽しんでいる最中に、イザベラがピアノを演奏して腕前を披露する場を設けていた。ピアノを習うことに消極的だったが、一曲マスターするごとにミレアが新たな菓子を作るという条件で、イザベラはめきめきと上達していった。
会釈をしてドレスアップしたイザベラと、楽譜を手にしたミレアは堂々とグランドピアノへ向かって歩く。練習していた曲を順番に弾いている最中、何名かはこちらに注目してくれたが、誰一人立ち上がろうとはしなかった。
(このままじゃ、アピールが足りないかも)
焦り始めたミレアは、学友の中から二番手と三番手のウィリアムとアーネストに視線を送った。なんでもいいからこちらを見てほしい。凝視した甲斐あってか、アーネストと視線が合ったので小さく会釈した。すると、アーネストはミレアの思惑通りに席を立ち、こちらに近づいてきた。
(よし、そのままお嬢様に声をかけるのよ!)
ところが。アーネストが声をかけた人物は、イザベラではなかった。
「俺のことが気になるの? それなら一度、デートでもしない?」
「えっ」
「はは。驚かせちゃったかな?」
イザベラには目もくれず、あろうことかミレアにウインクをしてナンパしてきた。こんなはずではなかった。
(誘ってほしいのは私じゃないのよ! というか、マーガレットに一途なはずなのに、メイドに声をかけるくらい遊び人なの!?)
困惑していると、すぐさまエミールが仲裁に入った。
「アーネスト。うちのメイドをナンパしないようにって、事前に言ったよな?」
「怖い顔するなって。軽いジョークだろう?」
珍しく怒気を含んだ声音に驚きつつも、アーネストはジョークだと宥めているので安堵した。
「あはは、ですよね。冗談ですよね。ああ、びっくりしました。よかったです」
ミレアが笑顔で答えると、それを耳にしたアーネストは、ミレアだけに聞こえるようにぼそっと呟いた。
「……俺が本気だって言っていたら、どうしてた?」
「えっ!?」
「ほら、次の料理が運ばれてくるから戻るぞ」
「はいはい」
アーネストは、エミールに引っ張られながら席へと戻って行った。着席してから、またこちらに視線を向けられて、思わず苦笑してしまった。
(三番手は素行に問題あり、ね……)
エミールもミレアの方を見つめている。小さく首を振られたので、イザベラを連れてこの場から退散することにした。
イザベラの私室へ戻る途中、期待に満ちた瞳で話しかけられた。
「今夜の私の演奏、どうだった?」
「上出来でしたよ、お嬢様」
「えへへ、やったー♪」
イザベラは、ミレアやエミールが婚約者候補を秘密裏に探していることを知らない。罪悪感に苛まれつつも、生き残るためには仕方ないのだ。
就寝時間になり、ミレアは夜勤のレディーメイドと交代した足で、深夜の台所へと向かった。空腹を満たすためではない。先に到着していたエミールを見つけたので、驚かせないよう声をかけながら近づいた。
「どうでしたか?」
「うーん。微妙だね」
「ですよね……。迂闊でした。まさか、ナンパされるとは思いませんでした。候補から除外します」
マーガレットに振り向いてもらえず自暴自棄になっているのか。はたまた元からそういう性格なのか。どっちにしろ危ない橋を渡るつもりはないので、アーネストと接触することは金輪際やめることにした。
「ミレア。僕の婚約者として振る舞えば、そういう輩はいなくなるよ?」
まさかの提案に呆気に取られてしまった。侯爵家嫡男とメイドなど、階級に差がありすぎて釣り合いが取れない。貴族の令息と結婚するならば、最低でも男爵令嬢でもなければお笑い種だ。
「冗談でもそういう発言はおやめください」
「冗談じゃないよ」
「……それなら、余計に質が悪いですよ。侯爵家嫡男の婚約者が、あろうことかメイドだなんて、絶対に駄目です。外聞が悪すぎる」
暇な貴族たちの酒の肴になるつもりはない。
「でも、君は没落令嬢だろ?」
「今の私はミレア・ホルダーです。没落令嬢ではありません」
「そんなの気にしないのに」
「エミール様が気にしなくても、世間は気にしますから」
まだ納得していない様子だったが、このままだと就寝時間が削られてしまうので早々に解散した。
ミレアが自分の部屋に戻ると、なぜか机の上には好物であるチョコレートの入った箱が置かれていた。心当たりはない。昇級祝いにくれたのだろうかと、翌日、イザベラに礼を告げると「知らないわ。私なら直接渡すでしょ?」と言われてしまった。差出人が誰かはわからないが、好物だったので気にせず食べることにした。




