王子と月と
そこは豪華な部屋だった。その部屋すべての家具がきちんと整えてあり、埃一つない。とてつもなく高い天井にはシルバーの上品なシャンデリアがあり、広い部屋の真ん中には黒い机が置かれている。部屋の左右には、大きな本棚が壁一面になるかと言うほどに置かれていた。
その部屋の中で男性が二人、ぴんと張りつめた空間の中で話し込んでいる。だがその立ち姿には、対照的な差があった。一人はゆったりとした大きめの椅子に腰かけ、もう一人は跪いているのだ。
「何人目だ」
椅子に腰かけている男性が問う。書き物をしていたらしく、手を止めた。
「はい。先程わずかに感じました魔力で、三十を超えました」
「先程とはまさに今か」
「はい。……少し変わった魔力でしたが、諦めた模様です。一度、屋敷内に魔力の影はありましたが結界により防がれ、その後は何の音沙汰もございません」
「そうか。それよりもアリシアの容態は」
そう問われ跪いている少年は残念そうにゆっくりと首を横に振り、
「……依然としてお妃様には変化が見受けられません。王、あの病の原因はいまだはっきりとは掴めておりませんゆえ、近づかないようお願い申し上げます」
「医者は全滅なのか」
「はい……。ですが、一つだけ救いがあるのです!」
「何だ」
「クラン様が! クラン様がお近くをお通りになるとのことです」
「なに、クランが?……仕方がない。少し立ち寄って貰おう。ディート、お前はアリシアと医者、その他病にかかった者すべてに治癒魔法を。……手伝ってくれるか」
椅子に腰かけている、王と呼ばれた男性は鋭い目つきで少年を見ていた。その視線に忠誠を誓うかのような視線を送り返す少年がそこにいた。
「王、そのような事は言うまでもありません。王専属の魔法使いとして、出来る限りのことはします」
「助かる」
そして二人ともその部屋を後にしたのだった。
***
「クラン様、今回の夜会にはご出席なされますか?只今、ランシュリ街にご滞在中の王様からも招待状が来ておりますが……」
ある馬車の中。紺を基調とした馬車にしては広いその中で、黒の燕尾服を身にまとった初老の男性が手紙を一つ、手に持っていた。初老の男性の前に腰かけていた若い男の人は、少し考える。肩に触れるか触れない程度の薄茶色の髪が、さらりと揺れた。
「バロー。もう仕事も済んだ事だ。このままウォルバード家に戻ろう。正直、夜会には出たくないからね。また面倒な事になるだけだ」
「はい。かしこまりました。では、そのように致しましょう」
窓の外は、大きな月が暗い夜道を明るく照らし続けていた。地面に積もった雪がその光を逃すまいと前面に受けている。それを見ていた薄茶色の男は、目を細めた。
「今夜は良い月だ」
「はい。そうですね」
全身で長閑だと感じていたその時。遠くの方から馬の蹄が地面を蹴って、こちらに向かっているような音が聞こえた。穏やかな空気が一変、馬車の中に緊張が走る。
「クラン様、馬のようです。見てきましょう」
「頼む」
バローは一度馬車を止めさせ、着々と近づいてくる馬の様子を伺った。その馬にはやはりというか、当然というか、人が乗っている。
「貴方は……」
「は! これはバロー様! 私は王の使いの者です」
「王の? それはまた」
バローは相手を睨むかの様に、すっと目を細める。やっとクラン一行に会え緊張している新米兵士は、それにますますうろたえた。その様子はびしっと背筋を伸ばして、まるで気を付けをしているかのようだった。
「も、申し訳ございません。余りにも急いでおり、挨拶が出来ず……!」
「礼儀などはこの際お気になさらない下さい。だた、身分の証明となるものを見せて頂かないと困りますね」
王の使い、と口で言うだけならとてもじゃないが信用できない。バローはこれまでに幾度となくそのような者を見てきているのだった。偽物か本物か。それは本人にしか分からないのだろう。
「も、申し訳ございません。……身分証明になります」
兵士はこの国での身分証明となる、手の平にすっぽりと隠れてしまうぐらい小さなプレートをバローに渡した。そして、王から預かってきたと言う手紙も一緒に。バローはそれを受け取り、クランの元へと戻った。
「クラン様。手紙を預かって参りました」
「手紙。……へぇ」
クランは手紙を開けると、静かに読み終える。それからバローにこう告げた。
「バロー。どうやらこれは本物のようだ」
「それはよう御座いました」
「ところで、今回は医者を連れて来ていなかったね?」
「はい。少人数との事でしたので」
「……王の役に立てるかは分からないが」
「お戻りに?」
「そうだな。向かおう。バロー、優秀な使いにはそう伝えてくれるか」
「かしこまりました」
こうしてクランを乗せた馬車は一度引き返し、王の元へと向かうことになったのだった。
***
「クラン様、着きました。足もとに気をつけてお降り下さい」
クランが王の屋敷に着いた時にはまだ夜が明けておらず、星がキラキラと輝いていた。屋敷に入るクランを出迎える人は一人もいない。それはいつもならあり得ないことだった。
どこかおかしい。そうクランは感じながらも、近くにあった部屋の扉に手をかける。誰か話を出来るものはいるかどうかを、確かめるために。
「王?」
しかしその部屋から返事が返ってくることはなかった。物音一つしない、暗闇だ。クランがきびすを返して他の部屋を見ようとしたその時。
「クラン!来てくれたのか」
後ろから声がかかった。
「王。……大丈夫ですか」
クランは苦笑いを浮かべている。それほどに王の格好は酷いものだった。いつもはきちんと整えられている髪も乱れており、いつもはきっちりと来ている服もよれているのだ。
王の後ろには最近、専属魔法使いになったと聞いている少年が付いていた。
「ああ、大丈夫だが。それよりも医者は」
「それが、今回の仕事には同行しておらず……。この街の医者には診て貰いましたか?」
「見て貰ったが、どれも駄目だ。医者によると薬屋なら特殊な薬があり、治るかもしれないと言っていたが……」
「その薬屋もすべてあう薬が無かった、と」
「ああ」
だからわざわざ呼ばれたのだとクランは思った。もしかすると自分が呼ばれたことが最後の光だったのかもしれない、ということも察していた。クランはふぅとため息をつく。まさかこんなに良くない状況だったとは。
「本当にこの街すべての医者、薬屋をあたりましたか。まだ行っていない所がある可能性は」
「それは無いはずだが。ディート、医者と薬屋のリストを持ってきてくれ」
「はい」
ディートは素早く、近くの部屋に入ると机に置いてある一枚の紙を手に取った。そしてその紙の赤く印が付いていない店の名を見て、舌打ちをする。その表情は酷く歪んで見えた。
「どうぞ、リストになります」
ディートは部屋を出て、真っ直ぐにそれと王へと持って行く。王はそれを受け取ると、クランに渡した。
「……まだ、あと一件、行っていない」
クランが指さすそこには“薬屋ウィン”の文字が。
「クラン様。お言葉ですがその店は評判が良くありません。毒を盛られるやら、二度と同じ姿で帰ってくることはないなど悪い噂が飛び交っております。そのような店の薬を使うことは出来ません」
「……それはただの噂に過ぎない。何の理由にもならないね、ディート君」
「し、しかし!火の無いところには煙はたたないと思います」
「……君は皆が倒れていく中、一人で王を守ろうとした。それは感謝する。だが、ここは少しでも見込みがあるなら賭けて見るべきじゃないかな?」
「賭け、ですか」
「そうだ、今から賭けをしよう!今からその薬屋に行ってくる。その薬屋の薬で皆が治れば僕の勝ちだ。だが、治らなければ僕の負けだ」
クランはとても楽しそうだ。それはまるで無邪気にゲームを楽しむ子供のようだった。
「そんなっ! もし治らなければどうするおつもりですか! 病というものは一刻を争います!勝ち負けでは……」
「そうだね。じゃあ治らなければ、その時にまた賭けをしよう」
「クラン様っ……!」
ディートはクランに噛み付くかのように話している。クランはまぁまぁと宥めた。
「賭けをするときはね、自分の勝利を疑わないものだ。不安になるような賭けならしない方がマシだからね。ディート君。今、最優先すべきことは、王を休ませる事だ。君も疲れていることだろう。少し眠って自分の体に気にかけた方が良い」
その言葉にディートは目を伏せ、
「……はい。……そうですね。王にまずは休んで貰わなくては。……有難うございます」
クランの言うとおりに従い、王を寝室へと導いていく。王もクランが来た事に少しは安心したのか、歩みを進めた。
「そうだ、クラン。そこにある地図を使え。少し分かりづらい場所にあるみたいだ」
「では、遠慮なく使わせてもらうよ」
クランは少し小さめの地図を手に取ると、楽しそうに屋敷を出て行った。外はまた大粒の雪が降り始めている。今夜も積もるだろうか。クランは馬車に乗り込むと、窓から空を見上げた。
「バロー。是非ともどうしてあんな噂が立ったのか、見てみたくないか?」
「クラン様。お願いですから程々にしておいて下さいね」
「分かってるよ。だが俺は会ってみたい。その薬屋の店主に」
雪の中、一台の馬車が小さな薬屋へと向かって行った。