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   指揮官の用事


 翌朝。見慣れない薄い水色の天井がフィリアの目に入る。フィリアは少しだけ視線をさ迷わせた。

 時計の針が七時を指していることに気づき、ふかふかのベッドを少しだけ名残惜しく思いながらも、ベッドから抜け出す。

 思っていたよりもひんやりとしていた室内にフィリアは身震いをしながらも、カーディガンを一枚羽織り、まだ慣れない部屋の中で思わずどこに何があったっけ……と思わずきょろきょろと辺りを見回してしまった。

 そしてようやく一通りの身支度を済ませると、最後にフィリアは備え付けの豪華な装飾の施されたクローゼットを開いたのだった。


「あれ?」

 フィリアは首をかしげる。

 そしてぱっとクローゼットの中にきっちりと並んである一枚の服を取り出したのだった。


「この服、私のじゃないような……。あ、良く見ればこれも」

 どうしてとフィリアの頭にはてなマークが飛び交う。

 結局少し悩んだ末、フィリアはその服をそのまま元の位置へと戻しておくことにした。

 もし、誰かの忘れものだとしたらむやみに触られたくないだろうから。


 フィリアは自分では入れた覚えのない洋服達をかき分けながら、その中でも元々フィリアが持って来ていた洋服もある事に気が付いた。少しだけほっとする。

 一晩ぐっすりと寝ておいて、もし部屋ごと間違えていたら、どうしようかと半ば焦っていた所だったのだ。

 そしていつものシンプルなワンピースに着替えると、フィリアは少しだけクローゼットの中の洋服を眺めていた。


「……フリルとか、多い気が」 

 フィリアがクローゼットの中の洋服と向き合いながら、つぶやく。

 確かに洋服には共通点があった。全体的にかわいらしいものが多いのだ。

 その中でも比較的シンプルな黒のワンピースでも、さりげなくリボンが付いていたり、ふわっとしたフリルが付いていたり……。中にはフィリアがあまり着ないような淡いピンクの洋服まである。

 しばらく眺めてから、フィリアはまぁ私には縁のない洋服だとパタンとクローゼットを閉めてしまった。

 

「よし」

 そのかけ声とともにぐっと拳を握ったフィリアは、ドレッサーの鏡に映った自分を見つめる。

 漆黒の長い髪は特に結うこともされずにストンと真っ直ぐに伸びており、毛先だけがくるんと少し遊んでいた。鏡に映る蒼い瞳はいつも通りで、鏡の中のフィリアも特に何の感情も浮かべていない無表情だった。


 ――コンコン


 静かな部屋にノック音が響いた。フィリアは少しだけびくりとしたがすぐに、はいと返事をする。そしてその一瞬で瞳を蒼から緑へと変えるのだった。


「ルア・サリュウ様。わたくしはメイドのララと申します。失礼します」

 そう言って一人のメイドが部屋へと入ってくる。

 黒縁のメガネにおさげといった真面目そうな印象のメイドがフィリアに深々と頭を下げた。

 

「お早うございます。サリュウ様。わたくしは今後、サリュウ様のお世話係として任命されました。ララと申します」

「お、お世話係ですか……」

「はい。バロー様からの命により、今日から勤めさせて頂きます」

 ぴしっとそう言いきるメイドにフィリアはその言葉が訳も分からずに、しどろもどろしてしまう。

 そして目を泳がせながらこう答えるしかないのだった。

「あの、私は“様”と付けて呼んでもらえるような身分でもありませんし、それにお世話係といった(たぐい)にも慣れてなくてですね……」


 するとメイドは顔色一つ変えずに淡々とこう答えた。

「承知しております」

「え?」

「クラン・ウォルバード様からサリュウ様についてそのように伺いましたが、貴方様が専属魔法使いである以上、メイドであるわたくしはきちんとした敬称を付けなければなりません。これはメイドの決まりですゆえに、ご了承ください」

「は、はい」

「それともう一つ。お世話係についてですが、わたくしが担当しますのは朝のサリュウ様のご仕度をお手伝いすることのみとなっております」

「朝だけ、ですか?」

「はい。ですので他に何かご用がありましたら、何なりとお申し付け下さい」

「……ありがとうございます」


 フィリアが朝だけで良かったと一息ついた瞬間、

「サリュウ様、失礼致します」

「!」

 いつの間にか背後に着ていたメイドがフィリアの髪を(くし)でとき始めたのだった。

 人に髪をとかれるのに慣れていないフィリアは驚く。反射的に背筋をすっと伸ばしたのだった。


「サリュウ様。今朝はどのように致しましょうか?」

「え、えっとですね……」

 フィリアがあたふたとしていると、目の前の鏡に何か長身のものが横切った。フィリアは目をぱちくりさせてもう一度鏡を覗きこむ。

 気のせいか……とそう視線を床に戻した途端。

「そうだな。じゃあとりあえず何か結ってもらおうか」

「承知いたしました」

 さもそこにいるのが当たり前かのように交わされていく会話。

 フィリアは鏡に映った今日も完璧な出で立ちのクランの登場に驚きの声をあげていた。


「クランさん!? どうしてここに」

「なんとなく、ね。それより朝食を一緒にどうかと思ってね」

「朝食ですか? ……そうですね」

 フィリアには特に断る理由がない。素直に首を縦に振った。


 そしてフィリアがもう一度鏡に視線を向けると、メイドは一つも無駄のない動きでテキパキと髪を結っていた。何本も編み込まれた髪がまるでカチューシャのようになり、あっという間に出来上がる。

 フィリアは自分ではけして出来ないであろう髪型に感心していた。それと同時になれない髪型に少し戸惑うのだった。

 せめてもの救いが、全ての髪の毛を上げられていないことで。フィリアはすっと下におろされたままの髪を前に持ってくるのだった。


「さ、ルア。行こうか」

 そんなクランの呼びかけにフィリアは立ち上がる。

「髪、ありがとうございました」

 フィリアは慌ててお礼を言ってクランに手をひかれるまま、部屋を後にする。

「いってらっしゃいませ」

 メイドは深々と頭を下げたのだった。



 ***



 朝食が運ばれてくるまでのわずかな時間。

 フィリアはとてつもなく長いテーブルの横に均等な間隔かんかくで並べられた椅子の一つに腰かけていた。そして、そのすぐそばには何故かいつもより格段に機嫌のよさそうなクランがいる。

 一方のフィリアは怪訝そうな顔をしていた。


「私、やっぱりあの辺りに行った方がいいと思うのですが」

 フィリアの視線の先は、はるか向こうのテーブルの端へと向けられていた。

「確かに向かい合うことは出来るだろうけど、遠いね。話しにくいよ」

「…………確かに遠いですけど」

「だろう? お。フィリア、来たみたいだ」

「だからその名前で呼ばないでくださいと、何度言ったら……!」

  

 突然、ふわぁっと部屋中に焼きたてのパンの香りが広がった。フィリアも思わず言葉を遮り、料理を運んできた執事のバローの方へと向く。


「おはようございます、お嬢様」

 バローは優しい笑みをフィリアに向けていた。フィリアもおはようございますと控え目に微笑む。

 するとむっとしたクランが、ふにとフィリアの頬をつまんだのだった。


「……!? な、何を」

 思いっきり眉をひそめてクランを見るフィリア。クランはそれはそれは楽しそうに笑っている。

 フィリアはなかなか離そうとしないクランの手をはらった。

「何するのですか……!」

「あ、怒ってる?」

「当たり前です!」

「ははっ。ただこうしただけなのに」

 ふにともう一度クランはフィリアの頬を指でつつく。

「……!!」

 フィリアは立ち上がって、自分でがたがたと椅子をクランから遠ざけるように移動させるのだった。

 もう礼儀や作法なんて言ってられない。


 その光景を微笑ましそうに見ている者が一人、

「まぁまぁお嬢様。ここはどうか一つ、寛大なお心をお持ちくださいまし」

「バ、バローさん……」

 バローは優しい笑みを浮かべたままゆっくりと椅子を元の位置へと戻していく。

 そして「さぁお嬢様どうぞ」と言われてしまっては、フィリアもそこに座らざる追えないのだ。

 その様子を先程から何故かご機嫌で見ているクランをフィリアは、キッと一つ睨んでおいた。


「お嬢様。お口に合うか分かりませんが、どうぞ温かいうちにお召し上がりください」

 バローはスープを装うとフィリアそう勧めた。

 フィリアはありがとうございますと、スープに口を付ける。


「……すごくおいしいです」

 スプーンをその手に持ったまま思わず笑顔になる。本当に美味しいと思えるスープだった。

 そうして和やかに進んでゆく朝食の中で、フィリアは一つだけ気になっていたことを口にしてみる。


「ラナさんやシンさんはどちらへいらっしゃるのですか? 朝から見かけてない気がして」

「二人は昨夜から実家に帰ってるはずだよ。でもラナは朝から稽古があるとか言ってたから、もう来てるかも知れないけどね」

「お二人とも住み込みでは無いのですか?」

「ずっとこの屋敷にいてるわけじゃなんだ。一応、二人の部屋もあるにはあるんだが」

「そうだったのですか……。てっきり住み込みなのかと思ってました」


 そこでフィリアは一口、ふかふかのパンを口に放り込む。

 そのパンの美味しさに思わず、今朝から何度も言っている「おいしい」をもう一度言ってしまいそうになるくらい感動するのだった。ジャムを付けるのがもったいないくらい、そのままのパンが美味しい。


 すると突然。

「そうだ、ルア。今日どこかに出かけないかい? ぜひ連れて行きたい場所があるんだ」

「……えっと。クランさん。私の専属魔法使いのお仕事は」

「出かけるのについてくるのも仕事だよ?」

「……。すみません。私ここに残らさせて頂きますね」

「よし、そうと決まれば行こうか」

「ま、待って下さい。今の話の流れで一体どうして行くことになってるのですか……!」

「久々にいいだろう?」

「久々って……。まだここに来て一日も仕事をさせて貰ってないのですが」

「そうだったかな」

「そうですよ」

 クランは残念そうにため息をついた。

 そして「仕方ない……」と言いかけた所でクランはまたハッとフィリアの方を見る。フィリアは急に何ごとかとクランに視線を向けたのだった。


「では、今日は屋敷を案内しよう」

「え?」

「これからここに住むんだ。屋敷を知らないと動けないだろう? それにルアの仕事部屋も用意してあってね」

「本当にいいのですか? クランさん。お忙しいんじゃ……」

「それは心配ない。それに予定があろうが、ルアとの予定を優先でいくつもりだからね」

 爽やかにそう言ってのけるクラン。フィリアは慌てて否定するのだった。

「それは、だめですよ? 本当に予定があるならそっちを優先して下さい」

「ははっ。大丈夫、今日は何も無いはずだから」

「本当に、ですか?」

「ああ。だから、一緒に来てくれるね?」

「……はい。ありがとうございます」

 フィリアは少し嬉しそうに、それでいて控えめに微笑んだ。



***



「最後に、この部屋がフィリアの仕事部屋だ」

「ここが……」

 フィリアはクランがドアの開くのをぼんやりと眺めていた。フィリアの表情は少しだけ疲れているようにも見える。むしろそれは仕方がない事なのかもしれない。


 とにかく、屋敷は広かった。一見、外からU字見えた屋敷も中に入ってみると結構複雑で。

 全てが一つの屋敷とつながっているわけでは無く、簡単にいえば住み込みの使用人のための寮、競技場、訓練場などの施設が離れていた。他にも何か施設あったが、今日は遠慮させて貰うことにしたのだった。

 あんまり一度に教えて貰っても、覚えられそうにないなぁとフィリアは思う。

 

「わ……」

 部屋に入ったフィリアは思わず感嘆の声をあげた。

 その部屋は窓から入る温かい太陽の光を部屋の白い壁が前面に受けており、穏やかな日の光に包まれているかのように明るい。

 今のこの寒い時期でもうっかり転寝うたたねをしてしまいそうだ。


「凄く日当たりの良いお部屋ですね」

 フィリアは窓辺に寄り添いながらそう言った。そしてふとフィリアは窓の外に視線を向ける。


「……!」

 思ったよりもこの部屋は高い位置にあるらしく、フィリアは目を見開く。普通の人ならまず驚くことはないであろう高さにフィリアは大層驚いていた。思わずよろよろと二、三歩後ろに下がってしまう。

 その様子に不審に思ったクランは、

「フィリア? どうかした?」

「い、いえ。何でもありません」

 何事もなかったのかの様に振り返ったフィリアを見て、クランは不思議に思いながらもフィリアと同じように窓辺に向かった。

 そしてフィリアがしたのと同じように大きめの窓を覗きこむ。


「そういえばこの部屋からは庭園が見えたね。すっかり忘れていたよ」

「長い間、この部屋は使われていなかったのですか?」

「ああ」


 フィリアが窓辺からなるだけ離れようと一歩机の方に向かったその瞬間、勢いよく部屋のドアが開いた。クランもフィリアも何事かとすぐさま振り向く。


「ルアちゃーん」

 そう、楽しそうな声が響いたのだった。

 すると開かれたドアからひょこっと太めの剣のつかだけが姿を現した――かの様に思われた。

 フィリアが視線を柄の先から下へとずらすと、くりくりとしたスカイブルーの瞳と目が合い、幼く見える女性が首をかしげてこちらを見ている。

 それは今日も機嫌の良さそうなラナだった。ラナの持つ明るめの金髪の髪が肩について軽やかに跳ねていた。ラナはフィリアを確認すると笑顔のまま、そそくさとフィリアの元へと駆け寄る。 


「ラナさん。おはようございます」

「おっはよー。ここがルアちゃんの仕事部屋なんだってねー! さっき執事さんから聞いたんだ。でね」

 ラナは窓辺に立ったままのクランへと視線を向けた。

「どうして、当主がここにいるの?」

「さっきまで屋敷を案内していてね。最後にここを」

「あっ。当主ずるい! ラナも今から案内してあげようと思ってたのに~」

「それは残念」

「む……。当主なんかシンに怒られちゃえばいいのにー。さっきからすっごい、鬼みたいな顔して当主の事探し回ってるシンに!」

 その言葉を聞いてクランは少し眉間にしわを寄せた。 

「シンが探していた?」

「それもすっごく。今すぐに行かないとまたあのめんど……じゃなかった。長ったらしいお話、聞かされるかもねー」

 ラナは楽しそうにはしゃいでいる。クランはフィリアの方を見て一言、

「ルア、また後で来るから。それまでこの部屋にいてほしい」

「分かりました」

 フィリアがそう返事したのを確認するとクランは慌ただしく出て行ってしまった。


 ラナはその様子をすっと流し目で見届けると、

「ルアちゃん。あたしね、ルアちゃんに話があるんだー。聞いてくれる?」

 その純粋なるスカイブルーの瞳を真っ直ぐにフィリアへと向ける。


 フィリアはその有無を言わせないラナの迫力に、ただ頷くことしかできないでいたのだった。


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