サイコパス女主人公を探す旅ー小説家になろうで迷う夜
小説家になろうで小説を探しているとき、いつも迷う。
「何を読もうかな」と思って、ランキングを開く。けれど、そこで止まる。
既読の続きを読むか、新規を開拓するか。これが意外と難問なのだ。
既読には安心感がある。お気に入りの作家の筆致、展開のリズム、あの独特の語彙の使い方。まるで常連の喫茶店のコーヒーみたいなもので、味はわかっているのに、やっぱり飲みたくなる。
一方で、新規開拓は冒険だ。見知らぬ世界、見知らぬ筆者。最初の一行で「おっ」と思わせてくれるか、「あ、これダメかも」となるか、まるでガチャを引くようなスリルがある。
そんな探索を続けているうちに、最近ひとつの傾向に気づいた。
「男性の書くサイコパス女主人公物」は、一見の価値がある。
最初は半信半疑だった。
でも読んでみると、これが妙にクセになる。
男性的な論理思考でサイコパスを造形しようとするから、行動がやけに合理的なのだ。
「そこまでして生き延びる必要ある?」というような状況でも、主人公は冷静に最適解を選ぶ。
けれど、その合理性を“女性”として描こうとしたとき、筆者の中の「柔らかさ」や「優しさ」がふっと混じる。そのギャップがたまらない。
まるで、冷たい刃物の表面に、指先の体温が移る瞬間みたいだ。
そこに人間味が生まれる。狂気の中に、妙な温もりがある。
それを狙ってやっているのか、自然にそうなってしまうのかはわからないけれど、読んでいて「おっ」と思う瞬間がある。
たとえば『幼女戦記』。あれはまさに、論理で構成された狂気の代表格だ。
あるいは最近読んだ『賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい』。
このタイトルからしてカオスだが、中身は妙に整っていて、そこが逆に怖い。
「秩序だった狂気」というのは、なぜこんなにも魅力的なのだろう。
もちろん、ランキングを眺めていると、甘々恋愛やチートハーレムにも惹かれる。
でも、それらを横目に、ついサイコパス女主人公タグをクリックしてしまうのは、たぶん普段見ない理から外れた倫理に好奇心が隠せないからかもしれない。
理性で語られる狂気。狂気で彩られる理性。
その境界線を読むとき、人間の深部に少しだけ触れられる気がする。
今日もランキングを前に、迷う。
既読の続きを読むか、新たな狂気を開拓するか。
とりあえず、ブックマークを整理しながら、私はまた次の“狂えるヒロイン”を探す。




