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   突然のお誘い

 長く広い、様々な装飾品が施されている廊下で「ルア!」と誰かの声が響く。そこには二人の人しかいなかった。そのうちの一人は薄茶色の髪を持つ、クラン・ウォルバードその人だ。


 もう一人の呼ばれた漆黒の艶やかな髪を持つ少女は何も答えない。それ以前に、後ろから追ってくる足音にさえ全く気付いていなかった。フィリアは肩を掴まれて初めて気付く。ゆっくりと振り返った。

 待ってくれとクランは慌てて走って来たような風貌で、フィリアはそれを見てはっと我に帰る。


「大丈夫です。私はそんなに急いでません」

「ははっ。確かにそのようだね」


 少しの間、二人に沈黙が流れた。その中でも先にその沈黙を破ったのはクランだった。


「妃の事なら大丈夫だ。心配ないよ」


 フィリアはその言葉を聞いて、恐る恐る尋ねた。「……本当ですか?」と。


「ああ。昔から僕の屋敷で働いているローラに任せておいた。薬も飲んで貰えることになったよ」

「そのローラさんは、クランさんが信用出来ますか?」

「ああ」

「良かったです……」


 その言葉を聞いてフィリアはふらふらふらとその場に座り込んでしまった。クランはどうしたのかと驚く。


「ルア?」

「これからどうしようと、思ってはいたんです。私、王様に対してあんな事をしてしまいましたから……」

「大丈夫。君の責任にするつもりはない」

「……ありがとうございます。でも責任は取るつもりでしたよ……」


 クランは座り込んでいるフィリアにすっと手を差しのべる。フィリアは手を取ろうかと思わなくも無かったが、やめておいた。自分で立てると思った。


 フィリアは一言、

「あ、いいです」

 と言い洋服の裾を軽くパンパンと叩いた。クランはつれないなぁと差し出した手を持て余すのだった。


「……クランさん、私はもうやるべき事が終わったので帰りますね。あ、他の薬はちゃんとメイドさん達に渡しておきました」

「ゆっくりしていけばいいのに」

「……私は王様にあんな事を言ったんですよ? ……もう帰ります」

「送っていくよ」

「別に一人で帰れますよ?」

「まぁそう言わずに、ね。僕も今はここに居られないんだよ」


 そう言われフィリアは不思議そうに首をかしげる。けれどそんなフィリアをお構いなしにクランは元気よく意気込んだのだった。


「さぁ、行こう!」

「え? は、はい」


 フィリアはせかされるように、馬車に乗せられる。雪がちらちらと降りだす中、夕日が積もった雪に反射していた。そのさまは思わず見とれてしまうほど綺麗だった。



***



――カランカラン


 木製のドアに付けられたベルが店内に鳴り響く。そしてそこで「はぁ」とフィリアは一人、ため息をつくのだった。本当にさっきの事は出過ぎた真似をしてしまった。何やってんだろうとフィリアは頭を抱える。

 目の前に助けたいものがあるとつい出過ぎた事を……。でも、後悔はしていない。反省は何度も繰り返すけど、後悔はしたくないと思った。


「よし」


 フィリアは心を切り替えようとドアに掛かったプレートを「オープン」に変えようとして、手を止めた。


「今夜は積もるかな……」


 外はもう薄暗く少しだけ月が顔を見せていた。まだまだ雪は降り止みそうになく、空は分厚い雲に覆われている。

 フィリアは掴んでいるプレートを見つめ、そっとクローズに戻しておいた。今夜は早く寝よう、そう思ったのだ。店を念入りに施錠した後、奥の部屋の暖炉に火を灯す。

 被っていた布を取り、その腰あたりまである長い髪をとく。そして温めたスープを口に運び、フィリアはゆったりとベッドに体を預けるのだった――。



***



 翌朝。


「寒い……」


 息を吐くと白くなる。それほどに外は冷えきっていた。やはり昨日から降り続いた雪は、しっかりと積もったようだ。そして今度は迷うことなくドアのプレートをオープンに変えたのだった。

 いつものように静かに過ぎていく午前中。店の前を通りすぎる人、市場で買い物をしている人。威勢の良い声が飛び交い、何台の馬車が通り過ぎて行ったことだろうか。


 昨日までのあの忙しさはまるで夢のようだった。フィリアもまた、いつものように店のカウンターの奥の椅子に座って読書にいそしむ。それらは何ら変わりないフィリアの日常で。

 誰もいない静かな中で、店の振り子時計が昼を知らせていた。フィリアはふと顔をあげ、むくっと立ち上がる。椅子を引く音だけが店内に響いた。


 昨日作った薬を店に置いておこうと考えていたことを忘れていた。もしかしたら昨日のような薬を必要とする人がいるかも知れない。


 思い立ったらすぐに行動したくなり、フィリアは奥でお昼そっちのけで薬を作っていた。

 するとその時、フィリアの中であまり聞き覚えのない馬車の止まる音が耳に飛び込んできた。その音にフィリアはまた姉が来たのかと耳を傾けるが、フィリアはすぐにその考えをすみっこへと押しやる。


 昨日、ルースから、

「親愛なるフィリアへ。姉さんがここにいる間ずーっとフィリアに遊びに来て欲しかったのに、用事が入ってしまったの。残念だけどしばらくは諦めるわ。あ、けれど突然訪ねて行くことがあるかも知れないわよ?」


 などと書いてある手紙を受け取ったばかりだったのだ。フィリアがこの手紙を読んで、顔がひきつったのは言うまでもない。


――カランカラン


 そうこうしているうちに店のドアのベルが鳴る。久々のお客さんだろうか。

 フィリアは急いで作業を止め、少し浮かれて店に向かった。もし客だとしたら、逃すまいと。久々に薬屋らしい商売が出来るかもしれない。


「いらっしゃいま……」

「やぁ! こんにちは。ルア、久しぶりだね?」


 しかしその期待はものの数秒で打ち砕かれたのだった。


「……。いや、あの。昨日会ったばかりですよね」

「あれ、そうだったかな。あれから随分、君に会っていない気がしてね」

「……クランさん。一体何の用です?」


 店に勢いよく入ってきたのは、笑顔のクランだった。フィリアといえば、また何かあるのかとクランに対して疑いの雰囲気をかもしだしている。


「用事がないと来ては行けないのかな?」

「……」


 いくら怪しいクランさんだとはいえ、お客さんなんだからとフィリアは自分にそう言い聞かせた。追い返すのもどうかと思ったので、そのまま放って置く。本当に……せっかくのお客さんなんだ。

 クランと言えば特に気にせず、いつも座っているかのようにカウンターの椅子に腰かける。店主であるフィリアも店で薬作りを再開した。


「クランさん、何も用事が無いことはないのでしょう? 何か必要な薬があったとか」

「薬……。そうだなぁ。目眩が治る薬とかあるかな」

「目眩……ですか」


 フィリアは作業を止め、すくっと立って薬棚のところまで向かう。そのまま上を向いて、薬瓶を選び出した。


「君は薬の事となるとすぐ反応するね」

「そうですか? ……あった」


 フィリアは一つの薬瓶を取り出す。中には黒い棒状のものが入っていた。それを確認するとをすりおろしていく。


「……本当はあまり薬に頼ってはいけないのです」

「薬屋がそれを言うとはね。驚いた」

「それはまぁ、売り上げが大事なんですが……。どうぞ」


 フィリアは黒い小さな玉を三つ、瓶に入れてクランに渡した。


「これは?」

「目眩が治る薬と言うか……。クランさん、そもそもちゃんと自分の栄養管理してますか?」

「してると思うけどなぁ」

「目眩がするなんて栄養が偏ってますよ。だからそれは薬と言うよりも栄養補助食品に近いです」

「へぇ。栄養補助食品。薬屋さんからそんなものが買えるなんてね」

「……さぁ、用事はお済みですか?そのようでしたら、もう――」


 フィリアはクランの袖をぐいぐいと引っ張る。


「ま、待った! ルア。まだ君に用事があるんだ」

「用事、ですか」

「昨日の薬代だよ。今日はそれを持って来たんだ。このぐらいでどうかな?」

「……!」


 フィリアは紙に書かれた金額を見て目を見開いた。それは一人の人間が何年か余裕で暮らしていけるような金額だったのだ。


「あの……」

「あれ、足りないかな?」

「いえ、違います! こんなにいりません」


 フィリアは慌てて紙をすっとクランに返した。


「私は薬代だけ貰えればそれでいいです」

「貰えるなら貰っておけばいいのに」

「確かに今の生活はギリギリ……じゃなくて。王様に関わる人達だったから、金額が変わるとか。そういう事はこの薬屋にはありません」


 フィリアはもう一度、ずいっとクランに紙を渡した。


「ははっ。分かったよ、分かった。じゃあそのルアが納得出来る金額に」


 フィリアはペンと紙を渡される。しばらく悩んだが、クランの言う通りにすることにした。なんとなく、クランに任せればとんでもない金額になりそうだと思ったのだ。フィリアは黙って丸を二つほど消して、静かに渡す。


「これで良いんだね?」

「はい。お願いします」


 フィリアがそう言ってもう一度薬に向き合った時、じっと視線を感じた。その沈黙と視線に耐えられなり口を開く。


「どうかしましたか?」

「君はこの店を出る気はないのかい?」


 その質問を投げ掛けるクランはいつになく真剣に見え、フィリアは少し戸惑う。


「店を出る? えっと、それはどういうことですか?」


 クランはそうだなぁと言う。フィリアは次の言葉を待った。


「例えば、どこかの専属の薬剤師になるとか」

「そんな、簡単には専属にはなれませんよ。私が一番下手だと言われたのが“薬を作ること”なんですから」

「いや。あれだけ動ければ大したものだよ。それにあの薬の完成度はとても下手とは思えない」


「うーん。そうですね……。昔、私に薬作りを教えてくれた人がいたんです。その人に『あんたは薬を作るのが一番下手だ!』って言われて。だから今はその人に認めてもらえるよう、下手を得意に変えている真っ最中なんです」


 そう言って薬を作るのに使った道具を次々に片付けていくフィリア。その道具を見る目はどこか昔を懐かしむように細められていた。


 ――エルザ。その名前を思い出す。今はもう呼べないその名前。あなたは見てくれているだろうか。

 

 フィリアが薬瓶を棚に戻そうとする、その時だった。クランが急にガタッと席を立ち上がる。フィリアが何事かとクランを注視していると、


「ルア。ウォルバード家専属の薬剤師になってくれないか?」

「…………はい?」

 

 その瞬間手が滑り、ビンが派手な音をたてて床を転がった。聴こえた言葉を頭の中で何度も繰り返す今のフィリアには、口をぱくぱくさせる事しか出来なかった。



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