疑いと信用の果て
クランに連れられ王の屋敷に戻って来たフィリアは、思わずまじまじと屋敷の中を観察してしまった。
玄関の位置や物の配置は変わっていないが、それ以前に大きく変化していることがある。
「……クランさん。もしかして、使用人さん達の人数増えました?」
昨日まで人の気配すらしなかった屋敷がメイド、料理人、医者、庭師などの使用人たちで溢れているのだ。フィリアがそう感じるのも無理はなかった。
「ああ。昨日の夜に呼んでおいたんだよ。どちらにしても今のままじゃ屋敷も王も機能しないからね」
「確かにそうですね。人手が足りませんし……。よし、私もやることやってしまいましょう!」
「何するの?」と真面目に尋ねるクラン。フィリアは思わず「私は薬屋ですよ? 勿論、薬を作ります」と苦笑いで答えたのだった。
「そういえばそうだったね。ならこの部屋を使うといい」
「ありがとうございます。あのクランさん。もう大丈夫ですから、荷物を……」
「ここまで来たら最後までね?」
どうしてこんなことまでしてくれるんだろうと不思議に思った。自分に関わった所で人間であるクランに何の得があるのかと、フィリアがいくら考えても結局答えは出ないままだった。
弱弱しく微笑み、
「……はい。ありがとうございます」
今はこう答えるしか他ならなかった。
フィリア達は部屋に入る。その部屋は前の部屋とは随分、雰囲気が違った。足を踏み入れると、翡翠色の絨毯や大きな花瓶に生けられた沢山の花が出迎えてくれる。凄く華やかだった。
「クランさん。お仕事は大丈夫なんですか?」
「今は休みだからね」
「……本当ですか?」
「ああ。嘘なんて」
「平気でつきそうですよね」
「ははっ」
「なに笑ってるんですか。部屋借して貰ってる身ですけど……。あの出来れば一人で作りたいな、と」
いつも一人で作っていたので、フィリアには他の人に見られていて集中力が持つのか分からなかった。
それに薬作りを見た所で楽しい事は一つもないだろうと思う。
「え?」
「あの出来れば一人で作りたいな、なんて」
フィリアはクランに聞こえるようにはっきり、しっかり言ってやった。それなのにクランときたら「聞こえてません」とでも言いたげな表情でこう返すのだ。
「ん?」
「……わざとですね?」
「何が?」
「……クランさん後ろ。後ろの瓶、触ると皮膚が溶けて死にますよ」
勿論そんな事はありえない。けれどクランはパッと手を瓶から遠ざけた。完璧に聞こえているとフィリアは、はぁとため息をついたのだった。
「クランさん。私の事を信用してくれなんて言いません。けれど、ちゃんとした薬を作ります。毒はいれません。だから――」
「そんなことは思っていない」
「でも」
「僕が見ていたいからね」
「見ても何も楽しくないと思いますよ」
「楽しいよ。見るだけだからさ、いいよね?」
「……? はい」
フィリアはこの屋敷にしては珍しい標準サイズの木製の机を借りる。そしてそこに持ってきていた薬瓶を並べ、天秤を取り出した。薬草をいくつか刻んでは混ぜる。それは真剣に、なおかつ寸分の狂いもないように……。
クランは目の前で薬を作っている光景に目を細め、その長い漆黒の髪がゆらゆらと揺れるのを楽しそうに眺めていた。その視線は優しく、穏やかだった。
***
やっとこれを入れれば完成と言うところまでこぎ着け、フィリアはそぉーっと慎重に少しずつ入れては、混ぜる。それを繰り返して……。ふぅと息をついた。
「……出来た」
コトリと瓶に入れた最後の薬を机の上に置いた。それからフィリアは椅子に腰かける。時計を見ると朝から作業していたのに、もう昼の時間帯になっていた。
「完成?」
そう言ってクランが出来上がったばかりの中身の入った薬瓶をじっと眺めている。
「はい。これだけあれば皆さんが完治するまで足りると思います」
「確かに、凄い量だね」
クランの顔がひきつっていた。確かにさすがのフィリアでも凄い量だと思っている。
それからフィリアは特にゆっくりとしている暇もなく、机の上に散らばっている薬草や瓶を鞄に入れて、片付けていった。そしてクランにこう告げたのだった。
「それでは私の仕事も終わりましたし、そろそろ帰らせて貰ってもいいですか?」
「え、帰るの?」
「はい。仕事、終わりましたし……」
「もう少し待って欲しい。王がルアに大変失礼な事をしたと。謝罪とお礼が言いたいそうだ」
「そんな事もういいですよ。むしろ私の方が失礼な事ばっかりしてる気がしますから」
その時、フィリアはある事を思い出した。
「あ、でも。メイドさんや医療の人達に薬の使い方を知らせておかないと。お妃様は特に……」
「案内しよう」
「すみません。クランさんにばかり迷惑かけてますね」
クランはフィリアのその言葉を聞いて笑った。一方のフィリアはクランが笑った理由が分からず、きょとんとしている。
「わっ」
するといきなり手を引かれ軟らかく引き寄せられた。そして顎を捕まれ、くいっと上に上げられる。フィリアは最初何が何だかよく分からず、ぼんやりと立ち尽くしているだけだった。
「布を取っても?」
間近で言われフィリアはこの時すでに頭は混乱していた。それでも心の中では冷静に落ち着けと、ひたすら呪文のように唱えていたのだった。
フィリアはしっかりと首を横に振り、
「却下します」
「えー」
そう言ってクランはフィリアを離そうとはしない。それどころか、布の少し薄い部分を覗きこんでくるのだった。
「は、離して下さい」
「却下しよう」
「な……!? 訳が分かりません!」
「布が取れたらなー。君の顔が見れるのに」
「ど、どうしてそこまで布を取る事にこだわるのですか?クランさんが見ても何の特も無いですし、がっかりするだけですよ」
「へぇ。がっかりするの?」
「します。イメージと違うと」
フィリアは布で隠れて見えないはずの蒼い目をすっと細めた。
「顔を隠してるから正体を知りたいと思う人がたまにいます。中にはとことん追いかけて来る人もいるでしょう。それでも現実は違います。私の顔は、と言うか私自身誰にも見れません」
――誰にも残りません。
フィリアはこの言葉は言えなかった。いや言わなかった。せめて今のままでいてくれたなら。別に言う必要もないのだから。
「絶対に?」
「絶対に」
フィリアはにっこりと微笑む。そしてそのままの体制で「離して下さい。さもないと――」と最後の忠告をする。少し開いた距離でぐっと拳を握った。今のクランは完全に油断しきっている。
「力の弱い君が一体な――ゴホッゴホッ」
フィリアは少しの隙間が空いていたのを利用して、みぞおちを殴ったのだった。予想外の攻撃にクランの力が弱まり、一方のフィリアは満足げに笑っていた。
「さて、クランさん。そろそろふざけてないで、案内して貰えますか?」
「わ、分かったよ」
少しだけスッキリしたフィリア。ちゃっかりと心の中でガッツポーズも決めていたのだった。
***
フィリア達は別の客室で王と話をすることになり、二人は椅子に座って王が来るのを待っていた。その待ち時間に前々から気になっていた事を口にする。
「ずっと尋ねようと思っていたのですが、クランさんと王様は一体どんな関係に?」
「……ルア。もしかして今の今まで分かって無かったのかい?」
「そうですね。はい、全く」
そのフィリアの返答に戸惑うクラン。
「え、えっと……。そうだな。自己紹介したよね?」
「はい。クラン・ウォルバードさんですよね?」
「その名前、聞いたことないかな?」
「ありません」
フィリアのその間髪入れない答えにクランはがくっと肩を落とし、それから楽しそうに笑った。フィリアには別に笑わせようとした意図はなく、全て真顔で真面目に答えている。
「いや、ごめん。言葉が足りなかった。と言うか自分の知名度を過信し過ぎていたようだ。僕は――」
「ルアさん、待たせて悪かった」
するとその時、少し遅れて王が部屋に戻って来た。それまでの話は中断され二人とも王の方を向きソファーから立ち上がる。
「いえ、お気になさらないで下さい」
そして皆、各々(おのおの)椅子に腰掛けクランの後ろにいたバローが温かい紅茶を出した。フィリアは軽く頭を下げた。
「ルアさん、昨日は本当にすまなかった。王として最低な答えを出す所だった」
「お気になさらないで下さい。私も別に気にしてはいません。それよりもお妃様の事でここに来させて頂きました。病気の事で話があります」
「ああ、話してくれ。聞こう。私の隣にいるのは王宮専属の魔法使いだ。名はデリクと言う。退席させなくていいか」
この間フィリアが出会った若い魔法使いのディートとはまた違う人だった。ディートを少年と表すならデリクは青年と言ったところか。
フィリアはちらりと視線を流し、
「はい、構いません。それに、魔法使いの方のほうが分かる部分があるかも知れませんから」
そう言うとフィリアはポケットから紙とペンを取り出した。その紙にささっと大まかなこの国の地図を描く。
「今、王様のこの屋敷があるのはこの辺りで間違いないですか?」
「ああ。間違いない」
そしてフィリアはさっき書いた地図の上に赤色のペンでさっと丸をつけた。
「私もこの辺りに住んでいるので周りの地形や薬草の種類、昔と今の流行り病。すべて把握しているつもりです。ですが」
フィリアはさっき赤丸を付けた場所とは遠く離れた場所に、もう一つ赤丸を書いた。地図で見ると北から南、正反対の場所だった。そしてフィリアは赤丸を指差す。
「お妃様の病気の原因になる薬草があるのは、この地方にあるのです。この薬草は南特有のもの。こちらでは滅多に手に入れる事は出来ません。いくら有名な薬屋を名乗って、優秀なバイヤーに買い付けても手に入らない事が多いのです」
「……やはり、そうだったか」
「不自然だと思いませんか。ここの薬屋や医者が分からないものを選ぶなんて。どうしてもそれだけは伝えておきたかったのです」
フィリアがそう言い終えると王は黙ったまま何も答えない。次へと話を進めるべく、フィリアは先程作った薬瓶を王の前に差し出した。
「お妃様の薬が入っています。液状なので飲みにくくはないと思いますが……。これを今日から三日間飲み続けて貰えますか? それで完治するでしょう」
「ルア、さっき見たのと色が違うね? 初めの方に作っていたお妃様専用かな?」
クランが瓶をくるくると回して振っている。
「はい。そうです。あの病気は一人が感染すると直ぐに周りの人にうつります。でも一番辛いのはお妃様です。最初に感染したものは、毒まで体内に入ります」
「毒。つまり今、アリシアの体に毒があると言うんだな」
「……はい、残念ながら。まだ死の危険は無いとは言いきれません」
全員が沈黙する。フィリアには全員がどんなことを思ったのかは分からない。それでもおずおずと話を切り出した。
「でも必ず治ります。大丈夫です。最後に、薬の飲ませ方について話してもいいですか?」
「……ああ」
王は深く頷いた。フィリアはそれを合図とし、話を始める。
「皆さんは“薬屋ウィン”の事をご存知ですか?」
「ルア、それって君のお店だよね?」
クランが紅茶に口をつける。辺りにいい香りが広がった。
「そうなんですが、噂です。噂の事を」
「……昨日知ったよ」
クランはため息をついた。フィリアはそれを見て苦笑いをする。
「良かった。そうでしたら話が早いのです。お妃様に毒を盛った疑いのある人か薬屋の事をよく思わない人。その両者が近くにいるとしたら、その人がお妃様の薬を飲ますのだけは止めて欲しいのです」
「どうしてそこに貴女の店が入るのだ」
王は静かにフィリアに問うた。その目つきは鋭い。
「きっと私の薬を効かないようにしてくるでしょう。おそらくこの辺りの薬屋、医者を調べてから実行に移されたようですから」
「……ルアさん。初めて会った時から思っていたが、貴女は何を知っている? 毒の事にしても貴女の店だけが対応できるのは不自然じゃないか」
王はここにきて明らかにフィリアを疑っていた。もしかして初めから私にありもしない何かを自供させるつもりでここに呼んでおいたのだろうか、とフィリアは思った。
初めから信用されてなかったことも、怪しまれていたことも、こうやって話してみてはっきりと分かった事実。このままでは薬を使って貰えないかもしれないと嫌な予感が脳内を駆け巡る。
「……王様、私を信用してくれとは言いません。ただ、薬だけは信用して下さい」
それだけ言い放つとフィリアは紅茶を一気に飲み干した。そして薬瓶の液体をティーカップの中に注ぐ。クランが隣でひどく驚いているの分かった。
「ルア?」
「クランさん、止めないで下さいね」
フィリアは布を少しずらすと、ティーカップを口の前まで持ってくる。
「王様。今、私はお妃様に飲んでもらう薬をティーカップに注ぎました。見てましたね?」
「……ああ」
「今の時点では“毒は無かった”のを証明しましょう?」
フィリアはごくごくとティーカップに入っていた薬を飲み干した。少し熱かったが見栄を張って表情を変えずに、空になったティーカップを机に置く。カチンと音がなったが、この際気にしなかった。
「もし、この薬に毒が入っていたとすれば今ここで私は死ぬでしょうね」
フィリアがそう言ってから少し時が経つ。皆が黙りこみ、フィリアは特に魔法使いだというデリクの視線を感じていた。それでもけして、フィリアがデリクとは目を合わせる事は無かったのだった。
フィリアは何も無いことを証明するとすっと席を立つ。頭から被っている黒い布がさらりと擦れた音が、静まり返った部屋に響いた。
「……私は何ともありません。今の時点では“毒は無かった”。お願いします。どうか病気を治すために、薬を信用して下さい」
これで毒は入っていないと、少しでも信じてもらえたなら……とフィリアはその一言に淡い期待を寄せた。出来る事なら安心して薬を使って欲しい。
「すみません。……私はこれで失礼します」
フィリアはすたすたと一度も振り返る事も無く、その大きな扉を開けた。
***
「王、もう少し彼女を信用して下さい」
フィリアが部屋を出ていった後、クランはその苛立ちを隠さなかった。
「……何故」
王はしれっとしている。まるで面倒だとでも言うかのようにクランを見ていた。
「僕はずっと彼女が薬を作っているのを見てました。王、貴方なら色が違うだけでも毒が入っていると言いかねないと。その時には彼女の立場はもう無い」
「クラン、お前はどうしてそこまでする。顔を見せないのもまず怪しいが、あの薬屋だけが治療できるというのも、店の利益を狙った犯行かも知れないと予測できるだろう」
クランは右手で前髪をかき上げる。その紫の瞳は苛立ちを露わにしていた。
「店の利益にはアリシア様は関係がない。それに良く考えてください。今回の病での命の恩人ですよ? 王、それを分かっている上での発言ですか」
段々とクランの声が低くなり、机をどんっと拳で殴った。部屋の中がもう一度しんと静まりかえる。王も眉間にしわを寄せながら、こう話を切り出した。
「ならばクラン、どうしろと。どこの輩かも分からん奴を一から十まで信じろと言うのか!」
王は立ち上がり、声を荒げる。クランはもういいと首を横に振った。
「王。貴方はいつもそうだ。俺はやはり貴方と父の考えには賛成出来ない。今日はローラが来ています。アリシア様の世話役はローラに頼み、薬を飲んで貰います。俺の意見に反対は」
「は……もういい。勝手にしろ」
その言葉を最後にクランは王の部屋を出て行った。